歩く四国八十八カ所
              i-愛ロマンチカ
菩提の道場-愛媛県(伊予)
第6回5日目 2015.3.9(月)
         
53番円明寺(34.4km)→ 54番延命寺
          
今日の天候は、八十八カ所いや人生で最悪の日であったかも知れない。
大雨、強風それに寒波。100円ショップで購入してきたポンチョは道中千切れてしまい、雨具ナシ。
そんな今日に限って、強烈な海風と大雨が身体に叩きつける海岸通りを計6.8kmも歩かざるを得なかった。
当然、頭から靴の中まで雨でずぶ濡れ。それに、寒波が加わりガタガタ震えが止まらない一日の歩き。
横浜で、事前に週間天気予報を調べ、6日の金曜日に「時々雨」以外に雨の心配なし、ということで、予定をたてた。
それなのに、次から次と毎日大雨、強風、寒波に雪までおまけ。
気象庁は、地震、台風、火山など重大事項だけに特化して、
日常の天気予報に関することは、民営化した方がよい、とつくづく思った。
競争のないところに、進歩なし。国鉄、電電公社、郵政、専売公社などなど、みんな立派に民営化で成功している。
今日ほど、腹立たしい一日はなかった。
そんななかで、「大雨でどうしているかと心配で、山道を車で探しに来ました」という地元の人に出会い、
とてもうれしかった一日でもあった。
                                                        
53番円明寺(34.4km)→ 54番延命寺2
前日の終点花見川橋袂を出発 7:36。
雨は既に大ぶりで、今日の最高気温は今冬最低の4℃とのこと。四国って寒いところなんだと、この頃つくづく思う。
橋の左手
権現川河口の瀬戸内の海は、雨で曇って何も見えず。
雨の
車道を進み、堀江郵便局前の右にカーブするところは直進して細い坂道に入る。
坂道を下り、続いて上り切って県道347号線線に出て、左折して進む。
347号線を進み、堀江地区に入り左側の車両は「CAFE TRAIN」コーヒーショップ、
道を挟んだ右側に「
石土山蔵王大権現」の小さな祠。
石柱裏側に、「昭和55年7月吉日」とあり最近建立したもの。脇の白いプレハブ小屋といい、この祠の案内板が欲しい。
背後に隣接して、昭和13年建立「
西山通周五右衛門堂」。
西山通周五右衛門堂案内板(要約):1630年(江戸時代前期)、
堀江地方の農民が不作で大変苦しい生活をしていたのをみかねて、
西山通周五右衛門は、農民にかわって何度も年貢米の免除を役所に直訴したが許されなかった。
そこで、通周は案じて「不作で米が取れないから、稲を焼いてしまいました。」と言って裁きを待ったが、
役人は通周を磔の刑にした。
村人は、お堂を建てて通周をとむらった。このお堂を「五右衛門堂」と呼んでいる。
その先で左にカーブして山裾沿いに進み、
遮るものがないため猛烈な海風をまともに受けて雨に叩かれ続ける
347号線側道
横浜で100円ショップで買った災害非常用ポンチョなど、メチャメチャに破れて千切れてしまう。
必死に菅笠をカメラを持った両手でつかみ、それどころか身体ごと吹き飛ばされそうになり、バランスを崩す。
恐怖の思で
約2km間を歩き続け、正面に「一六タルト大立看板と建物を見て、
ようやく人家にありつけたと何故かほっとする。
「海鮮北斗」店前を通り、角の左手奥に「栗乃井」。
栗乃井案内板(要約):この井戸は、古来粟粒のような水がぶつぶつと湧くことからこの名前が付けられ、
地名の由来ともなっている。
また、難所だった粟井坂を越える人々の喉を潤したという。

県道347号線
を進み、菅笠を貫通して頭に雨が落ち続け、もう靴の中まで身体が濡れてビッショリ。
栗井河原地区に入り、左側にこの辺りでは最大規模寺院という蓮福寺
「栗井橋」バス停前を通り、
栗井橋を渡り「栗井川橋」信号交差点を直進して県道179号線今治街道を進み、
柳原地区商店街に入る。
その先の河野橋歩道橋を渡ったところに、再建された西ノ下大師堂
179号線を進み
分かれ道は、右手を進む。
北条北地区商店街を進み、左に、右にカーブして再度商店街を進む。
   
このとき、雨をものともせず遍路姿の若い男性が後ろから追い抜いて行く。
そして、「かみまつ」化粧店角で、
電柱に貼ってあるシートをちょっと剥がしてみて、右折する。
それを遠くから見ていたので、その場所に来て確認したら、「ここは、標高…m」シート。
彼は、このシートを剥がして「
」を確認したのだ。
何も、既に貼ってある「→」の真上にわざわざはらなくても! 担当部署が違う、ごもっとも。
ところが、先ほどの男性が戻って来るではないか。
「どこまで行っても、道標がない。何が何でも、今日中に延命寺までいかないといけないのに!」と怒りの表情。
「遍路道に間違いありませんよ」と言うと、「道標は、肝心なところにない!」と言いながら、
男性は安心したのかまた引き返して行った。
でも、肝心なところに道標がないとうことは、度々経験すること。
と、思うと1カ所に7枚も貼ってあったりで、どうなっているんだろう?
ちょうどこのとき、「かみまつ」の女主人と女客が店の外へできたので、「養護院」への道を尋ねた。
「175号線をずーっと行って、2つ目のうどんやの・・・・」とのことで、時間がかかる、とのこと。
相当先まで行って、ようやくうどんやをみつけたが、養護院はみつからず。
今、HP作成のため地図を改めてみたら、なんとこの店から約300m先を左折したところにあった。
うーん、道の聞き方は難しい。
179号線を進み、右側旅館太田屋の外壁はなんとも理解しがたい芸術品。
立石橋を渡り下難波地区に入り、
ショッピングセンター「
マルナカから右折して国道196号線松山北条バイパスに入る。
実は、この先まで養護院を探しに行っていて、結局あきらめてここまで戻ってきている。ロスタイム、約15分。
マルナカの脇を通り、ファミリーマート前の信号交差点を左折して一般道を進む。
このころ、雨と寒さで身体が固まって、指の感覚がなくなりデジカメのシャッターがきれなくなっていた。
歩きながら写真を一日800枚くらい撮るため、デジカメはケースから出して常時手で握っているので、
指は雨と寒波にさらされどうし。寒い、何しろ冷たい。
分かれ道は、右手のゆるい坂を上り下難波地区の集落に入り、右側に鎌大師
鎌大師堂
鎌大師堂案内板(要約):弘法大師が行脚していたとき、この地に悪疫が流行していることを知り、
鎌で刻んだ大師像を与えたところ、無事平癒したので、人々はその大師像を本尊としてこの地に堂を建て、
「鎌大師」と呼んで深く信仰してきた。

境内には、手入れの行き届いた
休憩所ととてもきれいなトイレがある。
休憩所で、テーブルの飴玉を頂いて包装をとろうとしたが、指が冷凍で感触が全くなくなっていて、妻も同様なため、
口に放り込んで噛みながらむしりとった。
トイレでは、握力なくズボンのファスナーが下せず、5分以上四苦八苦して・・・・。
元の道に戻って進み、突当りを左折して細い道を上り、右折し坂道を道なりに上る。
このとき、逆打ちの遍路姿の男性が雨に濡れながら下りてくる。今朝、今治を発ってきたとのこと。お疲れさま。
一回一回カメラシャッターを押すのに一苦労。
左にゆるくカーブして突当り丁字路を右折し、北条育成園沿いの坂道を上り、浅海原地区に入り、
人の気配など全く感じられない
山道を蛇行しながら進み、そして下り坂となる。
ここで、「不可思議」なことがおこる。
坂を下っているとき、後ろの方から白色の乗用車が、歩くより遅いくらいのスピードで下りてくる。
下手くそな運転、ぶつけられて怪我でもしてはいけないと思って、脇にそれて過ぎ去るのを待っていたら、
なんとその車は通り抜け、ちょっと先の道標石柱の立つ
丁字路手前(○印)に停車し、
私たちの来るのをまっているではありませんか!? 
近づくと、車の窓を開けて
「大雨でどうしているかと心配で、今頃はこの辺りを歩いているのではないかと、車で探しさがし来ました。」という。
そして、「カロリーメイト、ガーナミルクチョコなどお菓子類とティッシュが一杯に入ったビニール袋のお接待を、
妻と私にそれぞれ手渡し、お礼もそこそこ、あっという間に前の丁字路を右折して行ってしまいました。
もう、もうビックリだけです。私たちが「この辺りを歩いている」など、天と地以外のダーレも知らないはず。
昨日同宿の人ではないし、車のこともあるので地元の人でなければなならい。
一昨日お接待していただいた坂本屋のボランティア―の人以外ありえない。そういえば似ていた人がおられた、
絶対に間違いない。
たまたま知り合った坂本屋のボランティア―のTさんに、メールでその旨尋ねたら、「該当者なし」とのこと。
知る人もいない遠い四国の地で、こんな不思議なことってありますか?
弘法大師の化身?まさかね。
是非、お礼を申し上げたいので、
心あたりの方がおられましたらeメールをいただければありがたいです。
早速いただいたチョコを口にし、寒さも忘れて幸せな気分。
     
車の人とは反対に、道標石柱(合成写真)の立つ丁字路を左折して
坂道を下り、平地に出て池沿いに進む。
集落に入り、その先でJR予讃線踏切を渡り、
国道196号線に出てすぐ先の
分かれ道は196号線と別れ左手の細い道を進む。
細い道の右側に
原地蔵堂
原地蔵堂
案内板(要約):「おじのっさん」と親しまれていたこのお堂を、
他の場所からここへ移したらよくないことが次々と起こった。
人びとは、おじのっさんの怒りのせいだと、坊さんに拝んでもらったり一層の世話をしたら、災いは怒らなくなった。
今でも、原地区の人ちの地蔵堂を守ろうという心に支えられているという。
なお、この地は昔関所があった、番所跡。
道なりに進み、一旦196号線に出て、その先で再び左手のみちに入り、海岸沿いの道を進む。、
雨、風は暴風雨となり、視界も邪魔される。
分かれ道は、左手を進み、左にカーブし、突当りで196号線と合流して左折し、山裾を右にカーブする。
海にはみ出した人影のない196号線側道を進む。
   
この海の側道区間約4kmは、前述の堀江の347号線海の側道などの比ではなく、
猛烈な海風と雨が身体を叩きつけ、吹飛ばされそうになったりで、正直命の危険さえ感じた。
ちょっとは残っていた100円ショップのポンチョは吹き飛び完全に形がなくなり、
身体もリックサックも頭陀袋も全部濡れっぱなしで、もうどうにでもでなれ!
(旅館について調べたら、リックサックの中も頭陀袋も中まで水が入り、地図も何もかも濡れいた。)
    
菅笠を上から両手でしっかり押さえて、ただただ頭をさげて下を向きひたすら歩くのみ。
前方に「
今治市境界標識。片時も手から離さないデジカメでパチリ、とはいかずシャッターを押すのに格闘。
今治市菊間町に入り、その先でようやく側道が終わり、右にカーブして
左折する。
この海岸沿いは、天気がよければ素晴らしい景勝地とのこと。皆さんでしたら、きっとその景勝を楽しまれることでしょう。
強風が少し和らぐと、途端に寒さが身に染みて震えが止まらない。
漁港の前の
196号線を進み、右側にいかめしい名「龍神宮」があるが、中はガランドウ。
少し先の歩道に面して
お接待処 お疲れ様です 休みませんか この町菊間町で生まれたぶじカエルです 自由にどうぞ ぶじカエル 
菊間陶芸愛好家」
テーブルに椅子。備品もきちんと整理されていて清潔な、心のこもったお接待処です。ありがとうございます。
その先右側に遍照院
門の両側に菊間名産鬼瓦(合成写真)が睨んでいる
山門本堂
遍照院:弘仁6年(815)、弘法大師が四国巡錫のおり、この地で不思議な霊瑞を見て、ここに一道場を開き、
自らの像を刻み、自身と末代の人びとの厄除のために厄除の誓いを籠めて厄除の秘法を遺した。別称、厄除大師。

デジカメレンズが雨で汚れ、拭いてもふいてもまた雨、写真が曇ってしまう。
遍照院のすぐ先で、196号線と別れ右手の細い道に入り、道なりに進んで分かれ道は左手を進み、
交差点を右折して「
越智商工会菊間支所」(合成写真)前を通る。
突当り丁字路で、道標がなく左右どちらへ行ったらよいか不明。
    
先ほどの「越智商工会菊間支所」まで戻り、道を尋ねることにした。
偉い立場と思われる女性の方が出て来てこられて、「中に入って熱いお茶でも飲んで行ってください」と、
椅子を進めてくれました。
正直なところ、頭から靴の中まで雨でびっしょりで寒さも加わり、行動も限界に達していたので、
ここでの暖はとてもうれしかった。
そして、指の感覚がないためその女性の方に手伝ってもらい、デジカメの電池交換をしました。
仕事中、ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。
そして、びしょ濡れた身体を室内に入れていただくこのご親切、ただただ感謝、感激です。ありがとうございました。
    
教えていただいた通り、丁字路を左折して
県道164号線と合流して進み、を渡る。
約200m先の駐車場の角から左折し、突当りで国道196号線に出て右折し、JA-SS前を進む。
道なりに進み、ゆるく右にカーブするところで196号線と別れ、左手の細い道に入り、
堤防沿いの道(雨で川のように見える)を進み、突当り太陽石油タンク群の前で右折する。
太陽石油のパイプラックの下を潜り、突当りで196号線に出て左折し、太陽石油の工場の前を通り、
境界柵の外れ
左折する。
坂道を下り、右側に青木地蔵堂。宿泊も出来そうで、トイレもあるようだが見つけられなかった。
青木地蔵堂:弘法大師が杖で示したところを掘ると清水が湧き出し、記念に青木を植えたという伝説の霊場。
この霊水は弘法大師御加持水として、特に腰から下の病にはよく効くとされ「腰、しもの地蔵さん」として親しまれている。

この辺りから、道は上り坂となり丁字路を右折して
道なりに進む。
突当りで細い道に入り196号線と並行して進み、その先で196号線と合流し、
ゆるい坂道を下り「泊山団地入口」バス停前を通り「今治市菊間町種」標識のかかった
横断歩道橋を潜る。
またまた、海岸通り。どうしてこんな強風雨のときによりによって海岸通りが多いのか、不思議。
196号線の車は殆どスピードなど落とさず、通るたびに車のはねる泥水がバシャッと降りかかる。
既に全身ずぶ濡れなので、もう気にする必要もなくケセラセラで、約400m区間を耐えて歩く。
こんな日に、国道を歩く人などいないわけですから仕方ないです。
魔の時間が過ぎ、左斜め前の
細い道に入り、道なりに進む。
196号線に出て左折して進み、正面に「大西町境界標識(合成写真)で、今日宿泊する旅館はもう近い。
その先の
分かれ道は、196号線と別れ右手の道に入る。
交差点を直進し、まっすぐな道を進み、突当りで196号線に出て右折する。
196号線を進み、すぐ右側に、悪病、悪霊の侵入を防ぐお大師さんとして信仰されている「五郎兵衛大師」。
その先右側に、「
星の浦海浜公園バス停があり、道を挟んだ左側は公園一帯。
    
ここで、
大きな間違いをおかしてしまった。
今日は、雨のため道中地図を見れないと思い、出発前に一通り地図を頭に入れ込んで、後は道標を便りに歩いてきた。
そのとき、この「星の浦海浜公園」文字が強くインプットされていたため、
このバス停からすぐ横断して左側の公園前を歩いてしまった。
正解は、このバス停の直前で、196号線と別れて右手の(
)県道15号線に入ることだった。
この入口道標を見落としてしまった。
従って、明朝ここまで戻ってきての再出発となる。
  
バス停到着 時は 15:08
花見川橋から 27.0km。  所要時間  約7時間30分
円明寺から 28.4km。  延所用時間 約8時間。
       
道を間違えていることなど全く知らず、海浜公園前を通り分かれ道は、出発前に記憶していた15号線の左手の県道を進む。
ただ、以降道標が全くなくなるが、15号線標識はある。疑問におもいつつも、雨で地図を見ることもできず、旅館に到着。
の2つの15号線があるとは、知らなかった。
      
今日の宿泊
旅館あさひや (2食付 6480円)
玄関に入ると、びしょり濡れの私たちの姿を見て、すぐ風呂を沸かしてくれた。有難かった。
10分以上湯船につかったが、手足は暖まらず、部屋へ入ってしばらくしてようやく温かさを感じる。
そこまで、身体が冷え込んでいた。
今日の宿泊は、私たち2人だけ。
ここは男主人が、一人で切り盛りしているように見える。
ご主人は、地元の料理学校の講師。学校で作った料理を、受講生が家に持ち帰り奥さんから喜ばれている、
それが楽しみとのこと
宿の料理も、当然このご主人の手料理。
玄関に、古新聞が山積み。おかげで水浸しになった靴に新聞紙を何度も入れ替えて一晩中乾かすことができた。
玄関のカウンターには、歯ブラシ、綿棒、ヒゲソリが並び、ご自由にどーぞ。
今のご時世、遍路の旅人だけでは経営が難しいことであろう。
設備を新たにすることはできないが、長年培ってきた地味なサービスで精一杯客をもてなす。
これが、今おかれている遍路宿の現状のような気がする。
もしかしたら、今まで遍路宿にあまりにも過剰なことを求め過ぎていたかもしれない。
52番太山寺~
54番延命寺1
54番延命寺3~
57番栄福寺
八十八カ所
徳島県 高知県 愛媛県 香川県