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66番雲辺寺(18.1km)→ 67番大興寺 |
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境内で、来るとき追い越して来たヒゲのHさん、東京の女性と一緒になる。
そして、ヒゲのHさんが早く出発し、しばらくして東京の女性。私たちは女性の15分後くらいに雲辺寺を出発。
雲辺寺出発 9:11。
山門の参道階段を下りて左手奥のトイレの方へ進み、トイレの左手の坂道を下る。 |
五百羅漢 |
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坂道の左側に、いろいろな姿形、形相をした五百羅漢。
五百羅漢は、坂の下りに従って順番に撮っている。雪のないところは、ちょっとした日蔭・日向の関係だと思う。 |
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一つひとつ一日見ていても飽きない。 |
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五百羅漢を通り過ぎ、一直線の下り坂。
途中左手の坂道に入り、まさに雪国の山道。 |
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分かれ道は、直進する。左手の坂道は、萩原寺とロープウエーへの道。
尾根道、こんなところにベンチ。
山道を下りるまで、ベンチが何カ所あるか数えた。まずは1ヶ所。 |
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余りにも急すぎて前方が見えない坂、カーブする危険な急坂、延々と続く雪道。 |
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徐々に積雪が少なくなり急角度の急坂、積雪があったらどんなに大変だったろうと余計な心配。
県境界看板が見当たらないが、急坂手前辺りが徳島県と香川県(栗井町)の境界。
(前記ロープウエー分かれ道から約500m地点)
香川県栗井町地内の坂道を下り、細い崖道を下る。 |
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真っ直ぐな坂道、表面上はなんでもないようだが実際は靴が泥濘ドロドロ道。右折するところにベンチ。 |
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長い階段、このように谷間になっているところの道は特にひどい泥田、そして左折するところにベンチ。 |
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左折するところにベンチ、右折するところにベンチ、右折するところに「へんろみち」案内板とベンチ。 |
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角でないところのベンチ、急傾斜の階段が続き、右に曲がるところにベンチ。 |
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階段、右に曲がる階段のところにベンチ、石ころだらけの急階段、 |
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左折するところの階段にベンチ、前につんのめるようは急階段。
「野鳥を観察しよう」案内板とベンチ。
「野鳥を観察しよう」案内板には、
「30種類の野鳥の、種類、鳴き声、俗名、体長などが事細かく記載されている、貴重なもの。 |
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ベンチ、崖道、「へんろみち」案内板とベンチ。 |
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左折するところに、「四国みち」道標とベンチ。次に、「四国みち」道標と「鰻渕(おうなぎざん)伝説」案内板とベンチ。
鰻渕(おうなぎざん)伝説案内板:昔、大和の国から別所平内という人が、この地に来て谷あいを開墾して住んでいました。
平内には源左衛門と源三郎という大変親孝行で新人深い二人の子供がありました。
ある年、四月から夏にかけて百日余りも雨がなく、大干ばつで作物は枯れ、人々が大変苦しみました。
それを見かねた兄弟は困っている人々を助けようと、山の峰にこもり、七日間雨乞いをしました。
最後の夜、美しい女の神様が現れ、お告げがありました。
そのお告げどおり翌朝地面を掘ったところ、清水がこんこんと湧き出ました。
そしてその中からまばゆいばかりの五色の光と共に小さな黒い鰻が現れ、岩の上に登りました。
更に兄弟が大雨を降らせて下さいと一心に祈り続けると、
うなぎが再びもとの清水にもどるやいなや一天にわかにかき曇り大雨となった。
雨は田畑を十分に潤し作物はよみがえり人々は助かりました。
それ以降この渕はおうなぎさんと呼ばれるようになり、お参りする人があとをたたなかったそうです。
(鰻渕は、このへんろみちの東側の谷で林道から少し入ったところにある。)
道はゆるやかな坂道となる。 |
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階段が始まり、凄い急階段、そして延々と続く階段とベンチ。 |
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これが最後のベンチ。
さて、ベンチの数は17カ所でした。何故こんなに多くのベンチを置かなかればならなかったんでしょうね。
(エッ、数える方がバカですか)
ようやく階段が終わり車道を横断して、「青空屋400m」看板(合成写真)立つ急階段を下りる。 |
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草むら道を進み、突当りを右折し、坂を下り突当りで車道に出て右折する。
車道との合流地点が、雲辺寺から4.3km。時は11:17。 所要時間 約2時間。
所要時間がかかり過ぎだが、途中一切休憩していないので雪道で足元が悪かったせいだと思う。 |
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道なりに右にカーブして進み、分かれ道は左手の坂を下り、道なりに進み民宿青空屋脇を通り集落に入る。 |
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栗井川にかかる谷口橋を渡り、突当り丁字路を左折して県道240号線と合流し、道なりに進み擁壁脇を通り、
青空の岩渕池沿いに進む。
ここで、雲辺寺を先に出発した東京の一人遍路の女性に追いつく。そして、次の大興寺まで一緒に歩く。
40歳前後かと思っていたら、62才とのこと。それにしても、凄い美人。
定年退職を機に、亡くなった親の故郷の四国八十八カ所を巡られているとのこと。
この方とはとても縁があって、最初の出会いはこちらに来た初日の5日の夕方、JR伊予小松駅の写真を撮っていたとき偶然に。
今日雲辺寺への山道、そして今。
それだけでなく、69番観音寺の薬師堂前で数秒違えば会えなかったほど微妙な出会いでお別れの挨拶。本当に奇縁でした。 |
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分かれ道は県道240号線と別れ右手に入り、すぐ先で左折して道なりに進み、左側に「みんなのお休み所」。 |
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右にカーブして集落に入りすぐの分かれ道は左手に入り、家並の中を通り、集落を抜けて畑道を進む。 |
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四国の山々は突出した高い山はないが、みんな自分が一番とどんぐりの背比べをしているよう。
突当りは左折右折して左斜め道に入ってガードレール沿いに進み、小さな集落の中を通る。 |
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その先の交差点は右折し、坂道を上り、そして下る。
遠くから、坂の頂上を歩いているヒゲのHさんの姿がちらりとみえたが、大興寺までの間に追いつけなかった。 |
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畑道を進み観音寺市から三豊市に入り、交差点を直進して道なりに進み、分かれ道は左手を進む。 |
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道なりにまっすぐ進み、ゆるい坂を上り交差点を右折して、すぐの「民宿おおひら」(合成写真)角から左折する。 |
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坂道を下って左にカーブして駐車場に出て右折し、香川用水分水路の橋を渡って左折する。 |
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分水路沿いに進み、すぐの橋を渡ったところが大興寺。 |
大興寺到着、12:20。 |
雲辺寺から 9.4km。 所要時間 約3時間。 |
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第67番札所小松尾山大興寺(だいこうじ) (香川県三豊市本町) |
開基:弘法大師 本尊:薬師如来 |
天平14年(742年)に東大寺の末寺として現在地より約1km北西に建立され、
嵯峨天皇の勅願によって、弘法大師が弘仁13年(822年)に開基し、本尊の薬師如来を刻んで安置した。 |
天正年間(1573~92)、土佐の長宗我部軍の兵火で堂宇は焼失し、寛文年間(1661~73)に現在地に再興された。 |
本堂は、寛保元年(1741)に再建された。 |
本堂内右側に、「7日燈明」。赤い蝋燭を7日間灯し祈祷してもらうことで、病気平癒、安産、良縁などのご利益がある。 |
仁王門(山門)は、文保2年(1318年)建立。 |
仁王門の左右に立つ、県指定文化財、像高3.14mの「木造金剛力士像」は、鎌倉時代の運慶の作で四国一の大きさ。 |
天台大師堂:天台宗の宗祖、中国隋時代の高僧智顗を祀っている。 |
県指定自然記念物小松尾寺のカヤ:弘法大師お手植えで樹齢約1200年、樹高20m。 |
県保存木大興寺の大クス :樹齢約700年、樹高25m。 |
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仁王門(山門) |
本堂 |
本堂内右側の7日燈明 |
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天台大師堂 |
小松寺のカヤ |
大興寺の大クス |
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67番大興寺(8.7km)→ 68番神恵院・69番観音寺 |
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大興寺出発 13:07。
山門を出て香川用水分水路にかかる橋を渡って左折し、分水路沿いに進み、突当りを左折する。 |
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すぐ左折して坂道を上り、右にカーブして上り左にカーブし、その先の交差点は右折する。 |
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一本道を道なりに進み、橋を渡って右にカーブし、坂道を上り切って車道に出て右折する。 |
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すぐ左手の坂道を上り、道なりに進み、突当りの分かれ道は左手の坂道を下る。
分かれ道を直進するのも、もうひとつの遍路みち。 |
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坂道を下り突当りで右にカーブし、国道377号線に出て左折し、
ゆるい坂を下り三豊市から再び観音寺市へ入り民宿四国路前を通る。 |
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その先の信号交差点を右折し、道なりに進み、右にカーブするところで左手の細い道に入る。 |
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突当りを左折し、次の突当りも左折して、次の分かれ道は右手を進み金神神社前を通り道なりに右にカーブして進む。 |
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その先で、豊田小学校前を通り、信号交差点を直進し、桜の下を進む。 |
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仁池の脇を通り、交差点をまっすぐ進み、分かれ道は左手を進む。 |
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道なりに進み池之尻信号交差点に出て右折し、県道6号線を進み、高松自動車道高架下を潜る。 |
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すぐ先右側に、「ようこそお四国へ お遍路さん休憩所」と「お遍路さんもご自由にお使い下さい」トイレ。(合成写真)
ありがとうございます。助かります。
池の脇を通り、その先に民宿岡田のご主人が「名物やきもち」が美味しいと自慢していた「汐澤製菓」店。
と、そのとき戸を開けて店から出てくる男、店のご主人でした。
私たちに、2個ずつ「名物やきもち」。お接待でした。
その時間になると、大興寺から神恵院へ向かう歩き遍路を店から見ているとのこと。
20mほど先右側に休憩所があるから、そこで食べては、とまで言ってくれました。ありがとうございました。
実は、大事に今日の晩翠旅館まで持って行き、ゆっくり美味しくいただきました。 |
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店のご主人が紹介してくれた、赤い日傘の「お遍路さん休憩所」。街の真ん中に「赤い日傘」とは、心憎いばかりです。
時は、14:17。
この休憩所地点が、大興寺から5.0km。 所要時間 1時間。
県道6号線を進み出作町信号交差点を直進し、次の信号の右側の出作町北自治会館敷地内にひっそり佇む「観音堂」。
一直線に進み県道237号線との信号交差点を直進する。 |
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レンガ歩道がきれいな6号線を進み、JR予讃線踏切を渡り、その先の信号を右折する。 |
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明治橋を渡り、突当りを左折して進み分かれ道は右手を進む。
分かれ道手前にある、「大平正芳記念館」は平成27年3月末で閉館。
道なりに進み信号交差点、次の殿町信号交差点を直進する。 |
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華やかな通りに入り、右側に「旅館晩翠・味処一亭」看板(合成写真)。
今日宿泊する「晩翠」にリックサックを預かったもらい、身軽になる。
その先の県道5号線信号交差点を直進し、次の三架橋信号交差点で観音寺信用金庫角から右折し県道21号線に入る。 |
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県道21号線を進み、財田川にかかる三架橋。 |
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側面から見る三架橋は、とても優美な姿をしている。
橋の側道を通り、渡り終えて八幡信号交差点を左折し、琴弾公園の鳥居の手前の小さな橋(合成写真)から右折する。 |
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川沿いに進み、道なりに住宅街に入り総持寺惣持院塀角から左折し、「四国第六十九番霊場」石柱のある参道を進む。 |
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突当りの参道階段を上り、神恵寺・観音寺。 |
神恵寺・観音寺到着 15:13。 |
大興寺から、8.7km。 所要時間 約2時間。 |
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神恵院と観音寺は、琴弾山中腹の同一境内にある「一山二霊場」。山門も納経所も一緒であるが、納経料は2寺院分納める。 |
第68番札所七宝山神恵院(じんねいん) (香川県観音寺市八幡町) |
開基:日証上人 本尊:阿弥陀如来 |
大宝3年(703)、大嵐の夜、宇佐の八幡大菩薩を乗せた船から琴の調べが聞こえてきた。 |
山で修業していた日証上人が、この船からの神のお告げで船を山頂に引き上げて、社殿を造って琴を神宝として祀った。 |
この山が琴弾山、社殿が琴弾八幡宮。神恵院は、日証上人によって八幡宮の別当寺として創建された。 |
大同年間(806~810)に、弘法大師が訪れて琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来像を描いて本尊とし、 |
琴弾八幡宮を68番、別当寺を観音寺と寺名を改めて69番と定めた。 |
明治初めの神仏分離によって、琴弾八幡宮と観音寺は分離され、
琴弾八幡宮に安置されていた本地仏は観音寺の西金堂に移された。 |
のちにこの西金堂が神恵院の本堂となり、2寺は独立することになった。 |
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第69番札所七宝山観音寺(かんのんじ) (香川県観音寺市八幡町) |
開基:日証上人 本尊:聖観世音菩薩 |
日証上人が、琴弾八幡宮の別当寺として創建した。 |
大同年間(806~810)、唐から帰国した弘法大師が第7代住職になった。 |
弘法大師は、聖観世音菩薩を刻み、本尊とした。 |
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観音寺・神恵院仁王門(山門) |
神恵院本堂 |
重要文化財室町時代建築観音寺本堂 |
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参道階段の上に薬師堂 |
樹齢約1000年の楠。 |
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付録:銭型砂絵 |
薬師堂脇から上り、象ヶ鼻岩銭型展望台から見る、有明浜に描かれている巨大な「寛永通宝」銭型砂絵。
銭型砂絵:寛永10年(1633)徳川家光が讃岐巡遣使を派遣するとの報せを受けて丸亀城主生駒高俊が領内を巡視した際、
地元の古老たちが領主歓迎のため、有明の砂浜に銭型の砂絵「寛永通宝}を一夜のうちに作り上げたという。
東西122m、直径南北90mの楕円形。
以来砂上の芸術品として、毎年春と秋に形を整えて保存されている。夜は、22時までライトアップ。 |
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薬師堂脇上り口。 |
銭型展望台 |
銭型砂絵 |
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68番神恵院・69番観音寺(4.9km)→ 70番本山寺1 |
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神恵院・観音寺出発 16:31。 |
山門を出て、駐車場広場の左斜め奥へ進み、右折して坂道を下り、車道に出て右折する。 |
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道なりに進み小さな八幡橋を渡り、その先の信号交差点を直進してゆるい坂を上り、次の信号交差点を横断して大小路橋を渡る。 |
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橋を渡り終えた交差点を、左折する。
今日は、ここまで。
時は、16:43。
神恵院・観音寺から、0.5km。 所要時間 約10分。 |
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今日の宿 |
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晩翠旅館(左に併設「味処一亭」) (2食付 遍路特別料金 6100円) |
一般客を含め、宿泊客は民宿岡田で一緒だった長崎からの5人組と私たちの計7人。 |
晩翠は、もともと一般旅館なので、6100円で宿泊できるのは、最高。 |
食事は、私たちは併設の味処一亭で一般客と一緒に食事で、懐石料理。当然味は最高、この上なく幸せ。
トイレ、バスは共同。
バスは、広いスペースで久々にゆっくりくつろいで身体を癒せる。
庭は、素晴らしい景観。 |