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横峰寺出発、12:22。
大師堂に向って左手の坂道を上る。
しばらく行っても、
道標がない!近くにいた数人の人たちに、この道は「白滝奥之院」への道か尋ねても、誰もが? みんな車でした。
ようやく道標があり間違いないことを確認して、坂道を下る。
左側に、鳥居の行列。最初の鳥居に「妻白大明神」と「稲荷大明神」×3枚の計4枚札がかかっている。
このうち妻白大明神は、横峰寺開山以来の氏神で、
豊作、商売繁盛、延命息災、家運隆昌などの諸願を叶えてくれる信仰がある。 |
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道なりに坂を下り続け、右側の坂道は「バス乗り場」への上り口で、遍路道は下り続ける。
現金なもので、バス道が外れると道は舗装なし。
水溜りの道を左右に曲がりながら、そして左にカーブするところで舗装道路となり、そしてロープで遮断されていて、何事? |
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無視してロープの端からすり抜けて下ると、すぐ先で右手から車道が合流する。
何のことない、先ほどのロープは、車が間違って登らないためのもの。
結構急な坂を蛇行しながら下り、左側の「南無大師遍照金剛」幟の立つところから、階段を下りる。
この階段の地点が、横峰寺から1.2km。 |
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歩かなくても自然に滑り落ちるような急坂、少し緩やかな坂道。
このとき、後ろから明らかに歩き遍路の人と思われる若い男性が猛スピードで駆け抜けていく。
おいおい、そんなに急いでどこへ行く?
石畳の道。 |
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左手に山々が顔を出す、視界の開けた道。こんなところにも、人工的なグレーティング橋。 |
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何故かこの辺りだけが集中的に倒木だらけ。短い区間に、ちょうど10ヶ所の倒木。 |
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蛇に全く弱い私にとって、この倒木が最悪でどうやって先に行こうかと思案。
花が、ちょっぴり歓迎する道。左側に、巨大鉄塔。ダーレもいないところで頑張ってくれているんだ。 |
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この分かれ道は、左手の階段を下る、右手はどこへ行くのか不明だったが、多分電力会社のメンテナンスの道では?
石畳の道。粘土質の泥の中のゴツゴツした岩に足を取られる道が続き、転ばないように恐るおそる下る。 |
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尾根道、崖道、そして初めてのベンチと手前に「白滝奥之院 3.9km」四国みち道標。 |
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上り坂、急坂の登り、そして登りつめる。 |
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ようやくゆるい上り坂道となったら、倒木。これって危なくない?
今度は、「危険個所 注意して通過して下さい 西条市役所観光物産課」。
エッ?どこが危険かわからないよ~。理由を記載しておいてくれた方が親切だと思うけれどね。
ただ、日本語って便利なんですよね。
崖崩れと理解し、その辺りを見てもそんな跡もなさそうだし、でもちゃんと注意して通過しました。何を注意したかって?
その先の崖道も、何が起きるかわからないと自主注意。 |
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ベンチ。その先の丁字路は直進。木立の道をランランラン。 |
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林道を通り抜けると、一気に視界が開け、この山道を来て幸せを感じるところ。
道なりに山道を下り、粘土質の地質のようで雨でどろどろになった道。
左側の、細い道を上る。 |
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森閑とした道。ベンチ。その先で、左側トイレ(合成写真)と休憩所の間の坂道を下る。
この休憩所の地点が、横峰寺から5.3km。 時は、14:.05。 |
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蛇行しながら下り続け、霧の道を通り抜け、そして下り続ける。
左側にロープ。本来はここから左折するがただ今道が崩れていて危険ということで、迂回するため直進する。 |
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蛇行しながら道なりに下り、右にカーブするところの左からの道は、先ほどの本来の遍路道。
下り続ける。 |
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山道を下り切ったところで車道に出て左折する。
ここで、愛知県から来たという、一人遍路旅の女性に出会いしばらく一緒に道を下る。
とても美人で30才前後かと思ったが、本人の自己申告では40才に到達しているとのこと。
日本の女性は、若くなったとつくづく思う。
実は今日のビジネス旅館小松で一緒の宿泊で、食堂でいろいろ話をする機会があったが、悲しいかなそれでそれっきり。
右に大きくカーブして、一直線の坂道を下る。 |
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右側に赤い幟の立つところが、白滝奥之院への降り口。
ただ、このまま車道を下って、右折して本堂正面から入ることもできる。
この赤い幟から坂道を下って奥之院の裏手に出る。左折は本堂へ、右折は滝へ。。
白滝奥之院到着 14:44。
横峰寺から 7.6km。 所要時間 2時間30分。
白滝橋を渡って右折し、渓流沿いの突当りに、高さ5mくらいの滝の上に「不動明王」、その左下に脇仏。 |
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本堂
白滝奥之院案内板(要約):香園寺奥の院としては、昭和8年(1933)、第37世住職瑞円大和尚が創設。
本尊は不動明王で、コンガラ、セイタカの2童子を従えている。 この奥の院は、滝に打たれて修行に励む修験の場。
白滝奥之院出発 14:51。
本堂を後ろにして、参道を進む。
参道出口の交差点右角建物は、公衆トイレ。交差点で左から下ってくる道は、先ほど赤い幟が立っていた道。
交差点を直進して進み、左側に休憩所。 |
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建物が全く見られない道を進み、小さな橋を渡り、松山自動車道高架手前で右手の坂道を上る。
左下方に大谷池。
道端に座り込んでなにやら食べていた人は、横峰寺へ上る途中お堂で休んでいたオーストラリアの顔面ひげむじゃの男性。 |
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上り切ったところで、松山自動車道沿いに坂道を下り、道なりに下って右にカーブし、突当りを左折する。 |
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道なりに進み右にカーブするところを直進して民家の間の細い道に入り、分かれ道は右手を進み、
畑の中の一本道を進む。 |
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突当りを左折し、カーブミラーのある丁字路を右折して桜咲く公園の脇を通る。 |
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突当りを左折すると、香薗寺。 |
時は、15:24。 |
白滝奥之院から 2.1km。 所要時間 約30分。 横峰寺から 9.7km。 所要時間 約3時間。 |
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第61番札所栴檀山香園寺(こうおんじ) (愛媛県西条市小松町) |
開基:聖徳太子 本尊:大日如来 |
聖徳太子が、父用明天皇の病気平癒を祈って建立。 |
また、建立のおり、黄金の衣をまとった白髪の老人が飛来し、本尊の大日如来を安置した、という。 |
大同年間(806~810)に、弘法大師がこの寺の近くで難産に苦しんでいる一人旅の女性に出会った。 |
大師が栴檀の香を焚いて祈祷すると、女性は無事男の子を出産した。 |
このことから、山号を「栴檀山」と号した。 |
この伝承を由来とし、大正時代に、当時の住職山岡瑞園師が「子安講」を始め、以来香園寺は「子安の大師さん」と親しまれている。 |
山門は、ない。 |
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本堂と大師堂兼ねた昭和51年建築大聖堂 |
赤ん坊を抱く子安大師安置の子安大師堂 |
境内の1本の桜の木 |
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61番香園寺(1.4km)→62番宝寿寺 |
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香園寺出発 15:41。
寺を出て参道を真っ直ぐ進み、突当りを右折して車道を進んで、「香園寺」看板の立つ交差点を左折する。 |
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左側三嶋神社鳥居の先の信号交差点を右にカーブし、国道11号線を進み小松橋を渡り、
その先の「宝寿寺」看板(合成写真)から左折する。 |
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細い道を進み、JR予讃線手前左手に宝寿寺。 |
時は、16:04. |
香園寺から、1.3km。 所要時間 約15分。 |
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第62番札所天養山宝寿寺(ほうじゅじ) (愛媛県西条市小松町) |
開基:聖武天皇 本尊:十一面観世音菩薩。 |
天平年間(729~749)、聖武天皇が諸国に一宮を造営させたとき、伊予国一宮神社の別当寺として建立された。 |
本尊の十一面観世音菩薩は、弘法大師が当地を訪れた際、光明皇后の姿を模して刻んだといい、
寺号もこのとき宝寿寺と改めらた。 |
また、大師が訪れたとき、国司越智公の夫人が難産で苦しんでいたのを、
境内の玉の井の水で加持して与え無事男子を誕生させた。 |
以来、安産のご利益があると信仰を集めている。 |
河川の氾濫や兵火で再建を繰り返し、明治の廃仏毀釈で香園寺と合併されたが再興し、
大正12年(1923)現在地に移転した。 |
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本堂 |
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62番宝寿寺(1.3km)→63番吉祥寺 |
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宝寿寺出発 16:12。 |
寺院から、国道11号線に出て左折して進み、小松駅前信号交差点を直進する。 |
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信号を、左折すると今朝到着したJR伊予小松駅、右折すると今日宿泊するビジネス旅館小松。 |
11号線を進み「水の都 西条」立看板。 |
水の都 西条:石鎚山のふもとに広がる西条市は、豊富な地下水脈を持ち、市内各地で「うちぬき」と呼ばれる湧水が湧き、
家庭はパイプを7~8メートル地下に 打ち込み、ポンプで水を引いて飲料水としている。
その水はミネラル分を含み大変美味で、環境庁の「全国名水百選」のひとつにも 選ばれている。 |
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この辺りに数軒飲食店があり、その先で「吉祥寺」看板から左折し塀沿いに進み左側に吉祥寺。 |
吉祥寺到着 16:30。 |
宝寿寺から 1.4km。 所要時間 約15分。 |
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第63番札所密教山吉祥寺(きちじょうじ) (愛媛県西条市氷見乙) |
開基:弘法大師 本尊:毘沙門天 |
七福神に数えられる毘沙門天を本尊とする札所は、八十八カ所でこの寺院だけ。 |
弘仁年間(810~824)、弘法大師が、この近くで光を放つ檜をみつけ霊感を感じて、 |
その檜に本尊と脇侍(毘沙門天の妃の吉祥天、善膩師童子)を刻んで安置し霊場と定めた。 |
当初坂本山に寺院があり21坊の大伽藍であったが、天正13年(1585)戦火で全山焼失し、
万治2年(1659)に現在地に移った。 |
納経所前の福聚閣には、毘沙門天を除く六福神が祀られている。 |
石鎚山の滝壺にあったとされる丸い穴の開いた「成就石」は、
本堂前から目をつぶって進み金剛杖が穴に通れば願いが叶うという。 |
お迎え大師像と並んで立っている、「くぐり吉祥天女」像台座の下を潜ると福を呼ぶご利益があるという。 |
大師堂横に、延享元年(1744)建立の宝篋印塔。 |
寺宝として、長宗我部元親がイスパニア(スペイン)船の船長からもらったという、マリア観音像がある。 |
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山門 |
本堂 |
六福神を祀る福聚閣 |
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成就石 |
(右)くぐり吉祥天女像 |
宝篋印塔 |
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花の境内 |
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御衣黄サクラ |
シャクナゲ |
椿 |
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今日の宿 |
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吉祥寺からJR伊予小松駅迄戻った近くにある、ビジネス旅館小松 (2食付 5940円) |
この日の宿泊は、私たち夫婦を含め2組の夫婦と、一人旅の女性2名男性6名 計12名。 |
一人旅の女性は、道中途中一緒だった愛知県の人と、
もう一人はなんと自転車で全国一周するという大坂からの20才の可愛い美人。 |
無事に一周させて下さいと、それこそ弘法大師にお願いしなければならないほど、今でも心配です。
世に悪い奴がうようよですからね。 |
男性の6名の中に、例のヒゲのHさんがいたが、このときテーブルが違っていたので意識しなかった。 |
シーズンともなると、結構遍路の人も多くなるものだというのが、実感。 |
旅館の感想は、「ビジネス」というのでつい「ホテル」を連想してしまったが、完全な「民宿」というところ。 |
浴室は1ヶ所で、浴室も浴槽も非常に狭いので2人では入れない。ということは、順番がくるまで時間がかかる。 |
部屋の入口は全面ガラス窓の引き戸で、カーテンで目隠しするが、やはり廊下が気になる。 |
夕食は、豚シャブで、肉も野菜もそれは大変な量。小さなリンゴのデザート。 |
朝食は、朝6時に全員揃って食事。 |
料理を含め家事は、おばーちゃん、おじいちゃん、お母さん、お父さん、子供たちの全員一致協力。 |
食堂の後片付けを、トレパン姿で一生懸命しているけなげな(多分)中学生の娘さんを見ていると、何故か応援したくなる。 |