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2016.3.21 薬王寺を出発 14:25。 |
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山門を出て右折し、海部郡美波町地内の国道55号線土佐浜街道を進み、道の駅日和佐(この裏手にJR日和佐駅)前を通り、
その先でJR牟岐線跨線橋を上る。 |
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跨線橋を下り左手からの日和佐駅前を通ってくる道と合流して55号線を進み、
只今の時間閉店中のコーヒーショップ前を通り、その先に長さ100mの短い奥潟トンネル。
今日は、ここまで。時は、14:56。
薬王寺から、2.0km 所要時間 約30分。 |
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今日の宿泊 |
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国民宿舎うみがめ荘 (一泊2食付 6900円/人) (薬王寺、日和佐駅からバスの送迎あり。要予約。) |
ここは、何と言っても料理で、料理だけなら2万円クラスの温泉旅館に負けないのでは。 |
男女別々の、共同トイレと共同浴場。 |
食堂で出会った人たちで、個人客14名中多分10名が遍路客、団体10数名は不明。 |
ホテルそのものは古く、室も狭く室内にあるテレビは14インチブラウン管で日本にまだ存在していたのかという古典的なもの |
万事がそのようにできていて、昔の国民宿舎を彷彿させるが、6900円の宿泊料金を考えれば「御」の字のつくもの。 |
逆に考えれば、14インチブラウン管テレビなどは、マニアにとっては垂涎ものかも知れない。 |
ここの料理は、1つひとつ手間をかけて作った料理で、天ぷらは着席のタイミング見て揚げたてのものを持ってくる。 |
それに、「鱧」の料理もあり正直目を疑い係員に確認したほど。
恥ずかしながら京都以外で鱧を食したことがありませんでしたので。 |
何しろ、質のよい食べきれないほどの料理が10種類以上、6900円の宿泊料金のものではない。 |
宿泊した3階の部屋からは、海岸の景色もよく眼下には日和佐うみがめ博物館の屋外水槽でうみがめが泳いでいるのが見える |
博物館は600円の入館料をとられるが、屋外水槽近くからうみがめを無料で見ることができる。 |
うみがめも、サービス精神旺盛で近づいてきて泳いでくれるので、タダ見でも問題ない。 |
ただし、66才という古老のうみがめがいる水槽は別で遠くにあるので、見ることができない。 |
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2日目 2016.3.22(火) |
23番薬王寺(75.4km) →24番最御崎寺2 |
この日は、朝から天気がよく、かつ珍しく風なし。
八十八カ所で温泉にありつけるなんてそう機会はないので、温泉民宿はるる亭に宿泊することにして33kmを歩く。
、この日は、8名の歩き遍路に出会ったが、うち逆うちの遍路が3人。こんな多い逆うちは八十八カ所で初めて。 |
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前日の終点奥潟トンネル出発、7:44。
短いトンネルを潜り、国道55号線を進み右側に自動販売機と「お気軽にどうぞ 休憩所」。極ゆるい坂道を上り続ける。 |
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長さ690m日和佐トンネル手前に、休憩所。
トンネル入口右側に、「お遍路の皆さまへ 海部地区安全運転協議会・牟岐警察署」案内板。
「反射材つきのタスキ・リストバンドバンドなどがボックスに収納されているので、安全のため着用して下さい。」とのこと。
でも、ボックスの中には何もありませんでした。
ただ、トンネルの中は、ガードレール付歩道が確保されそして照明があったので心配しませんでした。 |
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トンネルを出て55号線を進み左手下に、なんと高床式休憩所。わざわざ作っていただいたのですね。感謝です。
その先右側に、なにやら店舗。 |
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「阿波尾鶏専門レストラン odori」看板そしてトイレ案内標識。見ると屋外トイレ。
ということは、来客だけでなく道行く人たちにも開放している。今朝出発してから利用できるトイレなしなので、本当に助かる
55号線を進んでJR山河内駅へ通じる歩道橋下を潜り、長さ124mの山河内トンネルに入る。
トンネル内は、白線で区切られた狭い歩道で、対向の大型車にすれ違うときは風圧でちょっとビビってしまう。 |
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トンネルを出て15分くらいの右側に、南無大師遍照金剛と刻まれた直径4mもありそうな巨大水車。
敷地入口に、「元気なおばあちゃんたちのおしゃべり広場」立看板と脇に長丸太ベンチ。
この絵のおばちゃん、なかなかの美人!
敷地奥にも、「げんきなおばあちゃん達のおしゃべり広場」掲示と横に遍路姿の母と娘のくつろぐ姿。(失礼、人形でした)。
でもね、おじいちゃんの文字はどこにもありません。やはり、おばあちゃんって人気があるんですね。 |
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道路端には、水道水が惜しげもなく降り注いで誰でもすぐ飲める水呑場。心のこもったご配慮、ありがとうございます。
、55号線を進んで山河内谷川にかかる橋を渡り、左手にJR牟岐線高架。 |
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ゆるい坂を上り、「最御崎寺まで68km」道標。
坂を上り切って辺りに、「また来てね 美波町」、続いてこんにちは「(海部郡)牟岐町」。 |
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国道55号線土佐浜街道は下り坂となり、右に左に蛇行し薬王寺看板前を通り下り続ける。
右側に歩道が現れたら右側に渡って下り「さくらr企画」立看板前を通る。 |
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そのすぐ先で、右に分かれる坂道を下り、下り切ったところを右折、すぐ左折して畑の中の道を進んでゆるい坂道を上る。 |
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水田の脇を通り、民家の前の細い坂道を上って道なりに進み、石垣のある集落を通る。 |
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分かれ道は右手の細い坂を上り、小松コミュニティーセンター前広場に出る。
広場右奥に、小松大師。
小松大師:約370年前、大阪なんばに住む石工が、
客から注文を受けた「弘法大師坐像石仏」を刻んで、引渡しを待っていたところ、
弘法大師が夢枕にたち「石仏を阿州小松の里に送るように」との霊告したので、この地に送り届けたという石仏。 |
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広場を直進して坂を下って右折し、55号線を進み、町が鯉を放流しているという牟岐川沿いに進む。 |
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道なりに進み、牟岐川にかかる牟岐橋を渡り左にカーブし、牟岐川沿いに進み、牟岐町のメインストリートに入る。 |
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牟岐町駅前を通り、次の右にカーブする分かれ道はゲートのある左手の道に入る。
現地の道標や案内板は全て、接待所の右にカーブする55号線を勧めている。
実は、これから先の案内板でも、旧道でなく接待所のある55号線を勧めているところがある。
新道の方には休憩所が整備されていることも事実で、将来は旧道は段々に廃れるかも。
「夢と緑と黒潮のまち牟岐」ゲートを潜り、如何にも当時の面影を残す建物がある町中を通る。 |
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ただ道標が殆どなく不安を抱きながら進むと、
「POLAエステ・イン牟岐営業所」看板の店から30代のすらりとした美人が出て来られて、
「これ貰っていただけませんか?」。お接待でした。私たち夫婦それぞれ200円ずついただきました。感謝いたします。
POLA店の隣のPanasonic店角から右折し、家並の間の道を進み、瀬戸川にかかる橋を渡り交差点を直進する。 |
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右手にローソンを見ながら山裾の坂道を上り続け、右側電柱に「旧へんろ道 八坂八浜の大坂峠 草鞋大師へ」道標。
そして、大阪峠入口標識と階段。
時は、11:12。
階段を上ると、「わらじ大師まで、約1km(30分)」案内板の手前に
「八坂八浜とへんろ道(旧土佐街道)」案内板。(牟岐町観光ボランティアガイドの会)
八坂八浜とへんろ道(旧土佐街道):牟岐町から浅川(海陽町)に至る「八坂八浜(やさかやはま)は、
12kmの間に、八つの坂と八つの浜があり、駄馬も通れない「親不知子不知(おやしらずこしらず)」と言われ、
波の荒い時は、道を洗い交通不便な難所であった。「草鞋大師」から内妻の浜に下る小道が昔の土佐街道である。
注:案内板の、「草鞋大使」は、草鞋大師の間違い。 |
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やまみちを上った途端、「マムシ注意とマムシ絵」のいかにも毒々しい札。ただ、峠を越えるまで、注意札はこの1枚だけ。
このとき、全く人影のないシーンとした山道。長い尾根の両側は、絶壁で谷底まで一直線。お~恐~。 |
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極端に狭く足元の悪い崖道もあり、雨や雨後で道の状態が悪いと、万が一谷底への危険。
アップダウンを繰り返し、「遍路道 これより下る」道標のある大坂峠の頂上。(この頂上の下はJR内妻トンネル。)
ここに「大阪峠」案内板。(牟岐町観光ボランティアガイドの会)
大坂峠(要約):大坂峠は、八坂八浜の最初の峠で、街道がそのまま残っている。
峠の高さは97mで、そこには内妻お一里松があり草鞋地蔵尊が祀られていたが、一理松は枯れ地蔵尊は移設されてしまった。
峠から旧国道への下り坂は急で、さらに土地造成で急になっている。
今上ってきた山道が、旧であっても国道であったとは、正直びっくり。
下り道は、案内板が言うように凄い急傾斜ではからずも滑り落ちる。 |
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突然目の前が開け、前方に見える浜は八坂八浜の1つ内妻の浜。国立公園だけあって、美観。
下り続け、足元の悪い急坂。ここが、案内板が言う土地造成による急坂。 |
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一旦平のところに出て、(多分別荘の)プールの脇の階段を下りて車道に出て左折し、すぐ先で右折し細い山道に入る。
旧国道は、終わり。
時は、11:40。峠を上ってからの所要時間、約30分。(案内板の通り)
山道入口右角に、峠の頂上から移設された草鞋大師。脇に、「草鞋供養」案内板。(牟岐町観光ボランティアガイドの会)
草鞋大師(要約):石仏台柱に、「草鞋供養」と側面に「宝暦十三末年五月吉日」(1763年)と刻まれている。
旅の道中、はきふるした「わらじ」の供養と八坂八浜を無事通行できるようにと旅の安全を祈願して新しいぞうりをお供えした
この地蔵さんは、眼がつぶれている。また、異宗教の争いで何回も首を落とされたので、セメントで接着されている。
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この山道は、旧土佐街道で、何か名残があるように感じさせる。
山道を下り切って狭い舗装道に出て左折し、道なりに進む。 |
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舗装道が終わりその先の細い草むら道に入り、道なりに進んで坂道を上って広場に出る。
広場を直進して坂道を下り、車道に出て右折し八坂八浜の内妻浜海岸防波堤沿いに進む。 |
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「200m先 公衆便所」看板。ただ、肝心の便所は見つけることができなかった。
しばらく進み、階段を上って国道55号線に出て左折し、左手に民宿内妻荘を見ながら内妻大橋を渡る。 |
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内妻トンネル前で55号線と別れて左折して細い道に入り、左にカーブする。
すぐの右側に、「旧へんろ道 松坂峠入口」案内板。ここから折り返して山裾の細い道を上る。
時は、11:58。 |
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杉林の山道を上り続け、「松坂峠 これより古江浜へ」道標があるところが峠の頂上。
時は:12:05。上り口から、約7分。
ここにも、「松坂峠」案内板。(牟岐町観光ボランティアガイドの会)
松阪峠(要約):頂上の高さ、60m。
頂上には台座に「西中」と刻まれた「地蔵尊」(かずら大師)が祀られていたが、
大正11年旧国道の完成で松阪トンネル東口に移された。
下り道は、切通しのところも多く急坂もある。 |
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砂浜が見えてくると急傾斜になり、古江浜に出る。
時は、12:16.峠の上り口から約18分。
ただ、砂浜には道標が見当たらず、進むべき方向がわからず右往左往。ようやく前方右手の木の枝に、「道標」を発見。 |
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その方向へ進むが、続く道標が見つからず岩壁をまたまた右往左往。
遠く離れた岩壁の、地上から4mくらいところに、道標!
ただ、この道標は写真のように、矢印が上を向いている。すなわち、岩壁を登れ!ということ。
素直に昔の人は大変な苦労をしたのだなと、とりあえずリックサックをおろして岩壁登りに挑戦。
悲しいかな、ロッククライミングなど経験ゼロ。
岩をつかむ握力なし、足短くかける岩に足が届かず。擦り傷ばかりで、諦め。
山道に戻るのも、口惜しい。 |
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どこかで、55号線に上る道があるはずと、岸壁沿いに前方に進む。
右側のコンクリート構築物前を通り、小さな水の流れを越え、ありました!枯草の中に道標が。
この道標、岩壁の道標から結構遠く離れたところにある。 |
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道標に従い、右折して道らしいところを進み、その先で坂道を上り55号線に出て左折する。
出たところは、古江トンネルの出口の先。
55号線を進み、海陽町に入る。 |
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福良トンネルの手前で左折し、室戸阿南国立公園八坂八浜の美しい景色を見ながら右にカーブして道なりに進む。、 |
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福良トンネルの出口側に出て55号線と合流、左折して進む。
すぐ先の「鯖大師本坊」立看板のたつところから右折して、約100mほどのところに鯖大師本坊。
鯖大師:約1200年ほどの昔、弘法大師がこの地で修業されていたときのある朝、
通りかかった馬子に積荷の塩鯖を乞うたが、口汚くののしられて断られた。
馬子が馬引坂まで来たとき、馬が急に苦しみだしたので、先ほどの坊様が弘法大師と気づき馬子は鯖をもってお詫びをし、
馬の病気を治してくれるよう頼んだ。
弘法大師が、お加持水を与えると馬はたちまち元気になった。
また、弘法大師は、八坂八浜の法生島でその塩鯖にお加持をして生きかえらせ、放流した。
そのことがあって、馬子は仏心を起してこの地に庵を建て、古今来世まで人々を救う霊場とした。
鯖を3年間絶ってご祈念すると、願い事がかない、病気が治り、幸福になれると、
いつのころからか人々に、鯖大師、鯖大師と呼ばれるようになった。
55号線のゆるい坂道を上る。 |
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鯖瀬トンネル手前で55号線と別れ左折して細い道に入り、大きく右にカーブし、八坂八浜の岩礁の美観を見ながら進む。 |
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民宿大砂荘の先でで左にカーブし、55号線と合流して進む。
民宿大砂(大砂荘と関係ある?)の先の右側壁に、海で遊ぶ元気な少年たち。日本っていいな~。 |
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下り坂となり、桑村鮮魚店の先の分かれ道は、右手の55号線を進む。
実は、先行して歩いていた妻が、分かれ道にある道標を見て、右手の55号線を進んでしまったため、
旧道を進みたかったが私も仕方なく55号線を進んだ。
道標では確かに、4km先に「へんろ小屋第1号接待所」があるから、右手の55号線を進め、とある。
旧道は、左手の道であるが、道標では左手の道は「農道は遠回りです」とわざわざ「農道」と称している。
この道標を見た人ば、誰もが右手の55号線を進んでしまうかも知れない。
なお、海部地域にあるみなみ旅館、生本旅館などに宿泊する人は、左手の旧道を進むとことをお勧め。 |
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55号線のゆるい坂道を上り、長さ94mの太田トンネルを潜り、その先でJR牟岐線の高架を潜る。
高架手前右側に、きれいな公衆便所。 |
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赤い「軽食」看板先の右側、水にこだわったコーヒー「caféふくなか」店駐車場敷地に休憩所。
このコーヒー店のきれいなママは、休憩所で休憩する遍路のお接待を数十年続けているとのこと。
私たちも、とてもおししい冷たい水とお菓子、でお接待していただきました。ありがとうございました。
休憩所の自生の桜の木。「一緒に泣いて、一緒に笑って、一緒に歩こう」。 |
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55号線の坂道を上り、上り切った左側に、芯柱と石畳の床、丸太のベンチ3セットのとてもこった造作の休憩所。
「この場所で 貴方が心をいやすことが出来れば幸いです (有)壮成建設一同」掲示。
造作を興味深く拝見し、十分身体を休ませることができました。ありがとうございました。
左にカーブしながら坂道を下り、再びJR牟岐線の高架下を潜り、ローソンの先の信号の分かれ道は右手を進む。
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55号線を進み、左側に「お遍路さん休憩小屋第一号」。
休憩小屋(掲示要約):この遍路休憩小屋は、平成13年に地元野村カオリさんの所有地に建設されたもの。
野村さんは、亡くなったご主人の供養のため40才から八十八カ所を巡拝した体験から、
徒歩ではトイレと腰をおろすところが必要と20年前から思っていた。
そのことを、ヘンロ小屋プロジェクト(ボランティア)推進中の近畿大学歌一洋教授に話をして実現した、
くつろぎのひとときを過ごしてもらえるように、いろいろ工夫された遍路休憩所。
素朴な木の温かさのなかに、入口に水飲み場、室内はテーブルと長椅子が整然と並び、奥には洗面台と冷蔵庫。
屋外に水洗トイレ。
テーブル上には、「日光甚五郎煎餅「と「近藤幸三様(94才)からのお接待の冷蔵ボックスに入った「オロナミン」。
オロナミンを1本いただきました。感謝。 |
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55号線の反対側に、トイレのあるJR牟岐線阿波海南駅前交流館。
その先のローソン角の信号交差点を直進する。
この交差点で、55号線は、「土佐浜街道」から「土佐東街道」と呼び方が変わる。
海部川にかかる、海部大橋を渡る。 |
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橋の右手に、鉄橋を渡るJR牟岐線の列車。
55号線「土佐東街道」を進み、JR牟岐線海部駅前の信号を通る。
ちなみに鉄道は、この海部駅でJR牟岐線は終わり、ここから甲浦駅までは阿佐海岸鉄道阿佐東線となる。
駅前信号のすぐ先で、左手から来て55号線と合流する道は、旧道の遍路道。 |
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ゆるい坂道の55号線を上り、上り切った左側に異様な姿の「へんろ小屋・NASA・第三十九号」。
このへんろ小屋も、「ヘンロ小屋プロジェクト(ボランティア)」推進中の近畿大学教授歌一洋教授の手によるもの。
この地域に1メートルを超える天然記念物の大うなぎが生息していることから、屋根はうなぎのイメージでデザインし、
小屋の中にあるベンチもうなぎの形に曲がっている。
「NASA」は、地名の「那佐」の地名のローマ字版。
55号線の反対側に、さんの峠地蔵堂。 |
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坂道を下って右に大きくカーブし、那佐湾沿い進み、続いて湾を離れて道なりに進む。 |
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那佐バス停を過ぎた先右側に、休憩所。
室内は無人で、「おへんろさんどうぞお休み下さい」、
案内図付で「トイレは前の工場右側黄色の建物奥側です ていぼうと建物の間です」案内板。
仕切られた一角に、きれいに準備されているテーブルと長椅子そして金剛杖立。ゆっくり休憩できます。 |
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冷蔵庫の中には、牛乳をはじめいろいろなドリンク。全て1本120円で、お釣りも含め全てセルフサービス。
ここまでの間、商店も自動販売機もなかったのでドリンクに飢えていて、牛乳1本購入しました。
道の反対側に、トイレのあるという「ボデーショップかいつ」の看板のかかった黄色い建物。
もう、16時過ぎ、夕日が燦々と太平洋にふりそそぐ(ちょっと大げさですか)55号線土佐東街道を左にカーブする。 |
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そして右にカーブするところで、阿佐海岸鉄道阿佐東線高架下を潜り、左にカーブしてゆるい坂道を上り、
左手に阿佐東線列車阿を見ながら「走出」バス停前を通り右にカーブして坂の頂上に上り、
左に大きくカーブして坂道を下る。 |
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坂の途中左側に、民宿はるる亭。
時は、16:50。奥潟トンネルから、33km、所要時間約9時間。 薬王寺から、約9時間30分。 |
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今日の宿泊 |
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民宿はるる亭 (1泊2食付 7000円/人) |
この民宿は、なんと言っても「本物の温泉」に入れること。 |
当時の竹下首相の「ふるさと創世1億円事業」で、宍喰町が掘り当てた温泉を、はるる亭が購入しているもの。 |
部屋数10室。男女別々の共同温泉、トイレ。 |
この日は、満室で多分全員遍路客。夫婦4~5組、1人女性遍路、1人男性遍路数名。 |
2階部屋は、7.5畳和室+チェアー付ベランダ。 前日のうみがめ荘の部屋が特に狭かったせいか、伸び伸びの開放感。 |
料理は、遍路宿としては、上クラス。 |
温泉の泉質は、ナトリウム炭酸塩。入浴は、朝6時~夜10時まで。朝風呂を浴びて、出立可。 |
浴槽は、3名同時に入浴できるが、宿泊客が少ないので実質貸切であった。 |
是非お勧めしたい宿の1つ。(実は、私も以前宿泊した若い母娘がら、強く勧められた宿でした。) |