歩く四国八十八カ所
               i-愛ロマンチカ
   
涅槃の道場-香川県(讃岐)
第8回1日目 2015.11.26(木)
          
今日は、高松についたら、最初に金刀比羅宮を訪れ、それから75番善通寺次に76番金倉寺を参拝することにした。
金刀比羅宮と善通寺は、列車で一駅の近さ。
番外金刀比羅宮→75番善通寺2(3.8km)→ 76番金倉寺(3.9km)→ 77番道隆寺1
参考資料:「四国遍路ひとり歩き同行二人(地図編)(解説編)」 へんろみち保存協会編
                     
いつものように、深夜バスで高松へ。
高速バスドリーム高松1号、JR東京駅八重洲口発 25日20:50 JR高松駅着26日7:14。
JR列車 JR高松駅発 7:54  琴平駅着8:56.
    
番外 こんぴらまいり
金刀比羅宮
香川県仲多度郡 琴平町892-1 象頭山(標高538m)中腹に鎮座する神社。
以前は象頭山松尾寺と称していたが、明治元年の神仏分離令で金刀比羅宮と改称した。
江戸時代の初に、別当の象頭山松尾寺の宥光が参拝の土産物として印のうちわを考案して広め、
江戸時代中頃に入ると全国へ信仰は広がり、各地に金毘羅講ができ、金毘羅参りが盛んに行われる様になった。
この頃、金毘羅参りは、伊勢神宮へのお参りに次ぐ民衆の憧れだったといわれる。
「こんぴら船々 追風に帆かけて シュラシュシュシュ・・」で始まる民謡「金比羅船々」が歌われ始めたのは、江戸の末期
また、長い石段の階段が有名で、本宮まで785段奥社まで1368段ある。
      
JR土讃線琴平駅
この日も天候に恵まれず、本降りと小雨の繰り返しの一日。
また、とても寒い日で、参道を歩いているとき寒さで手の感覚がなくなり、
気が付かないうちにカメラや資料の入った紙袋を落としてしまい、紙袋はついに行方不明のまま。
金刀比羅宮参道階段へ
琴平駅出発 9:20

駅を出ると、駅前から西南西へ
まっすぐの道。正面に見える山が金刀比羅宮がある象頭山(標高521m)。。
歩くとすぐ右側広場に、「
シゴハチの動輪」。
シゴハチの動輪:四国の蒸気機関車は、
明治22年5月23日讃岐鉄道が琴平~丸亀の間を初めて走らせて以来80余年走り続け、
昭和45年に四国から姿を消した。
この動輪は、当時「シゴハチ」という愛称で親しまれた
58蒸気機関車の動輪。
直線の道を進み、交差点右角の金比羅宮神苑に、貴公子然の「高灯籠」。
高灯籠:6年の歳月をかけて1860年(万延元)に完成した高さ約27mの木造灯台で、発する光は丸亀沖に届くという。
高い石の基檀の上に木製で築かれ、内部は3階建てで、壁には江戸時代の人々の落書きが残っている。
木造灯台としては、日本一高い。

その先右側に、クラッシクな
ことでん琴平駅
小さなダムが設置されている金倉川にかかる大宮橋を渡り、突当りを左折する。
しっとりと雨に濡れた商店街を進み、「表参道口道標(合成写真)が立つ丁字路を右折し、
こんぴら表参道(合成写真)の立つ道を正面の象頭山を目指して進む。
参道階段 → 本堂
突当りに
最初の参道階段。 到着9:35、琴平駅から15分。
参道階段出発、9:35

上り口には、昔ながらの「石段かご」(上り5000円、往復6500円とか)があるというが、当然利用しなかった。
階段を上がるとちゃんと
お土産屋さんの行列。次々と現れる階段を「1,2,3・・・・」と数えながら上ると
この石段 上がって丁度百段目」の親切な看板。
いちいち数えて損しちゃった!ちゃんと教えてくれるジャン。
数えるのを止めたら、以降こんな親切な看板は現れることはなかった。やはり数えながら上った方が楽しいですよね。
長い急な階段、113段目の一の坂鳥居の両側に「重要有形文化財 備前焼狛犬」。
備前焼狛犬:1844年(天保15)に、備前岡山の「長栄講」により奉納された、高さ約5尺(約1.5m)の大きなもの。
製作者は、備前伊部村の木村長一郎とその親族。

一の坂鳥居から大門までは急な階段となるため、特に「一の坂」と呼ばれている。
その先左側に、「重要文化財 灯明堂と釣灯籠」。
灯明堂と釣灯籠:備後国因島の浦々講中の寄進により、1858年(安政5)に建立されたもの。
切妻造、瓦葺、堂は船の竜骨状の下梁を用いて、漁民や船乗りの島の大工が建てたらしい珍しい構造になっている。
灯明堂の中には、多数の釣灯籠が吊り下げられ夜の参道を照らす。

急階段
が続き、365段目で上り切り神域の総門の大門
大門:1649年(慶安2)、高松城主松平頼重(水戸光圀の兄)の寄進により、建立されたもの。
大門から先は、当宮の敷地内になる。
大門を潜ると、「元祖御飴 五人百姓看板を立て大きな白い傘をさして飴を売る美人5人。
お一人の方に、ご了解を得て写真を撮らせていただきました。上品でとても素敵な女性です。
五人百姓:古くから金毘羅大権現の神事に協力して経済的な援助をしてきたことで、
この5人の百姓だけが代々大門の内側での営業を許されている加美代飴の店。

「笑顔でしあわせこんぴらさん」横断幕の
鳥居を潜り、次に青銅の鳥居を潜って数十段階段を上がる。
431段目。平坦な桜馬場に出ると、正面に青銅の大きな鳥居。鳥居の両側に、「こんぴら狗」。
こんぴら狗:江戸時代のころ、飼い主が初穂料と道中の食費を入れた「こんぴら参り」の袋を首に巻いて旅人に託した犬。
無事代参をすませると、再び旅をして飼い主のもとへ戻る。
この、こんぴら参りの犬を「こんぴら狗」と呼ぶようになった。

この桜馬場の広場には御厩があり、中にはとてもおとなしい
馬が2頭
手前の黒鹿毛の馬は、父がG1優勝場ホリスキー子のトウカイ・スタント号で、馬年齢23歳(人間換算年齢推定92歳)。
奥の月毛の馬は、北海道帯広産馬年齢10歳(人間換算年齢推定40歳)「神馬 月琴号」。
神馬:神様が、お乗りになる馬。神馬は、神様の馬として厩で大切に飼育され、大祭に奉仕する。
この広場には、大きなトイレがある。(ここから先には、大きなトイレなし。)
青銅の門を潜って階段を上り、477段目。
正面高台に、大名行列の到着を見張ったといわれる黄色い「
着見櫓」。
その手前右側に、大きな円山応挙の襖絵看板。
その右手に
社務所門があり、奥には円山応挙の襖絵などが公開されている表書院
477段目から左折し、500段目の広場。
すぐ左側に、1650年(慶安3)に高松城主松平頼重から献納された
木馬舎。中には、京師田中環中斎弘教宗圓作の木馬
続いて、資生堂パーラー「
神椿」。1階がカフェ、地下1階がレストラン。
512段目右側に、黒門。黒門の前の下方に、「重要文化財 表書院正門
595段目右側に、祓戸社火雷社
祓戸社:祭神は、瀨織津姫神外3神で罪穢を祓い清める神様。人々は、ここで祓えを行い参詣する。
火雷社:祭神は、火産靈神外5柱の神で鎮火・消防の神、疫病を防ぎ止める神。
急な階段を上り628段目。広場に1837年(天保8)建立の高さ18mある旭社
旭社は、帰りに参拝するところ。そして、参道もここから行道と帰り道に分かれるという。
全くそういう予備知識もなかったので、すぐ参拝し、往復とも同じ参道を通った。
旭社を左手にみて進み、1867年(慶応3)伊予松山松齢講から献納された
黄銅鳥居を潜る。
642段目に、賢木門。 「賢木門」は、その昔「逆木門」と書いていた。
賢木門:天正年間(1573~1592)、長曽我部元親は兵を起こして諸州を侵略し、多くの神社仏閣を焼き払った。
元親は琴平山の隣の大麻山に陣取った時のある夜、琴平山の草木が全て敵兵に見え狂乱してしまった。
老臣らは、この出来事は霊境付近を犯したための神罰である、と考えた。そこで元親は罪を謹み、門を献納することにした。
ただ、建築を急ぐあまり、一本の柱を逆さまにつけてしまったので、その門は「逆木門」と呼ばれるようになった。
1879年(明治12)、改築の際「逆」の字を嫌い「賢木門」と書くようにした。

652段目の、京都錦講より献納された京都花崗石神明造の
鳥居を潜る。
連籬橋を渡り正面突当りに、八俣大蛇退治の神話に登場する建速須佐之男尊・奇稲田姫尊が祭神の
真須賀神社
建速須佐之男尊は、本宮の祭神である大物主神の祖神に当たる。
神社から左手へ進むと、大宮への急傾斜の階段。785段から、下を見ると目がくらみそう。おぉ~恐ぁ~。
階段を上り切ると785段目で、標高251mの広場。
時は、10:26。参道階段1段目出発9:35から、道中多数の写真を撮りながらで約50分。
正面に、
本宮
祭神は、大物主神のちに1165年(永萬元)に崇徳天皇を合祀。
農業、殖産、医薬の神として広く親しまれ、特に海上守護の神で有名。
社殿の創立は、大化の改新以前までさかのぼるといわれているが、詳細は不明。
1001年(長保3)、藤原實秋が一條天皇の勅で改築したのに始まり、その後たびたび改築が行われ、
明治11年(1878)の改築で現在の社殿ができた。本殿・幣殿・拝殿は、檜材が用いられ、檜皮葺の大社関棟造。
拝殿内は、正面からの写真撮影禁止。
本宮の前にあるクスノキの
神木は、幹の周りは約4.7メートル、高さは約25メートル。
本宮から三穂津姫社までの、南北に渡る長さ約40mの廊下は1878年(明治11)に作られた南渡殿
三穂津姫社:本宮の祭神である大物主神の后にあたる、三穂津姫神が祭られている。
三穂津姫社直所の前には、1824年(文政7)周防国驛上原惣左衛門延清より献納された、一文銭を集めて作られた
銅馬
本宮の北東側は、展望台になっていて、絶景の讃岐平野などを望めるはずであるが、あいにくの雨模様。
     
奥社へ   出発10:42
奥社まで、1368段。本宮から、583段。

本宮右端の「
奥社標識から進み、奥社入口案内板のある鳥居を潜る。
809段目、
真井橋を渡る。

階段を上り、832段目、常盤神社
常盤神社:祭神は、武雷尊・誉田和氣尊。
武雷尊は、神話「天孫降臨」の武勇の神様。
誉田和氣尊は、仲哀天皇・神功皇后の皇子で、八幡様として各地に広く祀られている神様。

少し長い
階段を上る。

923段目。本宮から約620mの白峰神社
白峰神社;祭神は、崇徳天皇。第75代天皇で、保元の乱のあと讃岐へ配流された。
その折り当山にも参籠され、1164年(長寛2)白峰の郷で崩御。
当山との深い由緒をもって、本宮と白峰神社に祀っている。
相殿には、天皇の母の待賢門院と大山祇の二柱を祀っている。
本殿は、1913年(大正2)に建立したもの。

この辺りは、紅葉の木が多いため「紅葉谷」と呼ばれてる。
その先で、1915年(大正4)に三重県桑名の近藤忠治ほか2名より献納された
紅葉谷鳥居を潜る。
階段を上がる。
974段目。祭神が、讃岐守を務めたこともある菅原道真の菅原神社前を通る。
奥社まで500m辺りから、
連続階段そして連続階段
奥社へ200mの階段を上ると、1098段目。1911年(明治44)に建てられた朱色のウツギ休憩所
中では、一人の青年が一生懸命スマホを操作していました。こういうところでも、電波届くんですね!
休憩所から左に折り返して
鳥居を潜り、長い階段
1261段目。手水舎から右に折り返して長い階段、そして最後の階段
1368段目。海抜421mの、奥社(正式名所は厳魂(いづたま)神社)へ到着。
時は、11:07。本宮出発10:42、所要時間約25分。
奥社:祭神は、厳魂彦命。現社殿は、1905年(明治38)建立。
厳魂彦命:象頭山松尾寺金光院主の宥盛は、戦国時代に荒廃した松尾寺を、信仰を広め境内を整備して再興させた人。
1613(慶長18)に没し、死後は本堂付近に祀られた。
明治元年(1868年)の神仏分離令で、象頭山松尾寺金光院は廃され、祀られていた宥盛は厳魂彦命と名を変え、
1905年(明治38)に現在の奥社へ遷座された。
奥社に向って左手の断崖は、「威徳巌」といい、厳魂彦命と崇徳天皇がここで参籠されたとの言い伝えがある旧跡。
「左 烏天狗 右天狗」の案内板。
烏天狗と天狗の彫物があるらしいが、妻と私の4つの目で探したがついに見つけることができなかった。
信心不足? さて、皆さんは?
    
  1番弥谷寺~
72番善通寺
72番善通寺~
 73番金倉寺     
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