歩く 鎌倉街道・中道
 小豆沢→ 二子
 (東京都板橋区)
(神奈川県川崎市高津区)
 iー愛ロマンチカ
この区間は、2015.10.14に歩いた。
この区間の旧鎌倉街道は、まさに東京都の都心を通っているため、宅地化などであちこちで消滅しているところが多い。
ただ、それでも厳然として旧道が残っていることには、逆に改めて感心させられた。
     
早朝横浜を出発し、6:51都営三田線本蓮沼駅に到着。
ここから、板橋区富士見町にある北豊島工高の北側の旧道の接続点まで約2km歩く。

   
7:02 本蓮沼駅前を出発。
国道17号線中山道を南へ進み、首都高速5号池袋線高架下を潜り、
三田線板橋本町駅過ぎたところの交差点で17号線と分かれ右折して環七通りに入る。
   
高架沿いに進み、約300m地点の富士見街道入口信号交差点を右折し、ラッシュとは無縁のような富士見町地内の道を進む。
    
北豊島工高バス停から約100m先の信号交差点を左折する。
この信号交差点が消滅した旧鎌倉街道との接続点
狭い車道を進み、左側北豊島工高フェンス横を通る。
    
道なりに進み双葉町信号交差点で環七通りを横断して進み、石神井川にかかる山中橋を渡り、
まだ朝早く人通りのない「
なかいた商店街を通る。
   
商店街の外れで東武東上線踏切を渡り、仲町信号交差点を直進し専称院前を通る。
門扉が閉まっているため、遠方撮影の
專称院
専称院:前身は、鎌倉時代の武将豊島清光が行基に作らせた7つの地蔵のうちの1つを祀る、豊島村(現北区)の地蔵堂。
専称院になったのは、宝永年間(1704〜11)に祐天上人によって堂宇が整備されてからで、
寛永12年(1800)の荒川水害の溺死者の供養塔が建てられなど、水害者の供養寺として著名であった。
昭和42年ころ、都市計画道路建設で豊島からこの地に移された。

   
道なりに進み日大病院入口信号交差点で国道254号線を横断して、ゆるい坂道を上り、日大病院前信号交差点を直進する。
その先で、板橋第十小学校角の
都道420号線丁字路に出る。
旧道は、この丁字路を直進し板橋高校脇の通りの大谷口1丁目39辺りまで続いていたが、
現在は、この約500m区間が消滅している。
ここでは、迂回して都道420号線を進む。

    
丁字路を右折して420号線を進み突当りを左にカーブし、水道局大谷口給水所前を通り、
その先の
分かれ道は420号線と別れて左手の細い道に入る。
    
道なりに進み舞ハイツ前を通り、すぐ先の「大谷口一丁目39」地番表示手前で道は右斜めに少し折れる。
この辺りが
旧道との接続点
   
旧道との接続点から道なりに進んで板橋高校脇を通り、
突当りを右斜めに進んで豊島区と板橋区の境界線上にある
信号に出て左折し都道420号線を進む。
   
その先で要町三丁目信号交差点を直進し、人通りのない千川商栄会商店街を通る。
ここでバス停の時刻表を見ると、なんと運行は11時から18時まででそれも1時間に1本だけ!
地方へ行くと、やはり1時間に1本というところもあるが、東京都心でもこうなのかと正直びっくり。
    
420号線を進み、千早高校前次にサミットストア前を通り、西武池袋線踏切に出る。
この時間(8時30分ころ)上下の電車がひっきりなしで、開かずの踏切。
しびれを切らして、左側にある地下道で線路を横断して向こう側に出たら、遮断機が開いていて人がぞろぞろ。しまった!
その先の
信号交差点で千川通りを横断する。
    
続いて南長崎6丁目信号交差点で目白通りを横断し新宿区西落合地区に入り、420号線中野通りを進む。
信号から約200m地点から、
中野通りは新宿区(左側)と中野区の境界を進む。
   
道なりに進みローソン角の信号交差点を直進し、
続くセブンイレブン角の
信号交差点で新青海街道を横断して哲学堂通りに入り哲学堂公園フェンス沿いに進む。
その先の信号交差点を直進して用水路のような妙正寺川にかかる
四村橋を渡る。
哲学堂通りは、正面の四村橋南信号のある道をまっすぐ進むが、旧道は橋を渡ってすぐ左折する。
実は、ここで気分よく信号のある哲学堂通りを進んでしまい、東亜学園高校まで行って間違いときずいた。
前日間違いやすいところと、インタネットの拡大地図で充分調べたところであるが、やはり間違えてしまった。
ロスタイム、約25分。

   
橋を渡りすぐ左折、右折して細い道に入り、その先のゆるい坂を上り切った右側の上高田図書館前を通り、
上高田北公園角の
変則交差点を直進する。
    
上高田小学校前を通り、突当り丁字路に出る。
旧道は、丁字路を直進し西武新宿線を横断し約300m先の上高田2−16丁字路角まで続いていたが、
現在この区間は消滅している。
ここでは、丁字路を右折して迂回する。
        
迂回路の経路1
    
「上高田2−16」地番表示電柱の立つ丁字路が、旧道との接続点
丁字路を右折する。

    
上高田一丁目と二丁目の境界の細い車道を進み、信号を横断するとゆるい坂道となり、
次の
天神坂上信号交差点で早稲田通りを横断して中野五丁目と6丁目の境界の道を進む。
    
ゆるい坂道を上り信号を直進し、牧阿佐美バレエスクール前を通りJR中央本線高架を潜り、
右にゆるくカーブして信号を直進し右側
中野ZERO大ホール(中野区もみじ山文化センター本館)前を進む。
     
紅葉山公園前のゆるい坂道を下り、紅葉山公園下信号交差点を直進して大久保通りを横断し、
中央3丁目と4丁目の
境界の道を進む。
    
道なりに進み鍋屋横丁信号交差点で青海街道を右斜めに横断して、本町4丁目地内に入る。
横断した歩道に立つ、「
鍋横道しるべ案内板
鍋横道しるべ(要約):ここに、明治11年建立の「ほりのうちへ十八丁十間」と妙法寺までの距離が刻まれた道標があった。
裏側には、鍋屋横丁の由来となった休み茶屋「鍋屋」の証も刻まれていた。
ただ、この道標は、平成14年3月に妙法寺へ移設されてしまった。

道なりに進み、信号を直進して「
なべよこ商店街を進む。
    
その先の十貫坂上信号交差点で中野通りを横断し、細い道に入り、
信号から約100mのところで
左折し龍医院と富士見ハイムの間の小路に入る。
    
この細い坂道は中野区(左側)と杉並区の境界の道で、富士見ハイム裏門前の塀で突当る
旧道はここを直進し、
中野区地内の弥生町五丁目バス停前を通り方南通りの信号を横断した南台3丁目45番地まで続いていたが、
この区間の約1.1kmが消滅している。
ここでは、迂回するため左折する。
       
迂回路の経路2
     
南台3丁目45番地の右に少し折れたところが、旧道との接続点
    
接続点から道なりに進み、多田小学校フエンス脇を通り、寶福寺前を進む。
    
そのすぐ先の多田神社参道階段前の丁字路で、
旧道は直進し約100m先の「南台五丁目9」地番標識の立つ丁字路に接続していたが、現在は消滅している。
   ここは、迂回する。
迂回経路は、丁字路を前に進み坂を下り最初の交差点を左折する経路と、
丁字路を左折する経路があるが、ここでは左折する。
   
丁字路を左折して道なりに坂を下り、突当りを右折して車道を約50m進む。
   
約50m進んだ地点の、「中野区南台五丁目9」地番標識の立つ丁字路が、旧道との接続点。
旧道は、丁字路を左折する。
    
細い道を道なりに進み、大きな南台公園続いて小さな八島公園前を通りその先で中野区と杉並区の境界線の道を進み、
すぐ先の
分かれ道は右手を進む。
     
境界道を道なりに進み、突当り住宅地で丁字路となる。
旧道は、丁字路を直進し、
住宅地、その先で首都高速4号新宿線続いて京王線を横断して笹塚駅西側渋谷区笹塚1丁目33の丁字路まで続いていたが、
現在はこの約800m区間が消滅している。
ここでは、迂回して進む。
      
迂回路の経路3
    
笹塚1丁目33の丁字路辺りの旧道との接続点を左折し細い道に入り香樹ハイツ前を通り、
細い道を出たところで世田谷区(大原1丁目)に入り、すぐ先のセブンイレブン前の
分かれ道は右手を進む。
   
道なりに進み、ローソン角を右折して井の頭通り進み、すぐ先の「大原一・西信号で井の頭通りを横断する。
    
渡り切って右斜め前の大原1丁目地内の細い道に入り、その先で羽根木信号で環七通りを横断し、
羽根木1丁目と羽根木2丁目の
境界の道を進む。
   
世田谷区羽根木郵便局の先右側に、手入れが行き届き新しい花が供えられている「子育地蔵尊」。
子育地蔵尊由来(案内板要約):約300年前の享保のころ、
永年にわたる天候不順で五穀が実らず悪疫が流行し里人を苦しめていた。
このとき、地蔵菩薩が毎夜古老の夢枕に立ち「吾を石橋のほとりに祀れ。里人を必ず救ってあげる。」とのたもうた。
古老が里人たちと、この武蔵国荏原郡世田谷村字羽根木の在一里塚のそばに地蔵尊を勧請し勧業したところ、
間もなく天候が安定し五穀豊穣し悪疫が終息した。
里人たちは、これはみな地蔵尊のおかげと崇敬したが、その後代々由来を伝え崇敬は変わらなかった。
特に、若い母親が生まれくる子供のためにその乳の出ることを願いまた稚児のくさの平癒を願うと、霊験あらたかであった。
よって、人々はこれを「子育地蔵尊」と尊称してたてまつるようになった。
羽根木世話人一同は、昭和57年にお堂を修復しいつまでも霊験がありますように祈っている。

道なり進みセブンイレブン前を通り分かれ道は直進しその先で
左にカーブし、京王井の頭線踏切を渡り松原5丁目地内を進む。
    
商店街を通り交差点を直進し、トップパルケ前を通ってその先の交差点を直進し、羽根木公園沿いのゆるい坂を上る。
   
坂の途中の松羽稲荷神社参道階段前の分かれ道は右手の下り坂を進み、梅丘保育園前を通り次の分かれ道は左手の坂道を上り、
梅丘中学校のフェンス沿いに進み突当りの
丁字路を右折して坂を下る。
    
坂のすぐ先の突当りに、羽根木公園の柵
旧道は、公園の角を斜めに横切っていたが、現在は消滅している。
ここでは迂回するため右折して
坂を約20m下り、左折して公園沿いに約20m進んだところが、旧道との接続点
接続点から公園沿いに進む。

    
その先の「梅丘駅北口前信号交差点を直進し、小田急小田原線梅丘駅に進み、駅舎の中を通る。
旧道は、駅舎の出口を直進し梅丘1丁目14にある業務スーパーTSUKASA角交差点まで繋がっていたが、
現在はこの約100m区間が消滅している。
ここは、迂回する。

   
駅出口を左折し、すぐ先の変則交差点を右折して梅丘商店街に入り、
梅ヶ丘薬局前を通り約80m先の
TSUKASA角交差点が、旧道との接続点
交差点を直進し、約150mのところで
丁字路となる。
旧道は、丁字路を直進して城山小学校の北側にある梅丘2丁目7丁字路まで繋がっていたが、
現在はこの約600m区間が消滅している。
ここでは、迂回するため右折する。
     
迂回路の経路4
    
旧道との接続点のハイム真成駐車場前の、梅丘2丁目7丁字路を左折する。
   
車も人影もない道を進み城山小学校脇を通って梅丘2丁目から豪徳寺2丁目に入り、区立ほっとスクール城山前を通り、
佐藤記念館の先の
分かれ道は左手を進む。
   
約100m先に、「城下橋(しろしたはし)」(合成写真)。
城下橋は、世田谷城域を流れていた烏山川にかかっていた橋の名残で、
烏山川は現在は暗渠になり「烏山川緑道」遊歩道となっている。
迂回するため、後で
橋の右手(南西)の遊歩道まで戻ってきてこの道を進む。
    
橋の先約25mの右側に代ーコーポSUGAYA
旧道は、この辺りから直角に右折して南西は向かい、
桜小学校を南に下った世田谷二丁目14の丁字路辺りまで繋がっていたが、
現在は、この約700m区間が消滅している。
ここでは迂回するため、先ほどの城下橋まで戻り遊歩道を南西へ進む。
    
迂回路の経路5
    
桜小学校沿いに南へ進んだ突当り丁字路が、旧道との接続点
   
接続点から右折しすぐ世田谷通りと合流して進み、
約50m先の
桜小前信号で世田谷通りを横断して、斜め右前の細い道に入り、人通りのない道を進む。
    
その先の信号で駒留通りを横断して細い道に入り、弦巻四丁目と弦巻五町目の境界の道を進み、
弦巻四丁目信号を直進する。
    
何故かこの時間帯人も車も通らない都心の道を進み、陸上自衛隊信号交差点を直進し用賀三丁目と上用賀一丁目の境界道を進む
交差点右手に、陸上自衛隊用賀駐屯地。

    
続く上用賀一丁目信号交差点も直進し、用賀三丁目地内を道なりに進み、分かれ道角に「大山道追分道標
大山道とは、江戸時代に盛んだった相模国(神奈川県)大山にある大山阿夫利神社への参詣者の街道で、よく知られていた。
追分の左手の道を進み、その先の
信号交差点を直進して用賀四丁目地内に入る。
   
きれいなブロック敷き道路の商店街を通り、商店街を抜け出たところで都道427号線と合流して右折して進み、
東急田園都市線用賀駅東口地下入口前を通り、前方の
首都高3号渋谷線高架を潜って玉川台二丁目地内を進む。
   
セブンイレブンから約50m先の、角に延命地蔵が立つ丁字路で427号線と分かれて右折し、
ここでも
人影も車もない道を進む。
   
環八通りを横断し、瀬田四丁目地内の細い道を進み大空間寺前を通り突当りで瀬田教会前の丁字路に出る。
旧道は、丁字路を直進して教会敷地角を横切っていたが、現在はこの約100m区間が消滅している。
ここでは迂回するため、丁字路を右折する。

       
迂回路ー6 (下記)
教会沿いに進み、角で左折して坂道を下り教会の白塀の終わり辺り旧道との接続点


旧道の接続点から、坂道を下り続ける。    
下り切ったところのNTT瀬田前信号で、次大夫堀にかかる治大夫橋を渡り、二子玉川商店街に入る。
次大夫堀にかかる冶大夫橋を渡る大山道(橋上の案内板要約):
大山道は、江戸赤坂御門を起点として二子玉川で多摩川を経て神奈川県伊勢原市の大山まで続いていた。
二子玉川では、この治大夫橋を渡っていた。
次大夫堀は、江戸時代徳川家康が下流の六郷地方の米の増収をはかるため、
代官小泉次大夫吉次に命じて切り開いた灌漑用水で、この辺りの人々は「次大夫堀」と呼んでいる。

    
商店街を通り、二子玉川小学校入口信号交差点を直進し、商店街はずれで国道246号線厚木街道高架下に出る。
旧道は、この高架下を直進して玉川3丁目3グランスイート二子玉川角の丁字路辺りまで繋がっていたが、
現在はこの約200m区間が消滅している。
ここでは、迂回する。


迂回路ー7 (下記)
突当りを左折して高架下を潜ってすぐ右折し、高架沿いに進んで道なりに左斜めに折れて進み、
突当りで
多摩堤通りに出て左折し、すぐ先で別れて右手の土手を上る。
接続店から左折し、道なりに進む。    
すぐ先のマンション角の丁字路辺りが、旧道との接続点。   


旧道の接続点の丁字路を右折して、道なりに進んで左にカーブし、すぐ先右側の階段を下り、
下り切ったところの兵庫島に渡る兵庫橋手前辺りが、
当時の渡し場跡
兵庫島の名の由来:1358(正平13)年、新田義貞の次男で新田義興が、
多摩川矢野口の渡しで渡河した際に江戸荘領主の江戸遠江守の策略によって自害した。
家臣の由良兵庫助・新左衛門の兄弟は、へさきに立ち刀を逆手に取り直して互いに自分の首を切り落とし、壮絶な死を遂げた。
その由良兵庫助の死体が、この島に流れ着いたことが兵庫島の名の由来、とされている。


対岸の渡し場跡までは、迂回して二子橋を渡って行く。

    
迂回経路ー8
兵庫島橋手前から左折して堤防道(正面に、二子橋)を進む。
堤防道から見た
対岸。、
その先で車道に上がり、二子橋鉄橋を潜り、すぐ左折して階段を上り二子橋に出る。   
国道246号線玉川通りの二子橋は車でいっぱい、これが東京です。
橋の左手上に見えるのは、東急田園都市線二子玉川駅舎。。右手には、
兵庫島公園と多摩川
   橋の中頃で、東京都から神奈川県(川崎市)に入る。
橋を渡ってすぐ
二子橋信号交差点を横断する。   
すぐ右折して信号を横断して、川崎市高津区二子一丁目地内の車道の左手の細い側道を進み、
岡本かの子(岡本太郎の母)文学碑の立つ丁字路辺りが、
当時の渡し場跡
その先の高い木々の立つところが、二子神社。


丁字路を左折し、なんとなく古さを感じられるを進み、信号交差点を右折する。
直進すると、約100m先に田園都市線二子新地駅。
二子一丁目と二子二丁目の境界の道を進み、右側に
二子神社鳥居
   
 鳥居から長い参道の奥に、二子神社
         
     今日は、ここまで。
時は、16:07。今朝出発した都営三田線本蓮沼駅から、約9時間。
先ほどの信号までもどり、東急田園都市線二子新地駅から横浜へ。
      

旅と旅行と