歩く四国八十八カ所
                i-愛ロマンチカ
   
菩提の道場-愛媛県(伊予)
第6回6日目 2015.3.10(火)
 
53番円明寺(34.4km)→ 54延命寺(3.4km)→ 55番南光坊(3.0km)
→ 56番泰山寺(3.1km)→ 57番栄福寺
          
昨日の難行苦行も、一夜明ければ若さで回復。さぁ~今日も頑張ろう!
この日は、昨日と一転して朝から青空のよい天気。
どうせ、外れるなら良い方向へ外れてくれれば、気象庁民営化などということは思つかないのに。
ただ、青空が出ているからと言っても今冬最低の気温で、最高気温が2℃とのこと。現実に、雪も降りました。
本当に、ここ南国?
昨日、悪天候のせいで道を間違えたため、
今朝は約2km戻り国道196号線[星の浦海浜公園」バス停の小川にかかる橋から再出発。
       
53番円明寺(34.4km)→ 54延命寺3
円明寺から28.4kmの「星の浦海浜公園」バス停辺りの橋の地点を 出発7 :41。
今治市大西町の国道196号線の
の右側を通り、すぐ先の分かれ道で196号線と別れ(旧)県道15号線に入り、
朝日を浴びながら進んで
196号線高架下を潜る。
道なりに進みJAおちいまばり前を通り、JR予讃線踏切を渡り、県道163号線交差点を直進し、
右折左折して一直線の
15号線を進む。
左側に、築200年余の「天水瓶のある旧大庄屋井手家」。
旧井手家案内板:江戸時代初期、
徳川方に味方した大庄屋井戸家は、その功績により「何でも望みをかなえてやる」とのお達しで、
わらぶきの屋根を瓦にかえ、防火用として屋根に天水瓶を置くことがゆるされた。
その後、松山藩主の参勤交代のときにには本陣となっていた。
昭和9年(1034)に大井村が譲りうけ、18年から役場として使用し50年まで続いた。

隣接敷地に、樹齢350年余と言われる樹高25mを越える
クスノキ
     
この敷地角を左折してすぐ右側に、旅館あさひや。
リックサックをとりに立寄る。 ロスタイム、7分。
15号線に戻り、道なりに進み丁字路は15号線と別れて右折し、交差点を直進しその先で国道196号線と合流する。
この合流地点が、星の浦バス停橋から2.9km。 時は 8:24。
あれ?もう明るくなったのに
フクロウ。木村石材店のデモでした。 お母さんを含め、何羽のフクロウがいるでしょうか? (答:7羽)
196号線を進み、途中大西町から宅間地区に入り宅間信号の分かれ道は196号線と別れ左手に入り、
県道38号線今治街道
を進む。
乃万小学校脇横断歩道橋下を潜って延喜信号を直進し、ローソンの前を通り、
その先で阿方地区に入り「
延命寺看板(合成写真)のところで38号線と別れ左折する。
自動車会館の右側を通り、その先の分かれ道は左手を道なりに進み、池の脇を通る。
その先の突当りを左折したところが延命寺。
時は、9:10。 星の浦バス停から 6.0km。 所要時間 約1時間30分。
円明寺から 34.4km。 所要時間 延9時間30分。
                               
第54番札所近見山延命寺(えんめいじ) (愛媛県今治市阿方甲)
開基:行基 本尊:不動明王
今治市内6ヵ寺の最初の札所。
行基が不動明を刻んで本尊として安置したのが、寺のおこり。
当初は、近見山山頂にあり、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が再興し、近見山円明寺と号した。
天正年間の兵火で近見山麓へ移転し、その後享保12年(1727)に現在地に建った。明治に入り寺名を延命寺と改められた
山門は、藤堂高虎によって築かれた今治城の城門の1つで、明治時代初期に今治城取り壊しのさい、当山が譲り受けたもの。
仁王門 築城400余年今治城の城門だった山門 本堂は、ただ今工事中
           
延命寺(3.4km)→ 55番南光坊
延命寺出発 9:30。
山門を出て広場を左折し、
左隅の塀と民家の間の細い道に入り、道なりに右にカーブして坂道を上る。
今上って来た右下方の
延命寺門前広場、広場の右側下のトラックの辺りから入り上ってきた。
上り切ったところで、左折し墓場の中を通り、坂道を下り突当りを左折右折して畑道を進む。
道標のところで右折し、道なりに進み、分かれ道は左手をカーブする。
次の分かれ道は右手を進み、道なりに右に大きくカーブして、その先でしまなみ海道ガード下を潜る。
ゆるい坂道を上り続け、前方法面沿いに右にカーブして、左側階段を上る。
上り切って墓地公園を横切る。きれいなトイレ休憩所
横切った反対側のゆるい坂道を下り、とてもきれに整備された大谷墓園の中を通り抜け、田窪花店(合成写真)から左折する。
突当りを右折し、次の分かれ道は左手を進み、次の分かれ道は右手を進んで左にカーブしてすぐの丁字路を右折して
浅川にかかる
茶堂橋の手前を左折する。
浅川沿いに進み、今治北高正門前で右折し、北桜橋を渡り左折する。
今治街道に出て浅川沿いに進み、JR予讃線ガード下を潜り、
宮脇信号交差点、次の信号交差点を直進し、
その先の交差点の街路樹に怪しげな手書きの「
南光院 右折 へんろみち看板(合成写真)がぶら下がっているのを、
目ざとく見つけてしまった。周囲を探しても、他の道標がない。
念のため、横断して反対側を探したらこれに対応する馴染みの道標ワッペンがあったので、
この手書看板に従いここで道路横断する。
ただ、遍路地図にあるのは、今治街道をさらに進み国道317号線との南光坊西交差点を右折する道で、
この道は南光坊山門から堂々と入れる。
横断して真っ直ぐ進み、左側の「南光坊看板から左折したところが南光坊境内。
時は 10:32.
延命寺から 3.4km。 所要時間 約1時間。
       
第55番札所別宮山南光坊(なんこうぼう) (愛媛県今治市別宮町)
開基:行基    本尊:大通智勝如来
今治市の中心部にあり、四国霊場中「坊」がつくのはここの札所だけ。
本尊の珍しい名前の大通智勝如来は、「法華経」に説かれる過去7仏(釈迦と釈迦以前に現れた仏)の一尊。
南光坊は、今治沖の大三島にある大山祗神社の別当24坊として創建された。
その後、海を渡らなくても参拝できるようにと、大宝3年(703)24坊の内の8坊を四国に移した1つで、
のちに弘法大師が霊場とした。
天正年間(1573~92)に、長宗我部軍の兵火で8坊は焼失したが、のちに南光坊だけが再興された。
昭和20年の空襲で、一部を除き本堂などは焼失した。
本堂は、昭和56年再建のコンクリート造。
山門は、平成10年新築で、東方の持国天、西方の広目天、南方の増長天、北方の多聞天の四天王像が立つ。
南光坊でのお接待
本堂前で、ローソクにライターで火をつけようとちょっと手こずっていたら、
隣にいた地元の年配の女性が「どーぞこれを使って下さい」と
 ローソク、線香、ライターが一式入った立派な焼香ケースを下さいました。
恐縮してご辞退しましたが、「予備がもうひとつ家にありますから」と、再三言われましたことに甘えて、遠慮なく頂きました。
それ以降、参拝のたび使わせていただいております。いつもご使用されておられるケースを本当にありがとうございました。
・納経所では、ご親切に「相州 ○○ 一期一会 (ご朱印)」と短冊を書いていただき、納経帳に貼っていただきました。
このようなことは、八十八カ所で初めてのことでした。感謝とお礼を申し上げます。
(相州は、横浜の昔の呼び方。○○は私たちの姓。)
山門 本堂
                                                          
南光坊(3.0km)→ 56番泰山寺(南光寺)
南光坊にいるときから、青空が消え小雪がチラつきはじめて寒い。予報では今日の最高気温2℃だから、今の時点では零下かも。
南光坊出発 10:52。
境内の納経所脇
道路を進み、交差点を右折して一直線に進む。
今治小学校前信号交差点を直進し、JR予讃線ガード下を潜り、今治明徳高校前を通る。
    
ここで大きな失敗をしてしまったかも
私たちは、JR予讃線ガード下を潜って真っ直ぐ進み、今治明徳高校前を通っているが
改めて、今へんろみち保存協力会編「地図」を見ると、
JR予讃線高架下を潜ったらすぐ左折して今治駅裏に出て丁字路を右折し、
「今治駅西」信号交差点続いて「明徳高校先」信号交差点を進む、ようになっている。
私たちが歩いた道がもうひとつの遍路道かどうか不明であるが、もし間違っていたとしたら次のことが原因。
南光坊を出てからしばらくすると、前方に遍路姿の男性が歩いていたので、安心して「その人について」歩いてしまったこと。
実は、こういう失敗は次の4月の65番三角寺への途中でも、
遍路姿夫婦の後を安心し切ってついていって道を間違えてしまっている。
常に、地図で確認して歩こうと、反省しきり。

以下、もうひとつの遍路道かどうかは別にして、歩いた道を紹介します。
約1km先で「にじがぶちを渡って左折して川沿いに進み、ビルの分かれ道は右手に入り、道なりに進む。
突当りを左折し、最初の交差点を右折する。
     
この交差点のクロスする道が、今治駅裏から来る遍路道で、ここで「地図」の遍路道に復帰する。
真っ直ぐな道を進み、国道196号線との信号交差点を直進し、道なりに進み泰山寺奥の院「龍泉寺看板脇を通る。
大きな駐車場の道を挟んだ右側の、「四国五十六番泰山寺石柱から右折して小路に入り、突当りに泰山寺。
時は、11:40。
南光寺から、3.0km。 所要時間 約50分。
                        
第56番札所金輪山泰山寺(たいざんじ) (愛媛県今治市小泉)
開基:弘法大師  本尊:地蔵菩薩
今治の町を流れる蒼社川は、頻繁に氾濫を起こし人名を奪ていた。
これを聞いた弘法大師は、農民を指導して蒼社川に堤防を築き、「土砂加持」の秘法を修したところ、
満願の日に地蔵菩薩が出現した。
大師は、地蔵尊を刻み、延命地蔵十大願の第一「女人泰産」から寺号を定めた。開基は、弘仁6年(815)。
たびたびの兵火で、元禄3年(1690)黄輪山の山上から現在地に移築された。
山門は、ない。
明治14年今治城太鼓楼古材で再建鐘楼 安政元年(1854)再建本堂 明治時代に築かれた石垣と白塀
                           
56番泰山寺(3.1km)→ 57番栄福寺
泰山寺出発 11:59。
石段を下りて
来た道を戻り、突当りで車道に出て、右折して進む
最初の丁字路を左折し、一直線の道を進み、突当りで車道を横断して建物の間の小路に入る。
その先で車道を横断してまた建物の間の道に入り、小路を進み、小さな橋を渡りJJ今治店脇を通る。
その先で国道317号線を横断してラーメン店脇の細い舗装道入り、道なりに進み、
日高荘手前角に「
四国遍路無縁墓地石碑と多数の墓石。手厚く葬られていて、心が安らぎます。
日高荘前に、まだ新しい遍路小屋第41号。中には、大きな壁掛け時計。愛媛県の遍路小屋には、よく時計がかかってる。
日高荘前を通り、突当りで
蒼社川堤防に出て右折して進み、県道155号線信号を左折して山手橋を渡る。
突当りの堤防から渇水期に川の中を歩いて渡る遍路みちもあるというが、ここは無理せず橋を渡る。
昭和26年豪雨でこの山手橋付近をはじめあちこちの川で決壊が起き、多数の死者を含む全市域に壊滅的な被害が発生している
弘法大師時代と変わらず、現代も川の氾濫で住民が苦しめられているんですね。
蒼社川にかかる
山手橋を渡っていると、20才前後の女性が自転車を止めて下りて来て、
「お疲れさまです。今手持ちはこれしかないんですが」と言って、「マシュマロ」を2個。お接待でした。
ありがとうごじました。
美人で、可愛くて、とても素敵な女性でした。いつまでも幸せでいて下さいね。祈っております。
橋を渡り終え、すぐ先の
道標(合成写真)から右折して小さな谷山川橋を渡り、畑の中の細い堤防道を進む。
この日は、今冬最低の気温だけでなく、写真ではわからないが猛烈な風。
この細い道では、右手は畑で遮るものはないので身体に強烈な川風が吹きつける。
菅笠が飛ばされないように、顎紐が千切れないようにと、必死に手でつかむ。
菅笠は、風ではいろいろ苦労するということを、この八十八カ所の旅で度々経験した。昔の旅人も苦労したことでしょう。
舗装道が草むら道になり山手橋から約800mの小さな建物の先で舗装道に出て左折し、御旅所橋を渡り、
車道をの
右斜めに横断し
小路に入り、右にカーブして畑道を道なりに進んで、左側の坂道を上る。
立派な石垣の脇を上り、左折右折して道なりに上り、突当りで車道に出て左折し、坂道を上る、
その先の石垣から右折したところが、栄福寺。
時は 12:50。
泰山寺から 3.1km。 所要時間 約50分。
               
第57番札所府頭山栄福寺(えいふくじ) (愛媛県今治市玉川町)
開基:弘法大師  本尊:阿弥陀如来
嵯峨天皇(在位809~23)の勅願により、弘仁年間(810~824)に弘法大師がこの地を巡教した。
瀬戸内の難所と言われる海峡の風波、海難の事故を鎮めるため府頭山の山頂で護摩供を修法されると、
その満願の日、風波はおさまり、海上には阿弥陀如来の影向が漂った。
この阿弥陀如来霊像を府頭山頂まで引き揚げて堂宇を建て、本尊として安置し霊場と定めた
山門は、ない。
本堂 美しい菊間瓦屋根の鐘楼
54番延命寺2 58仙遊寺~
60番横峰寺1
八十八カ所
徳島県 高知県 愛媛県 香川県