|
|
|
石手寺出発 12:46。
本堂の左手奥の境内から、急で長い石段を上り、分かれ階段は右手を上り、上りきったところに休憩所。 |
|
|
|
林道を道なりに進み、分かれ道は右手を上り、次の分かれ道は左手を進む。 |
|
|
|
竹林道を進み、突当りで車道に出て左折し、ゆるい坂道を上り次に坂道を下り続ける。 |
|
|
|
突当りで右折し、狭い街並みを通って左に大きくカーブして進み、突当りで広い通りに出て右折する。 |
|
|
|
広い通りの右側に、平成18年建立「漱石 ぼっちゃん 之碑」、つぎに休憩所「道後振鷺亭」と立派なトイレ。さすが観光地。 |
|
|
|
すぐ先で左折して道後温泉本館北側を通り、左折して本館正面に出る。
道後温泉本館は、第5回の1月26日に訪れたときは、雨で寂しく感じたが今回は人力車も勢ぞろいして活気がある。 |
|
|
|
本館正面中ほどで右折し、アーケード商店街の中を真直ぐ進み、出口から出て「椿の湯」の前を通って狭い道を進み、
ファミリーマート前を通り業務スーパー道後店角から右折する。 |
|
|
|
道なりに進み、分かれ道は左手を進み、突当りを左折する。 |
|
|
|
住宅街を進み次の突当りも左折して進み、県道20号線に出て右折し、ゆるい坂を上りコンビニ前を通る。 |
|
|
|
丸山川にかかる祝谷橋を渡り、突当りの信号分かれ道は右手の坂道を下り、すぐ先で20号線と分れ左折して細い道に入り、
右にカーブして道なりに進む。 |
|
|
|
突当りで、再度20号線と合流して進み、無量寿寺松山別院前、「松山ベテル病院前」バス停前を通って右にカーブして進み、
「ラブホテル」大看板のところから左折する。
この左折地点が、石手寺から3.3km。 時は 13:50。 |
|
|
|
坂道を上って右に曲り、山田池沿いを進み山田大橋を渡って、坂道を下る。 |
|
|
|
ラブホテル前の通りを抜けて、古藤池沿いに左に右に左に大きくカーブして下り、突当りを右折する。 |
|
|
|
その先の丁字路を左折して県道40号線と合流し、
ゆるい坂道を上りすぐ先で左の細い道に入り、地元の人たちの言う小学生通りを川沿いに進む。
後ろから、「すみません 通してください」と、自転車に乗った小学生の可愛い女の子が2人。 |
|
|
|
出口で再度40号線と合流して進み、すぐ先で左の橋を渡ってすぐ右折し、川沿いの車道を進む。 |
|
|
|
その先で右折して橋を渡って左折し、40号線を進み、塩見小学校脇の突当りは左手の40号線を進む。 |
|
|
|
40号線のすぐ先右側に、小さな祠と「お塚さま由来記」碑。
お塚さま由来記:いつの頃よりかここに一基の塚があり「無縁亡魂回向塔」と刻まれていた。
幕末の時代一人の遍路が行き倒れここで死んだ。土地の者はここに葬り、盛大に祀った。
ある時足なえの巡礼がここで祈った処立ちどころに回復した。それより脚を守る仏として尊信を集めている。
40号線を進み、国道196号線との大川橋信号交差点を(横断歩道橋で)直進する。
この交差点の地点が、石手寺から5.9km。 時は、14:30。 |
|
|
|
広くて気持ち良い40号線歩道を進み、久万川にかかる久万川橋を渡ってJR予讃線踏切を渡り、
突当り神社鳥居前を右折する。 |
|
|
|
真っ直ぐな道を進み、突当りを左折して、山に向って進む。 |
|
|
|
ガードレールの切れたところから右折して、山裾沿いに進み、突当り丁字路を右折して進む。 |
|
|
|
次の突当り丁字路も右折して坂道を下り、山裾沿いを左にカーブして進み、突当り車道を左折する。 |
|
|
|
ゆるい坂道の車道を上り、突当り分かれ道は左手の細い道に入り、坂道を蛇行しながら上る。 |
|
|
|
上りきったところの丁字路を右折し、入山田池沿いに進み、突当りで木の間を通って左折する。 |
|
|
|
ひねもすのたりのたりかな、愛媛県にもこんな天気のよい日があったのかと、畑道を進む。
畑仕事をしていた年配の男性から、ハッサクを2個。お接待でした。ありがとうございました。お仕事お疲れさま。
道なりに進み、民家の脇から車道に出て左折し、右にカーブして太山寺保育園前を通る。 |
|
|
|
その先で県道183号線信号交差点を横断して、左斜め前の道に入り、菜の花の咲くのんびりした道を進み、
その先に、太山寺の一の門。 |
時は、15:29. |
石手寺から、10.5km。 石手寺から 所要時間 約2時間40分。 |
|
第52番札所瀧雲山太山寺(たいさんじ) (愛媛県松山市太山寺町) |
開基:真野長者 本尊:十一面観世音菩薩 |
用明元年(586)、松山沖の海難で救われた豊後の真野長者が、報恩のため一宇を建立したのが太山寺の始まり、
という説もある。 |
弘法大師は、天長年間(824~833)に訪れ霊場とした。 |
本堂は、鎌倉時代にこの地を治めた河野氏が再建したもので、四国霊場で2番目に古い木造建築として国宝に指定されている。 |
鎌倉時代建立の八脚の仁王門(二の門)は、国指定重要文化財。 |
|
|
|
一の門、二の門の国重要文化財仁王門。
二の門から三の門までは、杉木立の上り坂が続き当時の遍路宿だった民家が並ぶ、570mの長い参道。 |
|
|
40数段の石段の上に、三の門の山門 |
国宝 本堂 |
|
|
52番太山寺(2.5km)→ 53番円明寺 |
|
|
|
太山寺から円明寺への遍路道は、奥の院へ行く山道経由もあるが、
地元の年配女性の「この時期誰も行かないので道がなく危険。絶対に県道の遍路道で行きなさい。」と強いアドバイス。
素直に従いました。
太山寺一の門出発 16:20。
一の門を出て、真直ぐ進み信号の手前で左手に分かれる細い道に入り、車道を横断してまた細い道に入る。 |
|
|
|
その先で県道183号線に出て左折し、道なりに進み、松山市農業協同組合前を通って久万川にかかる中央橋を渡る。 |
|
|
|
県道184号線との信号交差点を直進し、酒店の前を通った先左側に円明寺仁王門。 |
時は、16:46. |
太山寺から、2.5km。 太山寺から、約25分。 |
第53番札所須賀山円明寺(えんみょうじ) (愛媛県松山市和気町) |
開基:行基 本尊:阿弥陀如来 |
天平年間(729~749)、聖武天皇の勅願により行基が阿弥陀如来を刻んだ本尊としたのが始まり。
のちに弘法大師が訪れ霊場とした。 |
寺は、当初海岸にあったが度重なる戦火で焼失し、
寛永10年(1633)豪族須賀重久により現在地に再建されたため、須賀山と号した。 |
愛媛県指定有形文化財仁王門は、八脚門で親柱4本と控柱8本によって支えられている。 |
銅板製納め札:「遍路」の文字が使用された現存最古の資料。
慶安3年(1650)、伊勢国出身材木商樋口家次の納札で、現在の紙納札よりかなり大きいとのこと。
但し、境内には展示されていない。 |
キリシタン燈籠:寛永年間(1624~44)に建立。
マリア観音らしき像が刻まれている、高さ40cm、形状が十字架とも思えるもの。 |
|
|
|
愛媛県指定重要文化財仁王門 |
楼門造りの中門 |
本堂 |
|
|
銅板製納札案内板(納札形状跡がある) |
キリシタン燈籠 |
|
|
53円明寺(34.4km)→ 54番延命寺1
|
今日は、円明寺から1.4kmの民宿リゾートインまあめいど まで。 |
たまたま境内で、昨日長珍屋で同宿した兵庫県の一人遍路の男性と出会い、 |
その人が依頼した地元のOさんの道案内で一緒にまあめいどへ。 |
|
|
|
円明寺出発 17:10。
仁王門を出て右折し、すぐ境内の角から右折して道なりに進み、県道39号線和気町1丁目信号交差点に出て、
また右折してファミリーマートとガソリンスタンドの間の道に入って進み、突当り丁字路を左折する。 |
|
|
|
ゆるい坂を上り馬木橋を渡り、続いて明神川にかかる明神大西橋を渡り、
道なりに進み権現川にかかる花見川橋。
今日は、ここまで。
橋の手前から、左折して今日の宿泊 民宿リゾートインまあめいどへ。
別れるとき、Oさんから、ご自分のために買われた地元で一番おいしいという「塩パン」を、
私たち3人にお接待していただきました。
民宿でいただき、とても美味でした。ありがとうございました。 |
時は、17:39。 |
円明寺から、1.4km。 円明寺から 所要時間約30分。 |
|
今日の宿 |
|
|
|
民宿リゾートインまあめいど(2食付 6830円) |
宿泊客は、前日長珍屋で同宿だった兵庫からの男性遍路、観光の東京からの30才前後の既婚女性と私たち夫婦の計4名。 |
ここは、女将が一人で切り盛りしているように見える。 |
女将は、以前道後温泉駅前で大きなホテルと旅館を経営していたとのこと。 |
そのせいもあるのだろうか、採算重視の経営と思われるところが気になるところ。 |
30才前後の女性は、インターネット口コミで食事がおいしいとあったので、ここを選んだとのこと。
(私には?ただ個人の好みにもよる) |
もっとも困ったのは、パジャマ、浴衣などがないこと。入浴後、食堂へ行くのにどうしたらよいやらと思案。 |
予約を申し込んだときに、その旨言ってほしかった。 |
スリッパーがないので、廊下は素足。寒いときなど困るかも。 |
室内の小さなポットは、電気式でないので、お湯は飲みきり終了。お茶の好きな人は、困っちゃう。 |
トイレは、宿泊室のある2階に男女兼用のトイレが1つあるが、和式なので旅で疲れた身にはつらい人もいるかもしれない。 |
総合的に、なんとなく何かひとつ不足しているように感じる民宿。 |
翌朝、出発時玄関の靴を見たら、汚れていた泥が払い落とされていたような気がする。感謝。 |