歩く 鎌倉街道・中道
 釣上新田→ 小豆沢
(埼玉県さいたま市岩槻区) (東京都板橋区)
 iー愛ロマンチカ
   
この区間は、2015.9.22に歩いた。
四国八十八カ所の巡礼をしているうちに、前回の2013.10.12からなんと2年間のブランクとなってしまった。
久しぶりの鎌倉街道は、天気良好で気分爽快。
スタート地点は、前回夜間の歩きとなった釣上新田の県道324号線五才川橋信号から再度歩くことにした。
国道122号線は、埼玉県では「岩槻街道」と言い、
荒川にかかる新荒川大橋を渡り東京都へ入ると「北本通り」と名を変える。
そんなことを知らないで、新荒川大橋を渡ったところで東京の交通警官に道を尋ねたら、
「岩槻街道」のことは埼玉で聞いてくれ、の返事。
これって、縦割り行政?
       
2015.9.22 7:38出発。 
前回の終点、埼玉県岩槻区釣上新田の県道324号線
五才川橋信号交差点を右折し、国道463号線を進む。
    
国道463号線を真っ直ぐ進み、釣上新田信号交差点を直進し、
その先でさいたま市緑区大門地区に入り
綾瀬川にかかる畷橋を渡る。
    
   
463号線を進み、大門坂下バス停の先で大門坂下信号交差点に出る。
旧鎌倉街道は、この交差点から左斜めに進むが、大門坂下公園までの約400m区間が消滅している。
ここでは、迂回して進む。

   
迂回するため交差点を左折して進み、約100m先のカラオケ店から右折し、真っ直ぐな道を進む。
   
龍音寺前を通り、大門坂下公園角の交差点を直進する。この交差点辺りが、消滅した旧鎌倉街道との接続点。
公園前を通って貝塚があったので名づけられた
貝塚坂を上り、突当りで信号丁字路に出て左折し、県道105号線を進むする。
この信号丁字路から、さいたま市から川口市東川口地区に入る。

   
一見のどかに見える105号線を進み、東川口一郵便局先の信号のある分かれ道は右手の狭い105号線を進む。
(左折する下り坂は、JR武蔵野線東川口駅へ通じる道。)
この辺りの105号線は、旧道らしく両側に家並で歩道がなく、かつ交通量が激しい
身の危険を感じる道
   
信号の先で、JR武蔵野線跨線橋を渡る。
跨線橋から左手前方に、かすかに
東川口駅
    
105号線を道なりに進み、戸塚支所西信号交差点を直進して戸塚地区と北原台地区の境界道路を進み、
次の信号交差点も横断する。
続く信号交差点を横断して石神地区に入り、川口石神郵便局前を通り
新町信号交差点を直進する。
     
石神地区の家並の間の細い105号線を進み、
正面遠くに外環道高架が見えると突然105号線は
道巾が広くなり歩道も超立派になる。
   
外環道高架の手前左側、
長い参道奥に
コンクリート造真乗院と境内に樹齢約800年樹高18m、幹回り4.5mの川口市指定天然記念物コウヤマキ。 
     
高架を潜り新井宿と西新井宿の境界の105号線を進み、
右側西新井宿空地に花を供えられている「
老神。とても古そうで、どんな謂れがあるんだろう。
その先で、県道239号線を横断して
首都高速川回線高架下を潜り、さらに新井宿と西新井宿境界道路を進む。
なお、「宿」と言っても宿場があったわけではないという。
西新井宿と(東)新井宿:当初は一村であったが、
元禄年間(1688〜1704)以前に日光御成街道(鎌倉街道)を境として、
西新井宿村と新井宿(分村時は、東新井宿)に分けられた。

    
約400m進んだ105号線左側新井宿に子日(ねのひ)神社、道を挟んで向い会って右側西新井宿に氷川神社。、
両神社は、江戸時代初期に村の鎮守として日光御成街道を挟んで対面して創建された。

    
その先の新井宿駅(西)信号交差点を直進して桜町地内の105号線を進み、次の信号交差点で161号線を横断する。
    
りそな銀行角の信号を直進し、鳩ケ谷本町商店街に入る。
この商店街の通りは、当時の鳩ケ谷宿のあったところ。
商店街はゆるい下り坂で、確かこの辺り左側に本陣跡があるはずと、地元の人に尋ねたが、返事は・・・・?
尋ねた相手が、美人で若すぎたかも知れない。

    
本町一・氷川神社信号を過ぎた左側日本生命ビル前に、「千手院跡鳩ケ谷宿案内板
千手院:1560年(永禄3)創建。江戸時代に富士山を神を祀る浅間神社を所管していた。
1556年(弘治2)作の鰐口は市指定文化財。

道を挟んで右側に、日光社参御成行列壁画とからくり時計のある小さな
御成坂公園
    
その先左側明光義塾予備校角に、江戸日本橋から5番目の「一里塚跡新品標柱
小道を横断して、
見沼代用水にかかる吹上橋を渡る。
見沼代用水:江戸時代中頃の1728年(享保13)に完成した農業用水。
行田市の下中条で利根川から水を引き込み、各地の水田を潤しながら鳩ケ谷至っている。
この吹上橋からは、平柳用水が南に分流し小渕村や中居村などに水を供給している。

橋を渡った左側に、「日光御成街道と鳩ケ谷宿」鳩ケ谷宿案内板が立つ。
昭和橋信号を直進し、
花が彩る105号線を進む。
    
「鳩ケ谷庁舎 鳩ケ谷支所」看板の先で、鳩ケ谷庁舎(西)信号交差点で県道34号線を横断する。
鳩ケ谷宿は、この交差点まで。
三ツ和地区の105号線を進み、
鳩ケ谷変電所前信号で右手からくる国道122号線岩淵街道と合流して進み、
ゆるい
坂道を上る。
    
坂を上り切ったところで、新芝川にかかる鳩ケ谷大橋を渡って南鳩ヶ谷地区122号線を進み、
南鳩ケ谷駅信号交差点
を直進する。
    
朝日地区に入り、道端に「国道122号線 岩槻街道 ここは川口市 朝日1丁目標示板が立ち、安心。
田中医院前を通り、
末広信号交差点で県道107号線を横断して末広地区に入り、
続く
十二月田信号を直進して分かれ道は右手の122号線岩槻街道を進み元郷地区に入る。
    
右側に、「川口元郷地下自転車駐車場入口。「満」「空」表示付の本格的なもの。凄い!
続いて、とてもシャレた「
川口元郷駅入口。そして、川口元郷駅信号交差点を直進し川口元郷駅前交番前を通って進む。
    
岩槻街道を進み、名もない橋を渡って左にゆるくカーブし、「ジーエス・ユアサバッテリー看板の前を通り、
突当りで
右折する。
    
道なりに進み、本町ロータリー信号横断歩道橋取付階段脇に出る。
旧道は、ここから直進して産業道路を横断して反対側の茶色ビルの右側辺りに続いていたが、現在は消滅している。
ここでは、横断歩道橋で迂回する。

    
本町ロータリー歩道橋の階段を上り、歩道橋の突当りの、右側の階段を下りる。
    
産業道路沿いに進み、突当りの茶色ブル角で左に曲がる辺りが先ほどの旧道との接続点
    
接続点を左に曲がって道なりに進み、最初の丁字路を左折し、
旧日光御成街道時代川口宿の商店街を通る。
    
突当りで堤防手前の丁字路に出る。
旧道は丁字路を直進し荒川の渡し場まで続いていたが、現在は南中学校建物で堤防までの約100m区間が消滅している。

ここでは迂回して、南中学校の後ろにある荒川の岸まで進む。
丁字路右角に、小さな鎌倉橋記念緑地
緑地には、「日光御成道と鎌倉街道」案内板が立ち、地図つきで鎌倉橋の成立ちが記されいる。

   
正面階段を上って堤防にあがり、左折して南中学校沿いに進み、国道122号線に出て右折して坂道を上る。右手に南中学校舎
    
新荒川大橋を渡る手前で右折して堤防に出て、左折して堤防を下り新荒川大橋沿いの荒川まで続く細い道を進む。
渡し場がどこにあったか不明であるが、
新荒川大橋を斜めに横切って対岸へ渡っていた。
新荒川大橋まで戻り、
国道122号線岩槻街道の橋を渡る。(橋を渡ってから岩淵宿跡へ入る都合上、橋は左側歩道を通る)
   
新荒川大橋から見る荒川は、大河のよう。
荒川を渡ると、続いて
新河岸川を渡る。この荒川と新河岸川の間で埼玉県から東京都(北区)に入り
国道122号線も「岩槻街道」から「北本通り」と変わる。
埼玉県・東京都の境界地点で、
時は 13:22。五才橋信号から、約6時間15分。(道に迷ったロスタイム1時間30分を除くと、約4時間45分)

新河岸川の向こうに見えるビル辺りが、岩淵宿のあったところ。
橋を渡り終え、新荒川大橋信号交差点を
左折する。
    
坂道を下って新河岸川沿いに進み、ザ・クレストマンション前を通る。
   
マンション角の横断歩道辺りが旧道との接続点
対岸への渡し場跡が、どこにあるか不明。
旧道は、接続点から西南の方へ進み中世の岩淵宿跡を通って北本通りと環八通りの交差点にある赤羽信号へ続いていた。
現在は、この間の約500mが消滅しているので、新荒川大橋信号経由で迂回する。

    
新荒川大橋信号交差点まで戻って左にカーブしてゆるい坂を下り北本通りを進む。
小山酒造店手前の左側に「
史跡 岩槻街道岩淵宿問屋跡之碑」。
北本通りを進む。
    
突当りの北本通りと環八通りの交差点にある赤羽信号を直進し、反対側の道に入る辺りが旧道との接続点
旧道との接続点を直進し、
東横インビル前を通り赤羽地区を進む。
    
宝憧院(ほうどういん)のの横を通り、入口に「宝憧院前の道標と案内板
宝憧院前の道標:江戸時代中期、1740年(元文5)に了運という僧侶によって建立されたもの。
宝憧院前は、板橋道が日光・岩槻街道と合流する地点だったので、
銘文には、「東 川口善光寺道 日光岩付道」・「西 西国富士道 板橋道」・「南 江戸道」と刻まれている。

宝憧院
:1461年(寛正2)宥鎮和尚によって開山され、約150年後に深承阿闍梨及び宥意和尚が中興した。
寺伝によると、当初は浮間村(現浮間4丁目)にあったのが荒川の氾濫による洪水を避けて赤羽に移転したという。

   
宝憧院の先でJR高架を潜り続いて東北・上越新幹線高架を潜って信号交差点を横断し、斜め左手の赤羽台地区の坂道を上る
    
赤羽台団地の中を通り、突当り丁字路に出る。
旧鎌倉街道は、丁字路を直進していたがスーパーマルエツで約100m区間が消滅しているため、迂回する。

    
丁字路を右折して進み、突当り丁字路を左折して進む
その先の左側の
マルエツ従業員通用門のコンクリート敷が、消滅した旧鎌倉街道との接続点。
   
道なりに進んで赤羽西地区に入り、善徳寺前信号交差点を直進して善徳寺前の富士見坂を下る。
富士見坂は、昔この辺りは人家などがない台地で、富士山の眺望がよかったことから名づけられた。

    
続いて、大恩寺前を通り、その先の左斜めに分かれる道に入り、ひっそりとした赤羽西6丁目の道を進む。
   
約200m進んだ信号交差点で、旧鎌倉街道は左斜めに直進する。
現在は、この交差点から南西の富士見町の北豊島工高北側までの約1.5km区間が消滅しているので、迂回する。
この交差点で、時は 14:27。
今朝の出発地点の五才川橋信号から、約7時間。(途中道に迷った1時間30分のロスタイムを引くと、約5時間30分。)

    
信号を直進して蓮沼地区に入り、トプコン本社前を通り、信号交差点を左折して国道17号線中山道を進む。
    
約400m地点左側に、都営三田線本蓮沼駅
今日は、ここまで。時は、14:41。
三田線、東横線、相鉄線と乗り継いで横浜へ帰宅。
    

旅と旅行と