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出発 6:54。
今日も、小雨の降る悪天候で暗い。下手な写真が、ますます見る影もなしで、情けない。
松屋旅館前から左折し、讃岐街道を進みすぐ県道128号線交差点を直進する。
ただひたすらに四国中央市の土居町地区を道なりに進み、池の脇を通り、その先で国道11号線の信号交差点を直進する。
夜のように暗くて、信号など見えやしない。 |
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家並の道を通り、池沿いに進みその先で村山神社境内脇を通る。
斉明天皇の行宮跡とも考えられている神社で、ここ、神社入口(合成写真)なんだけど、暗くてわかんないですよね。 |
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まだ、夜のとばりがあけやらぬような四国中央警察所津根駐在所の赤ランプ、
讃岐街道を道なりに進みその先で松山自動車道高架下を潜り、橋を渡り民家の左側へ進むことになるが、
只今橋の建替工事中につき、迂回して仮橋を渡り対岸に渡る。 |
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豊岡町地内の讃岐街道を進み、道巾の狭い住宅街を通り、理容店先で豊岡橋を渡る。 |
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ゆるい坂道を下り、次にゆるい坂道を延々と上り続け、西谷川にかかる西谷橋を渡る。 |
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ここで、問題発生。
道なりに進み、分かれ道。この分かれ道は、結果において直進が正解。
ここの道標は、たった1枚のワッペンだけ。
このマークのワッペンには、昨日王至森寺参道入口の「逆打ち」で痛い目にあっている。
周囲をうろうろ探したが、他に道標なし。
このワッペンに従い、分かれ道を左折して国道11号線を進んだが、いつまでたっても次の道標がない。
仕方なく分かれ道に戻り、直進する道に入って讃岐街道を進む。
また、このマークワッペンに迷わされてしまった。
14分のロスタイム。
すぐ先右側に諏訪神社、そして一直線に進む。 |
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寒川町地区に入り生協宇摩診療所前を通り、「貴久ちゃん」って居酒屋だよね。最近居酒屋とは全くご縁がなくってしまった。悲しい。
その先で、うま農協寒川支店前を通る。 |
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四国中央警察署寒川警察官連絡所、寒川小学校そ先で県道126号線と合流して進み、伊予三島寒川郵便局前を通る。
この先で、松屋旅館を30分ほど早く出発したヒゲのHさんを追い越す。 |
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車道を直進して細い道に入り、うま農協中之庄支店前を通り、その先で道は広がりゆるい坂道を上る。 |
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国道11号線川之江三島バイパスの信号交差点を横断(歩道橋で)し、
横断してから左折する讃岐街道と別れ、直進して126号線を進む。
左側に、「ヘンロ小屋43号」(合成写真)。
道なりに進み交差点を直進し、三谷紙工建物角から126号線と別れ右折する。 |
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左にカーブしミヤザキマンション前を通り、その先の交差点を直進する。
交差点右角に、「石床大師堂」石柱と「ひよけ大師」(合成写真)。この関係は、謂れは、なんだろう? |
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細い道を道なりに進み、武村商店前を通って延命橋を渡り、ゆるい坂道を上って国道319号線を横断してビルの横を進む。 |
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その先で左にカーブし国道11号線川之江三島バイパス線擁壁沿いに進む。
右側に、若連中建立の遍路石。
若連中建立の遍路石案内板:この石柱に刻まれた天明八年(1788)は、近隣の現存標石中古い方に属する年号で、
中曽根村が三角寺道をつけた時期につながる。
当村には古くから別れ路に地蔵尊があった。
この年から集落毎に若者や女性達仲間がへんろさんの為に道標を建て始めた。これが近村に広がる。
さらに宇摩郡や全国の篤志家も三角寺や奥の院への道筋に案内石を建てた。
その上古い奥の院詣での丁石などを加えると八十八カ所中遍路石の数は大変多くなったといえる。
擁壁の終わりで右折して、11号線を横断する。
ここで、先ほど追い越して来たヒゲのHさんが、突然私たちの前を歩いているではないか! 何故、なぜ…? |
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国道11号線を横断して反対側に渡り左折して11号線沿いに進み、
右折してその先突当りを左折して中曽根小学校擁壁沿いに進み、ゆるい坂道を上る。 |
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交差点を横断し、次の交差点を右折して坂道を上り、分かれ道は左手を進む。
この辺りで、ヒゲのHさんをまたまた追い越す。 |
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道なりに進み、突当りを右折し、坂道を上る。 |
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分かれ道は、右手の坂道を上り、その先で松山自動車道トンネルを潜り出て左折し、松山自動車道沿いに坂道を上る。
このトンネル地点が、松屋旅館から12.7km(前神寺からは40.9km)。 所要時間 約3時間。 |
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坂道を下ってまた上がり浄水タンク脇を通り、坂道を下り続け水道局富郷配水管理事務所の交差点を右折し
ゆるい坂道を上り突当りを左折する。 |
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道なりに進み突当りを右折して疎水公園の中を通り、分かれ道は左手を進んで疎水神社脇の坂道を上る。 |
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すぐ先で左手の坂道を上り、突当りを左折して狭い坂を上る。 |
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上り切ったところで車道に出て左折し、ゆるい坂道を道なりに上り、突当りを左折し、石垣の坂を上る。 |
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分かれ道は右手を直進し、狭い道を進み、次の分かれ道は右手を進む。 |
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分かれ道は左手を進み、平坦な道を道なりに進んで、下りになる手前で右手の坂道に入る。
時は、10:15。
坂道の入口地点が、松屋旅館から13.9km(前神寺からは42.1km)。所要時間 約3時間30分。 |
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雨で湿った道はなんとなく気味悪く感ずるほど、しーんと静まり返った道、突当りで橋を渡り右折する。
ふと思うと、今日はヒゲのHさん以外の人間に出会っていないような気がする。でも、いつものことですけれどね。 |
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川沿いに進み、分かれ道は左手を進み山の中に入る。
突然、チューリップのお花畑! エッ、これ何、信じられない!
前方は、近くは麓の町並み、遠くには瀬戸内の海。晴天なら、さぞかしきれいな風景だったろうに、残念。 |
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少し先左側に、椅子にテーブルそして水道設備まである立派な休憩所。
それに、石に書かれた顔(合成写真)。2コもあります。和みます。
チューリップ畑を含めて、遍路の人のために作っていただいているのかも知れない。ありがとうございます。
進み、木立の中に入って左にカーブしたところの高台に、小さな祠。 |
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細い山道から車道に出て右折し、車道を進んで左折し、長い坂道を上る。 |
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右折するところで左の細い道に入り、本格的な山道を登る。
時は、10:32。 |
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急坂を登り下りを繰り返し足場の悪いところも多い。
私たちは、こういうところは急坂であろうが休みなしで一気に登ることにしているが、この山道は結構険しい。 |
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「左三角寺」道標から一方的な下り坂となり、霧の林道を通り、突当りで車道に出て左折する。
時は、10:57。 細い道入口から、25分。
車道地点が、松屋旅館から16.2km(前神寺からは44.4km) |
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車道を右に大きくカーブして、道なりに進む。エッ!こんなところに手入れの行き届いたネギ畑。 |
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蛇行しながら下り続け、右にカーブしたところに広場。
天然石を積みあげた約70段の参道階段に、参拝を終えたツアーの団体さん。多分、今朝出発以来初めて出会った「人間」。 |
三角寺到着は、11:04。 |
今朝出発した松屋旅館から、17.0km。 所要時間 約4時間。 |
前神寺から 45.2km。 延所要時間 約11時間30分。 |
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第65番札所由霊山三角寺(さんかくじ) (愛媛県四国中央市金田町) |
開基:行基 本尊:十一面観世音菩薩 |
標高450m三角山中腹に位置する。 |
天平年間(729~749)に、行基が聖武天皇の勅願で開基。 |
弘仁6年(815)、弘法大師がこの寺を訪れ十一面観音菩薩像を刻んで安置した。 |
大師は、さらに不動明王も刻み三角形の護摩壇を築いて21日間の護摩修法を行った。寺号は、これに由来する。 |
天正9年(1581)長宗我部軍の兵火で全ての堂宇が焼失し、現在の本堂は、嘉永3年(1850)以降に再建されたもの |
小さな「三角の池」は、大師が秘法を修した護摩壇の跡と伝えられる霊跡。池の中の三角形の島には、弁財天が祀られている。 |
本尊は、子安観音・厄除観音として信仰されている。 |
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仁王門(山門) |
本堂 |
三角の池と弁財天の祠 |
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65番三角寺(18.1km)→ 66番雲辺寺1 |
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三角寺出発、 11:41。
参道階段を下りて、広場の右前方「椿堂 常福寺」看板(合成写真)から右折する。
紛らわしい表示案内があるため、広場左前方を左折する人が多いとか。要注意。
左にカーブし坂道を上り、その先で下り坂が蛇行して延々と続く。
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左の急斜面の下の方で何やら人の気配。
「何を採っているんですか~」「ワラビだよ~」
近くには民家がない、ということは遠くから来ている奥さまたちかな。もしかしたら、秘密の場所だったかも。失礼しました。
小雨は降りやまず、霧がかかっている道、林の中はもう夕方のよう。 |
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霧中を抜け出て坂道を下り、「この先落石あり 通行注意」標識。そしてきちんとした対策がされているので安心。
そういえば、このところ、「落石注意」標識はとんと見なかったような気がする。
愛媛県入ったら「落石注意」、崖崩れ注意」の標識が多かったが、同じ愛媛でも地質が相当違うんでしょうね。
道なりに下り、左側に「旅籠屋「島屋跡」」石柱(合成写真)。
旅籠屋「島屋跡」石柱碑文:薦田の家譜で約5アール(150坪余)の土地に広壮な建物があり、
街道は屋敷の東(現在の谷)を下り隅で西に曲がり石垣の下を通っていた。
石垣は土佐の石工が宿賃の代わりに積んだと言われ、兼山の鼠面積(長い石を奥行き深く使い太平洋の荒波にも強い)として有名。
少し進んだ左側に、新しい「土佐街道」石柱。
この道は、土佐藩主山内公の参勤交代のために造られた街道で、
この地「平山」は、土佐街道とへんろ道が合流するところで、
土佐藩主の一行、遍路の旅する人、金毘羅詣での人々が行き交った。 |
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その先右側に、石積の段々畑。畑の外れのところで左側から急坂を下りて、県道5号線に出て左折する。 |
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前方の「平山」バス停から5号線と別れて右折し、
突当り丁字路を右折して進み、「お遍路さん お疲れ様です ご自由に休憩ください」案内板。 |
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案内板裏側に、「ゆらぎ休憩所」。ところで、「ゆらぎ」とはどういう意味なんでしょう?
「絶え間ない変化」と言うような意味?
しばらく進み、電柱脇から細い急な坂を下る。 |
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下り切ったところに、小さな小さな滝壺。
そこから左折して小川沿いに進み、左に、右に大きくカーブする。 |
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突当りで車道に出て右折し、左にカーブしてゆるい坂道を下り、
右側建屋に「四国遍路・夜の宿かします」看板。歩く旅人には、大変助かります。ありがとうございます。
左に、右にカーブして道なりに進む。 |
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「お遍路さん 休憩所」札(合成写真)がかかっている建物。
広いガレージの一角に、テーブルと多数の椅子。そしてカーテンで仕切ることができるベッド。
多分宿泊もできる、立派な休憩所。ありがとうございます。
エッ、奥にオジサンが居るって?。それって、よくできた人形なんです、悪いことをしなければ大丈夫ですよ。
道なりに坂道を下る。 |
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その先で高知自動車道トンネルを潜り、小さな乙渕橋を渡り坂道を下って集落を通り、丁字路を直進する。 |
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石垣の坂を下り、ようやく雨があがり遠くに国道192号線、坂道を下り続け右にカーブする左側に椿堂常福寺。
時は、13:27。
椿堂地点が、三角寺から6.0km。 所要時間 約2時間。 |
椿堂常福寺 |
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本堂 |
椿堂のシンボル大師お杖椿 |
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常福寺・椿堂:大同2年(807)邦治居士が地蔵菩薩を祀り当地に庵を構えたのが始り。
弘仁6年(815)、弘法大師がこの庵を訪れ、当時この地で熱病が流行しているのを聞き、
杖をもってその邪気を地中に封じ込めた。
空海が立てた杖から椿が芽を出し成長したので、人々はこの庵を「「椿堂」と呼ばれるようになった。
江戸時代の宝暦11年(1761)、近くの常福寺が全焼したので、常福寺をここに移し常福寺・椿堂とした。
安政6年(1859)に、寺院は火災に遭い椿も焼亡した。
現在の椿は焼け跡から再び芽が出たもので、「大師お杖椿」と呼ばれている。 |
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椿堂出発、13:34。
椿堂から右にカーブして坂道を下り、突当り丁字路を右折して金生川沿いのゆるい坂道を上る。 |
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突当りで左にカーブして橋を渡って右折し、国道192号線のゆるい坂道を上る。 |
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下川口バス停先で、遍路道は一旦右手に入りすぐ戻ることになっているが入口がわからず、そのまま192号線を登る。
上葱尾バス停先右側に「お遍路さん休憩所 しんきん庵・法皇」。
蛇行しながらいつまでも続く坂道。
境目トンネル手前600m地点で、境目峠を通る右に入る道があるが、
松屋旅館の女将から「峠道は分かり難いので行かないように」と強いアドバイスを受けているので、遠慮した。 |
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、ようやく境目トンネル。延長855m境目トンネル内は、トンネル巾も歩道巾も狭い上に結構自動車の通行がある。
車同志がすれ違う時は歩道へ接近してくるので、特にトラックなどの場合は恐怖感を感じる。
時は、14:40.
境目トンネル入口地点が、常楽寺から4・4km(三角寺から10.4km)。 所要時間 約1時間。
トンネルと出ると、192号線は下り坂ですぐの「徳島県三次市」境界標識で愛媛県四国中央市から徳島県三好市に入る。
不思議なことに、境界標識から道路の色が変わっている。
ただし、本当の市の境界はトンネルの中央部辺りだった。 |
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「うどん」看板前を通り、その先左側に別れる道も遍路道であるが、ここではこのまま192号線遍路道を下る。
左側に、「民宿 岡田」立看板(合成写真)。
時は、15:11。
この地点は、三角寺から13.1km地点。 所要時間 約3時間30分。 |
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そして左手に、「民宿 岡田」 (写真は民宿の裏側)。 |
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今日の宿 |
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民宿岡田 (2食付6500円)(写真は正面) |
70番本山寺までの、手作り経路図 |
この日の宿泊客は、例のヒゲのHさんと長崎からの男性先達・女性4人の組と私たちの計8名。(宿は、これで満員) |
到着すると、すぐ金剛杖を洗ってくれて部屋へ持って行ってくれる。靴の中には、乾燥剤を入れてくれる。
遍路宿のたしなみのプロ。 |
住居と宿泊が別棟になっているが、特別なことがない限り支障がないと思う。 |
遍路宿としては、浴室と浴槽が何しろ狭いという以外、特に問題ない。 |
料理は、栄養面にも気配りされていてかつ美味。 |
朝食は、朝6時に全員で食べる。 |
男主人と息子さんの奥さんの2人で経営しているよう。 |
夕食は、和室に長テーブルで8人一緒にいただく。男主人がそばについていて、世話をやく。 |
食事が始まってしばらくすると、この男主人が翌日の70番本山寺までのご自分で歩いて調べたであろう |
史蹟、景色、目印などなどなど一杯書き込んだ手書きの案内経路図(写真中、右)を全員に配って、説明を始める。 |
漫談調で、何しろおかしく楽しい独演会で、皆ついつい食事を忘れて笑いこげてしまう。 |
このご主人は、86才とのこと。どう見たって、60代前半にしかみえないので、ビックリのビックリ。 |
奥さんは15年前に亡くなられ、7年間自分一人で宿を経営していたが、今は息子さんの奥さんと一緒にやっているとのこと |
いつも、こうやって人を喜ばしているので、健康そのもので元気一杯。 |
そして、何しろ遍路宿をやっていることが、楽しくてたのしくてしょうがない、というように見える。 |
遍路の旅に関係なく、このご主人の元気をもらいに宿泊してもいいのでは、と思ってしまう。 |
翌日の朝いただいた昼食のおにぎりは、 |
中が仕切られたプラスチックケースに、「おにぎり2個、梅干し、ゴマ、漬物」が丁寧に入ったもので、
ついその心配りに感謝。 |
通常は昼食をとらない私たちですが、大興寺境内でおいしくいただきました。 |