歩く 鎌倉街道・下道
  松戸→ 日比谷公園
(千葉県松戸市本町12) (東京都千代田区霞ヶ関)
 iー愛ロマンチカ
この区間は、出発点をJR松戸駅西側の県道5号線交差点とし、2016.6.22に歩いた。
この区間は、1 江戸川、中川、荒川放水路 隅田川 の大きな川で遮断されている
  2 江戸城の築城 荒川放水路の作川で、旧道が大きく消滅
が特徴的で、直接的には特に影響がないが都心のビル建設の中でもよく旧道が残っているのは、感動的。
しばらくご無沙汰していた都心は、見慣れない高層ビルが立ち並び、そして今も高層ビルがあちことで建築中。
今、日本は豊かなんだろうか?と改めて考えさせられた。
           この日の天気予報は、一日曇りで雨は降らないことになっていたはず。             
    
横浜を出発し、7:11 JR常磐線松戸駅着。
松戸駅西口を出て西へ進み、
松戸市民劇場角の県道5号線流山街道の信号交差点に出る。
   
7:27 鎌倉街道・下道を出発。
信号交差点
を左折し、松戸市民劇場前を通り本町地内の流山街道(旧水戸街道)を南へ進む。
旧道らしく、道路右側に西漣寺、善照寺、
宝光院と続く。
宝光院境内には、平成23年に建立された「
四国八十八カ所 弘法大師霊場」がある。
   
坂川にかなる春雨橋を渡り、明治29年鉄道開通以前の町の中心地に入り宮前町信号交差点を横断して松戸郵便局前を通る。
郵便局から約100mのところで
丁字路を右折する。
   
真っ直ぐな道を進み、突当り丁字路で江戸川堤防に出る。
この堤防が、鎌倉時代の渡場でもあった江戸時代の下横町(松戸)渡船場で、対岸の東京都葛飾区東金町へ渡っていた。
丁字路手前右角に、水戸道中松戸宿の出入口を指す「
是より御料松戸宿
この碑は、復元されたもので本来は堤防の南の河川敷にあったもの。

    
堤防上から、江戸川の対岸を見る。
旧道は、渡船場跡から対岸に渡り江戸川河川敷を南西に通っていたが、
現在は対岸の渡船場跡から県道451号線葛西神社裏信号までの約1.4km区間が、ゴルフ場などで消滅している。
ここでは迂回する。
    
迂回経路ー1
      
旧道との接続点から道なりに右にカーブし、左にカーブして進み、葛西神社角の交差点を右折する。
    
細い道を進み、突当りで都道471号線に出て左折し、歩道橋で反対側に渡る。
    
道なり進んでJR常磐線下を潜って金町に入り、その先の信号を横断して、国道6号線水戸街道と合流して進む。
    
きれいなブロック歩道を進み、金町広小路信号、続く金町三丁目信号を横断して、すぐ京成金町線踏切を渡る。
    
カラフルな芸術的なブロック歩道、ブロック敷歩道の終わりでその先の細い道に入り、
ファミリーマートの前を通り道なりに進む。
    
交差点を直進して狭い道に入り、つぎの交差点も直進し金町保健センター前を通り、
信号交差点を直進して新宿地区内に入る。
    
西友の前を通り、JR線踏切を渡り、その先の石仏群前を通る。
   
 すぐ先で右にカーブしてセブンイレブン角で広い車道に出る。
旧道は、この広い車道を横切り新宿2丁目西念寺南の中川の堤防の渡船場に繋がり、
そこから対岸の葛飾区亀有に渡っていた。
現在は、この間の約500m区間が消滅している。
ここでは、渡船場跡を経由して亀有まで迂回する。
   
迂回経路ー2
         
佐護シルバーケアーサービスの脇道を進み、突当りで環七通りを横断して、反対側の細い道に入りまっすぐ進む。
   
突当りを左折し、仮設塀脇を通り、突当りの分かれ道は右手を進み道なりに左にカーブする。
    
その先の変則5差路は直進して青戸地内に入り、亀青小学校前を通り、次の交差点を直進する。
    
右側修徳高校脇を通り、交差点を直進し、分かれ道は右手を進んで国道6号線水戸街道と平行に進む。
   
水戸街道と平行に一直線に進み、次の次の交差点を直進して白鳥地内に入って白鳥4丁目第2アパート前を通り、
次の交差点の先できれいな水洗公衆トイレがある
白鳥東公園前を進み、その先の突当りで丁字路に出る。
旧道は丁字路を直進していたが、現在はその先約100m区間が消滅している。
ここでは、迂回する。

        
迂回路ー3 (下記)
丁字路を左折し、突当りを右折して水戸街道を進み、最初の白鳥信号交差点を右折する。
車道を進み、約50m先のところで左折し、少し先の左にカーブする辺りが旧道との接続点

     
旧道との接続点から左へゆるくカーブし、そして右にカーブして道なりに進み、その先で右にゆるくカーブする。
旧道は、ここで直進していたが現在は京成本線で遮断され、
線路の反対側のセブンイレブン角までの約100m区間が消滅している。
ここでは、迂回する。

       
迂回路ー4 (下記)
右にゆるくカーブして道なりに進み、京成本線沿いに進んで、その先で左折して踏切を渡る。
踏切から約20mのセブンイレブン角のお花茶屋駅前信号のある丁字路辺りが、旧道との接続点

        
お花茶屋駅前信号の丁字路を右折し、宝町地内に入りお花茶屋駅前郵便局、京成本線お花茶屋駅前の一直線の通りを進み、
宝町交番前信号、本田宝町信号、堀切地内に入り
妙源寺前信号を直進する。
   
その先の分かれ道は左手に入り、只今「菖蒲まつり」真最中のラッキー通り商店街の中を通る。
中ほど右手に、堀切天祖神社の「
菖蒲七福神」。
  
突当りの信号交差点を左折し、道なりに進んで、突当りで中央環状線高架下の堀切小橋信号丁字路に出る、
旧道は、信号から左斜め方向へ通っていたが、荒川放水路ができたため、
対岸の墨田区墨田5丁目32の多門寺入口丁字路までの、約1km区間が消滅している。
ここでは、迂回する。
    
迂回経路ー5
     
旧道との接続点の分かれ道は、右手を進む。
   
すぐ右側に、多聞寺
多聞寺:創建不詳。天徳年間(957~960)には隅田川神社付近にあったが、
400年ほど前、徳川家康が江戸に移った直後この地に移された。本尊の毘沙門天(多聞天)は、弘法大師作。

山門
:江戸時代中期の区内最古の建造物で、切妻造四脚門瓦葺屋根。
   
突当り丁字路を左折し、道なりに右にカーブして進む。
正面に、地上高さ634mの
東京スカイツリー
   
薗徳寺の脇を通り信号交差点を直進し、次の墨田2丁目13のにしざわ歯科医院角の信号交差点を右折して、車道を進む。
   
約50m進んだ墨田二郵便局先で、右へ折れる。
旧道は直進するが、
ここから隅田川東岸にある隅田川神社までの約450m区間、
隅田川神社から南にある白髭橋東岸袂の渡船場跡までの約600mの、計約1050m区間が消滅している。
ここでは、白髭橋東岸渡船場跡まで、さらにその先の白髭橋西岸の渡船場跡までを迂回する。
    
迂回経路ー6
       
渡船場跡から引き返し、白髭橋西詰信号で明治通りを横断し、台東区橋場地内の都道314号線川の手通りを進み、
橋場二丁目信号続いて
東京都人権プラザ前信号を通り今戸地区に入る。
   
より高く見える東京スカイツリー
桜橋中学校、
台東リバーサイドスポーツセンター前を通って浅草地区内に入り、浅草7丁目3の信号を直進する。
なお、信号を右折すると、待乳山聖天。

    
待乳山聖天:本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音。この寺は、隅田川近くの小高い丘(待乳山)の上にある。
この丘は、595年(推古天皇3)に突然小高く盛り上がり、そこへ金龍が舞い降りて守護したと伝えられている。
601年(推古天皇9)、この地方が旱魃に見舞われたとき、歓喜天と十一面観音が安置されたという。

   
その先で、言問橋西信号変則交差点を直進して花川戸地内の国道6号線江戸通りに入り、続いて東参道交差点を横断し、
東武スカイツリーライン高架下を潜って進む。
右側の
松屋デパートの中には、東武スカイツリーラインターミナル駅の浅草駅が入っている。
   
続いて吾妻橋信号交差点を横断して、雷門地内の江戸通りを進む。
この信号から右手に進むと、浅草寺。

   
浅草寺:山号は金龍山。本尊は聖観音菩薩。「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と広く親しまれている。
本堂は、昭和33年に再建されたコンクリート造。
628年(推古天皇36)、
宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成兄弟の網にかかった仏像が、本尊の聖観音像。
この像を拝した豪族土師中知が、自宅を寺に改めて供養したのが、浅草寺の始まり。
風神・雷神を安置した参道入口の雷門は、このとき工事中でシート掛けされていて見れず。
 仲見世通り:雷門から宝蔵門に至る表参道で両側に商店街が並ぶ。以前より、中国人以外の外国人が多くなったみたい。
浅草神社:通称、三社権現、三社様と呼ばれている。社殿は徳川家光の寄進で1649年(慶安2)に完成したもので、
国の重要文化財
浅草寺の草創に関わった土師中知、檜前浜成・竹成を祭神として祀る。

   
江戸通りを進み、左側に平成15年再建された駒形堂
駒形堂:浅草寺本尊聖観音像の「示現の地」に建つ堂。堂は元来は隅田川に向いて建てられていたが、
現在は川には背を向けている。

駒形橋西詰信号を通り駒形地内に入り、駒形二丁目信号、駒形一丁目信号続いて厩橋信号を通り蔵前地内に入る。
蔵前三丁目信号、蔵前二丁目信号次の
蔵前一丁目信号で蔵前橋通りを横断して浅草橋地内に入る。
   
須賀橋交番前信号、柳橋二丁目信号を渡り、その先で浅草橋駅前信号を通りJR総武本線ガード下を潜る。
江戸通りの反対側に渡って進み、小さな浅草橋公園手前に「
浅草見附跡
浅草見附:江戸幕府は主要交通路に門を置き江戸城の警護をした。
この地には、636年(寛永13)に浅草御門が設置され、警護の人を配置したことから浅草見附といわれた。

   
続いて神田川にかかる浅草橋を渡って中央区日本橋馬喰町地内に入る。
浅草橋:神田川に橋がかけられたのは1636年(寛永13)で、
浅草御門前にあったことから「浅草御門橋」と呼ばれたいたが、いつしか「浅草橋」となった。

橋を渡ったすぐ先の浅草橋南信号の
分かれ道は、右手の江戸通りを進む。
   
浅草橋信号交差点で靖国通りを横断し、その先でJR総武本線馬喰駅出入口前を通って進む。
馬喰町一丁目信号、馬喰町信号、鞍掛橋信号を通って日本橋小伝馬地内に入り
小伝馬町三丁目信号を横断する。
   
続いて小伝馬信号交差点を横断して、前方の首都高速一号上野線高架に向ってすすむ。
江戸通りは、小伝馬信号と高架の中間辺りでわずかに
右に折れ曲がるが、旧道は直進する。
この折れ曲がり点から、大手町二丁目4のJR線ガード下の江戸通りの信号までの約900m区間が消滅している。
ここでは、迂回する。

     
迂回経路ー7 (下記)
江戸通りを道なりに進み、日本橋本町地内に入り首都高速一号上野線高架下を横断し、その先で信号を渡り、
JR総武本線新日本橋駅出入口前を進み、
室町3丁目信号、次の
新常盤橋信号交差点で左斜めの首都高速都心環状線高架下を潜る。
首都高速都心環状線高架を潜り、JR線ガード下に入り、最初の信号丁字路辺りが旧道との接続点

       
JRガード下丁字路を右折し、ガードを潜り、信号を横断し千代田区大手町地内のビル工事の仮設塀脇を進む。
   
次の信号で外堀通りを横断し、読売新聞社前を通り、信号交差点で日比谷通り横断して、
ビル工事の
仮設塀沿いに進む。
   
仮設塀の終わりに、両側を仮設塀で挟まれたひっそりと佇む「将門塚
将門塚:平将門の首を祀っている塚で、都指定旧跡。所在地東京都千代田区大手町1−2−1
旧道は、将門塚辺りから左斜めに折れ曲がったいたが、この辺りは江戸城築城で全く地形が変わっている。
旧道は、将門塚から左斜め前方に直進して大手門近くの皇居内に至り、そこからほぼ直角に南に下って皇居を通り、
日比谷公園南西角の西幸門前信号辺りまで続いていたが、現在は消滅している。
ここでは、迂回する。

    
迂回経路ー8 (下記)
将門塚から道なりに進み、突当りの大手門信号を左折して、皇居沿いの都道301号線内堀通りを進む。
右手に、大手門
皇居外苑の
内堀通りを進み、外苑の外れで祝田橋信号交差点を直進する。
日比谷公園の西側を通り、地下鉄丸ノ内線霞ヶ関駅出入口脇を通り、公園脇を進む。
日比谷公園の外れの、千代田区霞ヶ関の内堀通り西幸門前信号手前辺りが旧道との接続点。
旧道は、信号を直進して進む。

   
    今日は、ここまで。JR新橋駅から横浜へ。
時は、16:01。今朝7:27流山街道信号を出発してから、約8時間30分。
  
    

旅と旅行と