迂回経路ー6
          
道なりに右に折れて進み、突当りで墨堤通りに出て左折し、すぐ先で墨堤通りを横断して反対側に渡る。
団地前を通り、鳥居のあるところで右折し、「隅田川神社参道石碑の立つ鳥居を潜って堤通地区内の団地の中を進む。
団地を出て東白髭公園の中を通り、突当りの道路の向側に隅田川神社鳥居
隅田川神社:創建不詳。もとは浮島神社といい、1872年に隅田川神社と改名した。
隅田宿:隅田川神社の周辺には、平安時代末頃には既に隅田宿が成立し、1180年(治承4)に源頼朝が布陣したという。
神社の鳥居を出て右折して境内沿いに進み、突当りを右折して、その先を左折する。
首都高速6号向島線高架下を進み、突当りで白髭橋の東袂に出る。
この辺りが、渡船場のあったところ。
対岸の西の渡船場跡は、白髭橋袂から約20m地点。
明治通りに出て右折し、白髭橋を渡って南千住地区に入り、川の手通りとの白髭橋西詰信号交差点を右折する。
右角に、1873年(明治6)にこの地に建てられた明治の元勲三条実美の別邸「対鴎荘跡」案内板と、
「橋場の渡し」案内板。
橋場の渡し:「白髭の渡し」、古くは「隅田川の渡し」とも言われた。1914年(大正3)に白髭木橋が架けられるまでは、現役であった。
渡船場跡は、この案内板から約20m先(印)。
この辺りは、石浜といい当時の江戸湾の最奥部にあたり、関西と結ぶ舟運の基地として賑わった。
川の手通りの反対側に、石浜神社。

石浜神社:724年(神亀元)、聖武天皇の勅願によって鎮座された。
1189年(文治5)、源頼朝の奥州征討に際して社殿を寄進。千葉氏、宇都宮氏などの関東武将の信仰は特に篤かった。