歩く四国八十八カ所
              i-愛ロマンチカ
   
菩提の道場-愛媛県(伊予)
第6回3日目 2015.3.7(土)
 
45番岩屋寺(29.5km)→ 46番浄瑠璃寺
          
この日は、朝から一日中雨。
今日は、標高710mの三坂峠越えが一つのポイントであったが、
峠近くでの雨、強風、寒さそれに濃霧までおまけがつき散々であった。
そんなとき、峠を越えて待っていたのは、坂本屋を運営しているボランティアの皆さん総出の歓迎そして焚火をしてのお接待。
びっしょり濡れた身体が、芯から暖まりました。
感謝、感謝です。
うらみつらみの天候は、実はこの天候もまだまだ序の口であったということが、後日知らされるとは・・・・。
     
45番岩屋寺(29.5km)→ 46番浄瑠璃寺2
2015.3.7 7:38 民宿八丁坂を出発。
峠御堂トンネルまでは、昨日の県道12号線を進む。久万高原町の朝の雨の中、「
高木農園入口大立看板脇を通る。
住吉橋を渡り、住吉神社脇を通り、霧でむせぶゆるい坂道の2号線を上り続ける。
正面に、
峠御堂トンネル
トンネル手前左側の細い坂道は、昨日大寶寺から峠越えで下りて来た道。
全長623mトンネル内は、区画された歩道があるがちょっと巾が狭いので。大型トラックなどが通ると風圧を感じる。
トンネルを出るとすぐ右側に、
第34号へんろ小屋
時は、8:10。
脇にある「周辺マップ」案内図に、
「トンネル内は危険なので、反射タスキをご使用して下さい」と
タスキが準備されている。
これって、トンネル入口にもあったのだろうが、気が付かなかった。
ここで、遍路道を見落とす。
後でわかったことだが、地図では、トンネルを出たすぐ左側に12号線から別れる遍路道があることになっている。
雨で地図を取り出して見ることもせず、気が付かなないまま12号線を下る。
トンネル内は、右側通行で来るので、出た直後の道を挟んだ左側は注意がいかない。
「周辺マップ」に、遍路道の記しだけでもちょっと記入してくれたら親切なのに、と悔やむ。
本来ならば、トンネルを出たあと左に入り、約300m区間の遍路道を進み、再度12号線に戻る。
道を間違えたまま、交通量の激しい歩道のない蛇行している12号線を下り続ける。
    
遍路道は、「高野口」バス停を過ぎ
蛇行が終わった辺りで12号線に接続しているよう。
久万公園入口手前で、「
大寶寺入口立看板前を通る。
久万大橋を渡り、信号交差点に出て右折する。
この交差点地点が、民宿八丁坂から3.9km、岩屋寺から10.4km。
遍路道は、この交差点を右折するが、ここでは於久万大師を参拝するため直進する。
約100m先右側に、
於久万大師堂
現地には案内表示もなく、またへんろみち保存協力編「地図」にもあいまいに表示されているため、
見逃してしまうかも知れない。
於久万大師(久万郷由来之遺跡):弘法大師が長旅の末疲れきってこの村にたどりついた。
小さな小屋で、「おくま」という気立ての優しい娘が機を織っていたが、大師が汗を拭うための布を求めたところ、
織りたての布をハサミで切って差し出した。
感激した大師が、おくまに願いを聞いたところ、おくまは「山の中のこの地が後々まで栄える事が望みです」と答えた。
その後、言葉の通り栄えるようになり、土地の人々は「くま」の名をとって「久万」町と名づけたという。
先ほどの交差点に戻り、雨でひっそりした通りを進む。
右側に、雨で濡れないようにと、開催中の「くままち ひなまつり」のビニールで覆った
ひな人形
大切にして、また来年も飾って楽しませていただけるのですね。
突当りで、
国道33号線と合流して進む。
写真では分かり難いが、絶え間なく降り続ける雨。
大型トイレ完備立看板。その先右側の駐車場に、由緒ありそうな「高殿神社、奥に本殿
高殿神社:本尊は、「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」。神代の昔、明神右京が日向の高千穂より神様の分霊をお持ちしお祀りした。  本殿を飾る彫刻は郡内随一で、宝物の随神、鰐口は町指定の文化財。
国道33号線は、延々と続くゆるい上り坂。
左側「本明神」バス停脇に、
休憩できる小屋。その先の分かれ道は、真中を直進する。
左手は、
雨に曇る山々と段々畑
まだまだ続く坂道の途中、三坂道路との分かれ道信号交差点左側広場に、休憩所とトイレ
このころ雨も風もひどくなり、身体も冷え切ってしまう。
そのとき、
33号線反対車線に車が止まり、中から年配の女性が傘もささずにこちらに駆け寄ってくる。
森永キャラメル2箱、いただきました。お接待でした。
ありがとうございました。雨で濡れて、風邪など大丈夫でしたでしょうか。
33号線は、右にカーブして上り続ける。
道の反対側に、自転車を押して上がっていく男性。恰好から多分自転車遍路の人。(後刻、坂本屋で正解とわかる)
上るに従いが濃くなり、辺りの景色など全く見れなくなる。
ここの歩道は左側のみで、「
松山まで26km交通標識の下に「→」道標。
そして道の反対側に、「
浄瑠璃寺8.2km石柱と「←へんろ道 歩行者は通行可能です」案内板。
ここから、33号線と分れ草むら道に入る。
草むら道を進み、突当りで民家の前に出て左折し、小路を進み、続いて道の形がはっきりしない草むらを進む。
車道に出て右折し、道なりに進み道端に傷んで詳細が判読しにくい「へんろ道(土佐街道)}看板。
この道は、昔の土佐街道だったんだ!
「猛犬がいます」看板と民家の間の
を進む。
突当りの小さな広場が、三坂峠頂上
頂上地点が、民宿八丁坂から10.7km岩屋寺から17.2km。
時は、11:09。民宿八丁坂を出発して、約3時間30分。

頂上、エッ!という感じ。峠と言えば文字通り、山を上り下るものと思っていたのに、上ってきたという実感がない。
多分、今来た33号線の長い上りの坂が、昔は険しい山道であったのであろう。
広場左奥に、ベンチと寛政12年(1800)四国名所遍路図会「
三坂峠が描かれている案内板(合成写真)。
三坂峠案内板(要約):伊予と土佐を結ぶ土佐街道にある、標高720mの急峻な峠。
江戸初期、久万の商人山之内仰西によって拓かれた。
明治27年に三坂新道(国道33号)ができるまで、この道が松山と久万を結ぶ主要道であった。
峠からは、松山平野が一望でき、茶屋もあり、久万山馬子や四国遍路をはじめ多くの旅人が行き交ったことが、
絵図に描かれている。
この峠辺りで、 上浮穴郡久万高原町から松山市に入る。
ベンチと案内板の間から峠を下り、濃霧で足元を確かめながら、雨で濡れている石畳は滑りやすく危険、
開けたところも晴れならば絶好の眺望なのだろうが、
景色など何が何やら。
急な坂を下り続け、曲り角に「鍋割坂 仰西翁偉績石柱(合成写真)。
鍋割坂:ここは急坂のため、行商の金物屋が商売用の鍋を石畳に落として割ったことから付いた名、という伝承がある。
その険しい
急坂のさまは、写真ではなかなかよく説明できない。
ところで、土佐街道が主要街道ということであれば、当時は大名行列も通ったのではなかろうか。
以前、東海道53次の、大名行列も通ったという静岡の宇津ノ谷峠を歩いたことがあるが、
そこは道巾は人一人やっと歩けるくらいの狭さで、頭から突っ込んでしまうと思うくらいの険しい急板の長い岩道であった
ここを、大勢の人間たちが行列を作ってどうやって下りたのか、それよりなにより馬など下りられるはずがない!と思った。
こういう道の険しさは、当時は当たり前のことだったんだと思う。
この鍋割坂も、当時は当然今以上に険しい道であったであろうことは、容易に想像がつくし、
大名行列の通る土佐街道さえこういう状態ということは、いわんや遍路の人たちが通る道なき道は、
本当に死に装束での歩きだったと、わかるような気がする。
今に生まれてよかった!!

さらに下り、曲り角に「
久万街道案内板(合成写真)。
久万街道案内板(要約):頂上にあった「三坂峠」案内板と同じような内容であるが、
土佐街道と久万街道、国道33号線の完成時期が明治27年と25年など相違する点もあり、
整合性をとった方が良いと思う。
この街道は、当時高知(土佐)への最大の難所で、
三坂馬子唄に「むごいもんぞや久万山馬子は
ヨー、三坂夜出てヨー夜もどるヨーハイハイ」と歌われ、
その往復には一昼夜かかった。
雨に濡れ寒さで震え指の感触がなくなり、デジカメのシャッターボタンも押せなくなり、一苦労。
朝からの雨で道は
どろどろのところもあり、こんなも、小さな橋
暗いの中を抜けると、右側に休憩所。休憩所前に「一ノ王子社跡」案内板。
一ノ王子社案内板(要約):この休憩所には、かって一ノ王子社があった。
(王子とは熊野信仰に由来する三十三または九十九ヶ所の小さな社で、一から順に参詣する。)
中世から近世にかけて石槌信仰に熊野信仰が結びつき、ここから石槌山頂までの道に王子が続いていたが、
現在は消滅している。ただ、石槌登山道西条側に、三十三王子社が残っている。

その先の、
小さな橋を渡ると山道が自動車道になる。
再び林の中を抜け、開けた道、左下方にきれに整備されている段々畑
突当りで、立派に舗装された県道207号線
この合流点の時は、12:14.
一輪の
まっかな椿の花。その先右側に、峠から初めての人家(?)のまっかな幟の坂本屋
坂本屋の前に来ると、中から大の男5人が出て来てそれぞれ「休んでいきなさい」と呼び込み。
当時の江戸時代なら、明らかに峠を下りてくる旅人を狙っている山賊たち。
でも、今は平成の御代、それにここは四国の地。お接待ですよ、おもてなしです。
有難く感謝して、休ませていただきました。
すぐマキを焚いて炎を立ち上げ、そしてカステラとエビセン。
おかげさまで、焚火で暖を熱いお茶でカステラをいただき、身も心も温まりました。
指の感覚も戻り、シャッターもきれるようになりました。
私たちの前に、歩き遍路と自転車遍路の各1人をお接待されたとのこと。
何時通るかわからない遍路の旅人を、ボランティアーでずーっと待ち続けておられる皆さんには、ただただ感謝ばかりです。
これからも、いつまでも、よろしくお願いいたします。
囲炉裏を囲んでいる
当日当番の人たち。ただし内1人は遍路客でたまたま坂本屋の手伝いをしていた方。
坂本屋のおもてなし
坂本屋は、昭和初期まで旅籠だった築104年の古民家を無償で借りうけて、
28人のボランティアーが自主運営する遍路茶屋。
開店は、3月から11月の土曜日と日曜日の、朝9時から午後3時まで。月から金曜日の祝祭日は、閉店。
開店日は、28人で当番を決めて遍路の旅人のお接待。お接待は、無料。
併設の別棟トイレは、閉店中でも年中利用可。タンクの水は、常に用意されている。
坂本屋で、12:22~13:18までの約1時間の楽しい談笑の時間を過してリフレッシュし、お礼を述べていざ出発。
雨の降り続く中、
県道207号線を道なりに下り、分かれ道は右手
を進む。
道なりに下り、突当り丁字路は右折し、左に大きくカーブする。
「三坂峠まで3.4km、46番浄瑠璃寺まで5.1km」四国みち道標の前を通って下り
突当りで左からの道と
合流して進む。左手後方に、ダム
右にカーブして下り、、その先の坂道を上り、また右にカーブして下る。
農村風景のを進み、またまた右にカーブして下り、その先で左側の細い坂道を上る。
山道を進み、道幅が広くなって坂道を下り、突当りの車道を左折する。
ブロック擁壁の通りを道なりに進み、左側に「あみかけ大師堂」と道の反対側に「網掛石」。
この網目石地点が、岩屋寺から21.8km。時は、13:46。
民宿八丁坂から、約6時間(坂本屋休憩時間を除くと、約5時間。)。

網掛石案内板(要約):弘法大師が大きな石を網に入れてオウク(担い棒)で担っていたところ、
オウクが折れて山に飛んで行った。
落ちたところを、大久保(松山市久谷町大久保)というようになった。
また石の一つは下の川に落ち、もう一つはこの石と言われている。
この石は、表面に無数の網の目がついていることから「網目石」と呼ばれている。
左にカーブして道なりに坂を下り、分かれ道は右手の坂を下り、次の分かれ道は右手の細い道に入り、
御坂川にかかる
榎橋を渡って進む。
突当りで207号線に出て左折し、道なりに進み御坂川にかかる小西橋のところで207号線と分れ、左手の細い坂道を下る
御坂川沿いの草むら道をすすみ、次の橋の前を直進し、舗装道をすすむ。
その次の出口橋のところで左折し、を渡る。
橋の入口左側と渡り切った右側に、「
坂本屋5km案内板。(坂本屋は、前述のように3月から11月の土、日だけの開店。念のため。}
橋から右折して道なりに進み、突当りを右折して「出口」バス停前を通り街の中に入る。
久谷郵便局、坂本小学校前を通り、浄瑠璃寺看板から左折して浄瑠璃寺参道の21段の石段を上る。
ついに、今日は一日中ひどい雨であった。
時は:14:48 
民宿八丁坂から、24.0km 、所用時間は、約7時間(坂本屋の休憩時間を除くと、約6時間)。
岩屋寺から、29.5km。 延所用時間 約9時間分(坂本屋の休憩時間を除くと 約8時間)
    
第46番札所 医王山浄瑠璃寺(じょうるりじ)  (愛媛県松山市浄瑠璃町)
開基:行基  本尊:薬師如来
和銅2年(708)に行基が仏教普宣のため伊予にやってきた折り、薬師如来を刻んで安置したのが始まりで、
寺号は、薬師如来の別名瑠璃光如来に因んでつけられた。
弘仁3年(812)弘法大師が訪れたおり、廃れていた伽藍を修復しその後霊場になった。
江戸時代に、山火事で殆ど焼失したが、天明5年(1785)庄屋から僧になった尭音が寺を再興した。
山門は、ない。
本堂
市指定天然記念物樹齢千年
イブキビャクシン
釈迦の指紋を印した仏手花判 釈迦の足跡を刻んだ仏足石
(踏むことができる)
釈迦が説法したインド霊鷲山の石を埋め込んである
説法石
(腰を掛ることができる)
九の災難を救う九橫封じ石 知恵の灯を掲げて人生を照らしてくれる
燈ぼさつ像
     
今日の宿
民宿長珍屋(2食付 バストイレ付 7,344円。 バストイレなしもある。)
浄瑠璃寺門前にある、団体も宿泊できる大規模民宿。
雨と寒さでガタガタ震えながら、入口へ。
玄関を入るとすぐ、ご主人が「雨で濡れたところを拭いてください」と、乾いたタオルを渡してくれた。
何でもないような気遣いであるが、今まで宿泊したところではなかったこと。
食堂であった宿泊客は、団体含め16名で多分全員遍路客。歩きは、私たち夫婦を含め4名?。
部屋は、壁仕切りの8畳で室内は飾り気のない超シンプルという印象。トイレはウォシュレット。ヘアードライアーあり。
問題は、ユニットバスで、狭すぎ。特に浴槽は体格のよい人は、入ることは不可間違いなし。
ちなみにここのご主人は体格がよすぎるので、絶対に入れないと思う。
45番岩屋寺~
46番浄瑠璃寺1
47番八坂寺~
51番石手寺
八十八カ所
徳島県 高知県 愛媛県 香川県