2000/8/2-9ヨーロッパ5カ国旅行記録》

 

[一日目:8/2WED.]ウィーン経由でドイツ・ベルリンへ

 6:30に自宅を出発、成田空港へ。第2ターミナル内は出国客で大混雑。出国手続きに30分近くかかる。なんとか、10:45発全日空207便ウィーン経由パリ行に搭乗。出発も30分以上遅れる。

 日本海を越えた後は、シベリアのツンドラ地帯の上空へ。人家のない緑色の大地にところどころに蛇行した川が流れている。冬に上空を飛んだときは、雪の積もった白い大地と凍った川の景色だったので、その対比が大きい。

 ロシア、ポーランド、スロバキア上空を経て、ウィーンへ。市街の寺院や王宮が見えてくる。ウィーン空港に1530着。ここで、オーストリア航空107便ベルリン行に乗換える。7年ぶりにベルリンをめざす。

 ベルリン・テーゲル空港に、1850着。クーデム通経由でベルリンZOO駅行きの109番のバスで市内へ。宿は探す時間もないので、7年前に初めてベルリンに行ったときに泊まったホテル・ベルゼにする。120DM。ちょうど20時、まだ外は明るいが、雨が降ったせいか、肌寒い。持って行こうかどうか迷ったパーカーが早速役に立つ。

 荷物を降ろし、100番のバスに乗り、かつての東西分断の象徴プランデンブルグ門の前で下車し、連邦議会議事堂へ。ここは、ドイツの統一後、ボンから首都を移転し、あわせて国会も移転するにあたって、いろんな話題を呼んだところ。NHK-BSでドイツZDFのニュースを見ていた私としては是非とも訪ねたかった所。7年前は旧帝国議会議事堂として過去の遺物といった感じだったが、夜でも入っていく人が多く、以前と雰囲気がだいぶ違う。22時まで誰でも入れるそうなので、観光客や市民が気軽に集まるようだ。荷物検査の後、エレベーターで屋上に上がると、ガラスの半球型の巨大なドームがあり、そこに入ると現代的でシンプルな感じの議場が見下ろせる。ここで、ドイツの政治が動いているのかと思うと感慨深い。ドームの天辺や、屋上からは、ベルリン市内の夜景が楽しめる。

 議事堂を出て、バスを待つ。なぜか、夜10を過ぎているのに、ローラースケートを楽しむ数千人の集団がブランデンブルグ門を通過し、その間通行止めでバスは来ず。やっと、10:30過ぎにバスが来て。ホテルに11:00頃に帰りつく。

 

 

[2日目:8/3THU.]ベルリンからドレスデンへ

 830にホテルを出発、徒歩でベルリンZOO駅へ。Internationalの窓口で、ポーランドのグダンスク行きのチケットを購入しようとしたが満席で買えず、急きょプラン変更。ドイツ東部を歩くことにして、ドレスデン行きのチケットを購入。荷物をコインロッカーに預ける。

 ふたたび、100番のバスで戦勝記念塔(映画「ベルリン・天使の詩」に出てきたジーゲスゾイレ)を通り、旧東ベルリンのメインストリートのウンターデンリンデンへ、国立歌劇場の前でバスを降りる。このあたりは、「博物館の島」といわれるくらいに美術館、博物館が集まっている。

 まず、大聖堂に入り、ドームに登る。東京に比べて高いビルが少なく、緑が多い。続いて、ベルガモン博物館へ。トルコのベルガマで発掘されたギリシャの遺跡と、古代バビロニアのイシュタール門を博物館の中に再現したもので屋内であるにも関わらずスケールが大きいのに驚かされる。

 トラム(市電)、地下鉄を乗り継ぎ、ポツダム広場駅へ。昔、この駅は西側の地下鉄が、東側の地下を走っていたために通過する「幽霊駅」だったそうだが、いまは、ソニーセンターやショッピングモールがある最先端を行く再開発地区。しかし、少し歩くとベルリンの壁や監視塔の遺物が残っている。そのまま、チャックポイントチャーリー(旧東西ベルリンの検問所)跡まで行く。壁の立っていた地面には石が埋めこまれ、ず-っと続いているが、だんだん、東西の違い、境界がなくなっているようだ。そこからバスに乗り、再びZOO駅で降車。駅の近くのビール会社直営のレストランに入る。14時過ぎだが昼食、ビールが美味しい。

 食事後は、シャルロッテンブルグ宮殿へ。絵画や調度品などの展示と庭園を見る。そのあと、ZOO駅へ戻り、荷物を出してドレスデン経由プラハ行きのEC(国際特急列車)を待つ。

 定刻通り17:30に発車した列車で、ドレスデンへ向かう。車中で宿泊先をマイセンにすることにして、ドレスデン下車後、客車3両のSバーン(近郊列車)に乗換え、約30分でマイセンへ。マイセン駅で下車し、市街へと歩く。エルベ川の河畔に出ると、アルブレヒツ城が台地の上に見える。いくつかホテルをあたって、空室のあったホテル・アム・マルクトに9時過ぎに宿泊。115DM。ホテルの向かいの聖母教会の鐘が15分ごとになるのが聞こえる。夕食代わりにヴァイツェンビールを飲んでから就寝。

[三日目:8/4FRI.]マイセンとドレスデン

 午前8時、朝食前の散歩でアルブレヒツ城へ。街の家々の赤い屋根が見渡せる。朝食後、マイセン磁器博物館へ。 アメリカから来た年配の団体客と一緒に製造工程の実演を見た後、博物館で18世紀以降の作品を見る。中国や日本の陶磁器を研究し製法を学んだそうだが、その技術は三世紀にわたり大切にされてきただけあってたいしたもの。博物館内の販売店の製品の価格はコーヒーカップのような小さいものでも結構高い。見学後は、徒歩でマイセン駅へ戻り、ドレスデンへ向かう。

 ドレスデン中央駅に正午過ぎに到着。中央駅前は大きな工事の最中。両側に専門店やデパートが立ち並ぶプラガー通りを歩き、レジデンツ城へ。君主の行列という長い壁画を見る。ドレスデンは、第2次大戦中に大規模な空襲が行われたため、現在もフラウエン教会はじめ復元中の建物もあるが、修復された建物も多いらしい。しかし、エルベ川沿いのブリュールのテラスと呼ばれる遊歩道から見る景色は、歴史的な重みを感じさせる。ツヴィンガー宮殿で庭園と絵画、中世の武器などを見た後、エルベ川にかかるアウグストウゥス橋を渡り、ノイシュタット地区へ、このあたりは、旧DDR時代に建てられた中層住宅が立ち並ぶ。再び橋を渡り旧市街地区に戻る。市庁舎の地下にあるRatskellerで早めの夕食。16時前なので他に客はいないが、価格、味ともまあまあ。

 ドレスデン中央駅へ戻り、1744発ブロツワフ行きIR(地域間急行)に乗り、ゲルリッツへ。1916着。駅舎はそこそこ大きく、トラムも走っているが、人通りが少なく、駅前のホテルも廃業している。とりあえず、看板を見て、ペンジオーン・ヴィースバーデンというところに宿泊。80DM。部屋は最近改装したのか、そこそこきれい。市内の地図のコピーをもらって、街を歩く。約20分ほど東に行くと、そこはナイセ川を挟んで、ポーランドとの国境。6年前に列車でポーランドに入ったときは、結構うるさい荷物検査があったりので、ちょっと緊張しながら検問所へ。しかし、現在はビザも必要なく、簡単にパスポートを見ただけで通ることができる。幅の広くない川にかかる橋を渡るとそこは、ポーランドの町ツゴルツェレックで、両替商が軒を連ねる。ここは、1945年まではドイツ領内だった。しかし、どことなく雰囲気は違う。もう一度、橋を渡り検問を通過し、ゲルリッツへ。教会や塔など昔は地域の中心的な都市だったのだろうが、活気がなく空家も目立つ。地下室を利用したレストランというより居酒屋のようなところで、地元のビールを飲んでから就寝。

 

 [4日目:8/5SAT.]ポーランド・ブロツワフヘ

 朝7時に宿を出発。ゲルリッツ駅でポーランド・ブロツワフまでの乗車券を購入。737IRヴロツワフ行きに乗車。列車に乗る前のホームでドイツ、ポーランドの係官が出入国手続き。出発後すぐに、国境のナイセ川を越える。平野と緩やかな丘陵が続き起伏は少ない。ポーランド国内に入ると、次々、乗客が増えて満席に。1031定刻通り、ヴロツワフ駅到着。駅構内は、両替商、レストラン、カフェなどがあり人通りが絶えない。荷物を預けた後、市街地へ。

1945年までドイツ領シロンスク地方だったこともあり、旧市庁舎やその周りの建物はゴシック様式で、ドイツの街と外観が似ている。歴史民族博物館の展示をみると、WWU後にポーランド領となって、ドイツ人が離れた後にポーランド各地のみならず、ロシア、ユーゴ、ルーマニア、フランスなどから、ヴロツワフに移住してきた人たちが多かったことが、当時の写真や移住許可証などの展示でわかるようになっている。

市街を北に抜けるとオドラ川が流れ、その中州にはカテドラル(聖ヤン大聖堂)をはじめ、教会がならび、それが水に映えて美しい。修道女も何人も見かける。カテドラルの塔は90年代に再建されたそうで、エレベーターがあり塔の上まで登ることができる。ヴロツワフの市街が一望できるが、住宅地や工場も多い大都市であることに気づかされる。

再び旧市街に戻り、パノラマ・ラツワヴィツカ民族博物館で18世紀のポーランド農民の帝政ロシアへのたたかいを描いた大パノラマ画を見る。その後旧市街に戻り、聖エルジュベティ教会をのぞくと結婚式の直後。この日が「大安吉日」なのか、土曜は結婚式が多いのかわからないが、この日は何組もの結婚式を見た。夜行列車まで時間があるので、足は痛くなってきたが、散策をしながら時間をつぶす。夕日が沈み暗くなるのは21時過ぎ。しかし、旧市庁舎付近は、人が集まり活気がある。

しばし時間をつぶした後、トラムでヴロツワフ駅へ。構内のカフェでビールを飲んで夜行列車を待つ。プラハ行き夜行列車が到着。寝台でない二等のチケットは93zl(約2300円)。乗客は少なくガラガラ状態なので、他に乗客のいないコンパートメントを選び、体を横にして休む。036プラハに向け発車。

 [5日目:8/6SUN.] チェコ・プラハからブルノヘ

  ヴロツワフ駅を列車が出発した直後に車掌がやってくる。どうも様子がおかしい。どうやら、乗車券以外に急行券のようなものが必要のようだ。しかし、ポーランドは自国通貨の持ち出しを原則的に禁止しているので、ほとんど小銭しかない。DMではダメらしいし、とりあえず、2度目に来たとき半分くらいの金額を渡す。車掌はまた後でと言っていたようだが、それで済んでしまった。

 3時過ぎにチェコとの国境の駅に到着。両国の係官と警備兵が乗ってくるが、パスポートにスタンプも押されず、荷物チェックもなく簡単に手続き終了。しかし、何度も起こされるので、国際夜行列車は熟睡できないのが難点。

 それでも、横になって眠っていると、人の気配が。列車が混んできたのかと思い、目を開けると、男が私の荷物を物色している。バックパックだが、網棚から簡単に外せないようにしていたので、開けたり持って行ったりはしていないようだ。一瞬焦ったが、大きな声で「何だ!」というと向うも焦ったのか、タバコを欲しそうな仕草をして退散。外も明るく、終点のプラハも近い。

 プラハ本駅に6:46定刻に到着。早速、コインロッカーに荷物を預けようとしたが、仕組みがよくわからないので断念。荷物をかついだまま歩き出す。火薬塔を通り旧市街広場へ。日曜の朝とあってか人通りは少ない。欄干の聖人像が特徴のカレル橋を通ってヴルタヴァ川を渡り、マラー・ストラナ地区へ。日本大使館もここにある。

  プラハ訪問は3度目なので、これまで行きそびれたところを回ることにする。まず、プラハ市街が見下ろせるペトシーン公園に行き登山電車電車に乗る。電車が丘を登る途中からの眺めがいい。往復した後は、トラムでヴァーツラフ広場へ。ここでは、前に来たときと同様に売店で、特に珍しくはない焼いたソーセージを買って食べるが、「ヴァーツラフ・ホットドッグ」などと名づけて売っているところが前と変わったところか。国立博物館の前には、聖ヴァーツラフ像があり、その前には69年に「プラハの春」を武力介入し弾圧したソ連軍に抗議の焼身自殺をしたヤン・パラフの記念碑があるが、今も献花が絶えないことことが感動的である。特に出発前に春江一也著の「プラハの春」を読んだこともあるが。

 国立博物館は、これまで休館日などと重なり中に入ったことがなかったが、内装も重厚。展示内容は、上野の国立科学博物館のような自然科学が中心。魚の標本が日本とは異なっているのでおもしろい。あとは、鉱物の標本が充実している。 

 博物館を出ると雨が強くなってきたので、地下鉄でプラハ・ホレショヴィツェ駅へ。7年前に訪れたときに比べ、売店や乗客の数も増えたようだ。本駅を経由しない国際列車が発着するせいか、バックパッカーも多く、英語、ドイツ語も飛び交う。プラハ市内はホテルが高いので、ブルノに泊まるため、ベルリン発ブダペスト行きECを待つ。

 列車は遅れて到着したが、ほぼ満席で発車。ボヘミアからモラビア地方に入るときに低い山地を越えるほかは起伏は少ない。小さな川が流れているのだが堤防がなく、もし大雨が来たらどうなるのかと思うが、数年前の南ボヘミア地方の洪水は、まさにこのような川が溢れたのかもしれない。

 約3時間弱でブルノ駅に到着。駅前から歩き出し、早速今夜の宿探し。ピヴニツェ(ビアホール)の上にあるHOTEL PEGASというところに泊まる。1445ck(4100円)荷物を置いた後、丘の上にあるシュピルベルク城へ。あいにく、開館時間が終わり中はみられないが、ここからは市街が見渡せる。旧市街には、教会も多いが、郊外には工場、団地も立っているようだ。市街を一回りした後、ホテルの1回のピヴニツェでビールを飲む。日本円換算だとビール1杯が40円くらい。料理も300円くらいでもそこそこ量もある。ウィンナー・シュニッツェルがおいしい。

 

 [2000/8/7Mon.]スロバキア・ブラティスラバへ

 ホテルを出た後、野菜が並ぶ朝市を見て、ブルノ駅へ。駅の近くのTESCOというスーパー(チェコとスロバキア各地でいくつも見かける)で買い物をする。7年前にプラハを訪れたときは、スーパーの食品売場は、並ぶものも限られていたり、旧社会主義国からのものが結構あったが、今は西欧諸国と比べても変わるところがほとんどない気がする。ベヘロフカというチェコ・カルロヴィバリ名物のリキュールを購入する。

 915発ブダペスト行き列車に乗車。途中の停車駅で入国審査。今回の旅で唯一VISAが必要なスロバキアへ入国。1107ブラティスラヴァ本駅着。駅前のキオスクでチケットを購入してトラムに乗車し、旧市街へ向かう。旧社会主義国時代の1970年代に立てられたホテルキエフに決める。1600sk(4000円)。全体的に施設がくたびれた感じだが、旧市街まで歩いて5分くらいの便利さ。

 迷路のような旧市街を抜けると丘の上に城が見える。登ってみるとあいにく月曜は閉館日だが、ドナウ川がゆったりと目前を流れ、貨物を積んだ船が行き交う。日本とは河川の役割、存在価値が違うようだ。

[2000/8/8Tue.]オーストリア・ウィーンへ

 ホテルを出発し、旧市街を抜け、ドナウ川にかかる橋のふもとのバスターミナルへ。途中前を通ったイギリス大使館では、朝からVISAを申請する人が何十人も行列。バスでドナウ川を渡り、昨日とは違うブラティスラヴァ・ペトジャルカ駅へ。ウィーン行きの乗車券を購入しようとしたが所持金も足りず、駅構内にも周辺にも両替できるところがない。仕方なく途中駅まで買える分だけ購入。駅構内で出入国の手続きが行われ、オーストリア国鉄の近郊電車に乗車。9:40発。出発後すぐに国境を越える。

 10:42ウィーン南駅着。7年ぶりだが、構内の新型コインロッカーでは、日本語の表示も出るのにびっくり。荷物を預けて、駅のそばのベルベデ-レ宮殿へ。庭園と宮殿内の絵画がみどころ。その後は、トラムとバスを乗り継ぎ、グリンツィンガーへ。ここは、ぶどうの産地でホイリゲという新酒を飲むことができる。早速、頼むと小ジョッキのようなカップに並々と注がれたワインが出される。

 再びトラムで市内に戻り、王宮周辺を散策する。ザンクト・シュテファン教会周辺では、大道芸もやっていて人だかり。それにしても日本人観光客が多い。地下鉄とSバーンを大観覧車で有名なプラトー遊園地近くのウィーン北駅で乗り継ぎ、シュベヒャート空港へ。21:00の出発を待つ。

 

[2000/8/9Wed.]成田に帰国

 成田に到着。相変わらず入国手続きは大混雑。とっても蒸し暑い。

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