歩く 鎌倉街道・上道
  山名→ 中肥土
高崎市山名町)(埼玉県児玉郡神川町肥土) 
 iー愛ロマンチカ
この区間は、2011.3.11に歩いた。
この日はまさに、巨大地震「東北地方太平洋沖地震」が発生した日。
時は、14時46分頃、藤岡市鮎川公会堂前脇で遭遇した。
大きく波打つ地面に耐えられずついすぐ近くの民家のブロック塀にしがみついた。
地震がしずまり、歩きを再開。
道中特に変ったことがなかったので地震のことすっかり忘れ、
予定通り18時頃JR八高線丹庄駅に到着。
駅員から、地震でJR全線全面ストップを聞かされて、初めて地震の酷さを知った次第。
その日は、帰宅難民として本庄市役所ホールにお世話になり、ご親切な対応に感謝しております
被災地の皆さん、お見舞いを申し上げますとともに、
一日も早く復興されますことを心からお祈りしております。
  
11:52山名八幡宮駐車場前丁字路を右折する。
直進は、上信電鉄山名駅。

   
すぐ上信電鉄踏切を渡り、道なりに左折して進む。
そこから約100mほど行ったところで、
鎌倉街道は
左斜め前方(日比野歯科医院方向)へ進み線路を横断していたと思われるが、
現在は畑や住宅地となって消滅している。
迂回するため、さらに200m程進み
左折する。
    
その先で、上信電鉄踏切を渡り、最初の丁字路を左折する。
   
約100m進んだ丁字路(写真中)辺りが、
左手斜め前方(写真左)からの消滅した鎌倉街道との合流点で、
ここで右折し
田園の道を進む。
   
約150m進み、前方左側に高崎市技能開発センターの建物。
鎌倉街道はこの敷地を斜めに直進していたが、消滅しているので
建物角から左折して迂回する
境界沿いに進み、最初の
丁字路を右折して進む。
   
ポリテクセンター群馬前を通り、突当りで県道200号線と合流して右折する。
ポリテクセンター群馬敷地を過ぎてすぐ
右手から来る道と合流する辺りが、
消滅した鎌倉街道との合流点。

   
200号線を道なりに進み、福言寺公民館前を通り、
その先の
丁字路で200号線と別れ左手を直進する。
丁字路を右折すると、上信電鉄西山名駅。
丁字路から約100mのところで、
左折する細い坂道を下る。
   
その先で、山名町から吉井町岩井地内の道に入り、右側カナイハイツ前を通り、
突当りで道幅の
広い車道と合流し、左折する。
   
ゆるい坂を道なりに下り、真光寺前を通り、マックス吉井工場垣根沿いに進む。
   
突当り(写真中)で鏑川にぶつかる。
鎌倉街道は、この辺りから渡し場で
対岸(写真左)に渡っていた。
現在は、渡る手段がないので迂回して対岸に出るため、道なりに右にカーブして
川沿いに進む。
   
約600m先の十字路を左折し、鏑川にかかる松ノ木瀬橋を渡り、
すぐ左折して三ツ木地内の
鏑川土手道を進む。
  
土手道を約300m進み、一面枯草の川原へ下りる立派な石積階段
この階段は、対岸に渡る渡し場への跡だったと、勝手に想像。
川を背にして石積に立ち、正面の
低い森へ続く一直線の道
こののどかな道を進む。
   
森の中のゆるい坂道を上り、森を出て開けた道を進み、
突当りで
県道174号線に出る。
鎌倉街道は、この先白石地内の吉良上野介陣屋跡までの約900mが消滅している。
ここでは、174号線に出て左折する。(右折すると、前方左側に三ノ木公会堂民館看板。)

    
ちょっと進み右折する坂道を上り、淡々と進んで白石地内に入り、
正面に
白い建物
   
174号線から、約900m地点の分かれ道(写真中)は右手を進む。
この分かれ道に、先ほど消滅した鎌倉街道が繋がる。
分かれ道角の白い建物
(タイヨー群馬工場)前に、吉良上野介陣屋跡井戸(写真左)
吉良上野介陣屋跡井戸:忠臣蔵で有名な吉良家の領地が白石にあり、ここに陣屋が置かれた。
領主吉良若狭守の正室は流産癖があるので湯治へ伊香保温泉へ行った帰り、
この屋敷に立寄り上野介義央を産んだ。
そしてこの井戸から産湯を汲んだと伝えられている。
井戸水は、毎月一回赤く染まるので「汚れ井戸」と呼ばれ、飲料水にはしなかったという。
当地では、領主吉良上野介を敵役とする忠臣蔵は禁物とされた。
なお私が思うに、吉良上野介は、決して悪人ではないことは自明であると。
ここから道はゆるい
下り坂となる。
    
その先で県道254号線と合流して左折し、すぐ右側の細い坂道を下る。
のどかな田園を進み、
分かれ道は直進する。
   
閑静な家並を通り、次の分かれ道は左手を進む。
分かれ道手前右側に、とても古くて
苔むす石碑が並び立つ。
左から順に、「刻字不詳」、「庚申燈」、「道祖神」。

    
畑の中の一本道を進み、その先で車道を横断してガソリンスタンド脇を進むことになるが、
すぐ上越新幹線土手で阻まれ、その先約600mほど消滅している。
ここでは迂回するため、車道を右折し
新幹線ガード下に進む。
   
ガードを潜りすぐ左折し、新幹線土手沿いに進み、約200m先建物手前の丁字路を右折する。
   
その先で緑埜地内に入り、畑の中の直線道路を進み、
丁字路から約400mのところの
丁字路を左折し、さらに一直線に進む。
   
途中の交差点を直進し、突当りで道なりにコーナーを右折し、家並の道を進む。
先に消滅した鎌倉街道は、この右折コーナー辺りにつながっていた

    
コーナーから約200mの分かれ道は、直進する。
ただ突当りで鮎川に遮断されるため、再度この地に戻り右折して進むことになる

丁字路角に、藤岡市指定重要文化財「
千部供養塔」。
千部供養塔:1783年(天明3)の浅間山大爆発のあった9年後に、
緑埜の斎藤八十右衛門雅朝が建立したもの。
碑には、爆発当時の模様とその被害状況
(各地の降灰量、凶作による物価高騰など)が刻んである。
    
緑埜クリーンセンター前(写真左)を通り、突当りの鮎川(写真右)川岸に出る。
参考にした40年前の資料では、浅瀬伝いに対岸まで渡れるとあるが、
現在は高い石垣から川原へ下りることすら難しい状況で、浅瀬渡りは不可。

ただし当時の鎌倉街道時代は、この程度の川であればやはり足で渡っていたと思う。
ここでは、迂回して対岸に行くことにし、先ほどの千部供養塔の分かれ道に戻る。

   
供養塔から左折し、直線道路を約400m進んだ丁字路も左折し、
その先で鮎川にかかる
緑埜橋を渡る。
   
橋を渡り鮎川地内に入り、すぐ左折して坂を下り、道なりに右折て畑道を進み、
その先を左折して
用水路沿いに進み鮎川の土手道に上がり、右折して進む。
    
300m程進み、水色水門施設手前丁字路(写真中)の左側に、
進入禁止ワイヤの張られた
白色鉄柱(写真中)が2本。
鉄柱から川の方へ続く草むらの道、そして対岸正面には
緑埜クリーンセンター(写真左)
この地点は、対岸に渡っていた当時の鎌倉街道であることは確か。
丁字路を右折して、
畑の中の道を進む
   
途中左側に、古くない大きな「凱旋馬頭尊
「凱旋」のつく馬頭尊には初めてであったが、
その名称から言って戦時記念的な建立ではないだろうか。
この碑の場合は、碑の石質・形状から推定すると日露戦争ではないかと思う。

分かれ道
を直進し、鮎川公会堂前の三叉路まで約100m。
   
左側の建物は鮎川公会堂火の見櫓鉄塔。右側に民家のブロック塀
人影が全くないその
三叉路で、鉄塔などの写真撮影に熱中。
14時46分頃。
いつまでも続く地面の大きな波打ち、
立っていられなくなってブロック塀先端に寄ってつかまる。
超巨大地震
長い時間の地震がおさまる。
公会堂から、集会中の大勢の年配の女性が飛び出してきて、
「恐かった」「恐かった」といいながら三々五々散る。

そして再び全く人影がなくなった三叉路の鉄塔の脇から、左折する。
実はこの後、道中車もたまに出会う人たちも平常通りだったので、
東北で大変な災害被害にあっていることは、JR丹庄駅に着くまで全く知らなかった。

  
公会堂の三叉路は左手を進んで人も車も全く通らない住宅街を通り、
突当りの
変則5差路は右から2本目の道を進む。
突当り正面に、
左側)道標と(右側)道祖神が並ぶ。
道標には、左側面に「左藤岡」、正面「正面西平井日」、右側面「右本郷」と刻まれている。

    
まっすぐな道をしばらく進み茂木歯科医院脇を通り、突当りの丁字路を左折し、
国道13号線信号交差点を横断し続いて鮎川信号交差点を直進する。
     
鮎川と東平井の境界の道を進み、
その先で
車道を横断して坂を上り藤岡地内に入り、庚申山裾のゆるい坂道を上る。
    
坂の途中の左側に、簡素で小さな白山神社(写真左)への参道坂道(写真中)
延々と坂を上り、
藤岡市外ノ平集会所前を過ぎると道なりに左カーブ。
    
その先で坂の頂上(写真中)となり、左側に大きな庚申燈碑(写真左)
丁度このときデジカメの電池がなくなり、予備のデジカメをリックサックから取り出した。
ついでに携帯も取り出し、横浜の妻に電話をかけたりeメールしたが全く不通。

この時も、まだ世の中が大地震災害で大変なことになっていることに全く気がついていなかった
ここから、
坂道を下る。
   
時折通過する車があるくらいで、人恋しい坂道
左側の「
手づくり村看板は、背後の荒廃地を見れば、今は昔?
右下方に、
藤岡モータースクール
    
モータースクールを過ぎ、すぐ右側の竹林に入る道を進む。
本郷地内の
暗い竹林を通り、その先に分かれ道
直進と右折の選択があり、本来の鎌倉街道に拘らないのであれば、
右折する「コースB」をお勧めしたい
     
コースA(直進:多分本来の鎌倉街道に近い)
直進して道なりに右にカーブして下り、道らしい道のない藪の中をしばらく通り、
民家の畑を申し訳なく無断で通過し、作業場を貫通する。
   
出口では車との隙間をようやく通り抜け、舗装道に出る。
この時期、藪は枯木枯葉で、手でかきわけ足元もそれなりに確保できたが、
春以降草木も生茂るころになると、道は全く定かでなくなり足元も怪しくなること、必然。
それより何より、他人の敷地を平然と通らなければならない非礼は、
小心な私には我慢ならないところ。
以上の理由で、このケースは本来の鎌倉街道には魅力があるが、
特に女性にはとてもお勧めできない。

    
コースB(右折:安全・安心コース)
右折し、すぐ竹林に入り、枯葉の道を進み、突当りで砂利道と合流して左折する。
   
を道なりに下り、突当りを左折してさらに坂を下り、
電柱の足元に大きな岩がある
丁字路で右折する。
    
坂を下り続け小宮マンションの右側(写真左)に出て、すぐ左折(写真左)して(写真中)を上る。
50mほど先で、
左手から合流する細い道が、コースAの道。
コースBは、道もキチンとしているとともに、
コースAとは、左廻りか右廻りかの違いで、
本来の鎌倉街道とは地理的に大きく外れるわけではない

従って、このコースBをお勧めしたい。
           
そのまま上がり続け、その先の分かれ道は右手を進み、
平坦で
まっすぐな道を進む。
    
ケースAとの合流点から約150m進み、国道13号線を横断し、
右角に「美九里東小学校入口」立看板の立つ道を
左に大きくカーブして進む。
丁字路を直進し右側の
秋山工業前を通る。
    
13号線から約500mのところで、美九里東小学校前丁字路となる。
鎌倉街道は、小学校敷地を突っ切っていたが、現在は行けない。
ここでは、迂回するため右折して小学校沿いに進み、
敷地角を左折して進み、
敷地の外れの
十字路を直進する。
先ほど消滅した鎌倉街道は、この十字路辺りにつながっていた。

    
道なりに進み、ゆるい坂を下り小川にかかる橋を渡り、その先で車道を横断する。
    
畑沿い(写真右)に進み、畑の真ん中に藤岡市指定重要文化財葵八幡の板碑のある社
葵八幡と板碑:葵八幡は、木曽義仲の愛妾葵御前を祀ったと言われている。
社の両側に、1300年代初頭の対の板碑がある。
左側は、浮き彫りにされた阿弥陀一尊立画像の板碑、右側は、阿弥陀三尊種子像
の板碑
    
さらに進み、突当り丁字路を右折し、その先丁字路を左折して神流川に向かって進む
    
その先角に、道祖神碑
突当りで、
白い階段を上り堤防に上がる。
堤防上は、一直線のきれいな
舗装道路
   
堤防を越えるときれいに整備された広い公園神流川へ近づく道
この辺りから
、神流川対岸の埼玉県児玉郡神川町大字肥土へ舟で渡っていたのであろう。
ただメインは、正面の上肥土へ渡るコースではなく、
少し下流に下った
(向かって左手方向)の中肥土へ渡るコースだったとのこと。
   
対岸の中肥土に渡るため、公園の川沿い道を下流方向へ進み、
公園が切れたところで先ほどの堤防の道路に上がり
右手のJR鉄橋方向へ進む。
   
公園を歩いて約1kmのところに、JR八高線踏切
右手を見ると、神流川にかかる
JR線鉄橋とその右側に保守点検用(?)狭い鉄板歩廊
ここで思案。
神流川を渡るには、
さらに2km先にある国道254号線にかかる藤武橋を渡る以外に方法はない
そうすると、対岸の中肥土渡し場に行くにはここから合計5kmも歩かなければならない。
もうそんな時間はない。
歩廊を見ると、入口には砂利が山積みされているが進入禁止の立札はない。
とても長い鉄橋(約400m)で、渡っている最中に電車が来たらどうしよう。
意を決してついに歩廊を渡ったが、ラッキーにも運よく電車は一本も来なかった。
(ただ後でわかったこと。このとき既に地震でJR全面運転停止だったとは!)
やはりここは、「渡るべきところではなかった」、
と今思う
時間に余裕を持たせ、危険を避け藤武橋を渡ることをお勧めしたい。
    
鉄橋の歩廊を渡り終え、
右折して埼玉県児玉郡肥土の中肥土地内に入り、神流川の堤防を上流へ進む。
左手前方に、
神川町B&G海洋センター建物
建物前の堤防上で、左斜めに下る坂道とその先に右斜めに下る坂道
左側の坂道は、これから歩く鎌倉街道へ進む道。
右側の坂道は、神流川の渡し場のあった川原へ続く道。

     
右斜めに坂道を下り、
をしばらく進んでも、一面の深い枯野原で川原は渡し場跡どころか対岸も全く見れず。
    
元の堤防上に戻り、左斜めの坂道を下る。
    
17:08。陽も傾き今日はここまで。
この区間は、かかかり過ぎで約5時間で歩いた。
   
ここから、約1.8kmのJR八高線丹庄駅まで、道に迷いまよい18時ころ到着。
なんと駅員から、JR全線全面ストップで再開の予定立たずと知らせる。
ここで初めて地震被害の概要を知り、
この世の地獄のようなありさまにただただ驚愕するばかり。
駅周辺には食堂も旅館もないとのことで、駅前タクシーでJR本庄駅へ。
時すでに遅し、周辺の宿泊施設は全て満員。
私は他の大勢人たちと一緒に、帰宅難民として本庄市役所ホールで一夜を過ごす。
その際、市役所係員から親切に対応していただいた上、
夕食としておにぎり2個に飲料水ボトル、朝はオニギリ1個に飲料水ボトルを無料で頂き、
さらに新品の毛布まで貸与してもらいました。
感謝感激、本当に助かりました。ありがとうございました。改めてお礼を申し上げます。
    
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