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この区間は、2009.10.12に歩いたが、ホームページを作成したのは2010.4月で半年後であった。 ただ当時の記憶は確かで、作成するのには支障がなく人間の記憶力の素晴らしさを思い知らされた。 さてこの日は、青空もでる天気で快適な歩きであった。 |
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2009.10.12 9:02JR八王子駅(写真左)到着、北口駅から約300M直進し、 甲州街道との交差点八王子駅入口信号を左折して約500m進み、 9:22 甲州街道(国道20号線)と国道16号線との交差点、八日町信号に到着。 |
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八日町信号交差点は絹の道(浜街道))起点で、当時はこの辺りに高札場があったと言う。 信号を左折して16号線(東京環状線)絹の道(写真左)を南下し、頭上に「横浜 42km」交通標識。 交差点から約300mでJR中央本線相模街道踏切(写真中)を横断し、 さらに南下し黄金橋信号で黄金橋を渡りゆるい坂道を上る。 |
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橋から最初の左折する細い坂道(写真左)を上り、 道なりに右折し当時の雰囲気があるような道(写真中)を上る。 左側八王子医療刑務所塀の終わるところで、再度16号線と合流し左折する。 |
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しばらく進み、左側のコジマ電気店を過ぎると頂上(写真左)となり、坂道を下る。 子安町信号を直進し、さらに16号線の坂(写真中)を下り京王線ガード下を潜り平坦道を進む。 |
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その先の片倉町信号交差点(写真左)で北野街道を横断し、 続いて右手前方に片倉城址公園の小高い森(写真中)を見て湯殿川に架かる住吉橋を渡る。 |
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すぐ先右側の白色建物「由井さゆり保育園」看板(写真左)の先で、 道の左側「Grace慧光」マンションから16号線と別れ左折する。 ここまで八日町信号から、約30分。 |
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片倉城寄道:16号線右側に先ほど見えた片倉城(築城詳細不明)址公園がある。 園に入り左側にはす沼(写真左)、小道を上り丘の中腹に城の鎮守住吉神社(写真左中)、 さらに上り丘の頂上に、空堀(写真右中)にかかる木橋の両側に、本丸跡と二の丸跡。 |
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元に戻り、16号線と別れて坂道(写真左)を下り、 突き当りの由井市民センター前丁字路(写真中)を右折し、されに車道を横断する。 |
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続いてJR横浜線ガード(写真左)下を潜り、その先で兵衛川に突き当る。 昔は橋がかかっていて対岸に渡っていたというが、現在はない。 |
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迂回するため左折し、川沿い(写真左)に進んで釜貫橋を渡りUターンして対岸のT字路に戻り、左折する。 |
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絹の道当時からあったという右側石塀脇(写真左)を通り、車道を横断して突き当り(写真左中)を右折する。 すぐ左側に慈眼寺参道入口(写真右中)があり、 入口右角に「至子安村」「板橋ヨリ壹丁参道」「武州多摩郡片倉邑」「至ヤリ水村」と刻まれた道標がある。 参道奥に、1445年(文安2)阿弥陀堂が始まりという慈眼寺と鑓水商人の名が刻また梵鐘のある2階建山門。 |
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絹の道は、この辺りから右手方向へカーブを描きながら市立片倉台小学校まで辿っていたが、 現在は団地造成で全く消滅している。 ここでは、片倉町の閑静な住宅街の緩い坂道(写真左)を上り、 釜貫バス停前を通り八王子片倉台郵便局の信号交差点(写真中)で右折して緩い坂を下り、 次の交差点市立片倉台小信号で、左折する。 |
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ここから先も鑓水峠まで、団地造成などのため絹の道は消滅している。 団地内のニセアカシア街路樹が整然と並ぶ白山通り(写真左)の緩い坂を上り、 信号から約6分で右側に防音壁のある国道16号線(八王子バイパス)の片倉第2跨道橋(写真左中)を渡り、 すぐ先で右折し、左手前方の御殿山無線中継所アンテナを見ながらに小道(写真右中)を進む。 突き当りにこの時工事中のバリケードが立ち、この手前左側から石段を登る。 |
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ここから絹の道最大のハイライト、鑓水峠越えが始まる。 八日町信号交差点から約2時間後の11:18 長い149段の石段(写真中)を登り切ると鑓水峠で、左側に「北野台緑地」標柱(写真左中)が立ち、 そこから眼下に壮大な八王子市街(写真左)、雲のない日は富士山も展望できるとのこと。 階段の頂上辺りは片倉町と鑓水の境界で、 「絹の道」標柱(写真右中)に従い右折して、当時の人たちも歩いたかもしれない鑓水峠道を進む |
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すぐ坂道となり、左にカーブしながら下る。 その先右にカーブする(写真右)手前左側に、 1957年(昭和32)八王子の有志建立「絹の道」石柱(写真中)と大塚山公園への階段(写真中)。 「絹の道」整備:八王子市では昭和60年に「絹の道の保全と環境整備」構想を策定し、 大塚山公園を中心に史跡を整備し、八木下要右衛門屋敷跡に絹の道資料館を建設した。 「絹の道」石柱からの先の峠道、絹の道資料館前の通り道、御殿場橋までの約1.5km区間を、 「絹の道」として市の史跡に指定されている。 このうち特に当時の面影を強く残す未舗装部分約1.0kmは、文化庁選定「歴史の道百選」に選ばれている。 公園寄道:階段の途中に、道了堂建設のいきさつを刻んだ1880年(明治10)建立「築礎碑」(写真中)が建ち、 頂上の小さな公園広場の中ほどに、「道了堂」礎石跡が残っている。 |
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道了堂:1874年(明治7)鑓水商人の大塚五郎吉たちが、峠を通る旅人や村内の安全のため、 見晴らしのよい峠に上に、浅草花川戸から道了尊を勧請して建立したもの。 地元の人々の信仰を集めて繁栄したがその後荒廃し、1983年(昭和58)堂は撤去された。 |
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元に戻り絹の道石柱から、 市指定「絹の道」坂を下り、すぐ先の水道局鑓水給水所の分かれ道(写真左)は右手を進む。 視界が開ける坂道(写真中)、緑のトンネルを潜り、舗装された道となり、下り続ける。 |
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12:01 坂を下り切りったところで車道と合流(写真左)し、絹の道鑓水峠越えは終了する。 合流点の三角地帯に、石塔・石碑が並んで建てられている。 左から順に、庚申塔とその後ろに「道路改修祈念碑」石碑、 真中に秋葉大権現、観音像付「供養」塔、右後方に小さな「御大典祈念 此方鑓水停車場」石碑。 |
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鑓水停車場:大正13年ころに南津電気鉄道建設計画があったとき、 この車道の坂下の大栗川にかかる御殿場橋付近に停車場が予定されていたことから、そこにこの碑が建っていた。 ただその後この計画は中止になったが、この碑はここへ移設された。 |
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左折して車道を下り、左側に「石垣大尽」と呼ばれた鑓水の豪商八木下要右衛門屋敷跡の石垣(写真中)。 石垣中ほどの階段上に、黒塀に囲まれた入母屋作りの平成2年開館絹の道資料館(写真左)。 資料館は入場無料で、鑓水の歴史と絹の道資料展示、それに休憩所、トイレ、飲料水設備も整備されている。 さらに車道を下り、 すぐ先左にカーブする右側の榎のあるところが起点から約4kmの一里塚跡と言われている。。 |
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資料館から約300m下り多摩川に注ぐ大栗川の三叉路(写真中)は、御殿橋を渡らず左折する。 御殿場橋辺りが鑓水の中心地で、橋の欄干には当時の絹の道の賑わいを描いた 「武蔵国南多摩郡由木村鑓水 大塚山道了堂境内之図」銅レリーフ(写真右)がはめ込まれている。 左折した右側橋のたもとに、八王子道道標が立っている。 道標を後に大栗川沿いに進む。 |
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八王子道標:絹の道の道標として、1865年(慶応元)建立されたもので、 各面にそれぞれ「此方 はしもと、津久井 大山」「此方 八王子道」「此方 はら町田 神奈川 ふじさわ」 そして「慶応元年仲秋建立」と刻まれている。 この辺りの道すじは、生糸仲買人として活躍した鑓水商人の発祥の地で、 家屋敷が建ち並び外国人なども往来して大変にぎわったところ。 なおこの道標は、御殿場橋南側の旧鑓水公会堂横に建てられていたが、 大栗川改修工事に伴い昭和63年に現在の場所に移されたもの。 |
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突き当りで右折しいわくありそうな名前の嫁入橋(写真左)を渡り、 谷戸入口信号交差点で油木街道を横断し、鑓水2丁目の閑静な住宅街を進む。 すぐ右側に、東京都指定有形民俗文化財鑓水商人だった小泉家屋敷(写真右)。 道は、その先の土手で突当る。 絹の道は、土手を直進し鑓水中学校校庭を横断し多摩ニュータウン通り、 当時浜見場があった鑓水小山給水塔付近に通じていたが、 現在は多摩ニュータウン造成で全く消滅している。 |
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小泉家屋敷:主屋は1878年(明治11)再建されたもので、木造平屋建入母屋造、茅葺、田の字形四間取りで、 この地方に旧来から見られる典型的民家建築。 敷地内には主屋のほか納屋、堆肥小屋、稲荷社、胞衣塚などが点在し、 多摩丘陵の一般的な農家の屋敷構・生活形態を知るうえで貴重な民俗資料となっている。 現在居住者がいるため、立入は遠慮。 |
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突当りの土手で右折(写真左)し、緩い坂道を左にカーブして上り、車道(写真中)を直進して 左の鑓水中学校と右の伊丹木公園の間のきれいに整備されたゆるい坂道を上る。 |
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鑓水の地名由来:この辺り一帯を「鑓水板木」という。 「板木」は古文書に記されている「伊丹木」に由来し、 当時の住人のアイヌ語で「きれいな清水が湧き出る所」の意味。 この地域一帯は岩盤の層があり、山の中腹に尖った道具で突いていくと地下水が湧き出てくる。 この水を瓶などに貯え飲料水として利用してきた。 瓶から水を流れるようにしたものを「遣り水(やりみず)」といい、鑓水(やりみず)の地名の由来と言われている。 |
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道なりに進み鑓水公園脇を通り、 続いて「絹の道」ブロック(写真左)が埋め込まれた穂成田歩道橋(写真中)を渡り、多摩ニュータウンに進む。 歩道橋下方は、絵になる車線。 |
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遠方に見える給水塔(写真左)に向かって道なりに坂を下り、 ガード(写真中)下を潜り木立の中を通り鑓水小山給水塔の左側に出る。 近くで見る給水塔は、見あげるほどの巨大なものでビックリ。 この辺りに鑓水峠に次ぐ絹の道の第2の峠、横浜の海が見えたという浜見場があったと言われているが、 どこにあるか特定できなかった。 |
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その先で左にゆるくカーブして下り、突当りで下り坂の車道と合流(写真左)し右折する。 合流付近が、八王子市(鑓水2)と町田市との境界。 坂(田端坂)を下り町田市小山ヶ丘地内を進み、ガード(写真左中)下を潜り、 美しいイロハ楓並木(写真右中)通りが続く。 突当りの県道47号線町田街道と合流する手前約約40mのとこから(ピンク色岡本歯科看板が立つ)、 左折する。 |
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閑静な住宅街の小道(写真左)を2分ほど進み、 都道158号線(写真中)を横断して直進し、住宅街の道を進む。 ただし158号線の横断歩道がないので、右折し多摩ニュータウン入口信号を渡り迂回して戻る。 |
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その先で京王相模原線ガード(写真左)下を潜り、さらに住宅街(写真中)を道なりに進み、 小山保育園角で都道47号線町田街道と合流して左折する。 |
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小山町の町田街道(写真左)を9分ほど進み、 小山駐在所信号交差点の約10m先で、町田街道と別れ左斜めに入る小道を進む。 |
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約2分ほど進み、都道503号線(写真左)を横断し、すぐ先交差点を直進する。 横断した右角に、絹の道の名残と思われる1865年(慶応元)建立大きな常夜灯。 |
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道なり(写真左)に進み、右側の小山調剤薬局(写真中)前を通り、 左側のウエルメディカルクリニック前を通って再度町田街道と合流して、左折する。 |
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町田街道(写真左)を、馬場信号(写真中)、下馬場信号を直進し、コープとうきょう前を通って、約20分ほど進む。 |
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コープとうきょうから約80m先で町田街道と別れ、右斜めに入る小道(写真左)の坂を下る。 約60mほど進み、車道(写真中)を横断し常盤バス停脇を通り、その先の分かれ道は左手を進む。 |
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常盤町の住宅街(写真左)を道なりに数分進み、町田街道の中常盤信号(写真中)に出て、 信号を渡りすぐ左側の細い坂道を下り、分かれ道は右手を進む。 |
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閑静な住宅街(写真左)の道を進み、分かれ道(写真中)は右手を進み、 その先で町田街道と合流し左折する。 |
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常盤病院看板(写真左)前を通り、 町田街道を約200m進み常盤駐在所北信号三叉路(写真中)は右手を進み、 常盤町の町田街道を道なりに進む。 |
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桜美林学園西信号交差点(写真左)を直進し、その先で左にゆるくカーブし桜美林大学前(写真中)を通り、 右側松屋の看板が目立つ桜美林学園東信号交差点を直進する。 |
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町田街道をしばらく進み根岸西、根岸、下根岸、忠生(写真左)の各信号を直進し、 次の上宿信号交差点(写真中)で町田街道と別れて右折し、 当時の道すじがよく残っていると言われる木曽町地内を道なりにまっすぐ進む。 |
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信号交差点(写真左)を横断し、次と次の丁字路(写真左中)を直進し 右側に1685年(貞亨2)建立秋葉神社(写真右中)続いて町田市名木百選の銀杏が有名な福昌寺山門。 |
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さらに道なりに進み、覚圓坊角の分かれ道(写真左)は左手を進む。 覚圓坊:もとは近江国円城寺(三井寺)621坊の一寺で、1351年(観応2)当地に移され、 武相観音霊場の第33番札所となり多くの人々から尊崇され賑わったという。 但し現在は立入禁止の札が立ち境内は荒れ果てている。 |
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その先で車道(写真左)を横断し、木曽東3丁目地内(写真中)を道なりに進み、 町田街道と合流し右折する。 |
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木曽交番前信号で陸橋(写真左)下を潜り、木曽中原信号を直進し、 「町田駅」交通標識のある陸橋(写真中)を潜り、 その先滝の沢信号三叉路で都道47号線は2つに分かれ、右手の47号線を進む。 |
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町田市街地に入り、町田市民病院入口信号交差点(写真左)を直進し、 次の森野信号交差点(写真中)で鎌倉街道を横断し、町田簡易裁判所前を通り、 町田市役所森野分庁舎前を通り、今日の終点町田駅はもうすぐ。 |
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その先で、小田急小田原線町田駅踏切。 16:12今日はここまで。 絹の道起点、八王子市八日町信号交差点を9:22に出発して約7時間の旅。 小田急町田駅から、横浜へ帰路。 |
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