歩く絹の道(浜街道)
小田急町田駅浜街道芝生追分
iー愛ロマンチカ
    
この区間は、2010.4.29に歩いた。
天気は良好で、また連休初日ながら人混みも少なく街道歩きには快適であった。
横浜市内に入ると、都市化で道はあちこちで寸断されまたオーソライズされたマップも見当たらず、
道が分からなくなって地元の人たちに尋ねても「絹の道?」「浜街道?}で、全く頼りにできない。
万が一道に迷ったりすると、とても難解な街道と言わざるをえない。
途中立ち寄った長源寺では、住職の美人奥様から絹の道の情報や寺の仏像のことなど多々教えていただき、
またご住職からはお茶をいただき帰りには旅の疲れを癒すようにと両手に一杯の飴玉をいただいた。
御仏に感謝!
       
2010.4.29 8:51、前回の終点小田急町田駅踏切からスタートし、都道47号線を進む。
   
踏切を渡るときれいに整備されたブロック舗装道(写真左)で、
右側に原町田誕生四百年記念建立、側面に「此方はちおゝじ」「此方よこはま」と刻まれた「
絹の道石碑(写真中左)
その右脇柱に「
天正15年(1587年)商店街形成の原点「二・六の市」開設標識(写真中右)
この原町田中央通りの絹の道は、新編武蔵風土記で「かながわ道」と記されたところで、
1587年開設「二・六の市」を主軸として、生糸を始め諸物資の集散地となって繁栄し現在に至っている。
まっすぐ進み、
原町田中央通り信号交差点を直進する。
なお県道47号線はここで左折し、前回滝の沢信号で分かれたもう1つの47号線と合流する。

   
ピンク旗で飾られた商店街(写真中)通りを進み、
左側町田商工会議所敷地前に原町田七福神の1つ「
福禄寿石像(写真左)と、
「二・六の市」前身「二の市」の発祥の地「
原町田商店街発祥の地二・六の市(写真左)
さらに進み、次の
信号交差点で都道51号線を横断する。
    
道なりに進み、突当りの三塚信号交差点写真左)で再度都道47号線町田街道と合流し、右折する。
すぐ先で
JR横浜線(写真右)にかかる陸橋を渡り、南橋信号を横断し都道141号線を進む。
南橋信号から、都道47号線から都道141号線となる。

   
単調な町田街道をしばらく進み、金森信号丁字路を直進し続いて横断歩道橋(写真左)を潜り、
右側歩道花壇の黄色ビオラの中に咲く
深紅のチュ-リップ(写真中)は魅かれます。
南中学校東交差点を直進し、左側
NISSAN建物を過ぎたところで、
   
右手の細い道(写真左)に入り、すぐ道なりに左折して進む。
黄色ゴルフ練習場建物(写真中)を過ぎたところからゆるい下り坂となり、信号交差点を直進する。
  
その先小川信号交差点(写真左)で再度都道141号線と合流し、右折する。
約9分進み、
東急田園都市線(写真右)にかかる陸橋の小鶴橋を渡り小鶴橋信号を直進する。
  
2分ほど進み長津田辻バス停の先で、町田市辻信号交差点を直進し、
国道246号線高架(写真左)下を潜り、都道141号線と別れ一般道を進む。
しばらく進み右側
ピンクのラブホテルRING(写真中)前を通り、突当りで東名高速ランプガードを潜る。
   
ガード下を抜けて左手の階段(写真左)を上り、国道16号線脇の小さな広場(写真中)に出て左側を進む。
広場に「東名横浜インター」バス停があり、ただし一日1本で平日8:21、土曜17:31、日曜15:01。
果たして誰が利用?もしかして業務用?
この時にわかに雨と強い風、先を急いて濡れながら
16号線沿いを進む。
   
すぐ先の階段(写真左)を下り、東名高速ランプガード(写真中左)を潜り、
出たところで右手の
階段(写真中右)を上り、
東名高速にかかる
第一跨道橋を渡り、東名高速ランプ沿いに進む。
この地点は、東名高速横浜町田インターチェンジがあるところで、出入り口ランプが入り乱れている。

    
第一跨道橋から見下ろした東名高速
   
にわか雨も殆ど止み、ランプの右手には高層ラブホテル群(写真右)、左手はどこまでも続く田畑(写真左)
ペーパー産業と農業のこの落差!これもしかしたら日本の縮図?
すぐ左手からの車道と合流し、
ランプ沿いに進む。
   
道はゆるい下り(写真左)となり、突当り(写真中)で右折してすぐ左折し、ランプ下を16号線沿いに進む。
   
約5分ほど先卸センター入口信号交差点(写真右)手前で、左側の階段(写真中)を下りる。
下りたところで折り返し、県道18号線沿いに進み
16号線滝沢隧道を潜る。
   
潜りぬけるとすぐのところに、横浜市「瀬谷区境界標識(写真右)
正確には「この手前23m」とあるので、隧道出口付近で町田市(東京都)から横浜市に入ることになる。
境界標識からUターンして左側の
階段(写真中)を上がり、未舗装道に出て右折する。
   
横浜卸センター入口標識の交差点(写真左)を直進し、
ゆるい
坂道(写真中左)を上り旭区(横浜市)に入る。
途端左側にラブホテルが並び「ファッション」、カラフルな
お誘い看板(写真中右)の「ラル」、「Lagoon]、
左カーブのゆるい
下り坂左側にすぐ「Cerib」。
   
そして右側にピンク看板Eikokukan(写真左)
その先の
川井浄水場入口信号(写真左)で、国道16号線を横断して直進する。
ただここには横断歩道がないので、左側の
横断歩道橋(写真中)を上がり、東名高速ランプ下を潜り、
歩道橋を下りて右手に出て、先ほどの道を進む。
   
右にカーブするゆるい坂道を上り、右側にラブホテルMIYABI建物群(写真左)
建物は、駐車で満杯。
まだ朝11時だというのにこのあり様。そういえば今日は祝日、こういうところで時間を楽しむのも妙案。

男のひとは、こういうところが好きなんですよね。
でも女の人も一緒に行くことで成り立つわけですから、女も好きだということでしょうか。

ラブホテルはペーパー産業以外の経済波及効果は殆ど期待できないと言われているので、
こんなに沢山ホテルがあっても経済貢献していないと思いますよ。(負け惜しみ?)

でもうらやましい!
その先で道は
下り坂(写真中)となり、道なりに左にカーブして進み、
右手の16号線亀甲山信号脇
丁字路を直進する。
  
閑静な街並みの坂道(写真中)を下り、途中左手に浄水場へ繋がる水道橋(写真左)
その先の
若葉台団地入口信号丁字路を直進する。
   
しばらく進み、左上に長源寺看板(写真右)
  
立寄り:左折し、奥の正面に高い
参道階段(写真中)
丁度その時、右手坂道から犬の散歩で下りてこられた
赤ジャケットの住職の美人奥様とバッタリ。
奥様から、ご丁寧に絹街道情報や長源寺のいろいろなことを長い時間教えていただき、感謝。
階段上り口左側に、
8体の地蔵尊
正面最右端の地蔵像には、可哀そうに首がない。
奥様の言によると、数年前に何者かによって切られてしまったが、その首がどこにも見当たらなかったとのこと。
子供のいたずらなら首は落ちているはずで、犯人仏像研究者説が有力。罰当たりメ!
なお私の写真撮影前に、1体の地蔵像のエプロンが外れ掛けていたものを奥様が直された。
大事にされているお地蔵さまは、幸せ。

   
階段を上がると広い境内に本堂(写真左)、そして眼下を一望できる展望台
ちょっとトイレを無断拝借して境内でデジカメを撮っていたら、
社務所からご住職が出てこられ「御苦労さま」と熱いお茶をわざわざ持ってきていただいた。
ゆっくり喉を潤し、「ありがとうございました」と礼を言い帰ろうとしたところ、
ご住職「ここ動かないでちょっと待っていてください。」と早足に離れた社務所へ。
両手に一杯の飴玉を持って戻ってこられ、「道々嘗めてください」
御仏に感謝し、ありがたくいただきました。
後でお賽銭を上げていなかったことにふと気づき、とても心苦しく思いました。
御仏よ、お許しを!

   
元の道に戻り、数分先宮の下信号の左側神明神社境内手前(写真右)から左折する。
ゆるい
坂道(写真中)を上り、道なりに右折して神社境内の裏側を通り、
突当りの
丁字路を左折する。
   
閑静な住宅の中を進み、
すぐ先右側に
(写真右道の反対側に住職の奥様から教えて頂いた立派な塀の住宅の元旅籠跡(写真左)
その先の
分かれ道は、右手を進む。
  
続いての分かれ道(写真左)は左手の上り坂を進み、
すぐ道は下り坂となり
擁壁(写真中)の脇を通り道なりに下り続ける。
途中の
交差点左角の小さな祠に、
1725年
(享保10)享保の大飢餓から老人や子供を守るために建立された岩船地蔵
   
正面の鉄塔に向かって道なりに進み、
鉄塔のところの
丁字路(写真右)を左折し、左側「川井宿バス停脇を進む。
  
バス停からすぐ先の、「盤古堂資料室看板建物とクリーム色建物の間(写真左)を左折し、
住宅街(写真中)を大きく右にカーブして道なりに約10分ほど進む。
  
その先の中原街道との信号交差点(写真中右)を横断して、住宅の中の細い道(写真右)を進む。
横断する手前左手に、塀の前に明治11年12月2日開庁「
都築郡役所創設之跡(写真中)
さらにその先に「
日蓮大菩薩(写真中左)と続いて庚申塔
   
道なりに進み、途中の分かれ道(写真左)は左手のマンション脇を通り、
中原街道から約5分で
国道16号線八王子街道と合流(写真中)し、左折して16号線を進む。
   
今宿南町入口、今宿西町、今宿東町、今宿小学校入口の各信号を直進し、
歩道橋のある
鶴ヶ峰本町信号(写真左)から16号線と分かれ斜め左に進む。
ゆるい
坂道(写真中)を5分ほど上がった次の分かれ道も、左手のゆるい坂道を進む。
  
坂道を 少し上り、左側「鶴ヶ峰本町町内会」掲示板の立つ 左折入口(写真右)に、
史跡 六ッ塚・重忠公霊堂案内板(写真中右)
  
 
寄道:案内矢印に従い小路進み、
すぐ右側霊堂境内一角に「
六ッ塚案内板(写真中左)、境内奥に「畠山重忠公戦没之地
六ッ塚:時の執権北条時政の謀略で菅谷の館(現埼玉県比企郡)から駆け付けた畠山重忠が、
1205年(元久2)6月22日北条の大軍とここで決戦となり、一族郎党134騎とともに全滅してしまった。
この地に主従一同6ヶ所に葬り、以来6ッ塚と呼ばれてきた。

  
元の道に戻り先に進み、その先の分かれ道(写真右)は左手のゆるい坂道を上る。
鶴ヶ峰浄水場角の
分かれ道(写真中)は、直進する。
分かれ道角に、「史跡 駕籠塚」案内板。
寄道:案内板に従い左折して2分ほど坂道を上り、
上りきった右側の「畠山重忠古戦場跡」木碑の奥に
駕籠塚(写真左)
駕籠塚:畠山重忠の妻が急を聞いて菅谷の館から駕籠で駆けつけたが、時遅く重忠の討死を聞き駕籠の中で自害。
駕籠ごとここに埋葬された。

   
元の道に戻り、浄水場塀沿いの坂道(写真左)を上り、左にカーブする右側の階段(写真中)を下る。
下り切って道なりに左折し、
高台の道を進む。
右下方に国道16号線八王子街道、
右手前方マンションの左側にランドマークタワー
(残念ながら写真では確認できない)
  
数分進み、突当りの丁字路(写真左)は右手の坂道を下り、16号線と合流(写真中)して左折する。
すぐ先
白根信号交差点で、16号線の横断歩道で反対側に渡り、
「こまがみね歯科医院」看板前から右斜めに進む。

  
全く人通りのない道(写真左)を道なりに進み、途中の分かれ道(写真中)は左手を進み、
次の
分かれ道も左手のファミール16マンション前を進む。
  
すぐ16号線と合流(写真左)して右折し、
2分ほど進み
愛宕信号で横断歩道を渡り反対側の歩道を進む。
  
そのすぐ先左側の急坂道(写真中左)を上る。
上り口の左側に、1739年
(元文4)建立「白根村道橋改修(写真左)
白根村道橋改修:案内板によると、江戸時代住人櫻井茂左衛門は、八王子往還白根村地先の難路を改修のため、
田地を買収し破損した橋を改修して往来の難儀を救った、とある。
上りきり、高台の崖道(写真中右)を道なりに進み、右手遠くにはっきりとランドマークタワー
   
道は下り坂(写真左)となり、突当りで車道を直進し、
用水路のような
にかかる小さな愛宕人道橋を渡る。
   
民家の間の極狭い道(民家の奥様に尋ねたら公道ということで、安心)を通り抜けて車道と合流(写真左)し、
右折して
突当り(写真中)を左折し、猪小山の裾沿いに進む。
  
住宅街(写真左)をしばらく道なりに進み、国道16号線八王子街道と合流(写真中)し左折する。
すぐ旭区から保土ヶ谷区
(横浜市)に入り、
その先前方に
西谷町第二歩道橋
   
歩道橋上から、16号線と右側に相鉄線(写真左)
歩道橋を渡り、
相鉄線踏切(写真中)を渡り道なりに左折し、線路沿いに進む。
分かれ道(写真左)は、右手を進み、次の分かれ道(写真中)は左手を進み、「西谷商店街」に入る。
   
あまり人通りのない商店街を通り、突当りの丁字路(写真左)を右折して商店街(写真中)を進み、
その先左側の郵便局手前で左手の細い
坂道を下る。
用水路のような川にかかる小さな橋戸橋(写真左)を渡り、
誰かの頭がぶつかりそうな高さ制限1.8Mの
相鉄線ガード(写真中)下を潜り、
その先の坂道を上り突当りで
国道16号線を横断して、右折する。
   
すぐ先交通標識(写真左)のところで、左手の坂道を上り、住宅街(写真中)の中を道なりに進み、
分かれ道は右手の坂道を下る。
   
その先の分かれ道(写真左)は、コーナーに立つ「旧八王子道道標(写真中)に従い左手を進み、
正面の歩道橋のある
突当りで市道17号線環状2号線フェンスで遮断される。
迂回して国道16号線に出るため左折し、Uターンで
歩道橋(東川島ランプ歩道橋)を渡る。
   
長い歩道橋(写真中)を渡り、右下方に16号線「東川島町東信号(写真右中)
突当り階段を下りて
16号線右側歩道に出て、右折する。
(以降を考えると、手前から下りて16号線左側歩道に出た方がよかったかも知れない。)

  
16号線八王子街道を進み、上星川二丁目信号、次は杉山神社信号(写真左)
杉山神社私ごとで恐縮ですが、この杉山神社は家を新築したとき地鎮祭をお願いした神社。
日本書紀をはじめとする六国史の一つ「続日本後紀」には、838年(貞和5)2月22日の条に、
「杉山神社には霊験によるご利益がある」と記載されているほど古くて由緒ある神社。
その先5分ほどの
東海道貨物線高架(写真中左)下を潜り、
さらに7分ほどの「保土ヶ谷中学校前」バス停の先で
釜台歩道橋(写真右)下を潜り、進む。
歩道橋左側上り口に、1737年
(元文2)建立「和田村道橋改修
和田村道橋改修:案内板によると、江戸住人櫻井茂左衛門が、資金を提供し和田村村民と隣村の協力を得て、
八王子往還の道を改修し橋を架け往来の難儀を救った、とある。

  
続いて信号(写真左)を直進し、
次の
和田町信号交差点(写真中)で左折しすぐ右折してガソリンスタンド裏側を進み、
何となく当時の雰囲気を感じさせる
狭い道を道なりに進む。
   
その先の茶色平英ビルの分かれ道(写真左)は右手を進み、
和田町駅入口信号で
16号線と合流(写真中)して左折し、
和田町商店街信号を直進し横浜新道「
保土ヶ谷陸橋」下を潜る。
   
潜り抜けたところの「保土ヶ谷陸橋下信号交差点(写真左)から左斜めに進み、
住宅街(写真中)の中をゆるい右カーブでに進み、途中の車道を直進して右カーブで進む。
   
分かれ道(写真左)は左手を進み、その先で保土ヶ谷公園入口信号(写真中)で16号線に合流し、
16号線の横断歩道で反対側に渡り、
茶色「ロイヤルハイツ星川」マンション左側の道を進む。
左にカーブして
なりに進み、
   
ホームセンターコーナン(写真左)境界フェンス沿いに左にカーブし、
その先で
16号線(写真中)を横断して、反対側の峰岡町の細い道を進む。
   
車道を横断したすぐ先の分かれ道(写真左)は左手を進み、
峰岡公園(写真中)続いて峰小学校前を通り、右にゆるくカーブし車道を直進して道なりに進む。
  
ガソリンスタンド角の分かれ道(写真左)は左手を進み、その先で16号線と合流して左折する。
   
宮田三丁目信号、次の宮田二丁目信号交差点(写真左)で16号線と分かれ左折する。
夕暮れの通りを道なりに進み
信号(写真中)を直進し、一直線の道を5分ほど進む。
  
突当りで丁字路になり、ここは東海道との合流点で浜街道の終点
丁字路右角に、東海道との分岐を示す芝生の「
追分標柱
絹の道は、丁字路を左折して進む。
時は
、18:06
今日はここまで、近くの相鉄線天王寺駅から帰宅へ。
  
町田駅踏切を8:51に出発して、追分に18:06到着で9時間もかかってしまった。
途中いろいろ道に迷った結果で、この所用時間は全く参考にならない。
       
トップ 絹の道起点〜町田駅 浜街道芝生追分〜横浜道(横浜港
旅と旅行と