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郷照寺出発、12:43。
山門を出て、上って来た坂道を下る。 |
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坂を下り切った突当りの、「郷照寺」立看板丁字路を右折する。
右折角に、「四国一のえんま大王像」立看板の浄泉寺。
大きさが一番というようであるが、残念ながら見ることができなかった。 |
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道なりに進み、右側電柱脇に緑色文字でわかりにくいが「善根宿 うたんぐら」看板。
そして、立派な建物。善根宿で、こんな立派なところは、これまで見たことない。
インターネットで調べると、「1泊豪華朝食付きで1000円。シャワー(冬は風呂)付。浴衣あり。」
館内も充実していて、女性専用棟もあるので、女性遍路客には絶大な人気とのこと。
町並みのきれいな道を進む。 |
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その先で、橋を渡り、「古街 新町」案内板のある町並みに入る。
古街の通りは、当時の町並が整備保存されているとてもきれいな通り。
突当りで、県道191号線を横断して細い道に入る。 |
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その先でJR予讃線の高架下を潜り、突当りを右折して県道33号線沿いに進み、
すぐ先のブロック塀のところから左折してトンネルを潜る。 |
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トンネルを出て、右斜め方向の赤い「シナジー英会話」看板の立つ道に入り、道なりに進み、
突当りの信号で県道33号線を斜めに横断して反対側の道に入る。この信号から、坂出市八幡町地内に入る。 |
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その先の分かれ道は、左手の細い道を進み、瀬戸中央自動車道高架下を潜り公園の中を直進し、道路を横断して細い道に入る。 |
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道なりに進み、突当りで車道を横断して反対側の道に入り、
道なりに進み信号交差点を横断して元町名店街アーケードに入る。 |
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アーケードは人影もまばらで、遠い前方でこちらを見てしきりに手を振る中年の女性。
私たち夫婦に300円ずついただきました。お接待でした。ありがとうございました。
アーケードの終わり近くに、「オアシス元町」休憩所。中は広くテーブルと椅子があるが、トイレはなし。
ここで、デジカメの電池入れ替えなどで約10分休憩。 |
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アーケードを出て左折し、元町4信号交差点を直進して京町地区に入り華やかな商店街を進み、
信号を直進して室町地区に入り次の信号から旭町地区。
実は、京町に入ってから突然道標がなくなり、道を間違えているのでは、と不安になる。
横津町地区に入り右側に坂出金山郵便局。目印の郵便局を確認できて、一安心する。 |
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その先で小さな橋を渡り江尻町地内に入り、ガス生活館「ピボット」のところに、
「お遍路さんへ 足場無料です なんちゃないけど休んでいきまい」看板(合成写真)。
それに、「お手洗いは奥にあります」とご親切。
駐車場の門を入ると右側に、とてもきれいなおせったい足湯処。足湯は、水曜日は休み。
ここは、四国ガスさんの、おへんろ休憩所・第46号でした。ありがとうございます。
その先の信号交差点を直進する。 |
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信号から約150m先の山下オート商会前の、道標の立つ茶色の建物から右折し、すぐ左折する。 |
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道なりに進み、JR予讃線踏切を渡り、左折して線路沿い進む。 |
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正義の味方「アンパンマン」大看板の脇を通り、集落を通り過ぎ墓地の前を通り、
その先の突当り分かれ道の右角の木立の中に、いかなる旱魃にも涸れることなく清水が流れているという「八十蘇場の清水」。
ただ、このときは、水も殆どなく清水というよりたまり水のように見えたが、目の錯覚?だったかも。
この清水の脇に、「清水屋 ところてん」店がある。夏場をおいしそう。
八十蘇場の清水:第12代景行天皇の時代、南海に遠征して悪魚の毒に悩んだ讃留霊皇子とその軍兵88人は、
童子の捧げるこの水によって甦ったことで、八十蘇場の水と呼ばれるようになった、という伝説がある。 |
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突当り分かれ道は右手の坂道を上り、その先の分かれ道は左手を進み、突当りで何故か白峰宮の境内に入る。 |
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当地で崩御された崇徳上皇を祈るため建立された白峰宮に参拝して、参道を通り鳥居に向う。
天皇寺は、この参道で分断された形で両側に分かれている。
参道の、左側に門と納経所、右側に本堂と大師堂と鐘楼。
天皇寺到着、14:32。 郷照寺から3.8km、所要時間約2時間。時間がかかり過ぎている。何故だろう? |
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第79番札所金華山天皇寺 (てんのうじ) (香川県坂出市西庄町) |
開基:行基 本尊:十一面観世音菩薩 |
弘法大師が、四国巡錫のおり八十蘇場で霊感を得て霊木で十一面観世音菩薩像を刻み堂宇を建てて安置し、 |
金華山妙正成就寺摩尼殊院と名づけて霊場とした。 |
1164年(長寛2)当地に讃岐に配流されて崩御された崇徳上皇の棺を、都から指示があるまでの間この寺に仮安置された |
その後、二条天皇により上皇の霊を鎮めるため崇徳天皇社が造営され、摩尼殊院はその別当寺となった。 |
明治政府の神仏分離令で、摩尼殊院は廃寺となり、天皇社は白峰宮となった。 |
明治20年、末寺筆頭の高照寺院が当地に移り、金華山(高照院)天皇寺として現在に至っている。 |
崇徳上皇の御陵と、その菩提を弔う頓証殿は、第81番白峰寺にある。 |
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鳥居を出て左側に、門 |
江戸時代に再建された本堂 |
赤門。奥に納経所。 |
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79番天皇寺(6.9km)→ 80番国分寺 |
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白峰宮鳥居出発、14:50。
鳥居は、瓦屋根付で3カ所から潜れる。
鳥居を出て、真直ぐなゆるい坂道を下る。 |
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もう一つの鳥居を潜り、道なりに右にカーブし、JR予讃線沿いに進み前方に国道11号線高架。 |
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高架の手前で左折して踏切を渡る道は、81番白峰寺への遍路道。
高架下の擁壁に、「天皇寺高照院」看板。どうでもいいんだけれど、ここでは寺と院の順番が逆。
高架下を潜り、線路沿いに進む。 |
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アパート脇を通り、立派な塀の中をすすみ、その先で右にカーブして府中町地内に入る。 |
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道なりに進み、突当り丁字路を左折してJR予讃線踏切を渡り、その先で県道33号線に出て右折する。 |
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33号線を進み、西福寺信号交差点を左折し県道180号線を進む。なお、交差点を右折すると、JR鴨川駅。 |
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綾川にかかる橋を渡り途中加茂町地内に入り、渡り終えたら右折して180号線を横断する。 |
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綾川の堤防道を進み、一泊3990円のラブホテル。安い! 夫婦なら、遍路宿よりこちらの方が経済的かも。
その先に、自動販売機付休憩所。 |
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道なりに進んで堤防道を下って左にカーブし、その先の分かれ道は左折し水門ゲートのあるところで左折して小さな橋を渡る |
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国道11号線のトンネルを潜り、右側の階段を上り、11号線に出て左折して坂を下る。 |
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次に延々と坂を上り、投光器の門型があるところが頂上でここから下り坂となり、
下り切ったところにある信号交差点のひとつ手前で左折し、細い坂道を上る。 |
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集落を通り過ぎてしばらく道なりに進み、右側の車道上に「高知市」境界標識。
高知市国分寺町地内を進む。 |
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白い塀を通り過ぎて、すぐ先左側に国分寺。
国分寺到着、16:32。 天皇寺から、6.9km、 所要時間 約1時間30分。 |
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第80番札所白牛山国分寺 (こくぶんじ) (香川県高知市国分寺町) |
開基:行基 本尊:十一面千手観世音菩薩 |
741年(天平13)、聖武天皇が護国安泰の国分寺を全国に建立したとき、讃岐は行基が勅命を受けて建立した。 |
本尊の十一面千手観世音菩薩は行基の作で、高さ5.2mもある巨大な立像。 |
弘仁年間(810~824)に、弘法大師が立寄り、この本尊を補修して霊場とした。 |
その後、長宗我部軍の戦火で堂宇の殆どが焼失したが、
本堂と鐘楼だけが難を免れ、梵鐘は旧国宝・重要文化財に指定されている。 |
梵鐘の伝説;1609年(慶長14)、讃岐の藩主生駒一正がこの鐘を高松城の鐘にしようと田1町と引き換えに入手した。 |
城へ運ぼうとしたらすごく重い上、城へついたら音がならない。その上、城下では疫病がはやり、藩主自身も病床の身となる。 |
毎夜、鐘は一正の夢枕に立ち「もとの国分に帰りたい」と泣いたという。 |
結局、梵鐘を寺へ返したら、疫病は治まり、凡庸は再び美しい音色を聞かせるようになったという。 |
境内には、創建当時からの本堂や七重塔の礎石が残されていて、国指定の特別史跡となっている。。 |
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仁王門 |
本堂 |
重要文化財梵鐘 |
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多宝塔 |
ミニ八十八カ所 |
創建当時の礎石 |
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今日の宿泊 |
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仁王門から数分の、えびすや旅館 |
(2食付 6800円) |
宿泊客は、横須賀市からの通しの男性遍路客1名。 |
尋ねもしないのに、「72歳もの高齢」だと言われていましたが、今の世の中72歳は若造の部類だと思いますけれどね。 |
旅館と言っても、基本的には民宿。浴場は広く、2人で入っても余裕があり、気持ちよい。トイレは、和式で一カ所。 |
食事は、ご飯は契約農家から仕入れているというコシヒカリは、確かにうまい。 |
ただ、料理の品数が少なく、例えば夕食は小皿が4品では、テーブルが寂しい。
せめて漬物でもよいから、もう一品くらいは、と思う。 |
もちろんデザートなし。 |
部屋には、ティッシュなし。タオルもなし。風呂は自分のタオルを使用してください、とのことで、こんなこと初めて! |
全般的に、節約し過ぎているようなところが目立ち、気になる。 |