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吉祥寺出発 7:17。
吉祥寺から国道11号線に出て左折し、すぐ先の朝日町信号交差点を右折し、小雨降り続く一般道を進む。 |
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その先の伊藤呉服店角の讃岐街道交差点を左折し、車も人の気配もない讃岐街道を進み、猪狩川にかかる上猪狩橋を渡る。、 |
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猪狩川沿いに進み、右側に「たごり地蔵 大久保四郎兵衛の祠」。
大久保四郎兵:天下統一を目指す豊臣秀吉の命を受けた西国大名小早川隆景が、
天正13年(1585)に四国に2万という圧倒的な軍勢で攻めてきたとき、地元軍として少数の兵でかたんに戦った武将。
たごり地蔵:「たごり」とは、もともと動詞の「たごる」で、意味は「咳をする」という意味。
いつの頃からか、たごり(咳)に効能があると評判になり、信仰を集めているという。
先に進み小さな橋を渡り、野々市地区集落に入って野々市集会場前を通り、小さな豊橋を渡る。 |
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楢木地区集落に入り、西条市消防団橘分団の道を挟んで右側に、
阿弥陀寺堂と「阿弥陀寺ののだふし」碑が立つ立派な藤棚(但しこのときは、シーズンオフ)(合成写真)。 |
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西泉乙地区を進み、右側に脚にご利益があるという丹民部守神社。境内に、椿の巨木。 |
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分かれ道は右手の讃岐街道を進み、右側に石鎚神社。参道は、桜の通り。
石鎚神社:石鎚神社は、霊峰石鎚山を神体山と仰ぐ、奥宮頂上社、中宮成就社、土小屋遥拝殿とここ口之宮本社の4社の総称。
諸願成就の神様として知られ、殊に家内安全・厄除開運・病気平癒の神として信仰を受けている。 |
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讃岐街道の坂道を下り、横断歩道右側に前神寺。
時は、7:59。 |
吉祥寺から、3.2km。 所要時間 約45分。 |
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第64番札所石鉄山前神寺(まえがみじ) (愛媛県西条市州之内甲) |
開基:役行者小角 本尊:阿弥陀如来 |
前神寺は、本来は石鎚山中腹にあった寺で、冬場雪が深く参拝できないため山麓に建立されたのがこの(里)前神寺。 |
現在も、石鎚山には奥の院として奥前神寺が残る。 |
1300年以上前に、役行者小角が、石鎚山頂で修業中に現れた石鉄座生権現を祀ったのが始まり。 |
弘法大師も石鎚山で修業し、求聞持法を修めて霊場とした。 |
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山門 |
本堂への石段
(中央部より、左側の石段の高さが低くなっていて、足弱者にやさしい。) |
神社建築権現造り、銅板葺き本堂 |
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本堂への石段の上り口右側に、岩場に彫られた「御滝行場不動尊石像」
硬貨を投げてくっついたら「福」が舞い込む。試みたが、接着剤がなければくっつかないヨ! |
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64番前神寺(45.2km)→ 65番三角寺1 |
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前神寺出発 8:35。
山門を出て右折し、讃岐街道を進み、桜の木の下を通り、「湯之谷温泉入口」看板脇を進む。 |
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道なりに進み左にカーブして集落に入り、国道11号線手前のカーブミラーのある交差点で讃岐街道と別れて右折し、
道なりに進む。 |
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温室の前。開放されているとこから、ちょっと拝見するとネギでした。
道なりに進み、突当り丁字路を右折しすぐ左折する。 |
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畑道の分かれ道は右手を、その先は道なりに左折し、集落を通り抜けて用水路沿いに進む。 |
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住宅の前を通り左にカーブして分かれ道は直進して右折し、用水路沿いに進む。 |
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突当りは左折して小さな宮前橋を渡りすぐ右折し、一直線の道を進み、住宅街に入り坂道を上る。 |
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国道194号線を横断し、加茂川にかかる人・自転車専用橋「伊曾乃橋」を渡る。
194号線横断地点が、前神寺から3.4km。 時は、9:24。 前神寺から、約1時間。 |
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橋を渡って右折し、只今桜満開の加茂川堤防道を進む。
堤防左手は、武丈公園とトイレ。
武丈公園の桜:江戸時代の末、庄屋加藤右衛門が加茂川のこの地に住居を建て、「武丈庵」と称して桜を植えたのが始まり。
愛媛県下では有数の桜の名所として知られ、100余種約1500本の桜並木は春になると加茂川堤に花のアーチをつくる。 |
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当然屋台もあるが、ただ今時間が早すぎ準備中。
公園の角から左折する。
このとき、前方突当りの食堂から、私たちを呼ぶ声。
祭りの準備をしていた町の女性グループから、串刺しにした特大のコンニャクオデンをそれぞれいただきました。
お接待でした。
このオデン、ことのほか美味で道みち歩きながらいただきました。ありがとうございました。
ボンボリの立つ道を進む。 |
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「西条市民の森」看板(合成写真)から右折し、道なりに進み、福武新田集会所前を通る。 |
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そのすぐ先で右折し、車道に出て左に大きくカーブし、車道を横断してアパートの前の道に入る。 |
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道なりに進み突当りを右折して、左に大きくカーブし、山裾を進む。 |
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突当りで砂利道になり、右奥へ進む。
このとき、トラックの左手で農作業をされていた65才くらいの男性から呼び止められる。
のど飴などいろいろなお菓子セットを、2袋いただきました。お接待でした。
ここを通る遍路の旅人のために工夫をされたお菓子の種類だと思う。道中おいしくいただきました。ありがとうございました。
細い道に入り、林のトンネルの中を進む。 |
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大木の脇を通り、十字路は直進して、道なりに進み白い「福武地蔵原」建物。 |
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隣接広場に、弘法大師が一夜で地蔵尊を刻み安置したという地蔵庵。この辺りの地名は「地蔵原」と言う。
この地点が、前神寺から6.1km。 時は、10:17。 所要時間 約1時間15分。
道なりに左折して西条道前病院病棟の間を進み、病院フエンス沿いに右折して病院正面前を通り道なりに進む。 |
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畑道を進み、丁字路。
丁字路の右側は、王至森寺参道入口で「法性大権現」石柱と「王至森寺」石柱(合成写真)が立つ。 |
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ここで、問題発生
これまで進んできた延長で丁字路を直進しようとしたら、
「法性大権現」脇の道標は、「へんろみち」文字が逆さまになっている「逆打ち」。
丁字路を、直進できない。でも、おかしいと思いながら周囲を探しても他の道標なし。
よく見ると、「法性大権現」石柱脇に慣れしたんだ「四国みち」道標。その道標が、丁字路を左折する方向を示している。
これまで、ずーっと歩いてきて「道標ワッペン」と「四国みち道標」がいつも一致していた、ということから、
ここで丁字路を左折して進む。
ところが、しばらく行っても道標ワッペンがなく不安になり、またこの王至森寺石柱まで戻る。
近所の家々を訪ねるが、呼び鈴ならしても応答なし。こういうことは、街道歩きでいつも経験していることで、仕方ない。
意を決して、「逆打ち」道標を無視して丁字路を直進する。
結論は、「逆打ち」道標は間違い!
実は今日、明日で、周囲に他の道標がなく、
単独で貼られていたこの「」マークの方向がおかしい場所がここを含め3カ所あった。
正確性に欠けるようで、特に単独で貼られているときのこの道標マークには、要注意!
それに、「四国みち」道標。
前述のように、「道標ワッペン」と「四国みち」道標は、いつも同じだ方向だと思っていたが、
何故かこの地域では3カ所も違っていた。
これからは、用心しながら歩かないといけないと、反省。
ロスタイム、約20分。 |
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丁字路を直進し、不安に思いつつゆるい坂道を上る。
ありました!電柱に「へんろ道」道標。ようやく安心して左折し、一直線の畑道を進み、交差点は右折する。 |
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道なりに進み、高台の下を通り、その先で讃岐街道と合流して坂道を上り、車道を横断して室川にかかる上室川橋を渡る。 |
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橋を渡り終えたところの道標。
「道標ワッペン」は直進、右わきの「四国みち」道標は右折して堤防沿い。ここでは、ワッペンに従い直進する。
その先の西条飯岡郵便局の道を挟んで右側に、地域の守り神「西原の大地蔵」。
台石には、天文2年(1737)とあるが、現在の地蔵は明治末年ころ安芸宮島参拝の折り広島で購入したものとのこと。
さらに300m先右側「六地蔵接待堂跡」碑の敷地に、江戸時代中頃(1780年頃)建立で昭和49年に再建された大師堂 |
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いつまでも続く小雨の讃岐街道を進み、池の脇を左に大きくカーブし、道なりすすむ。
右手に分かれる坂道のところの道標は、「道標ワッペン」は直進、「四国みち」道標は右折して坂道を上る。
ここは、直進し讃岐街道を進む。 |
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坂道の角に、「堂の本の地蔵屋敷」標柱。
延宝9年(1618)に、この地に遍路の旅人のいこいの場所として地蔵屋敷が建立されたというが、
現在は屋敷はなく、当時のものは地蔵尊と「是ヨリ 三角寺へ」道標のみ。
讃岐街道は、その先国道11号線と合流して右折する。
11号線との合流地点が、前神寺から9.0km。 所要時間 約3時間。 |
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11号線ファミリーマート前を通り、「新居浜市」境界標識(合成写真)で西条市から新居浜市に入りローソン前を通る。
そのすぐ先の桜川にかかる小さな桜木橋を渡っていたら、後ろから大声で呼びかける声。
車から降りて塗装作業着姿の60代くらいの男性が、近づいてくる。何事・・・・?
私の遍路姿に、両手を合わせそして深々と頭を下げられた。本当にビックリしました。
当然私ではなく、同行の弘法大師に頭を下げられたのですが、私はどうしたらよいかわからず、慌てて一緒に頭を下げました。
八十ハ箇所をまわりたいが、身体が弱いのでできない。
それで遍路をされている人に代わりに参拝していただきたくお願いしている、とのこと。
お接待ということで、大金を取り出されたので固くご辞退したのですが、何とか2000円までにしていただきました。
ちょっと遅れて来た妻にもということでしたが、固くかたくご辞退させてもらい1000円にしていただきました。
これでも、私たちにとっては大金ですが、これからの参拝でこの男性の分もあわせておまいりさせていただくことで、
ありがたくいただきました。
いろいろ立ち話をさせていただく中で、
自分の住んでいる新居浜市には霊場が一カ所もなく参拝できないと、嘆いておられました。
わかれるさいも、両手を合わせ深々と頭を下げられました。
11号線を進み、右側の「FRESH VALUE 大生院店」前を通って信号交差点を横断し、
その先の分かれ道は、11号線と別れ右手の讃岐街道を進む。 |
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讃岐街道を道なりに進んで萩生地区に入り、左側高台に文化銘台座の「岸之下地蔵堂」、
隣接して天正12年(1584)建立宝篋印塔。 |
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道を挟んで右側に、「ミニミニ自由文庫」。中を拝見するとミニどころか多数の図書と椅子にテーブル。
多分、自由に利用できるのでは?
讃岐街道を進む。 |
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萩生保育園前を通り新居浜自動車教習所看板脇を進み、中村郵便局前、続いて写真の店河原前を通って讃岐街道を道なりに進む
その先で、信号交差点を横断して細い道(讃岐街道)に入る。
この交差点の地点が、前神寺から14.3km。 所用時間 約4時間。 |
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讃岐街道を進み次の信号交差点を横断して細い道に入り、道なりに進んで突当りで喜光地商店街アーケードに入る。
定休日なのかどうか不明だが、全く人の気配がない、きれいなアーケードをしばらく進む。 |
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出口の分かれ道は左折して進み、喜光地商店街入口信号交差点を横断し、住宅街の中を進む。 |
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分かれ道は右手を進み、その先で国領川にかかる国領橋を渡り、道なりに住宅街の中を進む。 |
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信号交差点を横断し、次の県道47号線信号交差点も横断して進み、旧街道(讃岐街道)標識の脇を通り、
その先伊予銀行前の池田信号交差点を横断し国道11号線と合流して進む。 |
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「坂の下」バス停辺りから道は下り坂となり、途中観音像と並んで坂之下大師堂。
坂を下り切って橋を渡り、すぐ先「ホテルZERO」(多分ラブホテル)角から右折する。 |
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道なりに進み、突当りの長野バス停から右折して、国道11号線のゆるい坂道を上る。 |
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「峠のコロッケ」脇を通り、歩道が切れるところは右に迂回して再度11号線に出る。 |
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左に大きくカーブし「四国中央市」境界標識(合成写真)で新居浜市から四国中央市に入り、道は下り坂となる。
関ノ原バス停を過ぎ、分かれ道は11号線と別れ右手の坂道を下って進む。
この分かれ道地点が、前神寺から21.9km。 所要時間 約6時間。
交差点を直進し、その先の突当りを左折して讃岐街道と合流して進む。 |
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集落を出て、川(関川)沿いの讃岐街道を進む。
そのとき前方に昨日ビジネス旅館小松でご一緒だった長野のご夫婦の遍路姿。追いつくべく急ぎ足で、丁字路を直進。
これが、大失敗
ようやく国道11号線のところで追いついたが、ご夫婦は今日は「五葉松荘」に宿泊するので、11号線に出たという。
そしてサヨナラ。
エッ!それなら私たちはどうすればよいの?どこで道を間違えた?
迷いに迷ってついに近くの喫茶店で道を聞いたら、何しろ「11号線を行け」と親切に詳しい道案内。
遍路道は11号線を通らないはずとの疑心暗鬼で進んだが、「五葉松荘」看板があったのでそこで遍路道を尋ねることにした
中に入ったら、さきほどのご夫婦が椅子に座っておいしそうにウエルカムドリンクのコーヒを飲んでおられる。
五葉松の美人女将は、私たちにもコーヒーをすすめてくれたが、時間がないのでありがたく遠慮させていただいた。
とても、感じがよく素敵な女将さんだったので、次回来ることがあればここに宿泊しようと固く決意。
五葉松荘の脇から、細い坂道を上ってところで交差する道が「遍路道」。
その遍路道を逆にたどって間違えたところまで戻ったら、先ほどの丁字路であった。
ロスタイム、15:03~15:47の44分。 |
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(正しい遍路道で)丁字路を右折して讃岐街道を進み、関川にかかる熊谷橋を渡り、坂道を上る。 |
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左側に、平成5年にこの地に建替えられた熊谷地蔵尊。
道なりに坂道を上り、分かれ道は左手の下り坂を進み、関川郵便局、関川小学校前を通る。 |
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緑多き讃岐街道の坂道、また坂道を延々と下り、集落の分かれ道は左手の坂を下る。 |
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左側に、「三度栗大師」堂。
三度栗大師案内板(要約):弘法大師が、この地を通ったとき子供たちから栗を1つもらった。
大師は、お礼に、「今より1年に3回実を与えん」と言い去り、以来この一帯の栗の木は、年に3回実を結ぶようになった。
突当りを左折して下り、その先で国道11号線の信号交差点を横断して讃岐街道の細い道に入る。 |
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左手にJR電車を見て道なりに進み、JR予讃線踏切を渡って右折する。 |
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讃岐街道を進み、浦山川にかかる常盤橋を渡って直進し、住宅街を進む。 |
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再度JR予讃線踏切を渡って直進し、道なりに進み延命寺のS字交差点をまっすぐ進む。
左側フエンスの中に、「いざり松」。
土居のいざり松:弘仁年間(810~24)、弘法大師が当時の延命寺境内のこの地に松を植えた、
再度当寺を訪れたとき、松の木の傍らにいた足の不自由な人に千枚通しの霊符を一枚水に浮かべて飲ませると全快した。
この霊験談から、この松は「いざり松」と呼ばれるようになった。
明治のころは、直径5m、枝張り東西30m南北20mの大木になったが、昭和43年に枯死してしまった。
今は、その太い幹が残っている。 |
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土居町の中心街に進み、蔦廼家旅館前を通り、約200m先交差点左角に松屋旅館。 |
時は 17:02。 |
前神寺から 28.2km。 所用時間 8時間30分 (道に迷ったロスタイム1時間を除くと 約7時間30分) |
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今日の宿 |
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松屋旅館 (2食付 6500円) |
宿泊客は、前述のヒゲのHさんと私たちの計3名。 |
約150年も続く老舗旅館で、老舗らしいしっかりした大きな旅館という感じ。
女将も、いわゆるそういういい意味での気さくな老舗タイプ。 |
そして、八十八カ所は、「足が悪いので夫の車で、歩くけるところは歩いて廻ったと」のことで、結構それなりに詳しい。 |
室内には、ウエルカムケーキとしてバームクーヘン。おいしくいただきました。 |
サービス、料理、設備の面でも特に悪いというところはない。 |
トイレは、和式。浴室は広く、隣接してシャワー室もある。 |
夕食は、息子さんの全て手作りで、
鯛の煮つけ、にしめ、豚の生姜焼き、(エビ、イカ)刺身、お吸いものなど10種類。味はベスト。 |
「朝食は、何時にしますか?」。早いようであったが6時にしてもらった。 |
インターネットなどで調べていると、蔦廼家旅館を利用している人が多いようであるが、私は松屋旅館をお勧めしたい気持ち。 |