歩く四国八十八カ所
             i-愛ロマンチカ
   
涅槃の道場-香川県(讃岐)
第8回2日目 2015.11.27(金)
          
76番金倉寺(3.9km)→77番道隆寺2(3.9km)→78番郷照寺(5.9km)
→79番天皇寺(6.9km)→80番国分寺
参考資料:「四国遍路ひとり歩き同行二人(地図編)(解説編)」 へんろみち保存協会編
                     
この日も、お接待を夫婦それぞれに1000円ずつ、次に300円ずついただきました。
それにお地蔵さんの像を2体いただきました。
これまで、数十回もお接待をいただきましたが、いつも夫婦それぞれにいただきます。
夫婦だから、一人分でよいような気がして、つい頂き過ぎでないかと思ってしまいます。
        
76番金倉寺(3.9km)→ 77番道隆寺2
昨日の終点、丸亀バイパストンネル入口に戻る。
トンネル出発、8:02。
トンネルを潜り真直ぐ進み、分かれ道は右手を進む。
その先の畑道の丁字路を左折し、一直線に進み、
分かれ道は右折して善通寺市金蔵寺町から仲多度郡多度津町地内に入り塀沿いに進む。
塀の終わりで左折して塀沿いに進み、塀の終わりの丁字路で左折する。
ここで、丁字路を直進する道も遍路道で、突当りで葛原正八幡宮境内通り、その先で左折した遍路道と合流する。
境内には、きれいなトイレ。
道なりに進み突当りの
丁字路を、右折する。
丁字路角に、願掛地蔵尊
道なりに進み、突当りで車道を横断して住宅街の道に入る。右手から合流する道が、葛原正八幡宮境内通って来た遍路道。
狭い道を道なりに進み、信号交差点で県道205号線を横断して多度津豊原郵便局前、次に豊原小学校前を通り、
その先の
分かれ道は左手を直進する。
雲の動きは早く、左手の畑の中になんと美人が、あれれ?カカシでした。ご苦労さん。
その先で、「TADOTSU」看板の多度津自動車学校角の
信号丁字路を直進する。
信号から約100mのところで、「道隆寺道標立札から右折し、直線道路を進み、交差点を左折する。
まっすぐな道
道を歩いていると、左手の細い道の奥から「呼び止める」年配の男性の声。
年配の男性と製作者の息子さんから、「77番札所道隆寺 参拝記念にどうぞ」のメモが胎内に挿入してある、
高さ約5cmの可愛い
お地蔵さんを2体いただきました。お接待でした。ありがとうございます。
今も、居間に飾らしていただいております。
このお地蔵さんは、歩き遍路の人たちだけにお接待されておられて、これまでに計約1500体になるという。
道の突当りが、道隆寺。
道隆寺到着、9:01。 丸亀バイパストンネルから約2.9km。所要時間 約1時間。        
76番金倉寺から、3.9km 所要時間 約1時間20分。
       
77番札所桑多山道隆寺(どうりゅうじ) (香川県仲多度郡多度津町)
開基:和気道隆  本尊:薬師如来
眼病に霊験あらたかな、「目なおし薬師さま」で親しまれている。
奈良時代初め(749~757)、土地の豪族和気道隆が、自分の広い桑畑の中にある桑の大木が夜ごとアヤシイ光を放つため
光に向けて弥を射ると乳母が矢にあたって死んでいた。
道隆は、その供養のため桑の木で薬師如来の小像を刻み、堂を建てて安置したのが、寺の始まりという。
そののち、弘法大師が小像を胎内仏にし、薬師如来を刻み本尊とした。
堂宇は、天延4年(976)の大地震で倒壊しその後の戦火で焼失したが、本堂は1586年(天正14)に再建された。
県道に面した境内に、仏心真如像が立ち周囲に多数の観音像が並ぶ。
納経所の前には、地元のご夫婦が育てられたという花の百八つの鉢植のきれいな花壇。
仁王門 1586年再建本堂 弘法大師1150年忌記念多宝塔
立並ぶ観音像 戻り観音 仏心真如像と観音像
手入れの行届いたきれな花壇
      
77番道隆寺(7.2km)→ 78番郷照寺
北門から出発時間、9:45。
北門
を出て、右折する。
車道を北東へ真っ直ぐ進み、次の信号交差点を直進して多度津町から丸亀市中津町地内に入り、
右側の
小さなお堂の前を通る。
お堂のすぐ先の、「片岡たばこつりぐ店」から右折し、すぐ左折して住宅の中の道を進む。
すぐ畑道になり、再び住宅の中を通り、突当りで車道を横断する。
階段を下りて細い道を進み、その先で車道と合流して金倉川にかかるを渡る。
分かれ道は右手の細い道に進み、住宅の中を通りその先で天満町地内に入り、
突当りで
県道21号線を横断して細い道に入る。
閑静な住宅街を進み、その先で車道と合流し、天満宮前を通る。
前塩谷町信号丁字路を直進して前塩谷町地内に入り、塩谷橋バス停前を通り、只今工事中の西汐入川にかかる塩谷橋を渡る。
ここから下流の丸亀港まで、約1km。汐入とか塩谷などの地名は、まさに海に面している名称。
橋を渡って幸町地内に入り右側に、アレレレ、これって何 ????  四国団扇株式会社のウチワの展示品でした。
丸亀ウチワ:ウチワは、江戸初期に金比羅参詣の土産物として考案されたのが始まりと言われている。
天明年間(1781~1789年)に、丸亀藩が藩の財政立て直しのためにウチワ作りの内職を下級武士に奨励したことで、
丸亀の代表的な地場産業として発展を続けた。
現在の生産量は、年間約8,300万本で全国シェアの90%。平成9年に、国の伝統的工芸品に指定された。

その先の
分かれ道は右手を進み、一直線の道を進む。
突当りの丁字路を右折し、真直ぐ進んで、南条町信号交差点を左折し県道21号線を進む。
ちょっぴり上り坂の県道21号線の左側に、赤いウチワでデザインされた「へんろ小屋18号」。さすが、ウチワの丸亀。
次の信号から、大手町に入りメインストリート県道33号線京極通りとなる。
京極通りの歩道は、びっくりするほどの広さでとても気持ちがよい。
市役所の駐車場を過ぎた
交差点から、右手遠くに丸亀城
土居町信号交差点から土居町に入り、メインストリートの終わりで緩やかな長いスロープを上り、土器川にかかるを渡る。
橋から右手に見える山は、丸亀富士山と思わせる美しい形をしている。
橋の途中から土器町に入り、渡り終えた先の分かれ道は右手の細いを進む。
左手の県道33号線にも遍路道のワッペンがあったが、しずかな右手の道を選んだ。
車など全く通らない
静かな道を歩き、メガネマークのタタラメガネ店の信号交差点を直進する。
交差点を横断して進むと、「工事中 通行止看板
他人事のように進んでいくと、道の前方で工事をしている一人の人が私たちに気付き、
何やら声を張り上げて手真似を交えて「左折しろ」との合図。初めは工事で通行止めの合図と思ったが、そうでもなさそう。
ただ周囲を見ても、道標など全くない。
まごまごしていると、たまたま右側の家から中年の素敵な女性が出て来られて、
左側の駐車場の中へ進め、とのこと。
教えていただいた上、私たち夫婦にそれぞれ千円のお接待を頂いてしまいました。ありがとうございました。
教えていただいたように
駐車場の中に入りましたが、他人の土地のよう。
怒られるのを覚悟で、突当り建物から右折する。
ありました!手摺の支柱に、道標のワッペンが。 ということは、この道は正式な遍路道ということ。
ただこの道は、公の地図には載っていない。
ということは、駐車場を含め私有地を利用さえていただいていると考えるのが、妥当かも。
道なりに進んで左にカーブし、
突当りで右折し、県道33号線を進む。
讃岐部品商会看板のところで33号線と別れ右手の細い道に入り、道なりに進み、
途中綾歌郡宇多津町地内に入り突当りで再度
33号線と合流して進む。
地蔵大菩薩を安置した岸落地蔵院前を通り、前方に県道194号線高架
高架下を潜り33号線と別れ
右手の細い道に入る。
細い道に入るとすぐの右側に道標が立ち、ここから右折して路地の坂を上り、突当りを左折する。
実は、この道標やワッペンを見落とし、遠くまで行ってしまい約30分のロスタイム。何故か、殆ど毎日道に迷ってしまう。
を下りって道なりに右折し、路地を通り次に宇夫階神社境内沿いに進み、、車道を横断する。
右手の道に入り、「古街 西町中」看板の立つきれいな町並みを通り、右側の「郷照寺立看板から右折する。
ゆるい坂道を上ると、郷照寺。
郷照寺到着、12:05。 道隆寺から、7.2km、所要時間 約2時間30分 (道に迷った30分除くと、約2時間)
                 
第78番札所仏光山郷照寺(ごうしょうじ) (香川県綾歌郡宇多津町)
開祖:行基  本尊:阿弥陀如来
時宗の開祖一遍上人が中興の祖であることから、八十八カ所中唯一の時宗の札所。
725年(神亀2)、行基が自ら刻んだ阿弥陀如来像を安置し、道場寺と称したのが始まり。
弘法大師が、2像を刻んで厄除誓願をして本堂に納め、寺号を郷照寺に改めた。
堂宇は、長宗我部軍の兵火により焼失したが、1664年(寛文4)高松藩主松平頼重により再建された。
境内には、病魔を除く青面金剛と見ざる言わざる聞かざるの三猿を祀る庚申堂、一万体を越える観音像が並ぶ万躰観音洞、
木喰上人が女人のため勧請した淡島さまを祀る淡島大明神、寺を守る狸を祀る常盤明神、さぬきの三大ポックリさま。
名木ポルトの木は、平成19年に倒木してしまった。
      
山門 本堂と天井絵
万躰観音洞入口と観音像 淡島大明神
庚申堂 常盤明神 ポックリさま
          
75番善通寺
  76番金倉寺
79番天皇寺
 80番国分寺
 
八十八カ所
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