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すぐ「高松市観光ボランティアガイド協会無料案内所」前を、続いて「瑠璃宝の池(血の池)」の脇を通り、
屋島東町のゆるい坂道を下る。
瑠璃宝の池(血の池):屋島寺創建のとき、宝珠を本堂の前に埋め、その周りに池を掘ったのでその名がある。
また、源平合戦で壇ノ浦で戦った武士たちが血刀を洗ったところ、池の水が赤くなったので血の池と呼ばれるようになった。
ところどころに、「イノシシに注意」立札。
ここら辺りは、イノシシの出没が多いようであるが、こんな可愛いイノシシではとても危険を感じないけど・・・・。 |
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右側の廃業した大きなホテルの脇を通り、突当りを右折しホテルの前を通る。
地元の人の話では、以前は繁盛していたホテルであったが、マイカー普及で日帰り客が多くなり客の激減で、廃業とのこと。
栄枯盛衰、時の定め。兵どもが夢の跡。
左手眼下に、敗れし平家の壇ノ浦。 |
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坂を下り、地蔵尊像のところから左折して山道へ入る。
余りにも激しい急坂に、思わず木の枝を掴んでしまう。
木の貼紙には「略 これから下る遍路道は傾斜が急です。急な階段や木の根っこが出ている所 土が滑り易い所もあります。
特に、雨の後などは大変滑りやすいのでご注意ください。
また、イノシシが路肩を堀起こし、落石や傷んだ所もあります。足元には十分にご注意ください。 略 」とある。
特に、雨の後は大変危険だと、感じた。
八十八ヶ所では、以布利遍路道などと並ぶ有数な急坂だと思う。
本来は、のんびり写真など撮っているようなところではない。 |
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右側、左側には、注意書きとともに立入禁止ロープが延々と張られ、階段、あれ?木が斜めになっている。 |
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ようやくなだらかな山道、下り切ったところで車道を横断してガードレールの切れ間から、再び山道に入る。
山道に入りこの道路までの所要時間、約15分。 |
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しばらく下ったところに、
「いのしし侵入防止柵を設置しています。扉の開閉に、ご協力お願いいたします。」掲示の門扉。
地元の方々は、いのしし対策には苦労されておられるんですね。ちゃんと閉めて通りました。
坂を下る。 |
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正面が開けた急な坂道、左側に小さな大楽寺。さらにくだり、続け車道を横断そて反対側に道に入る、 |
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坂道を下り、左側の石碑が立並ぶ奥に義経を狙って放った矢を身代わりとなって受けて戦死した「佐藤継信の墓」。
周囲の墓石と比して見劣りするのは、個人的には残念。
その先で、車道に出て右折する。 |
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ゆるい坂道を上り、突当りを左折する。
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すぐ先左側の消防団屋島分団建物に隣接して、行宮跡に建立された安徳天皇を祀る安徳天皇社。
その先で右折し、まっすぐな道を進む。 |
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分かれ道は左手を進み、車道に出て右折する。 |
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車道をしばらく進み右側金網柵の中に、
義経の身代わりで弓で倒れた佐藤継信の首を切り落とそうとして、継信の弟の忠信によって倒された菊王丸墓。
屋島東小学校前を通り、「だるま家」から左折する。 |
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すぐ先で相引川にかかる高橋を渡り、牟礼町に入る。左斜め前方に、初めてお目にかかる八栗寺のある五剣山。 |
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用水路沿いの道を進み、信号交差点を直進し、その先の洲崎寺看板の交差点を右折する。 |
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洲崎寺塀沿いに進み、塀の外れを左折すると、左側に洲崎寺の門。 |
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番外霊場 洲崎寺 (高松市牟礼町) |
大同年間(806~10)に、弘法大師により創建。 |
源平合戦で、義経の身代わりとなって討死した佐藤継信の菩提寺。 |
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本堂 |
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「屋島壇ノ浦の戦い」庭園。屋島は当時離れ島 |
源平合戦の石板 |
「四国遍路の父」真念の墓 |
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門前を通り突当りで車道を横断して、細い道を進み突当り建物から左折し、建物角から右折する。 |
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まっすぐ進み、突当りで左折し、道なりに進む。 |
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突当りの牟礼北小学校校庭手前から左折し、逆コの字で迂回し、この延長線上に戻る。
要するに、当時はこの小学校の校庭を直進していたのだと思う。
道標に従い左折し、小学校沿いに進んで右折し、最初の信号交差点を右折する。 |
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小学校校沿いに進み、校舎の外れで丁字路を左折し、ゆるい坂道を上り、交差点は直進する。 |
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正面に五剣山がくっきり。
突当りの「←やくり道」道標の立つ石垣丁字路から左折し、石垣の外れの小さな祠から右折する。 |
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ゆるい坂道を進み、「うどん本陣山田家」前を通る。
有名なうどん店のようで、先日の横浜の朝日新聞にも紹介されていた。東京ソラマチ店もある。
その先山田家角から左折し、石積み擁壁角から右折する。 |
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道なりに進み、突当り車道を右折して進み、分かれ道は左手の細い道に入る。 |
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その先で県道146号線に出て左折し、ゆるい坂道を上り続け、
交差点を直進し右側に「おかげさまで開業50周年」横断幕のケーブルカーのりば「八栗登山口駅」。
のりばには、「お遍路さんステーションお休み処」掲示とベンチ。 |
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狭くなった146号線を登り続け、左側に真っ赤な垂れ幕の「手作りのよもぎ餅家」。
道は段々山の中へ、突然県道を跨ぐ鳥居!後で地図で確認しても、間違いなく、県道146号線。
これって、全国でも例がないのでは?
こういう形なら、理解できるんですけれどね。 |
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さらに、県道と数十段の階段。これも中々理解しがたいところ。
昔階段だったところを拡幅して道路を作った、というのが常識的解釈か。
理解し難い146号線、上り切って突当りを左折すると広場の奥に階段。
この階段も、県道146号線。階段国道は聞いたことあるが、「階段県道」たるものを初めて見た。 |
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階段を上り、踊場の左手に参詣者を迎える「お迎え大師」。
右手を進み正面に五剣山。
五剣山は、文字通り剣のように尖った5つの峰であったが、
1707年(宝永4)の大地震で最東の峰が崩れ、現在は4峰となっている。
五剣山をバックに、また県道を跨ぐ鳥居。
そして、続いて仁王門が県道の上に建っている!? それだけでなく、県道が、八栗寺境内を堂々と貫通している。
歴史的には、147号線が参道になったというよりは、参道が147号線になったというべきなんでしょうね。 |
八栗寺到着、11:50。 |
屋島寺から、5.4km、 所要時間 約2時間。 |
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第85番札所五剣山八栗寺 (やくりじ) (香川県高松市牟礼町) |
開基:弘法大師 本尊:聖観世音菩薩 |
五剣山の山懐に建ち、商売繁盛の「八栗の聖天さん」として有名。 |
創建は、829年(天長6)。当初は、山頂から8ヵ国を見渡せることから、八国寺と称していた。 |
その後、弘法大師が修業中、天から降った5つの剣を山に埋めて鎮護としたのが山号の由来となった。 |
弘法大師が、入唐前に植えた8個の焼栗が、帰国後再訪した折、青々と茂っていたことから寺号を八栗寺改めた。 |
堂宇は、天正年間(1573~92)の長宗我部の兵火で全焼したが、1594年(文禄3)に無遍上人が本堂を再建した。 |
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県道16号線上に建つ仁王門 |
本堂 |
歓喜天を祀る聖天堂 |
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85番八栗寺(6.5km) →86番志度寺 |
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県道146号線を進み、境内外れの屋根のある店の中を通る。 |
商店出発、12:17。 |
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すぐ先に「ケーブル駅」案内板。車止めを通り、道なりに146号線の快適な下り坂。 |
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景色も素晴らしく、あっという間の下界に下りて、途中の分かれ道には目もくれずただただ146号線を下り続ける。
人に出会うなどということは、夢のまた夢とおもっていたら、信号で男1人と女3人のグル―プに出会う。 |
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平坦な道を進み琴電志度線踏切を渡って八栗新道信号から左折し、志度線沿いの国道11号線志度街道を進む。
踏切右手は八栗新道駅、信号を横断するとJR高徳線。
次の駅の塩屋駅を出発したばかりの電車と、こんにちは。 |
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塩屋駅前で右にカーブし、さぬき市へ向かう志度街道。左側に道の駅「源平の里のむれ」。ここは、牟礼町でした。 |
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房前信号変則交差点で左折して右側の道を進すみ、その先を右折して、住宅地に入る。 |
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住宅地を進み、突当りを左折して琴電志度線踏切を渡り、右にカーブし線路と平行して進む。 |
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右手上方に、(多分)志度街道に設置された「さぬき市」境界標識。
ここからさぬき市志度に入り、「源内通り」を進み、
左側に「表装の詠智会」看板。奥に「お遍路さん、ご自由にお使い下さい」のトイレとベンチ。ありがとうございます。 |
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その先の分かれ道は右手を進み、右側に石灯籠。
石灯籠:高松藩松平家は年貢米を収納する米蔵を領内各所に建てたが、
その一つがここにあって毎年1万5千俵が収納され賑わった。
この石灯籠は、1851年(嘉永4)、このお蔵の用心のため庄屋の上野、岡田両氏が建立したもの。
その先に、「平賀源内先生旧邸」立看板。
平賀源内:江戸時代中頃の人物で、現在のさぬき市志度の白石家の三男として生まれた。
蘭学者、医者、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家などとして知られている。
墓所は、東京都台東区橋場の敷地にあり、故郷のささぬき市志度には平賀氏菩提寺の常楽寺に義弟が建てたという墓がある。 |
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右側に、源内ゆかりのホルトノキが立つ源内先生遺品館。
この日は、休館日。入館料大人500円。
ホルトノキ:1760年(宝暦10)、源内は高松藩主松平頼恭のお供をして江戸から帰る途中、
紀州湯浅の寺でこの木を発見し、オリーブの木と勘違いしてその苗木を持ち帰って栗林公園に植えた。
このホルトノキは、その源内が勘違いして植えたというゆかりの木。
隣接して、国登録有形文化財平賀源内旧邸。
その先で右にカーブする。 |
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左側に、自然石を使った灯籠。
この灯籠は、1846年(弘化3)、もとや醤油初代当主小倉嘉平が石鎚神社の奉献と漁船の道標のために建立したもの。
すぐ先平岡建材展店から左折し、当時の面影を思わせえる通りを進む。
右側に、家老の屋敷かと見間違わんばかりの豪邸。「醤油」の文字。石灯籠の案内板に記られていた人のご子孫の方? |
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交差点を直進し、まっすぐな道を進み、
左側に、志度寺奥の院の地蔵寺。開祖は、志度寺本尊を開眼した文殊菩薩の化身薗子尼。
本堂には、中世から江戸時代にかけての巡礼で、
(当時は六十六の国で構成されていた)日本全ての国を拝むことにより願いがかなうと言われた「日本廻国六十六体尊」が祀られ、
密教仏としては全国唯一のもの。 |
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次の交差点も直進し、通りの左側に「おへんろみち休憩所」、続いて「平賀源内記念館」 |
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正面に志度寺仁王門が見える交差点を横断し、右側に「源内さんのお墓所」立看板の自性院常楽寺。
山門を潜ってすぐ左側に、簡素な「源内さんお墓」
この墓は、東京台東区橋場にある墓とは別に、
源内の義弟が、源内を一族や故郷の旧知の人々の手で弔うために菩提寺に建てたとも伝えられる墓。 |
突当りに、志度寺。 |
志度寺到着、14:00。 |
八栗寺から、6.5km、所要時間約1時間45分。 |
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第86番札所補陀落山志度寺 (しどじ) (香川県さぬき市志度) |
開基;藤原不比等 本尊十一面観世音菩薩 |
推古天皇時代(592~628)に、薗子という尼が志度浦に漂着した霊木で十一面観世音菩薩を刻み、
安置したのが始まりとされている。 |
弘仁年間(810~24)に、弘法大師が訪れ、霊場と定めた。 |
補陀落の山号が示すように、昔からこの寺は観音浄土の瀬戸の入口として信仰されて来た。 |
寺院の、「海女の玉取り」縁起: |
奈良時代、藤原不比等が、志度浦の龍神に奪われた唐の高宗皇帝からの宝珠を取り返すため、志度に出向いた。 |
そこで、不比等は海女と恋におちいり、やがて房前という男の子が生まれた。 |
海女は、房前を不比等の世継に願い、観世音菩薩に祈願して死と引替に龍神から宝珠を取り戻した。 |
不比等は、海辺に海浜に妻の墓と小さな堂を建てて、「死度道場」となずけた、という、 |
その後、房前は大臣になってこの寺を訪れ、母の追悼供養に堂宇を増築し、寺名を「志度寺」と改めたと、伝えられている。 |
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1670年(寛文10)建立重要文化財仁王門 |
1670年(寛文10)建立重要文化財本堂 |
高さ33m五重塔 |
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江戸中期建立奪衣婆堂 |
海女の墓 |
1671年(寛文11)建立閻魔堂 |