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右に左に曲がりながら、険しい道、傾斜の道を上る、 |
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崖道、ようやく上り切って尾根道を進み、突起道。 |
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下り坂の細い道、下り切って県道31号線に出て、左折する。
時は、7:31。登り口から約20分。
ゆるい坂道の31号線を上る。 |
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右にカーブする手前で、右側の階段を上る。
時は、7:37。この階段地点が、仏木寺から2.2km。
階段上り口に、「四国の道休憩所歯長峠遍路道→」道標、その下に「峠まで20分」標識。
階段を上り、広場に休憩所とテーブルと長椅子。 |
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広場右手から山道に入り、手摺に沿って道を下り、続いて林の中の坂を上る。 |
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急にきびしくなり、左側に補助チェーン。足元のよくないところもところどころに。 |
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林を抜け、標高470m歯長峠頂上に到着。時は、8:02、峠登り口から約30分。仏木寺から3.1km。
登り口の「峠まで20分」標識は、ちょっとベテラン時間かも。
頂上は広場になっていて、木の脇にお堂。
以前、ここに歯長寺たあったが、昭和35年失火で焼失した。その後昭和42年にこのお堂を作ったとのこと。
堂内には、多数の石仏が安置されている。
へんろみち保存協力会編「地図」では、このお堂を「送迎庵 見送り大師」としているが、
現地には、「送迎庵」や「見送り大師」の文字は見当たらず。
堂内に掲示されている、歯長峠の由来(要約):
多分に伝説的な人物である東国武将足利又太郎忠綱は、
無双の勇士で、源氏の出自ながら故あって平氏側について功名を馳せ、その後、源氏に追われてこの地に居住した。
力は百人力、声は十里四方にも及び、その歯の長さは実に一寸余。又の名が歯長又太郎。
ここで庵を結んだことから、庵寺にも峠にも歯長の名がついた。 |
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頂上から見る、宇和島湾と山々は幻想的。
8:06 頂上出発。 道標に従い、広場の片隅から峠を下り、宇和島市から西予市へ入る。
このとき、デジカメの調子がおかしくなり、いろいろ手を尽くしたが、つに故障。
こういう万が一のために、同じメーカーの同じ機種を常に携帯しているのが、功を博した。
街道歩きなどをしていると、命のカメラトラブルが最も恐い。
急な下りもある。 |
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谷道、そしてゆるい坂を下りきって、車道を横断する。
時は、8:37。頂上から約30分(ただしカメラ故障調整時間も含む。)。 |
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横断したところに、「これより下り道 車道迄二十分 禁煙」標識の立つ砂利道を下り、
左にカーブして鉄塔の左側を通り、林に入る。 |
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険しい道、下へ来ると霧の道、足元注意。 |
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手摺付階段を延々と下り、草むら道に出て橋を渡り、小さな建物の右わきに進み、
県道31号線に出て道なりに右に大きくカーブする。 |
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霧で曇る山に向って31号線を下る。
右側広場に、歯長地蔵堂と右に5体の石仏とミカンなどがお供えされている「遍路の墓」、そして休憩所とベンチ。 |
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その先で、肱川にかかる歯長橋を渡り、突当り丁字路を左折して県道29号線を進む。 |
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右側に、古くから願いをかけると導き助けてくれると信じられている導引大師(合成写真)。
分かれ道は、29号線と別れて右手を進み、ひっそりした集落の中を通る。 |
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しばらく進んで、突当りの休憩所のある角で再度29号線と合流し、右折して進む。
この合流地点が、仏木寺から7.7km。
左側に、民宿みやこ。次の分かれ道は、29号線と別れて右手を進む。 |
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分かれ道は、右にカーブし、次の分かれ道は左手を進み、松山自動車道のガードを潜る。 |
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突当り丁字路を右折し、道なりに進み、また松山自動車道のガードを潜る。 |
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その先で左折し、細い坂道を下り、右にカーブして坂道を上って左折する。 |
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まっすぐな道を進み、松山自動車道ガードを潜って直進し、県道237号線を横断して宇和高校脇のゆるい坂道を上る。 |
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坂の途中で右折し、細い道をまっすぐ進み、分かれ道は左手を進む。 |
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突当り丁字路を左折し、ゆるい坂を道なりに上り、突当りで参道階段に出る。
時は、10:58.今朝出発から、3時間45分。 仏木寺から、延べ約4時間15分。 |
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第43番札源光山明石寺(めいせきじ) (愛媛県西予市宇和町) |
開基:正澄上人 本尊:千手観世音菩薩 |
6世紀半ば、欽明天皇の勅願により円手院正澄が千手観音像を安置、7堂伽藍建立したのが始まりで、
その後12坊を建立し修験道場となった。
822年(弘仁13)、嵯峨天皇の勅願で弘法大師がこの地を訪れ、荒廃した伽藍を再興して霊場と定めた。
1194年(建久5)、源頼朝が池禅尼の菩提を弔うため阿弥陀如来像を造り、経塚を築いて堂宇を再興し、
山号を「源光山」としたという。
寺名の由来:明石寺は、ずっと昔は「あげいし」と呼ばれていた。
昔、若い女が大石を一夜のうちに山の上に運ぼうとしたが、天の邪鬼が鶏の声を真似て鳴いたのを夜明けと思って驚き、
消え去ったという。
この故事の、大きな石を担ぎ上げた「上げ石」が名の由来で、現在は「めいせきじ」と読む。 |
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仁王門(山門)と本堂。 「賽銭箱」は床に作ったもので、直行で床下金庫? |
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43番明石寺(67.2km)→ 44番大寶寺 |
大寶寺までは67.2kmと距離は長いが、 |
時間の関係で鳥坂峠を通らなかったため、あとは寺院に近くなって山道になるだけで平坦な道が多い。 |
今日は、宇和町卯之町伝統的建造物群保存地区のよく整備されたきれいな町並みを通る。 |
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43番明石寺(67.2km)→ 44番大寶寺1 |
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明石寺を、11:18出発 境内の片隅の、「宇和文化の里」看板の立つ道を上る。
広い山道、8分で坂の頂上。。 |
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ここから坂道を下り、右折してベンチ前を通り、分かれ道は左手の坂道に入り、道なりに下る。
この辺りで、道に迷ったという明石寺へ向かう一人旅の男性遍路に出会う。
なんと4日目して、道中初めて出会った遍路姿。明日も出会いがなかたので、この5日間でたった一人の貴重な歩き遍路。 |
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下ったところの休憩所前丁字路を左折し、道なりに下り続け、舗装道に出て宇和特別支援学校脇を通る。 |
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交差点では、「松屋旅館」看板前を直進し、宇和先哲記念館前丁字路を右折し、
タイムスリップしたような「宇和町卯之町伝統的建造物群保存地区」通りを進む。
この区域には、江戸時代の面影を伝える町屋が軒を並べるともに、同時代の寺院、学校、教会などもある。 |
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左側に、文化の里休憩処。続いて幕末から続く「松屋旅館」、道の両側に格調の高さを感じさせる建物が並ぶ。 |
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突当りを左折、右折して保存地区を通り、その先で左からもう1つのへんろ道と合流して右折する。 |
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アンツーカー色の道を進み、本如院前を通り、道なりに進む。 |
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突当りで国道56号線下松葉信号交差点に出て右折し、56号線を進み、最初の分かれ道を右手に入る。
この信号交差点地点が、明石寺から2.8km。 |
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住宅街の中を通り、白いビルの分かれ道はビルの左側を進み、突当り丁字路を左折し、
道なりに進み左側に、三好おへんろさん休憩所。
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木の香りがする休憩所は、ゴザ敷きでゆっくりくつろげ、また隣接の大きな石庭も本格邸なもの。兎に角立派な休憩所です。
石庭には、抱きしめたくなるのほど可愛いワンちゃんの置物。
電話番号からお察ししますと、「三好さま」とおっしゃる個人の方が建てられた休憩所なんでしょうか?
大変ありがとうございます。
道なりに進み、歩道橋の脇を通り、国道56号線に出て右折する。
この交差点地点が、明石寺から5.1km。 |
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56号線を進みサンクス前を通り、白い建物の分かれ道は56号線と別れ右手を進み、宇和町大江地区の道を進む。 |
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突当りで再度56号線に出る。
この右側に「おがた蒲鉾」店。
この店で、超大型の「じゃこてん」2枚を歩きながらでも食べやすいようにと串付でお接待をいただきました。
道みち、普段はとらない昼食として食べさせていただきました。
大きさもビックリですが、味は最高に美味。さすが、農林水産大臣賞を受賞したじゃこてんでした。ありがとうございました。
56号線のゆるい坂を上り、次の分かれ道も56号線と別れ右手を進む。 |
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当時の面影を残しているような家並みを通り、突当りで56号線に出て右折し、
その先の分かれ道も56号線と別れ右手を進む。 |
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宇和町瀬戸、東多田地区を通る。
左側に「金毘羅宮江 四十六り」と刻字された燈籠。あの有名な金毘羅様へ180kmもあるんすか?遠いですね。
突当りで、またまた56号線に出て右折する。 |
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56号線の坂を上り、左側にトイレ付「へんろ小屋ひじ川源流の里」。
内には「多田小学校6年生12名の似顔絵」が貼ってありました。
皆ほっぺが赤く、目がビックリするほど大きかったよ。楽しそうだね。いつまでも仲良くしてね。
そのすぐ先の、分かれ道。
ここから、遍路道は2つに分かれる。
1つは、左手の坂を下りて「鳥坂峠を越える」コース。もうひとつは、56号線を行って「鳥坂トンネル通る」コース。
コースの差は、「峠越え」が距離で2.4km、時間的には40~50分程度長い。
17時ころまでは、旅館につきたい。
時は、14:17。
分かれ道地点は、明石寺から10km。今日宿泊の旅館までは、あと約10km。
いろいろ悩んだすえ、安全をとって「トンネル」コースを選択。
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56号線にゆるい坂道を上る。
道の反対側から50~60代の男性から大きな呼び声。
行ってみると、小型トラック荷台にいっぱいの収穫したばかりのミカン。「欲しいだけ、持って行ってくれ」。
お接待でした。ありがたく頂戴しました。とても美味でした。
14:35 長さ1117m鳥坂トンネルに入る。
中はきちんと線引きされた歩道で、湿気もない。トンネルの中で西予市から大洲市に入り、トンネルを出る。
14:47 トンネルを出る。所用時間12分。 |
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トンネルを出ると、56号線は下り坂となり延々と約4km続く。三本松バス停前を通り、
左側に休憩所と野菜無人販売所と自動販売機。
下り続け、札掛橋手前右から来る道は、鳥坂峠を越えて来た道でここで合流する。 |
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第一札掛橋、第二札掛橋を渡り、札掛バス停前を通り、陸橋を渡る。右下方に、松山自動車道。
その先の右側の派手な賑わいは、3軒の飲食店と7つの自販機列。 |
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左側ポケットパーク札掛に、休憩所とトイレ。交通標識を過ぎ、56号線と別れ右折して嵩富川にかかる金山橋を渡る。、 |
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分かれ道は左手の細い道に入り、右側に北只郵便局。道なりに進んで右にカーブし高架と並行に進む。 |
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その先で県道441号線と合流し、夕陽を浴びるビル脇を通り、56号線高架を潜って道なりに進む。
道には、車、いわんや人影など期待できない。 |
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信号交差点で左折し、嵩富川にかかる梁瀬橋を渡り、441号線の坂を下り、市街地に入る。 |
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右側高台にトイレ。
さらに下った右側に 「おへんろさんへ 「足湯」がございます 是非お立ち寄りください 臥龍の湯」看板。
奥に、温泉施設。
ありがとうございます。次回は、是非利用させていたきたいと思います。 |
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右にカーブして直進し、右折して古い家並の道をすすみ、分かれ道は441号線と別れ直進する。(自動車がジャマ) |
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当時を思わせるような家並のレン道を通り、赤いポストの交差点から左折して細い道を進む。 |
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56号線との交差点にでて右折し、肱川にかかる肱川橋を渡る。
この橋の地点が、明石寺から19.5km。 |
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橋から左手に、2004年に天守が復元され、台所櫓・高楼櫓が国重要文化財の大洲城。
橋を渡って56号線を進み肱川橋北信号交差点を横断し、香川銀行前を通る。
今日は、ここまで。
時は、17:07。 明石寺出発11:18。 所要時間 約6時間。
今日宿泊するときわ旅館は、香川銀行前で56号線と別れて左斜めに入り、約100先左側。 |
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今日の宿 |
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ときわ旅館 (一泊2食付 7,000円) |
今日の宿泊は、私たち夫婦のみ。 |
ここのご主人は、長身で美男子の3代目。(注:美人の奥様と小さな子供さんが二人おられますので、念のため。) |
3代目を継ぐとき、評判のよい宿に泊りながら研究して八十八カ所を歩かれたとのこと。 |
そこで、ご主人は、旅館とは「心と体を癒すところ」と、再確認されたのではないでしょうか。 |
何しろ、この旅館にはご主人と奥様の「気配り、こころ配り」がいっぱい。 |
着くとすぐ、ご主人が金剛杖を洗ってくれる。 |
玄関を入ると、ソファーと応接セットがありすぐくつろげる。部屋へ行くときに通る坪庭では、5匹の池の鯉が迎えてくれる。 |
壁で仕切られた部屋はプライバシー安心、床の間付8畳和室に何とソファーがあり、すぐ腰をおろせる。
浴室も浴槽も広くて、のんびり。 |
和室の食堂は、ご主人手作りの大きな掘りごたつで、一人ひとりに足の湯たんぽ付。
寝るときは、この湯たんぽを布団の中へ持込可。 |
汚れものは、洗濯機と乾燥機は無料。自分でもやれるし、頼むこともできる。 |
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御主人から、私たち夫婦それぞれに、旅の必需品セットのお接待をいただきました。 |
マスク、貼らないカイロ、ポケットティシュ、救急バンソウコ、足豆処理(針・糸・綿棒)、
菓子類(のど飴、干し梅、チョコレート、他)
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