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国分寺山門出発、7:10。
山門を出て参道を進み、車道を左折し高松市国分寺町地内を進む。 |
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早朝のまだ明けやらぬ道、左側の昨日宿泊した「えびすや」看板前を通り、その先の交差点を左折する。
右側に、派手な色彩のラブホテル。「ホテルプリンセス」といい、この時間、満員ではない、との掲示。
昨夜、えびすやの女将が白峯寺への道案内で、
「ホテルプリンス」から左折すると話していたが、
てっきり「ホテルプリンス」だとばっかりだと思っていたが、「ホテルプリンセス」だったか!
ホテルとは、一字違いでこうも違うものかと、改めて感心。 |
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一直線の道を進み、突当りを右折して、真っ直ぐな道、突当り丁字路を左折する。 |
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ゆるい坂道を上り。突当りで右にカーブするところで直進して坂を上り、墓地の脇を通る。 |
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道なりに左に、右にカーブして坂道を上り、その先で車道を横断し、さらに坂道を上り続ける。
左側に、ベンチが2つ。エッ!「マムシに注意」立札。ベンチに座りたし、命が惜しし、でした。
その先で、舗装道が終わり山道となる、 |
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山道に入り、すぐ右側に「石鎚神社便所」。とても立派な、トイレです。
数十m先の分かれ道に、「石鎚神社」標柱。多分左手は石鎚神社へ行く道なのだろうが、道標の文字が風化して読めない。
この分かれ道は、7:46。出発の国分寺より、36分地点。ここから、一本松(県道)まで約1.2km。
坂道をひたすら上る。 |
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しばらく上り、道が開けて光が差し込む。左手に、太陽を一杯浴びた山がそびえたつ。
その先の手摺のあるとろで、道は下り坂となる。 |
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折角上って来たのに急な下り、右手下方に国分寺の町。
前方の高い山は、鷲の山。その手前に関の池。国分寺は煙の立っている辺りではないかと思う。
数回アップダウンを繰り返して階段を上る。 |
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長ーい階段が続き、一本松(県道)まであと約300m辺りで木に架けられた手書イラスト道標。
これからもところどころで絵柄の異なるこの道標をで見かるが、歩きながら多分即興で描かれたものだと思う。
味のあるイラスト。
さらに上り続ける。 |
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一本松(県道)まであと約100m地点で、道が開け太陽が一杯(写真中)。
左側に、修業大師。右手上方に、展望台。 |
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展望台から撮った、国分寺町。前記の写真と、あまり変わりない風景。 |
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さらに階段を上り続け、県道180号線に出る。ここが、一本松ということのようであるが、「松」?
時は、8:27。国分寺山門から、約1時間15分。「石鎚神社」標柱から、約40分。
180号線右手前方に、「白峯寺へ」道標の立つ遍路道。「この道は絶対に行ってはならない」と、えびすや旅館の女将の言。
ちなみに、この遍路道は、後記の十九丁目石3札所分岐点に接続する。 |
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ここは素直に女将の言に従い、左折してもう一つの遍路道180号線を下り、すぐ先で坂出市青海町地内に入る。
延々と下り続け、左側の「警告 立入禁止」自衛隊演習場の金網柵の脇を通り、右にカーブする。 |
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金網柵の終わりの支柱に、2種類のワッペン。一つはこのまま180号線を進むもの、もう一つは金網柵から左折するもの。
ここでは、左折する道を選んだが、当時の遍路道にあまりこだわらなのであれば、180号線を推薦する。
何故なら、左折する道は、もしかしたら自衛隊の演習場に不法侵入しているかも知れないから・・・・。
金網柵を左折といっても、道がない!金網柵ぞいになんとか通れるスペースがありそうで、なんとか歩く。
金網柵を通り過ぎると、道のかけらもない。草をかき分けながら道なき道を進む。 |
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道がない!道標などどこにもない。ようやく道らしき土が見える。
野仏像がポツンと一体、風化して文字が見えないが明らかに丁石!。この道は、遍路道と確信。
12月でもこういう状態であるから、雑草が繁茂する時期は大変。 |
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道の終わりごろになりようやく道標。
遍路道を歩く人曰く、道標は歩く人に欲しいところにはない、という。
道標を設置する団体と実際に歩いている人との悲しいギャップ。
道標の先で車道に出るが、車道直前の下りの超急勾配は、凄い!。
車道に出て、道標がないが多分右折だろうと進む。すぐ分かれ道。
道標を探し、ようや林の中に隠れいたコンクリート柱(合成写真)に貼られた、ワッペン。
赤いバンドの上下に、3枚貼られていたはずのワッペンが、ご丁寧に全部削り取られている。
削り残された一部や削り跡から推定して、左の坂道を下る。
高松市内に入って以降、ただでさえ少なくなった道標なのに、その上削りとられたりしているワッペンが多い。
高知以上にひどい!
一気に坂道を下る。 |
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念入りに道標を探して下ったが、ナイ!
そのうち道はなくなるし、坂の突当りに白い小屋。
小屋まで坂道を突当りまで下り、右側は門扉のようなので左手を進む。ただどこまで行っても、草むら。
失意のどん底で、戻って坂を上る。
実は、下る坂の途中の金網柵の支柱の○印のところに道標があった、のでした。 |
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坂を上ってくると、金網柵の支柱に右の方向を示す「赤い→」が2つ。手書の、それも筆致から同一人と思われるもの。
手書であろうが、道標には変わりなし。ただ、→の方向を見ても、道らしいものはなし。
金網柵ぞいに、体を横向きにして道なき道を下り、先ほどの白い小屋が見える門扉まで戻る。
なんと、「立入禁止」札のかかった自衛隊演習場の門扉なのだ。 と、すると、白い小屋は守衛所?
今は、使用されていないようであるが、いずれにしても、いつの間にか演習場に入っていたことになる。お~、恐い。 |
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門扉から右折して県道180号線に出て、右手前方のガードレール端に、ここにも手書の「→81」道標。
手書道標に従い、180号線の坂道を上り、ガードレールの右端の「白峯寺」道標が立つところで左折し、細い坂道を下る。
なお、ここで、180号線を下ってくる遍路道と合流する。
180号線と別れて自衛隊境界柵沿いに進んできたこの遍路道は、確かに当時の遍路道であるが、
自衛隊演習場ができたためにわかりにくくなったのだと思う。 ただ、道中、あまりにも道標がなさすぎる。 |
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道なりに坂を下り、ここでも自衛隊演習場金網柵沿いに進み、下り切ったところが「古田」分岐点(合成写真)。
白峯寺まで、あと約1.1km地点。
この分岐点には、次の根香寺へ行くときにまた戻ってくる。
分岐点を左折し境界柵沿いに進む、 |
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このところ雨も降っていないのに所どころ泥濘のある坂道を下り、右側に可哀そうに頭部の欠けた三丁目石。
坂道は、段々急になり右側に「コガネムシと新しい出会い」と書かれた例の手書きイラスト道標。
この作者、意外と若い30~40才代? |
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その先ベンチの前の小さな広場に、
小屋におおわれた県指定有形文化財「摩尼輪塔」、左側に1836年(天保7)高松藩によって建立された下乗石柱。
摩尼輪塔:摩尼輪とは、仏道修行により悟りを得た究極の位のこと。当時この地は白峯寺の境内で、
この塔は、これより白峯寺の聖地の境内に入る意から建立されたもので、
またここから一切の乗り物を禁ずることから、「下乗」となる。
この塔は、1321年(元応3)に密教の僧、金剛仏子宗明によって建立された。
塔身の中ほどに、金剛界大日如来の種子「バン」刻んだ円板(摩尼輪)をはめ込んでいることから、摩尼輪塔と呼ばれている。
ここから白峯寺まで、約500m。
足元の悪い急な坂道を下り続ける。 |
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泥まみれの急坂、根香寺へ行くときはこの坂道を登ってくるのかと思うと気が重くなりつつ、下方に建屋、
建屋から左折し右折して塀沿いに進む。 |
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道なりに進み、寺塀端を右折すると七棟門。 |
白峯寺到着、9:44。国分寺から6.5km、所要時間 約2時間30分。 一本松(県道)から、約1時間15分。 |
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第81番札所綾松山白峯寺 (しろみねじ) (香川県坂出市青海町) |
開基;弘法大師 本尊:千手観世音菩薩 |
白峯寺は、香川県の5つの峰からなる山岳地帯の標高337mの白峯の中腹に建つ。 |
815年(弘仁6)、弘法大師が山頂に如意宝珠を埋めて井戸を掘り、衆生済度祈願して堂を建立した。 |
その後、山の鎮守白峯権現から霊地のお告げを受けた智証大師が、霊木で千手観世音菩薩を刻み、本尊とした。 |
山門は、1803年(享保3)再建の高麗門形式で左右に二棟の塀を連ね棟数あわせて7棟なので、
「七棟門」と呼ばれている。 |
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1803年(享保3)再建七棟門 |
1559年(慶長4)再建本堂 |
瑜誼塔(金剛峰楼閣瑜誼塔) |
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阿弥陀堂 |
行者堂 |
薬師堂 |
頓証寺殿 |
境内には、白峯で荼毘に付された崇徳天皇の霊を祀る御廟所として建立した、「頓証寺殿」がある。
門は、小松天皇の勅額が奉納されたことから、勅額門と呼ばれている。
頓証寺殿前には、白峰の守護神(鎮守)として崇め奉られ、
崇徳天皇の守護神でもある、相模坊大権現像(秘仏本像の前像)が立つ。
また、1166年(仁安元)西行が当山を詣でたときに崇徳天皇を思い詠んだ、
「よしや君 昔の王の床とても かからん後は何かはせん」歌碑と西行像がある。 |
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勅額門 |
頓証寺殿 |
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相模坊大権現像 |
西行像 |
崇徳天皇御陵遥拝所 |
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81番白峯寺(5.0km) →82番根香寺 |
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七棟門出発:10:29。
古田の分岐点までは、来たときの坂道を戻る。
門を出て左折し、来たときの坂道を上る。 |
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急な階段坂道、泥濘の坂道、道端に「四十二丁目」石。
丁石:次の札所までの距離を示す丁数が刻まれている石仏道標で、岩石に地蔵菩薩を刻まれている。一丁は、約109m。
この42丁石は、根香寺迄約4.6kmあることを示している。
この根香寺までの遍路道には、四十二丁目石から始まり二丁目石まで、当時の丁石が多く残っている。 |
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自衛隊演習場境界金網柵沿いに進み、「古田の分岐点」丁字路を直進する。
丁字路の右手から来る道は、白峯寺へ行くとき通った道。 |
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その先の左折するところのベンチの前に、「野鳥を観察しよう」案内板。
道なりに進み、三十六丁目石の前を通る。 |
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三十四丁目石の前では、大蛇?と思わせる木の根で汗びっしょり。
坂道を下り続けて木杭柵を通りベンチの前に「閼伽井と丁石」案内板。案内板脇に、閼伽井。
閼伽井;神仏にささげる水のわく井戸。 |
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坂道を下り続け、三十丁目石を通り過ぎ右側に例の手書イラスト道標。これって、コンビニの発泡スチロール容器?
坂を下り続けベンチの前に、「五色台のどんぐり」案内板。
五色台でどんぐりのなる主な木は、アベマキ、クヌギ、コナラ、ウバメガシ、アラカシで、
それぞれの木の見分け方とドングリの特徴を、図解で紹介している。 |
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木洩れ日の坂道を下り、林を出て左にカーブするところに二十七丁目石。さらに坂道を下り、再び林に入り小さな橋を渡る。 |
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その先に、ベンチの前に「谷川の生き物」案内板。
モンキマメゲンゴロウ、サワガニ、オニヤンマ、カワトンボ、コカクツツトビケラ、カスミサンショウウオ、オジロサナエが
絵入で紹介されていたが、何しろ1984年の案内なので果たして今でも健在なのか・・・・・。
上り坂となり、赤いべべ着た二十四丁目石。 |
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急坂を上り続け、ここにも手書きコガネムシラスト道標。汚れがなく、最近のものかも。
その先ベンチの前に、「ヒサカキのトンネル」案内板。
五色台の林は殆どが松林で、その中にはえている木で最も多いのがヒサカキとのこと。 |
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坂道を上り続け、上り切ったところで広場に出る。
ここは十九丁目石3札所分岐点で、直進すると根香寺へ、右手を進むと国分寺へ(前記の県道180号線一本松へ)、
そして今来た道を戻ると白峯寺へ。 |
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広場を直進し、左側に団体用なのか大量のベンチ、右側に地蔵尊。
広場の突当りで、十九丁目石の立つ細い坂道を上る。 |
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道なき道の急坂を上り、緑の道、そして赤い坂道を上り十五丁目石を過ぎるとすぐ県道180号線に出る。
時は、11:45。白峯寺から、約1時間15分。 |
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県道180号線を左折して高松市中山町地内の坂を下り、
左側にアシバサンと呼ばれ足の病気を治してくれることで有名な足尾大明神と右側に隣接して茶色建物の休憩所。
中山休憩所前を通り、その先の丁字路は直進する。 |
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道なりに下り左にカーブするところで、右側の小さな階段を上り、山道を進み、九丁目石の前を通る。 |
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八丁目石を過ぎた辺りに、白ボードの道案内。
「82根香寺参拝後、83一宮寺への遍路道は、図のように「鬼無」へ車道をしばらく下ってください」
道なりに坂を下り、鉄塔の脇に出る。
鉄塔脇から左斜めに一般道を横切って180号線に出て、進む。
白ボードの道案内は、一宮寺へ行くときは「根香寺から108号線に戻り、この一般道を→方向へ下る。」という案内。
ただ、ここでは、途中復活なった江戸時代の遍路道を行くので、ここには戻らない。 |
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180号線を進みすぐ右側に、「根香寺本堂七七五米」石柱の立つところから右折して山道に入る。
薄暗く泥濘状態の急坂を延々と下る。ここ数日は雨などなかったが、日の当たらない山道はなかなか乾燥しないのだろう。
四丁目石を過ぎ、下り切ったところに広場。 |
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広場正面に、可愛いい「へんろ小屋五色台」。
「遍路さんお疲れさまです 小屋内にハーブティーが準備しています 一夜泊りもできますよ
ごゆっくりして下さい」掲示板。
中は、とてもきれいで中二階が宿泊できるところ。素敵なトイレ。
小屋の前には、テーブルと椅子。テーブル上には、「ハーブ園で栽培したハーブティです。ご自由にどうぞ」。
大きなポットとお菓子が沢山。
この小屋は、どうも小学生たちが運営(当然大人がバックアップしているでしょうが)しているよう。
何しろ、可愛くてきれいでした。 |
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へんろ小屋の左手から再び坂道を下り、足場の悪い下り坂、左側に廃墟となった門柱脇に二丁目石。
この後一丁目石が見つからなかったので、これが最後の丁石。 |
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坂を下り続け、公衆便所前を通り、その先の車道を横断したところが、根香寺山門。 |
山門到着、12:23。 白峯寺から5.0km、 約2時間。 |
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第82番札所青峰山根香寺(ねごろじ) (香川県高松市中山町) |
開基:弘法大師、智証大師 本尊:千手観世音菩薩 |
五色台の青峰山頂近くに建つ、山岳仏教の特徴を残す名刹。 |
弘仁年間(810~824)、弘法大師がこの地を訪れた際、五大明王を祀って花蔵院を建立した。 |
そののち、832年(天長9)、智証大師がこの山に上ったとき、霊木で千手観音像を刻んで安置し千手院を創建した。 |
以降、花蔵院と千手院の2院を総称して根香寺と号した。 |
本尊は、国指定重要文化財。 |
堂宇は、戦火により焼失したが、慶長年間(1596~1615)に再建された。 |
境内には、樹齢約1600年の白猴欅がある。
昭和50年ころ枯れてしまい、平成3年に根を切り屋根をつけて昔の位置に保存している。
智証大師が、当山開基の時、この樹下に山王権現が現れまた白い猿が下りてきて、大師を守護し創業を助けたという。 |
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仁王門、仁王門を潜ると一旦階段を下りて長い参道を歩き階段を上って本堂へ向う。 |
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回廊式万体観音堂を時計回りに歩いて本堂に参拝する。 |
五大明王を祀る五大堂 |
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白猴欅 |
役の行者像 |
高松城松平初代藩主松平頼重塚?詳細不明 |