200688日‐17日 トルコ-ブルガリア-ルーマニア-ハンガリー-スロバキア-チェコ-ドイツ】

[2006.8.8TUE.]

成田→イスタンブール

JL5091便で成田を出発。機材はトルコ航空で、出発は前回と異なり、成田第1ターミナル。ほぼ満席。機材のトラブルで離陸が約2時間遅れる。

イスタンブールのアタチュルク国際空港に予定の19:20より大幅に遅れ21時頃に到着。空港で両替、100=1.26YTL。地下鉄とトラムを乗り継ぎ、シルケジ駅に22時頃到着。駅の側のホテルに宿泊。15YTL(1200)

△イスタンブール・シルケジ駅前

△シルケジ駅            △ブルサ行フェリー

△ヤロワ郊外            △ブルサの街

△キョフテとピラフ          △ウル・ジャミィ

△ヤロワの市場

[2006.8.9WED.]

イスタンブールから、ブルサへ日帰り

 アジア側にあるブルサという都市に日帰りで訪問。シルケジ駅からTCDDの電車でイェニカプまで行き、港からヤロワ行の高速フェリーに乗船、片道12YTL。船内はほぼ満席で、家族連れで賑わっている。約2時間強でマルマラ海を渡り、ヤロワに到着。船着場のすぐ近くに待っているブルサ行のバスに乗車、片道7YTL

 バスは乾燥した放牧地やオリーブ畑などが広がる丘陵地帯を走る。ところどころに中規模の町がある。約1時間半でブルサのバスターミナルに到着。市の中心部から離れているため、市内バスに乗り継ぎ、1.5YTLのカードを窓口で購入する。市街地まで約20分。日本のような蒸し暑さはないが、気温はおそらく35℃前後あり焼けるような暑さ。

 ブルサはオスマン朝の最初の首都ということで、「古都」のイメージを持っていたが、思った以上にショッピングセンターなどが発達し、人通りや車も多い都会というのが第一印象。しかし、市街を散策すると、古くからある城壁の跡、イスラム寺院やバザールもあり、歴史を感じさせる。温泉もあるそうだが、残念ながら時間がなく入れず。ロカンタ(食堂)でキョフテという煮込みハンバーグのようなものを食べたが、香辛料の効いた味付けがおいしい。

 再びバスターミナルに戻り、ヤロワ行バスに乗車。切符売場で座席指定を受けるが、席がダブルブッキング。それでも乗り込んだが、出発が遅れたためヤロワでイェニカプ行のフェリーに間に合わない、仕方なく、ヤロワの町で市場などをみて2時間後の船を待つ。団地のような中高層住宅が立ち並び、市場には色彩豊かに野菜が並べられ、活気がある。近所の酒屋で缶ビールを購入したが、丁寧に新聞紙でくるんでくれた。比較的リベラルとはいえ、イスラム教の国だからか?

ブルガリア・ソフィア行国際列車

 フェリーでイェニカプに戻り、来たときの逆ルートでシルケジ駅へ、21時半近くに戻る。ここで国際夜行列車に乗り継ぐ。前3両はルーマニアのブカレスト行、次の1両がセルビアのベオグラード行、後3両がブルガリアのソフィア行。2等寝台でソフィアまで47YTL(3700)22:00に定刻どおり発射。寝台6人用コンパートメントは私しか乗客がいないため、ゆったりと使えて快適。

[2006.8.10THU.]

深夜の越境→ブルガリア・ソフィアへ

 列車はトルコ国内のいくつかの主要駅に停車するが、乗降はほとんどない。午前3時頃に国境の手前のカピクレ駅に停車。ここで深夜にも関わらず、全員が列車を降ろされ、駅舎の一角にある入国審査をする場所に並ぶ。10分くらいするとパトカーで警察官が現れ、窓口を一つ開け、パスポートに出国のスタンプを押していく。自分の番まで約一時間くらい待たされる。国境で列車を降ろされて入出国手続きを受けるのは初めてだが、雨の日や冬は辛いはずであり、非効率な話。駅の構内にある免税店が乗客を当て込んでその時間に店を開け、酒やタバコを販売している。

 列車は2時間以上停車した後、ゆっくり動き出し、ブルガリアのスヴィレングラドに到着。ここでは、ブルガリアの係官が乗車して入国手続きを行う。荷物検査もなく、簡単に終了。しかし、列車の発車は遅れている様子。

 ソフィアには予定の10:45から2時間以上遅れ、13時過ぎに到着。駅構内の両替所でユーロとドルをブルガリアのレフ(LEV)に交換、1レフ=80円で、市内の銀行の方がレートはよい。コインロッカー(2レフ)に荷物を預けて、トラムで市内へ、0.7レフ。

 中心部の聖ネデリャ教会前でトラムを下車し、歩き始める。旧共産党本部は現在、政府機関が使っている。その裏にある19世紀に建てられたアレクサンダル・ネフスキー寺院を見た後、自然史博物館、国立美術館へ。美術館には旧社会主義時代の作品は展示されていないようである。このあたりから、雨が強くなり、気温も下がる。夏とは思えない肌寒さ。マーケットでは野菜や肉をはじめ様々なものが売られているが、焼きたてのケバプ(もともとはトルコ料理)がとてもおいしい。

 再びソフィア駅に戻り、ブカレスト行19:30発の列車に乗車。

2等寝台3人用コンパートメントで約4800円程度。プカレスト行だけでなく、モスクワ、リヴィウ、ミンスク行のロシア、ウクライナの車両を連結している。

△国境のカピクレ駅         △ブルガリア国内へ

△ソフィア駅

△アレクサンダル・ネフスキー寺院

△ケバプとビール          △ブカレスト方面の寝台列車

△ブカレスト・ノルド駅

△国立軍事博物館

△国民の館

△旧共産党本部

△ブダペスト方面行列車

[2006.8.11FRI.]

ルーマニア・ブカレストへ

 午前2時過ぎにドナウ川沿いの町リセに到着。ここで、係官が列車に乗り込み、出国手続きが車内で行われる。2時間近く停車した後、列車はゆっくりとドナウ川の鉄橋を渡る。周囲は漆黒の闇だが、川幅はかなり広そうである。ルーマニア国内に入り、ギウルギウ駅で停車し、ここで入国手続き。

 ブカレスト・ノルド駅に予定の6:02から約2時間遅れの8時頃に到着。駅構内は両替所(1Lei=40円)、売店、レストランも多いが、駅を出ると公園や住宅はあるものの商店は少ない。外務省の渡航情報で野犬に関する注意が出されていたが、確かに首輪のない野犬が目に付く。

 国立軍事博物館に着く。9:00~となっているが、まだ清掃中で他に訪問者もいない。少々待たされた後に中に入る。中世以前からルーマニアの国家の興亡と使われた武器が展示されている。特に第一次世界大戦以降の展示が充実しているが、チャウシェスクなど社会主義時代の指導者についての展示はない。最期のコーナーに89年の革命(現地でもそのように呼ばれている)に関する展示がある。当時の写真、社会主義国の国章を破き穴を開けた旗、そしてチャウシェスク派との銃撃戦で死亡した人の名前が残されている。あらためて、大きな流血があったことを実感する。博物館の周囲には第一次大戦以降の戦車やミサイルなどの兵器も展示されている。

 博物館から徒歩で国民の館に向かう。これはチャウシェスクが権勢を誇示するために建てた宮殿。入口でチケットを購入し、指定された時間に英語のガイドツアーに加わる。内部は贅沢を尽くしており、まさに王侯貴族の宮殿を思わせる。フランスのベルサイユ宮殿をみたときにも感じたが、国家の指導者が国民の貧困の一方でこのようなことをやっていれば、革命が起きてもおかしくはない。現在はこの館には政府機関が入り、大広間などは国際会議に貸し出しているようで同時通訳の施設が設置されていた。この館の周辺のみ、街が美しく整備され、幹部が住んでいたそうである。

 館を出て中心部に向けて歩く。館の前のメインストリートは、中央に噴水が続き、こぎれいなアパートが並んでいる。これは、かつての政府・共産党幹部の住居であったそうだ。しかし、建物の裏は普通の住居。全体的にブカレストは、古い建物と戦後の新しい建物が不調和に混在している印象。

 旧共産党本部にある共和国広場へ。ここはチャウシェスクが最期に演説し、民衆の抗議を受けてヘリで逃亡したところ。現在は静かな風景だが、革命の際に命を落とした人の名が刻まれた記念碑がある。

 ブカレスト北駅に地下鉄で戻り、ウィーン駅行きの寝台列車DACIA号に乗車。ルーマニア国鉄のクシェット(一部屋6ベッド)で、ブダペストまで200Lei。列車には、オーストリア国鉄やワゴン・リ社の寝台車も連結されている。

 16:50定刻に出発。この列車はルーマニアの国土をほぼ横断してから、ハンガリーの南東部に入る。車窓の景色は、途中のブラショフまでは、平地が多い農村風景。その後は山岳地帯に入る。食堂車で食事をしながらみた車窓の景色がよい。出発時は空いていたが、途中からどんどん乗客が増え満席に。私の同室は小さな子連れの一家でドイツまで行くらしい。この列車でも、これまでと同様に深夜2時頃に国境で起こされ、パスポートのチェックを受けるが、ハンガリーへの入国では私だけ別な紙に名前を記入され、無線で確認をしている。

[2006.8.12SAT.]

ブダペストで温泉

 ブダペスト東駅に6時過ぎに到着、約50分遅れ。列車はウィーンまで行くので、そのまま寝ている人も多い。駅構内の両替所では、日本円からも両替できる。(1Ft=\0.7) 地下鉄の乗車券を購入し、マルギッド橋に向かうが、地下鉄工事のため、途中でバスに乗換えさせられる。バス停を降り、5分くらい歩くとルカーチ温泉に着く。

 入口で1,500Ftのチケットを購入。時間が記録されるが、出るときに2時間以内だと500Ftが返ってくる仕組み。ロッカールームに行き、更衣室で水着に着替えて、浴室に行く。お湯の温度は3種類くらいあり、日本人好みの熱いお湯もある。男女混浴だが水着着用。老若男女がゆったりと入っている。ビーチサンダルで浴槽まで行くが、備え付けのシャンプーや石鹸はないのでみなスーパーのレジ袋に入れているようだ。そのほか、湿式と乾式のサウナ、屋外にはプールもあり、時間をかけてくつろぐことができる。異なる温度の広い湯船にはいることができるので、11年前に訪れたラーツよりも各段によい。入浴後、トラムでブダペスト西駅に向かう。

 エステルゴム行のディーゼルカーに乗車。5年前に乗ったときよりも、車両が新しくきれいになっている。約1時間強で終点のエステルゴムに到着。ここから市街地にはバスに乗車。カルフールのショッピングセンターを経由するルートに変わっていた。今日は土曜のためか、ハンガリー人の観光客も多い。

 大聖堂でバスを下車。ここからのドナウ川の眺めはすばらしい。5年前に来たときは、ナチスドイツに破壊された、マリアヴァレリア橋の修復工事の最中だったが、すでに開通し車が行きかっている。これにより、渡し舟は廃止されたようだ。市内に戻り、散策の後、ハンガリー名物のパプリカを使ったグヤーシュというスープを食べる。ワイン祭りを除いた後、マリアヴァレリア橋へ。

ドナウ川にかかる橋を渡りスロバキアへ

 橋を徒歩で渡り始める。途中に国境を示す線が道路に引かれている。ハンガリー側を振返ると、エステルゴムの大聖堂が美しい。橋を渡り終えたところで検問所があり、チェックを受けて、スロバキアのシュトーロボに入国。ここは昔から、ハンガリー人も住んでいたらしく、道路の名前も二ヶ国語で標記されている。町の中心部は整備され、観光客も集まっている。しかし、駅は2.5km程度離れているらしく、歩くとかなりかかりそう。バス停があるが、時刻表が破れていたため、地元の老婦人たちと首をかしげていたころにバスが来る。約10分近く乗車し、シュトーロボのバスターミナルと鉄道駅に到着。ここは、なぜか、パブ風の飲み屋が3軒とガソリンスタンドがあるのみ。駅で切符を買おうとしたが、スロバキア・コルナしか使えないが、近所に両替できるところはなし。何軒か近所の店をあたり、飲み屋のオヤジにヤミ?両替をしてもらう。レートはまあまあ。

 ここは、ハンガリーとの国境駅にあたり、国際列車も停車する。ブダペストから来る、ブラティスラバ経由プラハ行き15:48発のチェコ国鉄の急行列車に乗車。ブルノまで447Skk(1650)。雨がどんどん強くなっていく。

モラビアの中心都市ブルノに到着

 ブルノに6年ぶりに再訪。駅前の雰囲気は、以前と変わらない。外は肌寒く、夏とは思えない。前回と同じ、HotelPegasに宿泊、シングル1,000kc。ここは実際にビールをつくっているブルワリーがあに、1階がビアレストランで朝から夜までやっているので便利。料理も高くなく庶民的。三泊連続社中で疲れたためか、酔っ払って傘を置き忘れる。

△ブダペスト東駅          △ドナウ川と国会議事堂

△ルカーチ温泉

△エステルゴム駅         △大聖堂

△ドナウ川とマリアヴァレリア橋  △グヤーシュ

△橋の上の国境          △シュトーロボ

△シュトーロボ駅

△ブルノ市街            

△オロモウツ市庁舎        △聖三位一体の碑

△オロモウツ市街

△クトナーホラ本駅         △銀博物館

△銀鉱山跡の坑内         

△クトナーホラの街

[2006.8.13SUN.]

オロモウツ

 ホテルを出発し、ブルノ本駅へ。8:54発の急行列車でオロモウツへ。オロモウツ駅は旧市街と離れているため、トラムに乗り、教会の側で下車。仕掛け時計のある市庁舎やホルニー広場の聖三位一体の碑がある。石畳の道と古い建物が落ち着いた雰囲気をだしている街である。日曜のせいか人通りも少ない。聖ヴァーツラフ教会とプシェミスル宮殿を見た後、駅に戻る。プラハ行き12:25の急行列車に乗車。

クトナー・ホラの銀鉱山跡へ

 コリーンで普通列車に乗換え、二駅目のクトナー・ホラ本駅で下車。駅前には何もなく、市街までのバスも日曜で運休らしい。約20分ほど待って、ローカル線のレールバス(1)に乗って、クトナーホラ・ムニェスト駅で下車。ここは、市街地に隣接している。日曜休みの商店も多く、両替も難しそう。初めてチェコに来たときに日曜で両替できず困ったことを思い出した。HotelAnnaに宿泊することにしたが、客は少ない様子で1階のレストランは休業状態、730kc

 クトナー・ホラは、中世に銀が発見され、その富により繁栄した街であり、現在、世界遺産に指定されている。銀鉱山の跡に入ることができるというので、銀博物館へ。16:30の最終の英語ガイドツアーに間に合う。わかりやすい英語で、鉱山の歴史や工具などの説明を受けた後、当時の作業着を模した白い上着、ヘルメット、ランプを付けて坑内へ。手掘りの穴からも当時のたいへんな労働が偲ばれる。坑内は所持したランプがなければ真っ暗。所々狭い横坑を抜けて、入口とは別なところに出る。

 旧イエズス会大学や聖バルバラ教会をはじめとした施設をまわるうちに日が沈みはじめる。日本人団体観光客もみかけたが、観光客は少なく静か。ゆっくりするにはよい街である。

[2006.8.14MON.]

プラハの朝の散歩

 ホテルを6:40頃に出発。平日の朝ということもあり、駅前の食品店もすでに開いている。昨日と同じ車掌さんが乗っているレールバスに乗車し、クトナー・ホラ本駅、コリーンで乗換え、6年ぶりにプラハへ。車内は通勤客で混雑しており座れない。

8:30にプラハ本駅に到着。地下鉄に乗り、ヴルタヴァ側をくぐり、マロストランスカ駅で下車し、トラムに乗換え、プラハ城の北側で下車。ここは朝から世界各国からの観光客が押し寄せている。以前に入ったことのある城内の教会などには入らず通り抜け、市街を見渡す展望コーナーへ。赤い屋根と教会の尖塔が特徴的な景色をつくっている。

 旧市街への道を下り、カレル橋を渡り、仕掛け時計で有名な旧市庁舎のある旧市街広場へ。ここは何時来ても人が多い。観光客の波にもまれながら、共和国広場、ヴァーツラフ広場へ。ここで名物のソーセージのホットドッグで朝食。ヤン・パラフの記念碑が石のレリーフになっていたが、変わらず献花がされている。国立博物館の前の道を再びプラハ本駅へ。11:15発の急行列車でプルゼニュへ。途中のヴルタヴァ川の景色がよい。

プルゼニュでビール

 プルゼニュといえば、ピルスナービール発祥の地。駅前にチェコを代表するピルスナー・ウルクェル(プルゼニュスキー・プラズドロイ)の工場がある。ここは、やや高いが200kcの英語ガイドツアーがある。まずは、歴史を紹介する映画、ビールの醸造の仕組みと近代的な生産設備を見た後、地下へ。工場の地下には縦横に地下道が張り巡らされ、そこでは今でも樽を使った発酵方法でビールが醸造されている。気温は5度前後、独特の酵母の匂いがする中で、濾過前のビールが樽から注がれて、飲むことができる。コクがありなかなかおいしい。工場内には、ビアレストランもあり、おいしいビールが飲める。

 HotelSlovanに宿泊(530kc)することにして、荷物を降ろした後、前回来たときには時間外で入れなかったビール醸造博物館へ。ここは、古代エジプトに始まるビールの歴史、使われた道具や19世紀のビアホールの再現があるほか、過去にここで醸造されたときに使われた地下道にも入ることができる。

 市街を散策した後、再び博物館の隣にあるパブへ。ここは、前回来たときにも入ったが、ビールがおいしい。席に座るとすぐにビールが出てくる。これは、プラズドロイ社のKvasというものでおいしく、ペットボトルを持って買いに来る人もいた。夕食の後は市内を少し歩き、ホテルで休んだ後、共和国広場へ。ここでは、暗くなってからコンサートが行われ、いろいろな屋台が出ている。しかし、気温は10℃位に下がっており寒い。冬ではないはずなのに、ホットワインがよく売れており、一杯20kcで買って体を温める。

 

 

△マーネス橋とプラハ城      △ビート教会

△プラハ城から市街を望む     △カレル橋

△プラハ旧市庁舎         △ヴァーツラフ広場と国立博物館

△プルゼニュ駅          △プルゼニュスキー・プラズドロイ本社

△地下道でのビール発酵     △ビール醸造博物館

△博物館隣のパブ

△プルゼニュの共和国広場

△プルゼニュ駅           △Furth im wald

△ニュルンベルグ

△ドク・ツェントラム

△ドイツ鉄道博物館

△ローテンブルグ

[2006.8.15TUE.]

ローカル線で国境を越えてニュルンベルグへ

 朝6時過ぎにホテルを出発。Domazlice行き6:40発の普通列車に乗車。天気はよくないがボヘミアの平地から、やがて森林地帯にはいっていく。終点でレールバスに乗換え。通しで乗る乗客は自分一人。国境の手前でパスポートチェック。山岳というよりは丘陵地帯の森を越えて、ドイツのFurth im waldに到着。ここで、ドイツ鉄道(DB)の近郊列車に乗換え。さらにシュバンドルフで乗換えるが、ドイツは祝日のためか、列車は大混雑。

 ニュルンベルグに11:21に到着。荷物をコインロッカーに預けて、城壁をくぐって旧市街へ。ビールの酵母臭がするので立ち止まると、醸造もしているビアレストランがあるので昼食。ここの名物は、小さい焼きソーセージ。

 駅前に戻り、トラムでDoku-Zentrumへ。ここは、ナチスがしばしば党大会を開いたところで、現在はナチスの台頭、侵略やユダヤ人虐殺などの歴史を詳しく伝える展示が行われている。来場者も多く、熱心に展示を見ている。

 再び駅前に戻り、ドイツ鉄道博物館へ。ドイツの鉄道の歴史、過去の車両が展示され、大人から子供まで楽しんでいる。特に旧東独のDRについての展示が興味深い。ポーランドで自主管理労組「連帯」の運動が広がったときは、東独とソ連の輸送確保のために、ポーランドを経由せず、バルト海をフェリーで列車を輸送し、船内で軌間を変更するという「ムクラン・プロジェクト」が計画されたことを始めて知った。

列車とバスを乗り継ぎ、ローテンブルグへ

 ニュルンベルグ中央駅から、ローテンブルグへ。途中、アンスバッハとスタイナッハで乗換えるが、スタイナッハ-ローテンブルグ間は工事中でバスによる代替輸送。18:55にローテンブルグ駅着。駅前のショッピングセンターで一休みした後、Gasthof zum Ochsenに宿泊。シャワー、トイレ付で28.荷物をおろした後、市内を散策。観光地らしく、日本人も多数見かける。街の雰囲気は、石畳に木組みの家で、ドイツらしいイメージ。レストランの終了時間が早く、開いているところを見つけて夕食。

 

[2006.8.16WED.]

ローテンブルグ市街散策

 朝食後、宿に荷物を預けて市街散策。市庁舎の塔に登り、市街を一望。城壁に守られた都市であることが実感できるが、周りが日本人ばかり。観光案内所でもらった日本語の地図の順路に沿って歩く。中世犯罪博物館は、中世の法律、刑罰に関する展示。魔女狩りに使った拷問道具や、晒し者にしたときの仮面などが展示されている。ドイツ語、英語、日本語で解説されている。

 市街は城壁に囲まれており、門は堅固な要塞になっている。城壁に上がることができ、赤い甍をみながら歩くことができる。

ヴュルツブルグへ移動

 今日は帰国便に乗るため、フランクフルト国際空港に向けて出発、40.代行バスでスタイナッハに向かい、ヴュルツブルグ行きの列車に乗車。教会を中心に円形に広がる集落が所々に見える。マイン川沿いのブドウ畑をみながら、レーゲンスブルグ駅に到着。ここは、今年正月にも訪れたところ。前回見ることができなかった大学構内にあるレントゲン記念記念館を見る。ここで、X線が発見されたそうで、レントゲン博士の手のX線写真も展示されている。他に来客者はなし。マイン川にかかる橋からマリエンブルグ要塞を眺めた後、シュニッツェルの昼食を取って、駅に戻る。

ICEでフランクフルト国際空港へ

 17:31発のICEに乗車。運転席の後ろの2等座席が空いているので、そこに座る。ここは運転席の様子も眺めることができ、スピード感を感じることができる。高速専用線と在来線を使い、フランクフルト空港駅に18:48着。JALが出発するターミナルDには、バスかスカイラインという新交通システムに乗る。

 身体と持ち込み荷物のチェックが厳密に2回も行われたが、JALの搭乗口でもらった朝日新聞を読んで、旅行中の810日にイギリスでテロ未遂事件があったことがわかった。

 帰りの機内も満席。機内食を食べた後、就寝する人が多い。

△ローテンブルグ市庁舎の塔

△中世犯罪博物館

                    △レーゲンスブルグ

 

[2006.8.17THU.]

成田に帰国

 ほぼ定刻どおり、15:20に成田に到着。

 

HOME