はるか かなた、この壁に つめたい慰めをなげる
光はーただのひとときーとおい、わたしの
宮殿のとびらに、射したのだ。
はるかに、とおい、花咲くエンナの野原は、
いちど味わうと 地獄に釘づける、このおそろしく
いまわしい果実のために。はるかに とおい
あのなつかしの空は、つめたい灰色の冥府から。
はるか、ああ なんと この夜は遠いのだ、
なつかしの むかしの 日日からは……
「ああ、かわいそうに、あわれなプロセルピナよ 」
肩にあつまる薄紅の衣の袖は、胸を過ぎてより豊かなる襞を描いて、裾は強けれども剛からざる線を三筋ほど床の上までひく。ランスロットはただ窈窕として眺めている。前後を截断して、過去未来を失念したる間にただギニヴィアの形のみがありありと見える 。
アーサー王の妻ギニヴィア王妃は、王が催した騎士の試合でランスロットと出会って、一目惚れして恋に陥る。ある時アーサー王が2人の関係に気付いてギニヴィアを火あぶりの刑に処すと決める。処刑を知った鯉ランスロットはギニヴィアを救出した。ギニヴィアは尼となる。
くちは一文字に結んで静かである。眼は五分の見いだすべく動いている。顔は下膨の瓜実形で、豊かに落ち付を見せているに引き易えて、額は狭苦しくも、こせ付いて、いわゆる富士額の俗臭を帯びている。のみならず眉は両方から逼って、中間に数滴の薄荷を点じたるごとく、ぴくぴく焦慮ている。鼻ばかりは軽薄に鋭くもない。遅鈍に丸くもない。画にしたら美しかろう。…どうしても表情に一致がない。悟りと迷いが一軒の家に喧嘩をしながら同居している体だ。この女の顔に統一の感じがないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に圧しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。『虞美人草』では藤尾の
波を打つ廂髪の、白い頬に続く下から、骨張らぬ細い鼻を承けて、紅を寸に織る唇が----唇をそと滑って、頬の末としっくり落ち合う顎が----顎を棄ててなよやかに退いてゆく咽喉が----次第と現実世界に競り出してくる。「なに ? 」と藤尾は答えた。 昼と夜の間に立つ人の、昼と夜の返事である。江藤淳も『決定版 夏目漱石』で藤尾のイメージはプロセルピナであると言っている。さらに
小野清三様と子昂流にかいた名宛を見た時、小野さんは急に両肘に力を入れて、机に持たした体を跳ねる様に後ろへ引いた。未来を覗く椿の管が、同時に揺れて、唐紅の一片がロゼッチの詩集の上に音なしく落ちてくる。全き未来は、はや崩れかけた。漱石がロセッティやバーン・ジョーンズの絵画と感応し、ロセッティが深く染み込んて雅文で描いたのが『薤露行』、『幻影の盾』、『草枕』、『虞美人草』である。