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歩く 鎌倉街道・中道
須賀→ 釣上新田
(埼玉県南埼玉郡宮代町) (さいたま市岩槻区) |
iー愛ロマンチカ |
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この区間は、2013.10.12に歩いた。
この区間の多くは、市街地の県道、国道で、
史蹟なども少なくあまり魅力的とは言えない街道であった。
ただ、天気は良好で、気分爽快であったが、ここでも道に迷い約1.5時間のロス。
原因は、十分な下調べを怠ったことにあり、初心忘れるべからずと改めて反省。
ところで、今回の区間のホームページは調子に乗って短時間で完成してしまった。
今年中に、続きをもう少し歩けるかも知れない。
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横浜を早朝に出発し、8:31に東武鉄道伊勢崎線和戸駅に到着。
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前回の終点まで
駅舎を出て右折して、線路沿いに進む。
その先で前回通った草むらの道を進み、線路を横断してすぐ右折して線路境界柵沿いにすすみ、
墓地手前から左折して道なりに進む。
この間、わずか約1kmの距離であるが、道に大きく迷い1時間もかかってしまった。
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その突当りで、前回の終点の車道に出る。
旧街道は、車道を横断して埼玉県南埼玉郡宮代町須賀地内の真蔵院境内脇を進むが、
すぐ突当る。
旧街道は、直進するが現在はその先約50mほど消滅している。
ここでは、迂回するため左折しすぐ先の車道を右折する。
右折する右角に、「真蔵院・鎌倉街道」案内板。
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車道を進み、約50m先の右側丁字路辺りが、先に消滅した旧街道との接続点。
道なりに進み東粂原地内に入り、突当り丁字路を右折する。
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田園風景の中を左にカーブし道なりに進み、住宅街の中の車道を横断し、
しばらく進み突当りで丁字路となる。
旧街道は、この丁字路を直進するが、
この先県道65号線彦兵衛信号手前までの約2kmが消滅している。
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迂回するため、ここでは丁字路を右折して進みすぐ先の交差点を左折し、
畑の中の真っ直ぐな道を進み、白岡市瓜田ヶ谷地内に入り信号交差点を直進する。
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その先突当り丁字路を右折て下野田地内に入り、
一直線の道を進み県道65号線(日光御成街道)下野田信号交差点を左折する。
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日光御成街道の県道65号線を南東へ進み彦兵衛地区に入り、
信号から約500m地点の第一パック工場手前で左手から道の丁字路辺りが、
先に消滅した旧街道との接続点。
その先約400mのところで、彦兵衛信号交差点を直進する。
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その先で太田新井地区に入り、隼人堀川にかかる橋を渡り、岡泉信号交差点を直進する。
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信号から約700m右側に、「さいたま市」標識が立ちさいたま市岩槻区鹿室地区に入る。
その先右側に、1512年(永正9)開山宝国寺(写真右)の立看板。
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さらに進み鹿室バス停を過ぎたころからゆるい下り坂となり
、「そば仁屋」辺りからゆるい上り坂となる。
60年前頃には、この上り坂左側に一里塚があったということであるが、
どこにも見当たらない。
ただ、右側には当時の杉並木の名残が僅かに残っている。
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相野原地区に入り、坂を上り切る手前左側エメラルドプレイランド店前に
街道の成立ちなどを記載した「日光御成街道みちすじ」案内板。
続いて古ヶ場地区に入り、
左側に「慈恩寺小学校 徳力小学校 慈恩寺中学校 岩槻北陵高校」標識。
そのすぐ先に、デイリーヤマザキ店前信号。
旧街道は、信号を直進するが、ここで慈恩寺を立寄るため左折する。
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立寄り:信号を左折して慈恩寺地内の道を約1.2km進み、突当りに慈恩寺。
慈恩寺:824〜834年間(天長)、
円仁によって創建されたと伝えられる坂東三十三箇所第12番札所。
中国の南京で発見された玄奘三蔵の遺骨の一部が、この寺に安置されている。
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元の旧街道に戻り、上野地区、裏慈恩寺地区、表慈恩寺地区を通り、
岩槻工業団地入口信号交差点を直進(写真左)して再度上野地区に入る。
その先で、元荒川(写真右)にかかる慈恩寺橋を渡る。
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南辻地区に入り約500m進み右にカーブした左側に、
人間をこころ・からだ・文化の面から追及し、
学術的に総合して科学的に研究することが建学精神の人間総合科学大学キャンパス。
その先で日の出町地区に入り左にカーブした右側に、龍門寺参道入口。
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長い参道の奥に、1600年代後期さいたま市指定文化財龍門寺山門。
山門しっかりと閉ざされ、本堂の拝観できず。
龍門寺:1550年(天文19)斉田若狭守の開基で、岩槻藩主大岡忠光の墓がある。
また、国指定重要文化財の備前国福岡一文字派の刀工助真作品の刀一振り所蔵されている。
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旧街道を進み2つ目の信号交差点を直進て宮町地区に入り、
50mほど先左側に「久伊豆神社」石柱。
久伊豆神社は、石柱から東北へ約800m離れたところにあるが、
旧街道に面した参道入口の名残?
続いて、東武野田線のガードを潜り本町地区に入る。
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両側に、人形店が多数並ぶ。
岩槻は、人形のまちとして知られ江戸時代から脈々として受け継ぎ、人形生産は日本一。
その先左側に、浄安寺。
浄安寺:1505年(永正2)天誉了聞が開山。
本尊の阿弥陀如来像は、平安時代の建造で、さいたま市指定文化財。
約100m先の渋江信号交差点は、直進して一般道に入る。(県道65号線はこの信号まで)
なお、日光御成街道は、信号を右折する。
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本町地内の道を進み、アンツーカ色の信号交差点を横断し、
突当りで岩槻中学校校庭で遮断される。
旧街道は、直進して岩槻中学校、続く太田小学校を通っていたが、
この間約500mが消滅している。
ここでは迂回するため、戻って先ほどのアンツーカー色信号から右折する。
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突当り丁字路を右折し、閑静な住宅街の道を進み、突当りで丁字路に出る。
旧街道に戻るには、丁字路を左折するが、ここで岩槻城址に立ち寄るため、左折する。
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立寄り:左折した道を約600m進み、左折して城址公園に入る。
岩槻城:1457年(長禄元)太田道灌が築城したもので、関東では小田原城に次ぐ規模の大きさ
1770年(明和7)修造された、岩槻城裏門。
1971年(昭和46)建立、人形塚と人形の碑。
当地の人形作りの起源は、日光東照宮造営の頃(1630年)と言われているとのこと。
本丸、二の丸、三の丸跡。
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元の丁字路に戻り、そのまま直進して住吉神社前を通り、次の丁字路を直進する。
丁字路から約100m地点、渡邊税理士事務所前の丁字路を左折する。
この丁字路辺りが、先に消滅した旧街道との接続点。
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仲町地内中の道を進み、県道80号線を横断し、真っ直ぐ進んで国道16号線に出る。
旧街道は、16号線を横断し県道48号線岩槻農協前信号辺りに繋がっていたが、
現在は消滅している。
迂回するため、ここでは16号線に出て右折する。
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16号線を進み、仲町信号を左折して横断し、そのまま直進する。
その先の、岩槻農協前信号交差点を横断して城内地内に入り。
旧岩槻街道と同じ道の県道324号線を進む。
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城南小学校バス停辺りで浮谷地区に入り、延々と道なりに進み和土バス停を過ぎ、、
その先で笹久保地区に入り右にゆるくカーブする左側木立の中に笹久保八幡神社。
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鳥居の長い参道奥に、笹久保八幡神社。
笹久保八幡神社:源義家が、
奥州攻めの途中この地に軍配を鎮めて武運の祈願したところといい、
村民が、その霊験に謝し長年子供土俵入りを奉納してきた。
「古式子供土俵入り」は、が国指定重要無形民俗文化財。
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旧街道に戻り、約300m先の笹久保信号交差点を直進し、左にカーブしてNTT前を進み、
その先の右にカーブする手前で県道j324号線と別れ、突当りの細い道に入る。
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旧岩槻街道と同じ道を道なりに進み、約500mのところで左から来る道と合流して
右にカーブする。
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カーブする左手に、八幡宮。右に隣接して勝軍寺。
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旧街道に戻り、道なりに進み城南中学校角の分かれ道は左手を進む。
続く分かれ道は右手を直進し、尾ヶ先第一集会所前を通り右にカーブしてゆるい坂道を下る。
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その先の分かれ道は直進し、左にカーブし右にカーブして坂道を下る。
右にカーブする左側擁壁の上に、ひっそりたたずむ尾ヶ崎観世音堂。
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下り切ったところの用水路にかかる橋を渡り、
道なりに進んで突当りで先に別れた県道324号線と合流して左折し、
旧岩槻街道とともに一直線の道を進み釣上地内に入る。
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左側に、「園福寺」看板。
ただ、看板下部に「釣上公民館」とある??
左折して境内へ。
奥に、寺院らしくない建物。これが釣上公民館兼用の園福寺と合点!先ほどの謎が解ける。
墓地の前には、きれいな衣で飾られたお地蔵さまが6体。
ただ中央のお地蔵さまの衣は、英語がびっしり書き込まれたもので、ビックリ
寺院も、国際化の証しなんでしょうね。
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ひたすら324号線を進み、釣上信号で国道463号線を横断し、
続く五才川橋信号交差点は324号線と別れ右折する。
以降は、次回(2015.9.22)へ。 |
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