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      歩く 絹の道(浜街道)
   
 (八王子市八日町信号交差点〜横浜港までの約45km)
iー愛ロマンチカ
    
中山道を最後に江戸5街道を完歩してしまったら、少なからず虚脱感を感じてしまった。
あの雄大で、史跡と自然の変化に富んだ中山道を旅すれば、仕方ないこと。
さて次はどこを歩いたらよいやらと、思案ばかりの日々。
ふと思いついたのが、あまり欲張らず近くの街道を歩くことと、この「絹の道」を選んだ。
    
   
歩 歴 区 間 (区間名をクリックしてください)
2009.10.23 起点(八王子市八日町信号)〜 町田駅
2010.4.29 町田駅〜浜街道芝生追分
2010.5.2 浜街道芝生追分〜横浜道(横浜港)
      
絹の道の名称
昭和26年ころ八王子市郷土史家の故・橋本義夫さんが、
八王子市から横浜へ生糸を運んだ道を、「絹の道」と呼ぼうと提唱したのが、始まりと言う。

生糸を運んだ道は、いろいろなルートがあったと思われるが、
ここでは八王子から最短のルートと言われる、「浜街道ー東海道ー横浜道」を歩いた。

なお運んだのは絹でなくて生糸であるからという理由で、「生糸街道」と呼ぶ人もいるようだ。
絹の道とは
日米修好通商条約締結の翌年、1859年(安政6)開港5港の1つとして横浜港が開港したが、
横浜港からの主要輸出品は生糸であった。
八王子は、生糸・絹の一次生産地また関東各地から横浜へ送り出す輸送の中継地となった。
これらの生糸を、
一寒村だった南多摩郡鑓水村(現東京都八王子市)の生糸商人が仲買人として、
馬や荷車または肩に担いで「
浜街道」と呼ばれていた道を通り、
多摩丘陵を越えて横浜港へ運び外国商人などに売り渡していた。
さらに帰路は珍しい西洋の文物を持ち帰るという交易を行い、
鑓水の人たちは栄え、また成金的「鑓水豪商」が誕生した。
しかし繁栄は長く続かず、1908年横浜鉄道(現JR横浜線)開通などで、
わずか50年でその役割を急速に失い、豪商たちも没落していった
現在の絹の道
基本的には国道16号線で、
八王子市を起点に、町田街道で町田市を経由し、横浜市に至る。
八王子市内は、八王子市が昭和60年代に大塚山公園を中心に市指定史跡として整備した鑓水峠の道以外は、
団地造成などで殆ど消滅しその面影を残していない。
町田市内は、16号線は町田街道となり、当時の道すじが所どころに残っているが大半は失われている。
横浜市内に入ると、町田街道は八王子街道と名を変え、
絹の道(浜街道)は16号線から出たり入ったりが激しく難解な経路となっている。
全体的には、大都会の開発にさらされ当時の面影が殆ど残っていないが、これも時代変遷の歴史。
当時を思いつつ、出発!
八王子市指定史跡「絹の道」区間
大塚山頂上「絹の道」石柱から、御殿場橋までの約1.5km区間。
このうち特に当時の面影を強く残す未舗装部分約1.0kmは、
文化庁選定「歴史の道百選」に選ばれている。
歩き終わって
旅と旅行と