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突当りを右にカーブし、厳島神社前を通り、道なりに進んで坂道を上り、右にカーブして上る。 |
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突当り丁字路を直進して林道に入り、枯葉道を進み、分かれ道は左手を進んで坂を下る。 |
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坂を延々と下り、愛媛ミカンの道、前方に集落、集落の中を通る。 |
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集落の外れで小川にかかる橋を渡って右折し、すぐ先の「へんろ道」看板(合成写真)から左折して小路に入る。
突当りで、「へんろ道 こんにちは」道標(合成写真)のところを右折し、山道を上る。 |
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倒木のある道を上り、路傍に天保2年(1831年)と刻まれた野仏像。そして頂上。 |
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坂道を道なりに延々と下り続け、前方に明り。
宿毛市防災備蓄倉庫(小深浦地区)の左側の坂道を下る。 |
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坂の左下方は大きな池で、釣り人に利用されている。
たんぼの中の一本道を進み、橋のところに「土佐の褐牛 モー すぐ伊予やけん ことおたら ちいと休まんかね」方言丸出し看板。
ここはまだ、土佐の国だというのに早めの誘惑ですね。わかりましたよ、ただ先立つものがね~。
褐牛(あかうし):褐毛和牛(あかげわぎゅう)といい、肉牛として飼育されている和牛品種のひとつ。
肥後のあか牛と土佐のあか牛に代表され、正式名称は褐毛和種熊本系、褐毛和種高知系と区別されている。
大変美味ということであるが、残念ながらまだ食したことがないので、感想なし。 |
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橋を渡り突当りで右にカーブして山道を上る。
枯葉の山道、頂上。 |
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枯葉の坂道を下り、畑道を進み、ワァー大きなミカン!伊予カンかな~。 |
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その先で左折して橋を渡って右折し、ぽっかり浮かんだ白い雲の車道を進む。
道なりに集落に入り、突当りを左折し倉庫の前を通る。 |
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突当り丁字路に、順に「四国のみち 松尾峠へのみち」案内板、
「松尾峠1.7km」四国のみち道標と「ご自由にお使い下さい」と書かれた数本の自然木杖。
ここで、12:15。貝塚橋を出発してから、1時間6分。
道標に従い、丁字路を右折する。
杖を必要とするような厳しい山道を覚悟を決め上り続けるが、あれ、ただ普通の山道?
それでも、疑心暗鬼で上り続けると、「火の用心 松尾峠入口 宿毛警察署 NO1」標識。
この「火の用心」は峠の頂上まで続き、距離の目安となるのでとても助かる。 |
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下方に、きれいに青空を映し出した池。右に折り返して上り続け、この辺りに「松尾峠1.4km」四国みち道標。
切通しの道を上る。 |
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視界が開けた道を通り、こんな高地の山奥で袋掛けして大切に育てられているブンタン。美味しいことでしょう。
こんな崖道も。 |
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右折して山道を上る。この右折地点に、「火の用心 山頂まで 1,000m NO2 宿毛消防署 」標識。
この標識の先辺りから、しばらく一本調子の比較的急な山道が続く。 |
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左側に、「松並木の跡」案内板。
松並木跡:松尾坂の街道全体に松並木があったが、戦時中軍部の指示により船の用材にするため全ての並木松が伐採され、
その根は掘られて松根油の原料とされた。その掘跡が街道の名所に残っている。
こんなことまでして、本当に戦争に勝てると思っていたんでしょうかね。
その先に、竹林の道。
竹林は、ここだけでなく、どこの街道を歩いてもあちこちに目立つ。日本は、竹林に征服されてしまいそう。大げさですか?
そして階段。階段にしなければならないほど、よほど地盤の悪いところなんでしょう。 |
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階段を上りきると、左側に「街道の石畳」案内板。
「松尾坂道は、重要な街道であったため雨水で土の流出の恐れがあるところには、石畳を敷いて路面を整備していた」、とある。
石畳は、ところどころに残っている。
道は、段々急になる。
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そして視界が開け、周囲の山々が目に飛び込んでくる。
大木のごつごつした逞しい根っこたちが、通り道を塞ぐ。足を取られたら、谷底へ。 |
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道は、なだらかになり、ベンチも。 さわやかな山道。 |
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「火の用心 山頂まで 400m」、続いて「300m」。もう、あとわずか。
遠くに、松尾峠頂上。 |
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標高300mの松尾峠の頂上に到着。
13;:01、延光寺から12.6km。 出発点貝塚橋から約2時間、松尾峠登口から約45分。
この松尾峠は、土佐国(高知県)と伊予国(愛媛県)の国境(県境)のあるところ。
頂上には、ベンチが3つと高知県名「茶屋跡」案内板。
茶屋跡:土佐側にあった峠の茶屋跡で、旅人はここで一服し眼下の宿毛湾の絶景に疲れを癒した。
昭和初期まで茶屋があり、駄菓子やだんご、わらじなどが売られていた。
峠からの宿毛湾は、今は残念ながら成長した木々に邪魔されて完全絶景とまではいかない。 |
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ちょっと下がった右側に、高知県名「便所」標柱(合成写真)のある大きな便所。
さらに下ったところの右側に、高知県名「大師堂跡」案内板と再建された大師堂。
大師堂の中は、きれいな絨毯が敷かれていて宿泊できるようになっている。
なお、3km先の平地にも愛媛県の「松尾大師」があり、「へんろみち保存協会編」地図ではこの愛媛県松尾大師を「正」とし、
峠の高知県大師堂を「跡」としている。
私は、愛媛県に遠慮せず単純に本来あったところに復元されたものを、「正」としてよいのではないかと思う。
もうひとつ言わせてもらえれば、愛媛県大師堂と比べれば、この高知県の方が姿かたちが堂々として本来の大師堂に見える。
以上、事情を知らない素人のたわごとでした。ごめんなさい。
さらに右側に、高知県名「松尾峠」案内板。
松尾峠(要約):松尾峠には伊予と土佐を結ぶ街道が通り、幕府の巡検使、旅人、遍路などの通行が盛んで、
記録によると毎日200人~300人が通ったという。
国境の石柱は、伊予側は貞享4年(1687)に建立、土佐側はその翌年に建立したもの。
昭和4年(1929)宿毛トンネルが貫通してからは、この峠を通る者もなくなり、今は地蔵堂や茶屋は跡だけとなっている。 |
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さらに右側に、高知県名「松尾峠」標柱と背後に1688年建立「従是東土佐国」石柱(合成写真)。
次に、道を挟んで左側に、「予土国境松尾峠」案内板。
予土国境松尾峠(要約):昭和4年、一本松町~宿毛間に道路が開通するまで、この峠は伊予と土佐を結ぶ街道として利用されていた。
昔は坂を下った所にそれぞれ御番所があり、不法越境者を厳しく取り締まっていた。
また、この峠には2軒の茶屋があり、みち行く人々の休息の場所であった。
寛永15年(1638)大覚寺門跡空性法親王は、「ひたのぼり登りてゆけば目のうちに開けて見ゆる宿毛松原」と詠み、
眼下に広がる宿毛湾の絶景をたたえた。
続いて左側に、順に「純友城跡」石柱、「四国のみち」石碑、さらに1687年建立「従是西伊豫国宇和島藩支配地」石柱。
道の右側は土佐(高知)、左側は伊予(愛媛)と陣を構え、まさに国境のせめぎ合いをしているさまを見ているよう。
そして、なんとなく県民性が感じらとられるみたい。 |
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そうそう左側に、まだ新しい「一本松町指定文化財 松尾峠の境界石標」石柱が、とどめを刺す。
一本松町は、愛媛県。
下ったすぐ左側に、「四国のみち(四国自然歩道)」案内板。当然松尾峠からの愛媛県内のコース案内。
それにテーブル2つ、長椅子4つ備えている休憩小屋。晴雨に関係なく休める一大休憩地。
峠からは、ひたすら愛媛県南宇和郡愛南町(旧一本松町地内)の坂道を下る。
坂道は、広くよく整備されていて道端には一部区間を除いて車道に出るまで延々と立派な防護柵が設置されている。
ただ、次の柏峠の山道には、こんな立派な防護柵がなかったので、つい高知県との対抗意識からかと、勘ぐってしまう。 |
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ひたすらに下り続け、右にカーブするところにベンチが2つ、尾根道もあり、崖道も防護柵完備で安心。 |
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何故かベンチの間を通り坂道を下り、急階段を下りて、坂道を下り舗装道路に出て、右折する。 |
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この下りたところが、観自在寺まで14..6km地点。時は、13:45。峠頂上から、約45分。
舗装道を道なりに進み、左側に「左折」四国みち道標(合成写真)。
時々、この道のように「へんろみち保存協会編」地図に載っていない道標があるが、
現地道標を尊重することにしているので、常に見落としがないように注意して進む。
道標に従い、左折する。 |
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突当りを右折し、建屋の前を通り、畑道を進む。
この間、全く道標がなく、途中の分かれ道で間違えたのではないかと、疑心暗鬼。 |
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突当りで先ほどの舗装道と再度合流し、出口角に四国みち道標が立っていて間違いなかったと、安心する。
舗装道を道なりに進み、入口に2体の野仏像が立つ丁字路を右折する。 |
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舗装道を進み、車道を横断してゆるい坂道を上り、道なりに左折する。 |
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道なりに進み、鳥居に隣接して立派なトイレ。設備だけでなく、とてもきれいに清掃されていて、感謝
トイレの前を通り、途中県道299号線と合流してゆるい坂道を上り続ける。 |
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今度は、ゆるい坂の299号線を下り集落に入る。
観自在寺へは、国道56号線経由と県道299号線経由がある。
観自在寺の納経帳の締め切り時間の17時に間に合わせるため、距離の短い56号線経由を選択していたが、
途中56号線へ出る分かれ道を見落としてしまった。
ここでは、そのまま29号線を進む。
左側公園の一角に、松尾大師堂。
さらに進み、56号線に出るため、松尾大師堂から最初の信号交差点倉田酒店角を左折する。 |
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道なりに進み、左側大盛屋前を通り、突当りで国道56号線宿毛街道に出て、左折する。
宿毛街道を進み、すぐ先で左手から合流する道が見落としたへんろ道で、この出口地点が延光寺から17.4km。 |
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愛南町は広く、宿毛街道も愛南町地内を走る。
「一本松庄入口」バス停前を通り、ゆるい坂の宿毛街道を上り、続いて下り坂となり赤木川にかかる中川橋を渡る。
右手の赤木川越しに、中ノ川隧道から出てくる車道。 |
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蛇行している赤木川にかかるを、川湯大橋、観音橋、五段地橋と渡る。 |
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ゆるい坂の宿毛街道を下り、左手手摺に「お手洗い ご自由にお使い下さい」大きなシート。
描かれている遍路姿のイラスト素晴らしく、描いた人は只者ではないとみた。
すぐ右わきに、立派なトイレ。仮設事務所には、「ショーボンド建設株式会社 松山営業所」看板。ありがとうございます。 |
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すぐ先に、長さ604m「蓮乗寺トンネル」。トンネル内は湿気はなく歩道も確保されているので、歩きやすい。
さらに道なりに下る。 |
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信号で、遍路道は2つに分かれ、左手は城辺トンネルを通り、右手は城辺市街地を通り、それぞれ観自在寺へ行く道。
ここでは、前述のように5時の納経帳に間に合わせるため、距離が短くわかりやすい左手の城辺トンネルを選択した。
信号からは観自在寺まで約3km。そのまま56号線宿毛街道を進み、長さ532mの城辺トンネルに入る。
ここのトンネル内も、歩道がキチンと区画され、湿気もないので歩きやすい。 |
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道なりに56号線宿毛街道を進み、愛南町城辺甲信号を直進し、県道297号線を横断する。、 |
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その先の、「観自在寺→」看板のかかる歩道橋のある信号交差点で、宿毛街道から分かれて右折し、細い道に入る。 |
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僧都川にかかる観栄橋を渡り、まっすぐ進む。 |
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車道を横断し、門前通りに入る。
なお、今日宿泊の山代屋旅館は、この車道を左折した右側。
門前通りの右側「久能呉服店」ガラスドア―に、「お接待です よろしければお持ち下さい」貼紙と店内に多数のミカン。
女主人から、何と20個もビニールに入れてお接待していただきました。とても美味でした。ありがとうございました。
突当りに、観自在寺。
16:40 観自在寺に到着。
今朝、貝塚橋を11:09。 所用時間 約5時間30分。 延光寺から、25.8km 所用時間 延7時間30分。 |
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第40番札所 平城山観自在寺(かんじざいじ) (愛媛県南宇和郡愛南町平城) |
開基:弘法大師 本尊薬師如来 |
大同2年(807)、平城天皇の勅願寺として弘法大師が開基した。 |
その時、大師は本尊の薬師如来、脇仏の阿弥陀如来と十一面観世音菩薩を刻み、安置した。 |
山号の平城山は、平城天皇にちなんでつけられた。 |
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約200年前建築の総檜造仁王門(山門)と門天井に十二支が描かれた方位盤。
仁王門を入ると左側に、十二支守り本尊の八体仏。 |
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延宝3年(1675)と昭和34年に焼失し、昭和39年再建の本堂。賽銭箱上には、弘法大師が大切にしていたという五鈷杵(ごこしょ)。
本尊文殊菩薩・弁財天を祀る宝聚殿八角堂。 |
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本日の宿 |
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山代屋旅館 (一泊2食付 6,800円) |
創業が大正元年と古く、室内の備え付けパンフレットにあるように設備も古い。 |
そういうことを承知して宿泊すれば、昔の遍路宿とはこんな風だったのかと、逆に味わえるのではないだろうか。 |
奥さんと娘さんは裏方で、接客は元サラリーマンのご主人。 |
夕食は、8皿+味噌汁+漬物。鯛の刺身の味は特筆もの。 |
朝食に出たふりかけは、私にとっては超久しぶりの懐かしの味。コーヒーは、セルフサービス。 |