歩く 鎌倉街道・上道
 中肥土→ 小前田
(埼玉県児玉郡神川町肥土)深谷市小前田)
 iー愛ロマンチカ
この区間は、2011.4.7に歩いた。
前回3.11の「東北地方太平洋沖地震」の余震もほぼおさまったかと思い続きを歩いたが、
帰宅した深夜23:32に震度6強の関東大震災級余震が発生してしまった。
3.11の被災者の方々には、追い打ちをかけるまたも巨大地震で、
本当に悔しい思いをされておられと思います。
改めてお見舞い申し上げます。
この日の天候は、予報では快晴であったが最初からどんよりと垂れこもる曇り空。
天気予報に裏切られることには慣れっこではあるが、雨に降られなかっただけでも感謝。
      
2011.4.7早朝横浜を出発し、9:08JR八高線丹庄駅に到着。
快晴の予報と全く異なる、どんよりとした曇り空。
、カメラ下手な私には見栄えのする写真をとることができないので、とても苦手な天候。
今日の区間は、基本的には南東方向へ進む。

9:33、スタート地点神流川中肥土地内土手を出発。
土手から斜め左に分かれる坂(写真右)を下り、車道を横断する。
   
田畑中のまっすぐな道を進み、分かれ道は右手を進む。
「お堂」と呼ばれている建物横を通り、集落の角の
十字路は直進する。
    
すぐ左手奥に、とても古くからあるという出雲神社
畑道を
一直線に進み関口地内に入り、十字路から約200mの家の手前に丁字路
この先、街道が消滅しているので戻ってきてこの丁字路を右折することになる。

この辺一体は、神流川低湿地帯だったところで、
現在はきれいに区画整理され広大な畑となっている。

    
さらに60mほど進む、カーブミラーがある辺りから鎌倉街道は右斜め南へ進むことになるが、
現在はその先約200mほど消滅している。
ここで先ほどの丁字路に戻り、左折して
一直線に進み、約200mの畑の中の十字路を左折する。
    
真直ぐな道を進み、突当りの丁字路を右折し、ガードレール沿いに進む。
この丁字路辺りに、先ほどカーブミラーで消滅した街道が繋がっていた。

   
突当りを道なりに左折し、
その先でゆるい坂道を上り
用水路にかかる橋を渡って植竹地区内に入り、
分かれ道は左手を進み神川養協稚蚕人工飼料共同飼育所前を通る。
    
道なりに進み分かれ道から約300mのところで県道22号線信号交差点(写真左)を直進する。
その先信号から約400m左前方
ネット奥(写真右)に、人口約1万4千人の神川町役場
    
一面畑の中をどこまでもまっすぐ進み、
八日市区内に入り2階建
神流福祉会前を通り、その先で丁字路に出る。
旧道は、まっすぐ続いていたがこの先畑や線路で約200mほど消滅している。
ここでは、丁字路を左折する。

    
約150m進み、八高線踏切を渡り、すぐ右折して線路沿に進み道なりに左へゆるくカーブする。
このカーブする辺りに、先に消滅した旧道が繋がっていた。

    
その先の十字路を直進し、次の交差点も直進する。
    
約100mほど進み十字路を直進し、ここから砂利道となり、突当りで丁字路となる。
旧道は、直進し約1km先の女堀川にかかる雀の宮橋まで続いていたが現在は消滅している。
ここでは丁字路を右折し、その先の
線路手前丁字路を左折する。
    
線路沿い砂利道を進み、約300m先で右に踏切のある十字路を直進し、
さらに約600m進み高架道路の1つ手前
丁字路を左折する。
    
その先のガードレールのある丁字路を右折し、
ガードレール沿い道を進んで神川町から本庄市児玉町八幡山地内に入り、高架下を潜る。
高架下辺りで消滅した旧道とつながる。
    
すぐ女堀川にかかる雀の宮橋を渡り、
砂利道を進み、道なりに右にゆるくカーブして東へ進む
    
その先で舗装された道となり、
突当りで(国道254号線)
長浜町(北)信号交差点手前の道に出る。
旧道は、この地点から右にカーブして
南下し、
長福寺裏を通って八高線土手まで続いていたが、現在はこの間の約400mが消滅している。
ここでは、突当りの道を右折して南下する

    
200m先の塀の内側に長福寺屋根
その先で、
長浜町信号交差点を直進し八高線ガード下を潜り、すぐ左折する、
    
八高線土手沿いに進み、突当りで道なりに右にカーブ、左にカーブして道なりに南に進む。
右にカーブする辺りに、消滅した旧道がつながっていた。

      
その先小針乳業敷地角の分かれ道は、右手を進む。
石垣に挟まれた
細い道を進み、十字路を直進して児玉町児玉地内に入る。
    
突当りで車道と合流して右折し、その先で大きな通りに出て左折し、
約50m先で
右折して細い道に入る。
なお大通りをこのまま進むと、突当りに八高線児玉駅。
    
人影も車もいないを南へ進み、交差点を直進して右側児玉公民館脇を通り、
続いて
玉蓮寺墓地脇を進む。
    
その先の車道を斜めに横断し、約200mほど進んだ分かれ道は直進し、
50mほど先で
国道254号線に出て左折する。
    
254号線を進み、すぐ左側小路奥に伏見稲荷大社が総本社の龍體稲荷神
254号線を南東に約300m進み、右側井上商店建物を過ぎた分かれ道は、
254号線から分かれ右手の道を進む。

   
住宅街を道なりに約300mほど進み、
広い車道の
交差点を横断しヤマト運輸と本庄児玉病院の間の道を進む。
    
突当りで身馴川の土手に出る。
ここは当時、
対岸の道まで舟で渡っていたところであるが現在は渡し場は消滅している。
ここでは、遠く右手前方の橋を渡って対岸に出るため
土手を右折する。
    
ところが、約200m進んだところで川のコンクリート堰が露出していたので、
ここから川を横断して左折し、
対岸の道の入口にたどり着く。
この間迂回距離が、1.3kmから0.5kmに大幅に短縮
金網沿いに
砂利道を進む。
    
突当りでを上り、左折して進みすぐ小さな橋を渡り、道なりに左にカーブ右にカーブして進む
整備された工場地帯を進み、左側赤城乳業駐車場手前辺りで道は右にカーブする。
旧道は、カーブしないで直進し254号線につながっていた。
ここでは、道なりに右に左にカーブし、
エーザイ美里工場正門前の254号線に出て右折する。
    
ここから児玉郡美里町広木地内に入り、254号線を南東に進み、
約700mの
信号交差点の分かれ道は254号線と別れ右手を進む。
殆ど人も車も通らない
ゆるい坂道を、上る。
    
すぐゆるい下り坂となり、その先左側に燈籠と瓱蕤神社石柱
神社は、ここから参道を北へ300m行ったところにある。
瓱蕤とは:「みか」と呼び、酒造りに使う大型のかめのこと。
続いて
住宅街に入り、道なりに進む。
   
200m先に、志戸川にかかる橋と右袂に「さらし井の遺跡」案内板。
寄道:橋の手前を右折して約700m先左側に、「さらしの井遺跡案内板
石橋を渡り、対岸にチェーンで囲まれた「
さらし井遺跡
さらし井:広木地内の枌木川
(志戸川)の端に岩石で囲まれた井戸。
職布を洗いさらすために使用した湧水で、ここでさらされた布の多くは朝廷に献納された。
万葉集巻九の恋歌「三栗の中にめぐれる曝井の絶えず通わんそこに妻もが」

   
志戸川にかかる橋を渡り、道なりに進んで橋から約300mのところで黒沢工業所前を通り、
さらに約70m先の最初の
十字路を右折する。
    
ゆるい坂道を上り、約400m進み変則十字路を直進し、砂利道を道なりに進む。
    
左手の国道254号線に接近し、また離れて進みその先の丁字路を左折する。
丁字路手前右側に、庚申塔などの
石碑群
    
美里町白石地内に入り、舗装道路を南東へ進み、十字路は直進して坂道を上る。
    
住宅街に入り、その先福島屋角の変則十字路角は直進する。
十字路右手前角に
石碑が並び、左道標を兼ねた「六道能化地蔵尊」、右「道標」。
六道能化:六道の巷に現れて、衆生を教化し救う地蔵菩薩。
    
さらに住宅街を進み、十字路から約500mのところで道なりに左にカーブし、
その先約50mのところで
左折する細い砂利道に入る。
   
敷地沿いに進んで右にカーブし、道なりに進んで丁字路を右折する。
次の丁字路は直進し、突当りで先ほどの
車道と合流して左折する。
      
200mほど進み、右側関東川重建機建物角から細い道に入り、ゆるいを上る。
     
200mほど上った頂上で交差点(写真中)を直進し、坂を下る。
すぐ左側に、お堂が大変老朽化している
雷電神社(写真左)
さらに右側「みさと保育園」前を通り、
を左にカーブし下り続ける。
    
下りきったところで広い車道に出て右折し、約50m先で商店横から左折して細い道に入る。
左折手前右側に、とても古そうな
石碑があるが、私には判読不能。
    
住宅街を150mほど進み、新道路建設で只今工事中バリケード
遠方はるばる来た身に甘え、誰もいないことを幸いにしてバリケードに進入し、
その先の新道から分かれる
旧道を進む。
    
突当りで国道254号線を横断して県道175号線を進み、
すぐ先の
を渡り美里町猪股地内に入り横関酒造前を通る。
     
175号線を約550m進んだところの野中信号交差点を直進し、ゆるい坂道を上る。
上り切った左側に、周囲に多数の古墳群が分布している
普門寺
    
175号線のを延々と下り、下りきった辺りの右側に火の見櫓鉄塔
2011.311鮎川公会堂前で「東北地方太平洋沖地震」の地面大揺れに遭遇したが、
このとき目の前にあったやはり火の見櫓鉄塔は、この巨大地震にびくともしなかった。
さすが、いざというときに私たちと助けてくれる施設だけある、と感謝した次第。

今度はゆるい上り坂となり、上りきったところの
信号交差点を直進する。
信号交差点から、大里郡寄居町用土地内に入る。

   
しばらく平坦な道を進み、用土四区公会堂前を通り商店街を進み、
突当りの
分かれ道は右手を進み、すぐの用土駅入口信号交差点を直進する。
この信号交差点を左折すると、八高線用土駅。
    
交差点のすぐ先左側に、町指定文化財獅子舞で知られる諏訪神社
さらに県道175号線を進む。
    
その先用土郵便局信号交差点を直進し、続いて八高線踏切を渡り、
いつの間にか青空が広がった
175号線を淡々と進む。
    
踏切から約900mの交差点で、寄居町から深谷市(武蔵野)に入る。
周りに何もない
一直線道をしばらく進み、住宅街に入る。
深谷市に入り約1kmの左側小路奥に常光寺。その先左側に八幡神社
    
突き当りの交差点は、175号線と別れ直進して細い道に入り南下する。
閑静な
住宅街を進み、県道62号線との交差点も直進する。
   
大里郡寄居町と深谷市小前田の境界道を進み、次に砂利道となり、荒野の中の道を進む。
      
その先で、秩父鉄道踏切を渡り、きれいに整備された工場地帯を進み、
国道140号線(秩父往還)を横断し細い道に入る。
      
細い道を道なりに約300m進み、もうひとつの国道140号線(彩甲斐街道)を横断し、
さらに
なりに100mほど進む。
    
ホテルシェルプールから左にカーブして、小前田地内に入る。
カーブしてすぐの
十字路は、直進する。
十字路右の坂道の途中左側斜面に、荒川をバックにコンクリート枠「お茶々の井戸」。
お茶々の井戸:どんな干ばつでも枯渇したことがないと言われている井戸。
古文書によると、茶店に「ちょう」という客あしらいの上手な美しい娘がいて、
街道筋で大変評判となり繁盛したので、「お茶屋の井戸」と呼ばれるようになった、とのこと。

     
舗装された荒川段丘道を淡々と進み、突当りは右折、左折して緑の多い道を進む。
その先の橋を渡った
十字路は、直進する。
    
さらに進み、右側墓地角の「かりん糖看板の交差点は直進する。
  
  
16:07今日はこの交差点まで。中肥土土手から、約6時間30分の行程。
ただ困ったことに、この辺の詳細地図を持っていなかったため近くの駅がわからない。
たまたまジョギングをしていた青年に近くの駅を尋ねたところ、
横浜に戻るなら一番便利なJR高崎線籠原駅まで車で送ってくれるとのこと。
ジョギングを中止して家に戻り、車で遠く籠原駅まで送っていただきました。
感謝、感激です。
JRに入社して4年目、車掌をされているとのことであるので
いつかまた電車の中で再会する機会があるかも知れませんが、
取りあえずここで改めてお礼を申し上げておきます。
   
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