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この区間は、2011.4.20に歩いた。 東北地方太平洋沖地震の余震を気にしながら、それでも青空のもと緑多き道々を心地よく歩いた |
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早朝横浜を出発し、2011.4.20、8:49秩父鉄道小前田駅到着。 |
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9:15今日の出発点(前回終点)、深谷市小前田地内「かりん糖」看板交差点に到着。 出発は、荒川の河岸段丘の道を、右手に遠い山並みを見て東へ進む。 |
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朝の新鮮な空気の中、左側花園消防署前を通って荒川地内に入り、 出発点から約1.1kmのグリーンブック店に続くサッカー練習場(?)角交差点を右折し、 その先の突き当りを左折する。 |
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緑濃い道を進み、分かれ道は右手を進む。 分かれ道手前右側に、1807年(文化4)建立石碑など多数の古い石碑群。 |
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坂を下り突き当りを左折して荒川沿いに進み、分かれ道は右手を進む。 |
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荒川沿いを約600m進み、荒川にかかる県道246号線花園橋の下を潜って渡し場跡へ進む。 ただ後で再度この橋の袂に戻り、左折して橋を渡ることになる。 川沿いの傷んだ舗装道を進み、 突当りで左側大成ロテック工場敷地との間の狭い空地に入って藪の中を掻き分ける。 |
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突然古い「通行禁止」看板上に、新しい「車両進入禁止」看板が取り付けられたバリケード。 こんなところまで車両が入ってくる?もしかして。地図上はまだ道路となっているのかも? それにしても新しい看板とは理解しがたい場面であるが、渡し場探索はこの区間のハイライト。 ここはバリケードを潜って安全第一で慎重に進み、ついに踏み分ける空地も崖で消滅。 渡し場跡までは、このまだ先100mくらいはありそうだが、足元不確かでここでギブアップ。 この地点から右手前方に、こちらの岸(旧荒川村)からの渡河点となった大岩。 対岸(旧赤浜村)にも渡河点となった大岩(俗称獅子岩あるいは川越岩)があり、 この大岩間は浅瀬で当初徒歩で渡っていたが、後年舟渡しができた。 対岸の渡河点には、花園橋を渡る。 |
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先ほどの花園橋の袂に戻り、坂を上ってUターンし橋を渡る。 |
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橋の左側遠くに、さきほどの荒川村渡河点大岩。 |
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花園橋は、高架道路のため橋を渡り終えてもさらに遠くにある車専用入出口からしか出れないため、 ここから延々400mほど荒川堤防道に戻らなくてはならない。 出口の坂を下り右にカーブし、交差点を右折しさらに坂を下りその先で246号線高架下を潜り、 左折して道なりに進み、突当りで右折する。 |
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大里郡寄居町赤浜地内の荒川堤防道(写真中)を、東へ進む。 約400mほど進んだ左側大岩は、旧赤浜村の渡河点獅子岩(写真左)。 対岸方向に、さきほど見た旧荒川村大岩(写真左)。 獅子岩へ接近する道はなく、さらに約400m進んだ堤防道の突当りに、 「車両進入禁止」札がかかっているが、昔はここから獅子岩への道があったのでは? |
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突当りを右折し汚泥再処理センター前の丁字路に出て、 左折して坂道の旧道を上り橋を渡って左に右にカーブしたところの左側に、 昭和54年建立「鎌倉古街道 上道」道標(写真右)。 旧道は、道標の反対側の細い坂道(写真右)を上る。 高崎を出発して、初めての道標は記念すべきもの。 |
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坂道を上り、右にカーブする左側法面に平成15年建立「鎌倉街道上道」道標。 以降道標はなく、何故この辺りだけに道標が建立されているのだろうか?、 道の、左手上には「アイリスオーヤマ」建物、右手下方は荒川 |
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坂道を約500m上り、突当り分かれ道を左折して、県道81号線を横断し右斜めの細道に入る。 砂利道を進み、分かれ道は直進する。 |
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畑の中の道を進み、道なりに左にカーブし、突当りの普光寺で右折して墓地沿いに進む。 なお旧道は、墓地の中を通り普光寺の門付近に続いていた。 墓地を過ぎ突当りの丁字路を左折して、車道を進む。 |
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突当り丁字路を右折する。 この丁字路辺りで、消滅した墓地からの旧道がつながる。 まっすぐな道を進み、突当り丁字路を左折する。 |
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道なりに進み、最初の分かれ道(写真左)を直進し、次の交差点(写真右)も直進する。 交差点左手約100m右側に、町指定文化財1394年(応永2)鋳造鰐口の三嶋神社。 |
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その先の交差点を右折し、殆ど交通量のない道を南に進む。 |
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約800m進み、突当り丁字路で県道296号線を左斜めに横断し、 寄居町今市地内の細道に入る。 丁字路手前左角に、1852年(嘉永5)建立「奉納」(左)、 1790年(寛政2)建立「百万遍供養」(左から2番目)など石碑群と、 その右側に民家のような「薬師堂」。 |
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一直線道を進み、鉄塔角交差点を左折して、南東へ進む。 |
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遠くに見える鉄塔を目指して道なりに進み、約600m地点の鉄塔角交差点直進し、 右側市野川沿いに桜並木の方へ進む。 |
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ゆるい坂を上り頂上付近左側に、危険貼札・補強・進入禁止縄張の兒泉神社鳥居。 多分3.11地震の被害。 坂を下り、左側今市クリーンセンター先突当り分かれ道は、右手の砂利道に入る。 |
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右側市野川沿いに進み、比企郡小川町高見地区内に入り分かれ道は直進し 次の橋の袂の分かれ道も直進し、さらに市野川沿いに進む。 |
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その先の突当りの分かれ道は、道なりに右にカーブて進み、 突当りで県道184号線と合流して右折し、南東へ進む。 すぐ市野川にかかる金塚橋を渡り、 その先約300m右側「ふれあい四津山」看板の立つ丁字路は、 四津山神社と四ツ山城跡への入口。 |
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さらに道なりに進み能増地区内に入り、 四津山看板から約600m地点の能増信号交差点(写真中)は直進し、県道296号線に入る。 その先左側墓地の一角に、地蔵尊2体(写真左)と多数の古石碑群。 淡々と進み奈良梨地区に入り、能増信号から約1.5km地点の奈良梨交差点も直進する。 空はいつの間にか青空、なんとなくデジカメも喜んでいるのが伝わってくる。 |
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すぐ先左側八和田郵便局手前電柱脇畑に、平成23年3月建立「馬頭観世音」碑。 こんなに新しい馬頭観音碑は、街道歩きを初めて10年来初めて。 上横田地区に入り、新川にかかる高橋を渡って下横田地区に入る。 |
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交通量の少ない田園風景の296号線を進み、 中爪地区内に入り奈良梨信号から約2.2km地点の嵐山小川IC信号交差点を直進する。 その先約600m右側、 田園風景にミスマッチな派手色彩のパチンコ店から嵐山町志賀地区内に入り、 信号丁字路を直進する。 |
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しばらく進み、左側民家の前に「雨降山」と刻字された味のある形の石燈籠。 雨降山は、藤岡市の標高1013mの山ではないかと思う。 その先左側に、「嵐山町役場 次の信号左折」標識。 ただ、嵐山町役場は、地図からだけ見ると次の次の信号を左折した方がわかりやすく、近い。 その先で、玉ノ岡中学校(南)信号丁字路を直進する、 丁字路を渡った左角に、「埼玉県指定史跡 元杢綱夫妻の墓、杉山城跡」案内碑。 史跡へは、ここから左折する。 |
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玉ノ岡信号から約900mの信号丁字路手前左側(写真右)墓地の一角に、 庚申燈、馬頭観音などの古い石碑群(写真左)、そして簡素な観音堂。 |
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信号丁字路を直進し、右側に大きな池かと思ったが地元では沼。 道なりに南東に進み、志賀小学校前の押しボタン信号を直進する。 |
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その先約600mの信号丁字路を直進して、むさし台地内に入り続いて信号交差点を直進する。 ゆるい296号線坂道を上り突当りの分かれ道は右手を進み、 東武東上線踏切を渡り菅谷地内に入る。 |
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坂道をさらに上り、続いて下りとなるすぐ先右側小路角に7体の野仏像の並び。 さらに下り嵐山三叉路信号丁字路を直進して商店街に入る。 |
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商店街を約200m進み、嵐山駅入口信号交差点を直進する。 交差点を左折すると、東武東上線嵐山駅。 そのすぐ先に、嵐山駅(東)信号丁字路。 旧街道は、この辺りから右斜めに約150m間消滅している。 ここでは、迂回して次の信号丁字路割烹中島屋手前を右折する。 |
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その先の突当りを左折する。 嵐山駅(東)信号で消滅した旧道は、この左折する辺りにつながる。 閑静な住宅街の中を道なりに南東に進み、 約600m地点の真紅建物先で国道254号線の信号交差点を直進する。 交差点から左手は、東松山市。 |
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南に進み、途中約100mほどのところに右折する道。 菅谷館跡へ寄道:ここで右折し道なりに進み、国道254号線に出て左折する。 菅谷館跡:1973年国史跡に指定された、 約13万平方メートルに及ぶ広大な面積を持つ複郭式の平城。 本郭に二ノ郭、三ノ郭を配置し、それぞれの郭を土塁と堀で防備している。 鎌倉幕府の有力御家人畠山重忠の館であったが、 1205年(元久2)重忠が武蔵国二俣川(横浜市旭区)で戦死以降、15世紀後半までの詳細は不明。 |
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約500m進み、「ヌエック 国立女性教育会館」看板(写真中)から左折し、 突当りの左手は、国立女性教育会館正門(写真左)。 菅谷館跡は、突当り右手の細い道の奥。 |
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広い公園のような館跡敷地に、 正面に「埼玉県指定史跡 菅谷館跡」碑と館跡案内板(写真中)。 左手に本郭跡と二ノ郭跡(写真左)、 右手に嵐山史跡博物館をバックに三ノ郭の井戸跡と建物跡杭。 |
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元の鎌倉街道に戻り、坂道を下り、都幾川にかかる橋の袂に出る。 旧道は、この橋の左手(東側)の少し離れた所から渡河していた。 ここでは、橋を渡る。 |
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橋を渡り終え大蔵地区内に入り、道なりに左にカーブし、続いて右にカーブする。 渡河した旧道は、この右にカーブする辺りにつながっていた。 ゆるい坂を上り、南に進む。 向徳寺へ寄道:上りきる手前の、右折する道に入る。 |
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正面に、国指定重要文化財の銅製阿弥陀如来及び両脇侍立像がある向徳寺、 山門右脇、1250年ころから1409年間にかけての多数の板碑群。 |
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元の街道に戻り、道なりに約400m坂を下り県道172号線信号交差点を直進する。 大蔵館跡へ寄道:信号を右折し西へ行った右側に、大蔵館跡案内板。 続いて、館跡地内に建てられた大蔵神社。 大蔵館:源義賢の居館で、東西170m、南北200mの規模で現存遺構として土塁・空堀がある。 源義賢:源氏の棟梁源為義の次男で、当地を拠点として勢力を張っていたが、 1155年(久寿2)兄源義朝の長男・悪源太義平に大蔵の合戦で討たれた。 このとき、義賢の次男駒王丸は、畠山重能に助かられ、後の木曽義仲となる。 |
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源義賢墓へ寄道:信号へ戻り、東に進みすぐ右側白い看板下に「源義賢の墓」案内標柱。 細い道に入り、右側「源義賢の墓」案内板から犬が吠え続ける民家敷地に無断で入る。 敷地奥に、ひっそりと県指定史跡「源義賢の墓」。 祠の中には、義賢ゆかりのひとたちが供養のため建立したものとされる五輪塔。 五輪塔は、火輪部と水輪部のみが当時のもので、 空輪部と地輪部は後世に補われ、風輪部は欠損している。 五輪塔:密教の宇宙観より、 上から空、風、火、水、地として、五大の考え方をあらわしている。 |
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元の信号交差点に戻り、南西へ向かいゆるい坂道を上る。 約200m進み左側鳥居の反対側右側に、鳥居に立入禁止表示のある大行院神明宮。 その先右側歩道上黄色杭の間に、「縁切橋」案内板。 縁切橋:征夷大将軍坂上田村麻呂が、軍を率いて当地で岩殿の悪龍退治の準備をしていたとき、 京の奥方が心配のあまり訪ねてきたが、追い返した。 坂の下のこの地で田村麻呂は、奥方に「大命を受けて出陣をしているのに、 追い来るとは何事だ。今より縁を切る。」と宣言したという。 それからこの橋は、縁切橋と言われ、 縁起をかついで婚礼の際の新郎、新婦は今でも通させないようにしている。 注:現地にはどこにも川も橋もない。黄色杭の間が、橋跡のしるしかもしれない。 |
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坂の頂上を過ぎ、将軍沢地区内に入りすぐ左側に白山神社鳥居。 ゆるい坂を下って集落に進み左側に火の見櫓鉄塔。 |
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さらに下り続け、左側に明光寺石柱(写真右)。 石柱から左折して奥の正面に、寺院の表示が全くない民家のような建物が明光寺?(写真中) 荒廃した境内の一角に、1260年(鎌倉時代・文応元)建立阿弥陀三尊種子板石塔婆。 |
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続いて左側に、首を傾げる庚申塔。 道なりに坂を下り、ゆるく左にカーブし下りきったところに小さな橋。 |
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橋に、「林道将軍沢線 起点」標識。 | |||||||||
16:22 今日はここまで。 9:15に出発して、約7時間の行程。 |
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インターネットマップでは、 近くにバス停の表示があったのでそれに乗って近くの駅まで行くのが予定の行動。 しかるにあるべきところにバス停がない ?! 近くの人に聞いたら、もうとっくに廃止されているいうこと。 泣く泣くもっとも近いという、東武東上線つきのわ駅まで、正味1時間の歩き。 そして、横浜へ。 |
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