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橋の袂で、倒れてあらぬ方向を指している白道標。どうして近頃の道標は、足腰が弱いんだろう。
ここは、一旦21号線と別れ、橋の手前から左折して下ノ加江川沿いに進む。
何と!ここに昨夜同宿の埼玉県の美人が佇んでいるではありませんか!?
最近落石があったようで「落石注意」立札があり、行くかどうするか迷っていたとのこと。
「大丈夫、私に任せておいて!」と彼女を連れて左折したのが、運命の同伴(?)の始まり。
全く人の気配を感じない枯れたような道を進み、坂道を下り続ける。 |
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その先で、右手の五味ほたる橋から来る21号線と再度合流して進み、
県道のプライドを感じる2車線道路を下り、突当り丁字路を左折する。 |
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プライドより経済性第一と思わせる21号線を下る。
今朝21号線を出発してから埼玉県の美人に会ったきり、誰にもそして1台の車にも出会っていない。
21号線を右、左に蛇行しながら下り続け、暗い林の中を通り抜ける。 |
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突然右下に、ひっそり流れる下ノ加江川。
そしてまた林道、「徐行」幟。よくわかります、こういう道はついつい飛ばしたくなりますからね。
あれ、道が水で汚れている、どうしたんだろう、雨降った? |
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ようやく林を通り抜け、光が燦々と輝く太陽道。
右側広くなったところに、真新しい木製ベンチ。
ベンチに、「ここは、下ノ加江・大河内 へんろ道あの里こえて八十八(ヤソ)の旅路(ミチ) 村 一人」木札。
拝読させていただきました。ありがとうございました。このベンチも設置していただいたのでしょうか。
句を噛みしめ、太陽がいっぱいのこの道、心は浮つく。
そんな気分になってしまい、埼玉県の美人に、「今日は、雨ふらないよ!」と、いい加減な断言。
後で後悔することになるのだが、本当にいい加減な軽率な男です。だから嫌われるんです。 |
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ワ―、カワユイー。道の左側に、森の精のような人形。誰か忘れていったのかな~。
バーカ、本当にバカなんだから。そんなことないでしょう!
右側に、「三原村」標識。ここから、土佐清水市から博多郡三原村(下下長谷地区)に入る。
道は、下り続ける。 |
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下り切ったところで、下ノ加江川にかかる鶴場橋を渡る。その先で、道はゆるい坂道となり、上る。 |
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左側に、「芳井へんろ小屋 1KM先」標識。
また林道となり、突然左手がぱっと開ける田舎道。 |
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21号線は、細くなったり広くなったり。金剛福寺への県道27号線も同じだったが、これも経済性が由縁?
下ノ加江川も時々顔を出し、そこにかかる芳井橋を渡り、集落の中を通る。 |
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まっすぐな21号線の左側に、予告のあった「芳井へんろ小屋」と当屋のご主人。
「お遍路御苦労様 お茶お菓子ラーメンなどで一服を お接待です ご自由に」貼紙。
白いテーブルクロスの上に、コーヒー、ミカン、いろいろなお菓子とインスタントラーメン。
その上、熱い湯が沸いていて、こともあろうにこのご主人は、先客を含め4人一人ひとりに、
コーヒーカップで丁寧にコヒーを入れてくれました。ご主人、本当に美味しかった!
ありがとうございました。
あれれ、さっそく埼玉県美人がご主人からおめだまですか?違うちがう、単に道を尋ねているだけです。 |
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左に大きくカーブし、分かれ道は右手の道を進み、下ノ加江川にかかるあいばしを渡って、
21号線を進む。 |
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右にカーブするところで、水量豊富な下ノ加江川にかかる鯉橋を渡り、まったく人も車も通らない道を進む。 |
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左側に「昔ながらの どぶろく くろうさぎ」立看板。字がかすれていて、「どぶろく」以外よく読めない。
なんとなく里の風景のような道を進み、「みはらのじまんや」看板。
お手洗い、買物、休憩とあるが5.5km先までもつ? |
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切通しの道を通り、突当りを道なりに左にカーブする。 |
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道なりに進み、あれ!今日初めての車。その先を右にカーブする。 |
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とと・・・と、何故かまた自動車(。急に2台も、ラッシュ?。
カーブしたところで、下ノ加江川にかなる三原橋を渡り、道幅が広くなり歩道のある21号線を進む。 |
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右側に、「民宿どぶろく・くろうさぎ」看板。
民宿の名前で、特別どぶろくを飲ませてくれるわけでもなさそう。
左側に、衆議院選挙準備完了の「下長谷公会堂」。
町の中を通り抜け、青空のなくなった道を進み、左側に「落石注意」立札。 |
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そのすぐ先に、祠と大岩。
嫗瀧権現と猫の爪跡石(案内板要約):1468年、中村に下向した一条公の息女椿姫が何者かにさらわれた。
乳母の尾形をはじめ村中で毎日探したが、行方わからず。
精根尽き果て、乳母はこの瀧の上で
「人々の疾病を除き、福寿をお守りします」と村人にお礼をのべ、身を投げた
以来、里人たちはここに祠を建て嫗瀧権現として、春秋のお祭りを続けている。
乳母と共に、姫を探していた椿姫が可愛がっていた猫が、
乳母の亡骸の傍にあったこの大岩に掻きむしって嘆いた爪痕が残っている。」
道なりに左にカーブして進む。 |
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前方左に、天満宮の鳥居。
それより、神々しくみえるのは、右側の「トイレ」マーク。 これまで、全くなかったからね。
境内に、天満宮ととてもきれいなトイレ。 |
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天満宮から左におおきくカーブして山裾沿いに進み、三原村宗賀地区に入り突当りを左にカーブして、
右、左に蛇行して山裾を進む。 |
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突当り丁字路を右折し、その先分かれ道は21号線と別れ左手を進み、家並の中を進む。 |
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左側に、「三原バス停留所兼お遍路ろさんお休み処」。
警察駐在所前を通り、来栖野橋を渡り、右手からの21号線と再び合流して進む。
先ほど、看板の出ていた「みはらのじまんや」はこの辺りの右手にあるようだが、所在不明。 |
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分かれ道は直進し、道なりに右、左、左にカーブし、左側に「ウエルカム ゆずの里」看板。
ここは、ゆずの名産地なんですね。 |
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46号線との交差点手前左側に、ソファーを備えた小屋。もしかしてへんろ小屋かも。
その道の反対の右側に、「WC」白看板とその奥にトイレ。
プライバシー確保のため、敷地を割いてわざわざ奥に設置していただいているんだと思います。
ありがとうございます。
この交差点は、金剛福寺から43.1km地点。また今朝出発した21号線分岐点から20.6km。
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交差点を直進し、延々と約4kmほど続く下り坂の21号線を進む。
道なりに下り、頭上に「丁字路→ふれあいの里」標識。 |
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さらに21号線を下り、左側に「清水川荘」立看板(写真中)。左手高台に清水川荘。
四万十大橋からの道の至る所に、「清水川荘」PR貼紙があった。
建物には、「何号室から何号室まで空いています。ご自由に利用して下さい」のような貼紙。
民宿や旅館とはちょっと違うよう。善根宿?
ただ、民宿並の宿泊料金ということは、善根宿でもなさそう。
インターネットの口コミは評判が悪いので、よく調べてから、利用されるとよいと思う。
女性には、とてもお勧めできそうもない、というのが実感。
その先に、ちょっと朽ちた休憩所。 |
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21号線を延々と下り続ける。
と、そのとき、車が寄ってきて止まり、中から年配の男性がこれをどうぞと「お接待」。
埼玉県美人と私に、お菓子が入った大きな袋を一つずつ。
思いがけない「お接待」に、私は勿論ですが美人さんもことのほかうれしかったようです。
ありがとうございました。
その先で、「宿毛市」標識で、土佐清水市から宿毛市(平田町黒川)に入る。
突当りは、道なりに左にカーブする。 |
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その先で、梅の木大橋(写真中)を渡る。
橋の下の両側は、きれいに整備された梅の木公園。 |
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橋を渡り切り、延長215.5m梅の木トンネルに入り、
巾8mしかないが歩道があるので安心して潜り抜け、続いて黒川大橋を渡る。 |
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橋から、ハッとする素晴らしい中筋川と遠くにダムの光景。
(写真ではうまく感動が現せないが、橋上にしばし佇む。)
橋を渡り終え、すぐ先の黒川トンネルを潜り抜ける。 |
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21号線は延々と下り続け、ここは、足の指先に血豆ができないように注意しながら下る。
(結局、足の全ての爪に血豆が出来て、生爪が剥がれてしまいました。4kmの下り坂はつらい。)
右側に、構築物、何だろう?道もようやく平坦になる。 |
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分かれ道は、両方ともへんろ道であるが、ここでは21号線を進む。
と、その直後ポツンと雨が、そしてたちまち凄い雨に。
慌てて、リックサックを下して中から雨具を取り出そうとするが、もたもたしてなかなか出ない。
埼玉県の彼女はと見ると、手慣れたものでセパレートのカッパをもう着込んでしまっている。
見かねた彼女が、甲斐がいしく手伝ってくれました。
来る前に買ったばかりの生まれて初めて着るポンチョだったので、着方が分からなかったし…。(言い訳)
彼女の雨具は、コンビニで650円、私のは100円ショップで100円。
着やすさは、値段の差もあるのかな~。いずれにしても、ありがとうございました。
でも、私が雨は降らない!と彼女に断言したのに・・・。
このとき、12:47。12時ころから雨というテレビの予報がバッチリ当たっていました。
恐れ入りました。
雨の21号線。 |
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前方に土佐くろしお鉄道宿毛線高架(写真中)。
その手前左奥に、可愛い平田駅。トイレもあります。「平田駅」バス停もあります。
(後刻、この駅から彼女は埼玉に帰りました。関係ないか?)
高架を潜り、ヤイト川にかかるやいとがわばしを渡る。 |
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突当りで、国道56号線の丁字路に出て、左折し雨の国道を進む。
丁字路から、約200左側に今日宿泊する旅館鶴の家。
ここに、埼玉県の彼女と私たちの荷物を預かってもらい、身軽な身になって延光寺へ。
道が狭い上に、さすが国道だけあった交通量が激しい。(写真は、たまたま少ないときのもの。) |
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「寺尾」バス停のすぐ先右側の、田村石工所から右折して細い道に入り、道なりに進む。 |
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突当りで、道は2つに分かれる。
角の電柱に、道標の→があるが曖昧の方向でわからず、
近くの家の奥さんに尋ねたら雨の中わざわざ出て来られて、
ご主人が立てられたという手作り道標を教えていただいた。
多分、いろんな人に尋ねられるので、ご主人が見かねて作られたのだと思う。ご親切に感謝します。
ちょっと小さく(写真は拡大したもの)雨のせいもあり、気がつきませんでした。(言い訳)
手作道標の示す手前の道を左折して進み、車道を横断して細道に入る。 |
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細道は既に川となり、水浸しの靴で進み、突当り丁字路を左折し、次の丁字路でハタと迷う。
どこにも道標がない。
正解は、直進。 肝心なところにないのが、道標。(怒られそうですね) |
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突当りで車道に出て右折し、道なりに進み右側に「民宿しま屋専用駐車場」看板。 |
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分かれ道は直進し、赤い自販機の左側の道を進み、突当りが延光寺。
延光寺到着 14;11 、県道21号線出発 6:45 、 所要時間 約7時間30分。 |
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第39番札所赤亀山延光寺(えんこうじ) (高知県宿毛市平田町) |
開基:行基 本尊:薬師如来 |
「修業の道場」最後の霊場。
724年(神亀元)に、聖武天皇の勅願で、行基が自ら刻んだ師如来を安置して、開創。
梵鐘を背負った赤亀の石像:境内の池にいた赤亀が、竜宮城から銅製の梵鐘を持ち帰り、
寺に奉納したという縁起に基ずくもの。
目洗い井戸:水不足で悩んでいた寺のために、弘法大師が錫杖で地面を突いたところ、
霊水が湧き出たという伝説の井戸。
今でも、「宝井水」として信仰を集めている。 |
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山門 |
本堂 |
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梵鐘を背負った赤亀石像 |
目洗い井戸 |
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埼玉県の彼女は、来る途中立寄った土佐くろしお鉄道平田駅から高知駅へ、そして埼玉県へ。 |
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今日の宿 |
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旅館鶴の家 |
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宿泊料金(一泊2食付) 6,500円(税込)
正直なところ、設備、サービスとも民宿並。
ただ、旅館としての「格」のようなものを感じさせるものがある。
宿泊は、私たち夫婦のみ。
食事は、食堂で料理が提供された後は、お構いなし。
私にとっては、食事中べったり侍られるよりはこの方がよい。料理は、だいたいこんなものという内容。
布団は、既に敷いたあったが、とても寝心地よく、久しぶりに快くぐっすり眠れた。
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