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この区間は、2016.7.16に歩いた。 | ||||||||||||||||||
天候は一日曇りで、日焼けが気になる年頃の私にとっては、ほどよい日加減であった。 | ||||||||||||||||||
土曜日の朝というとで通常のラッシュ時よりは当然車も人も少なかったが、 やはり都心だけあって通行人はそれなりに多く、人混みを避けて写真を撮ったため思いがけない時間がかかってしまった。 |
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それに、いつものように消滅している旧道が多いのは、仕方ないこと。 | ||||||||||||||||||
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JR新橋駅(日比谷口) デート(異性だけとは限りません)に便利駅前SL広場。 新橋駅から、前回の終点日比谷公園南西角西幸門前まで歩く。所要時間約10分。 |
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7:02。前回の終点を出発し西幸門信号を横断して千代田区地内の都道301号線を進む。 301号線の左手は内幸町、右手は霞ヶ関。 好みで301号線の右側を進み、 経済産業省総合庁舎ビル前を通って港区地内に入り、次の信号交差点から左手は西新橋、右手は虎の門。 続く西新橋一丁目信号交差点で、都道405号線外堀通りを横断する。 |
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その先の信号を過ぎた右側の赤色ネットで囲まれところは、 「愛宕下武家屋敷群・近江水口藩加藤屋敷跡遺跡」発掘調査中。 一連の愛宕下遺跡発掘調査は2004年から開始しているとのこと。 歴史に疎い私にとっては、加藤屋敷と言われてもピンとこないが、やはり貴重な遺跡なんでしょうね。 続いて丁子屋呉服店前、虎の門ヒルズ前を通り、愛宕一丁目信号交差点を横断する。 この信号から、301号線右手は愛宕となる。 301号線は、そのすぐ先の東急REIホテル前辺り(バスが駐車中)から少し左にカーブするが、旧道は直進する。 旧道は、ここから芝公園3丁目4の東京プリンスホテル北西角辺りまでの、約700m区間が消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー1 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から、芝公園地内の301号線のゆるい坂道を下り、東京タワー前信号丁字路を横断し坂道を下り続ける。 信号右手に、高さ333m「東京タワー」。 私たちの世代は、なんて言ったって東京タワー。異論あり、ですか。ごもっとも。 |
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土曜日早朝のせいかまだ車も人も少なく快適な301号線坂道。 東京タワー下信号を横断し、右側に巨大な岩石?失礼しました「長柏薗跡」と刻まれた石碑でした。 長柏薗跡:長柏薗は、近代造園界の先覚者長岡安平(1842~1925)の邸の称。 東京府、市や全国各地の公園の設計、各種造園にかかわり、 また老樹名木の保存・街路樹植栽などに関する卓越した見識を有した。 芝公園においても、明治38年紅葉滝および渓流の設計を行っている。 その先で、ENEOSガソリンスタンド脇に出て、右手から来る国道1号線桜田通りと合流する。 |
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合流点の赤羽橋信号を横断し、首都高速都心環状線高架を潜り、赤羽橋南信号交差点を横断して桜田通りを進む。 信号から、桜田通りの左手は芝、右手は三田、となる。 |
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桜田通りの幾何学模様の歩道を進み、三田一丁目信号続いて三田通り交番前信号を横断し、 その先の春日神社鳥居前辺りで旧道は斜め右に折れ曲がっていた。 ここから先の,桜田通りの三田3丁目信号を右折しすぐて左折して坂を上り、 いちご聖坂ビル前辺り迄の約400m区間が消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー2 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から、三田地内の聖坂を上る。 聖坂:古代中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧が開き、、その宿所もあった。 そして亀塚稲荷神社。如何にも都会的工夫ですね。 すぐ先右側に、「海抜21.7m」標識。結構高いんだ。津波、安全だね。 でも、何故こんなところに海抜表示があるんだろう? |
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クエゥート国大使館前を通り、隣接の三田中学校の外れに「聖坂」碑が立ち、この辺りが坂の頂上。 ここからの下り坂は、海抜20数mの頂上にしては延々と続く。 |
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坂を下り、1858年(安政5)の日仏修好通商条約で最初のフランス公使宿館となった済海寺前を通り、 ディーグランセ三田聖坂マンション角の丁字路の右手は、「幽霊坂」道。 幽霊坂:坂の両側に寺院が並びものさびしい坂であるため、この名がついたという。 ちなみに、都内には「幽霊坂」の地名は7ヶ所あるととのこと。 確かに、地図でザット数えただけでも20以上の寺院がありそう。どうして、こんなに集中しているのだろう? 下り続け御田小学校前信号の先の分かれ道は、左手を進む。 |
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坂を下り次の伊皿子信号交差点を直進して、高輪に入る。 数多い寺院、スリランカ大使館、高輪高校、東海大高輪キャンバス前を通り左にゆるくカーブし、 高輪警察署前信号交差点を直進する。 |
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左角のレンガ色高輪警察署に続いて高野山東京別院。 今年四国八十八カ所霊場を結願したけれど、「お礼参り」は和歌山の高野山でなくてこの別院ですまそうかな。 道の反対側に、江戸時代からのこの辺りの地名であった「二本榎」の由来となった、「二本榎」。 榎は、何度となく新植・移植され現在に続いている。 「二本榎」は、戦後の地番変更で「高輪」の地名に変わった。 グランドプリンスホテル沿いに進む。 |
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突当りの左にカーブするところで、直進して細い道に入り、道なりに進み、 その先の高輪4-15で北品川地内に入り「ブルネイ」大使館前を通る。 |
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大使館から約50m先のソニー歴史資料館前で、道は右に折れ急坂となる。旧道は、直進する。 ここから、八ツ山の坂の御殿山バス停前の、北品川4丁目と北品川5丁目の境界道路入口までの、 約350m区間が消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー3 | ||||||||||||||||||
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北品川4丁目と5丁目との境界道の入口辺りの旧道との接続点から進み、閑静な住宅街の中を通る。 足元に「翡翠原石館」標石のある角を、カギの字に進む。 翡翠原石館:2004年にオープンした、翡翠原石を常時100個以上展示している個性的な博物館。 |
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「御殿山通り」の街路樹のある歩道を通り、その先を右にカーブして「御殿山の坂」道を下る。 御殿山地名由来:江戸初期に、将軍の狩猟の休憩所や諸大名の参勤送迎のための御殿が、この地に建てられたことに由来。 |
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突当り分かれ道を右折して坂を下り、下り切ったところで車道に出て、その先で山手通りを横断する。 |
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目黒川にかかる居木橋を渡って大崎地内に入り、信号を横断して、光村ビル沿いに山手通りを進む。 |
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光村ビル敷地角で細い道を横断し、 その先で山手通りは右に折れるが、旧道は折れる辺りから左手に南へほぼ直角に折れ曲がっていた。 現在は、ここから南にある品川区役所付近の大井町1-14とー15の境界丁字路までの約1.2km区間が消滅している。 ここでは迂回するため、さきほどの光村ビル敷地角の細い道に戻る。 |
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迂回経路ー4 この迂回経路は、ちょっと分かり難いところがあるので地図を併用して十分確認して欲しい。 |
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旧道との接続点から大井町1-14とー15の境界道を進み、次の信号交差点を直進し、 続く信号交差点も横断し住友不動産大井町駅前ビルの左側の細い道に入る。 |
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道なりに進み信号交差点を横断し、ホテルルートイン品川大井町の左脇を通り、 その先の分かれ道のところは、旧道は直進していたが、現在はマンションで道は消滅している。 ここから直進して南へ進み、池上通りの先の大井4丁目12の変則4差路までの、約300m区間が消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー5 | ||||||||||||||||||
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大井4-13の変則4差路の旧道との接続点から細い道に入り、道なりに進んで作守神社脇に出て左折し、 突当り丁字路を右折する。 |
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大井中央病院前を通り、突当り丁字路に出る。 旧道は丁字路を直進していたが、現在はここから4丁目倉田町会館の先までの、約100m区間が消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー6 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から、道なりに進み、分かれ道は直進し細い道を進む。 |
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道なりに進み信号交差点を直進し、その先で(右側)光福寺前を通り、 突当り丁字路に出る。 旧道は直進していたが、ここから池上通りの品川区と大田区の境界辺りまでの、約600m区間が消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー7 | ||||||||||||||||||
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品川区と大田区の境界辺りにある旧道との接続点から大田区に入り、 山王地内の池上通りを進み山王口信号丁字路を直進し、その先で大森駅西口信号を通り、JR東海道本線沿いに進む。 |
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商店街に入り山王会館入口信号を通り、大森郵便局、そのすぐ先の山王病院前の丁字路で池上通りと別れ、 右折して赤レンガ通りに入る。 |
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その先で環七通り高架下を潜り、車道を横断して中央地内の春日通りに入る。 すぐ先の交差点左角に、「いにしへの 東海道」石碑。 この道は、旧東海道でもあったのだ! ということは、2002年に歩いた道であるが、全く記憶にありませんでした。 |
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春日神社前を通り次の信号交差点を直進し、大森赤十字病院前を通り、 道なりに進んで呑川にかかる浄国橋を渡り池上地内に入る。 |
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この時間帯車も人も殆ど通らない通り、その先で本門寺前信号交差点を直進する。 ちなみに、信号を右折すると約200m先に池上本門寺。 門前迄行ったが、遥か高くそびえる(?)参道階段を見上げて、参拝を諦めました。 四国八十八カ所の厳しい参拝階段で鍛えた足腰であるが、今日はとりあえず温存。(言い訳) もとに戻り、その先の池上文化センター前信号交差点を直進する。 実は、交差点角の「サンクス」に立寄ったが、店を出たとき方向を間違えとんでもないところへ行ってしまって道に迷い、 地元の40代の美人奥さまにお世話になりました。 彼女いわく、「私はよく道を聞かれるんですよ」。ごもっとも、美人過ぎますからね。多分、皆な男だと思いますよ。 |
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道なりに進んで「島歯科医院」前を通り、分かれ道は左手を進み、次の分かれ道も左手を進む。 |
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その先で池上警察署脇を通り、ガソリンスタンドのところで国道1号線第二京浜国道に出る。 旧道は、赤レンガビル(ウエキコーポレーション)の左側に続いているが、 国道で遮断されているので、近くの横断歩道を渡り戻ってくる。 ウエキコーポレーションビルの左側(久が原五丁目33)から、久が原と千鳥の境界道路の旧道を進む。 |
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道なりに進み、バリケードのある道に入り、千鳥いこい公園脇を通り、その先で信号交差点を直進し千鳥地内に入る。 |
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道なりに進み東武池上線踏切を渡り、左にゆるくカーブして児童公園の先の千鳥パークビル角交差点を右折し、 千鳥児童館前を通りゆるい坂道を下る。 |
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下り切って左にカーブするところで歩道の右手の細い道に入り、すぐ車道を横断して南久が原地内に入り、 道なりに進んで大田区鵜の木特別出張所前を通る。 |
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突当りの分かれ道は左手を進み、その先で環八通りを横断して反対側に渡り、右折して鵜の木地内の歩道を進む。 約50m先の環八通りからの分かれ道を、斜めに左折する。 |
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鵜の木地内をどこまでも道なりに進み、突当りで左折して鵜の木と西嶺の境界のゆるい坂を上り、 上り切って手入れの行き届いた生垣の間を通る。 |
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下り坂となり分かれ道は右手を進み、ゆるい坂を下り続け用水路のある道を通り、 左にゆるくカーブして交差点を直進し田園調布地内に入る。 |
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次の交差点も直進し、(右側)密蔵院前を通り左手からの都道11号線多摩堤通りと合流して進み、 東海道新幹線・JR横須賀線ガード下を潜る。 |
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ガード下を出て最初の信号で多摩堤通りは直進するが、旧道は信号から少し折れて左斜めに進んでいた。 ここから、東急多摩川線踏切を横断してすぐ先の多摩堤通りの三叉路までの、約300m区間が消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー8 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から多摩堤通りを進み、突当りで多摩川の堤防となる。 当時は、堤防の河川敷に多摩川を舟で渡る「丸子の渡場」があったが、現在は消滅している。 |
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階段を上り、堤防から多摩川を見る。ただ、多摩川は、遠くて殆ど見えず。 ここから、対岸の旧道との接続点、対岸の神奈川県川崎市中原区丸子通1丁目の「児童交通公園入口」信号まで、迂回する。 |
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迂回経路-9 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から正面(西へ)の川崎市中原区丸子通り地内の道を進み、丸子橋交番前信号の左側を直進し、 右手から来る中原街道と合流して進む。 |
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丸子橋信号を横断し、東急東横線ガード下を潜り、中原街道を進み丸子通2丁目信号を直進し、 小杉陣屋町地内に入り小杉陣屋町信号を横断する。 |
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中原街道を進み突当りを道なりに左に曲がり、その先の西明寺信号丁字路を右折し、真っ直ぐ進む。 |
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丁字路角に庚申塔。江戸時代作の庚申塔で、道標も兼ね 「東 江戸道 西 大山道 南 大師道 」と彫られている。 川崎小杉郵便局前を通り小杉十字路信号交差点で府中街道を横断して進む。 |
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二ケ領用水路にかかる、神地橋。 二ケ領用水:稲毛領と川崎領を潤した用水。この辺りでとれる良質米は特に「稲毛米」と呼ばれ、江戸の人々に喜ばれた。 橋を渡り上小田中地内に入り、右側コインランドリー角に地蔵尊。 |
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地蔵尊:中原街道沿い、特に細道や用水との交差点に石仏は石碑が多く残っている。 井田堀と交わるところのこの地蔵尊は、歳の市や地元の祭りの拠りどころとして大切な存在であった。 その先で、上小田中信号を直進し、JR南武線ガード下を潜る。 今日は、ここまで。 信号から右折し、南武線武蔵中原駅から横浜へ。 時は、14:57。 日比谷公園西幸門信号を7:02に出発して、所要時間約8時間。 |
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南武線武蔵中原駅 | ||||||||||||||||||
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