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2015.3.8 7:14 浄瑠璃寺を出発。
浄瑠璃寺境内の北側門から車道に出て左折し、一般道を進み、住宅街を通り途中交差点は「八坂寺→」に従い右折する。 |
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次の分かれ道は左折して進み、のどかな畑道に入り、左側道端にポツンとミニチュアお城。
その小いささは、道標の高さと比べて下さい。城は、精巧に出来ています。誰が、何のために作ったのか、古そう。 |
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突当り車道を左折し、一直線の突当りに八坂寺。 |
46番浄瑠璃寺から、0.9km。 時は、7:26。 所要時間 12分。 |
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第47番札所 熊野山八坂寺(やさかじ) (愛媛県松山市浄瑠璃町) |
開基:役行者小角 本尊:阿弥陀如来 |
修験道の開祖、役行者小角が開き、 |
大宝元年(701)文武天皇の勅願寺として諸堂が建立された際八カ所の坂道を切り開いたことから、
「八坂寺」とつけられた。 |
弘仁6年(815)、弘法大師が再興し霊場となった。 |
また、紀州から熊野権現12社の分霊を勧請して祀ったことから、「熊野山」八坂寺と呼ばれるようになった。 |
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山門 |
近年再建された本堂(鉄筋コンクリート造) |
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両端左右にトンネル入口がある閻魔堂
左が地獄の途、、右が極楽の途 |
熊野権現堂 |
ウヮー、カワユィー! |
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47番八坂寺(4.5km)→ 48番西林寺 |
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八坂寺出発 7:42。
山門を出て、すぐ左折する。時代めいた道、続いて用水路沿いの道を進む。 |
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ガードレールの右端から細い道に無理やり(まさか!)入り、何やら工事の仮設塀のようなところを通り、
突当りで車道に出て斜めに横断する。 |
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大きな溜池の手前から右に入り、土手沿いに進み、突当りを左折する。 |
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土手沿の道を進み、途中から分かれて右手の坂道を下って右折し、広い畑の中の一本道を進む。 |
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突当りで県道194号線に出て左折し、住宅街を進み、左側に文殊院徳政寺。 |
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文殊院徳政寺(通称文殊院)(松山市恵原町):衛門三郎の邸宅で、かつ菩提寺。悪い因縁を切るご利益がある寺。
天長年間(824~834)のこと、この辺りに住んでいた衛門三郎は、托鉢をしていた弘法大師に非情な仕打ちをしたため、
翌日から子供が相次いで亡くなった。
後悔した衛門三郎は、弘法大師に謝罪するため後を追って20回も四国巡拝を繰り返したが、会えず、
21回目の12番札所を目にして力尽きる寸前に大師が現れ罪の許しを得た。
衛門三郎は、「遍路の元祖」と言われている。
本堂と「遍路開祖河野衛門三郎生誕壱千貮百結有余年記念」石碑の立つ「弘法大師と衛門三郎夫妻像」。
主役が夫妻なのに、現地で見ると余りにも夫妻像が小さ過ぎるのが気になるところ。
寺院を出て、長い立派な塀の通りを進む。 |
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椿、ミカン、梅と色とりどりの恵原地区の通り。 |
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信号交差点を直進して道なりに進み、「松山道」石柱の立つ分かれ道は右手の細い道に入って進み、
交差点を右折する。 |
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真っ直ぐな道を進み、久谷川にかかる橋を渡り、その先のプレハブ建物のところから左折する。 |
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赤いとんがり帽子の白い建物の左側を通り、
小さな橋を渡って進んだ左側に町内の人たちが掃除真っ最中の「札始大師堂」。
札始大師堂(松山市小村町):弘法大師の後を追った衛門三郎は、
この堂を訪ね、大師が刻んだ尊像に懺悔してその帰りをまった。
しかし大師が現れなかったため、衛門三郎は札に自分の名前などを記して堂の柱にうちつけた。
これが、遍路で携える「納め札」の始まりとされている。 |
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その先でフェンスと建屋の間の道に入り、道なりに進み分かれ道は右の細い畑道をすすみ、
突当りの車道を右折する。 |
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真っ直ぐ進み交差点に出て左折して40号線を進み、23号線との交差点を直進して重信川にかかる久谷大橋を渡る。
橋から右手下方に、河川敷ゴルフ場。あれ?だーれもいない。休みかな。
重信川:もともとは、伊予川と呼ばれていた川で洪水による氾濫で川沿いの村びとたちを悩ましていた。
文禄4年、戦国武将加藤嘉明の居城になったとき、嘉明は重臣足立重信に命じ伊予川の改修を行った。
その結果、川の氾濫をなくしただけでなく、多くの荒地に水が引かれ良田が誕生し松山藩15万石の礎を築いた。
工事の携わった重信の功績を称え、伊予川は重信川と呼ばれるようになった。 |
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橋を渡り切り松山道高架下を潜り、その先で小さな大師堂の右の細い道に入り、白い塀の道を進む。 |
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県道193号線を横断して細い道に入り、突当りの西林寺橋を渡って西林寺山門に入る。 |
八坂寺から、4.5km。 |
時は、8:49。 八坂寺からの所用時間 約1時間。 |
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第48番札所 清滝山西林寺(さいりんじ) (愛媛県松山市高井町) |
開基:行基 本尊:十一面観世音菩薩 |
天平13年(741)、行基が国司越智玉純とともに、自作の十一面観世音菩薩を本尊として、
この地より離れたところに開山した。
大同2年(807)、弘法大師が国司と一緒に現在地に移転した。
寛永年間(1624~44)に、堂宇は焼失。現在の堂宇は、元禄13年(1700)に松山4代藩主松平直が再建したもの。
ここの納経所は、常時は不在のようで奥の部屋からの呼び出し方式。
出てきた中年女性は、一言も発せず口をへの字にして「絶対しゃべらないぞ」と(思うような)、無言で納経帳に墨書き。
ついに一言、「寒いから後ろの戸を閉めてください」。 |
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仁王門(山門) |
本堂 |
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48番西林寺(3.2km)→ 49番浄土寺 |
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西林寺出発 9:19。
仁王門から右折し県道40号線に出て右折して、約200m先の交通標識のところから左折し、畑の中の道を進み、
右にカーブして突当りの波賀部神社前で左折する。 |
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突当り丁字路を右折し、道なりに進み松山リハビリテーション病院ビル前を通り、「遍路橋」を渡る。
まさに、昔からの遍路道である証明かな? |
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さらに進み、來住町信号交差点で国道11号線を横断し、伊予銀行前を通り右側に久米小学校。
正門の前に、「久米小学校埴輪園」。生徒の皆さんの成果ですね。超久しぶりに埴輪見ましたよ。楽しいね。 |
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突当りで讃岐街道に出て右折し、約100mのところから左折して細い道に入り、まっすぐ進む。 |
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伊予鉄横河原線踏切を渡り、県道40号線信号交差点を直進して突当りに浄土寺。 |
西林寺から、3.2km。 時は、10:01。 西林寺からの所用時間 約40分。 |
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第49番札所 西林山浄土寺(じょうどじ) (愛媛県松山市高井町) |
開基:恵明上人 本尊:釈迦如来(行基作) |
天平勝宝年間(749~757)孝謙天皇勅願所として行基が創建し、のち弘法大師が伽藍を再興した。 |
応永年間(1394~1428)の火災や度かさなる兵火で堂宇は焼失し、
現在の本堂は室町時代に再建されたもので、国指定需要文化財。 |
本堂には、国指定需要文化財高さ130cm空也上人立像がある。 |
空也上人(903~972):終生粗末な身なりで諸国を遊行し、念仏を唱えならら(念仏講)民衆に仏道を広め。 |
また各地で井戸や池、橋や道路をを造り、「市聖(いちひじり)」と呼ばれ親しまれていた。 |
空也上人は、天徳年間(957~961)に3年間この地に住み、寺を去る時村人の懇願で上人自らの像を刻んだという。 |
本堂の厨子に、「大永五」(1525)と書かれた巡礼の落書きがあるため、製作年代を推定することができるという。 |
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仁王門(山門) |
国指定重要文化財本堂 |
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浄土寺(1.7km)→ 50番繁多寺 |
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浄土寺出発 10:21。
山門を出てすぐ右折し、石積みに沿って道なりに進み、「久米八幡神社前」信号のところで右に逆V字ターンして、
県道40号線讃岐街道の坂道を上る。 |
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「日尾公園前」バス停を通って道なりに進み、「右へんろ道」石柱のところから右折して細い道(車は通行不可)に入り、
坂道を上り、墓地の中を進む。 |
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墓地を抜け出て坂道を下り、小さな橋を渡り校庭の脇を通り、
坂道を道なりに上って突当りの溜池に出て右折したところが繁多寺。 |
時は、10:45。 浄土寺から、1.7km。 所用時間 約20分。 |
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第50番札所 東山繁多寺(はんたじ) (愛媛県松山市畑寺町) |
開基:行基 本尊:薬師如来(行基作) |
天平勝宝年間(749~757)に、行基が孝謙天皇の勅願所として開いた寺で、
その後弘法大師が長くとどまり東山繁多寺と改称した。 |
堂宇は、兵火のため焼失したが、江戸前期の天和年間(1681~84)に名僧龍湖が寺院を再興した。 |
鐘楼の表に、「元禄9年(1696)丙子年三月」の鋳造年月日がある。 |
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京都泉桶寺式山門 |
天和年間再建本堂 |
鋳造年月日のある鐘楼 |
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境内は開放的で、藤棚の下の休憩所 |
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50番繁多寺(2.8km)→51番石手寺 |
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繁多寺出発 11:10。
山門を出て、溜池の途中まで来た道(写真中)を進む。左手下方に松山市街、右側に溜池。 |
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車道の坂道を延々と下り続けて市街地に入り、三島神社角から右折し、
境内の外れたところの三島神社駐車場案内板のところで左折する。 |
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(市街地に入ると、道標がわかりにくいところがあり、要注意。)
坂道を上り、次に下り交差点からまた上り続ける。 |
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坂の途中のガレージ角から右折し、坂道を上り分かれ道は右手を進み、突当り丁字路を左折する。 |
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坂道を上り、上りきったところの丁字路を右折し、真っ直ぐな道を進む。
この辺りで、女性店主から、お接待で大きなポンカンを2個いただきました。ありがとうございました。
分かれ道は左手を進む。 |
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道は下り坂となり突当り丁字路を左折し、さらに下り続けて突当りを右折し、県道40号線を進む。 |
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信号交差点を直進し、その先で石手川にかかる遍路橋を渡り、遍路橋北信号交差点を直進して国道317号線を進む。 |
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突当りを横断し、土産物屋が並ぶ参道を抜けると、石手寺。 |
時は、11:50. |
繁多寺から 2.8km。 所要時間 約40分。 |
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第51番札所 熊野山石手寺(いしてじ) (愛媛県松山市石手) |
開基:行基 本尊:薬師如来 |
道後温泉に近く、常に遍路の人や観光客で賑わっている、四国有数の大寺院。現在も寺院で熱心に布教活動を行っている。 |
神亀5年(728)、聖武天皇の勅願で鎮守国家の道場として伽藍を建立。翌年行基が薬師如来を刻んで本尊とした。 |
弘仁4年(813)、弘法大師が訪れ、堂宇を整えて第51番札所とした。当時は、安養寺と呼ばれていた。 |
(前述の文殊院で説明した)衛門三郎が亡くなるときに、弘法大師が枕元に立ち、 |
「衛門三郎再来」と刻んだ石を左手に握らせると、衛門三郎は安心して息を引き取った。 |
のちに伊予の国道後の豪族河野息利に長男が生まれるが、左手が開かない。 |
河野家の菩提寺の安養寺で祈念すると手が開き、「衛門三郎」の小石が出てきたところから、寺名を石手寺に改めた。 |
その小石は、宝物館に展示されている。 |
広い境内には、国宝文保2年(1318)建造二層楼門(仁王門)をはじめ |
国指定重要文化財(本堂、三重塔、五輪塔、護摩堂、詞梨帝母堂、鐘楼、銅鐘など)が多数並ぶ。 |
楼門のおおわらじは、信者たちが4年に一度、うるう年に編みかえる。 |
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国宝二層楼門 |
おおわらじ |
国重要文化財鎌倉時代建築本堂 |
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国重要文化財高さ24.1m三重塔 |
国重要文化財元弘3年建立鐘楼 |
国重要文化財護摩堂 |