歩く四国八十八カ所
               i−愛ロマンチカ
   
修業の道場-高知県(土佐)
          第4回2日目 2014.11.28(金)         
   
  37番岩本寺(80.4km)→ 38番金剛福寺
                          
前日は、岩本寺から約45km地点の四万十大橋を約500m過ぎたところまで歩いた。
今日は.その地点から出発して、金剛福寺へ向う途中の県道347号線「以布利分岐」バス停付近まで歩く。
今日のハイライトは、全長1620mという長い新伊豆田トンネルを潜ることと、
恐怖の以布利遍路橋。
                        
37番岩本寺(80.4km)→ 38番金剛福寺3
四万十大橋を渡り、左折して国道321号線を進み前日の終点を、7:32出発
前日の夕方とった終点の写真は、腕に関係なくいやにきれいに見える。
四万十市間崎地区の国道321号線を道なりに進み、
山裾を左にカーブし、四万十川沿いに進む。
四万十カントリークラブ入口に、「鳴滝の枕状溶岩標柱
これが
枕状溶岩で、遥か昔ここが海底でさかんに溶岩を噴出していた事を物語っているそうだ。
ちょっと先石材屋に、
石仏。信心もないのに、白衣姿で歩いていると、何故かこういうものに目がいってしまう。
歩道は、自転車通学の小学生たちが全員「おはようございます」の大きな声で、次から次へと走り去って行く。
八束小学校の生徒だと思います。元気でとても気持ちがよいですよ。
黄金、大発見!
金色に輝くブロック擁壁。本当に贅沢なつくりです。
よく見ると、なんとコケが朝日に輝いている光景でした。
それにしても、凄い光景。
これからも、ところどころにこういう光景を見ることが出来たが、東向きとか、何か方向と関係があるのだろうか。
大岩バス停を通り、右にカーブしてして進み右側に、
お遍路さん お水差し出します 声を掛けて下さい看板。ありがとうございます。
お食事・喫茶店「
山八」さん、ご繁盛をお祈りします。
大文字前バス停近くの、右側の細い道の入口角に「大文字山の送り火案内板
細い道の奥の山の斜面に、「
」の文字。
大文字山の送り火:500年前、前関白一条教房が戦乱を避け京から家領の中村に住んだとき、
京に模した町づくりを行った。
この大文字山の送り火も、一条家2代目房家が祖父兼良、父教房の精霊を送るとともに、
みやびやかな京に対する思慕の念から始めたと言い伝えられている。
今でも旧盆の16日に、間崎の人たちのよって500年の伝統が受け継がれている。

山茶花
の咲くへんろ道。
ゆるく左にカーブして四万十市津蔵渕地区に入り、集落の中を進み、「津蔵渕入口」バス停を通り過ぎ、
その先の
小さな川にかかる橋の袂で右折して細い道に入り、川沿いに進む。
なお、四万十川を渡し船で渡るへんろ道は、下流からこの川づたいに来て、この橋のところで合流する。
右折して3つ目の橋のところで左折し、を渡って道なりに進み、突当りで再度国道321号線に出て右折する。
ゆるい坂道を上り、小さな川にかかるを渡り、ゆるい坂道を下り続ける。
左、右に山裾をカーブしてゆるい坂道の321号線を下り、新伊豆トンネルに向う。
この区間の321号線は、右か左に必ず立派な歩道があるので安心して歩ける。
左側の歩道が切れるところでは、ちゃんと
横断歩道があり右側の歩道に移行できる。
下り続け、津蔵渕川にかかる津蔵渕橋を渡り、続いて同じ津蔵渕川にかかる大文字橋を渡る。
津蔵川とはどんな川かと恐るおそるのぞいてみると、きれいな黄葉の下方に
かすかに光る水の色
さらに下り、津蔵渕川にかかる伊豆田橋を渡り、前方遠くに見える新伊豆トンネル
トンネル手前左側に、「大師前」バス停、
続いて「
今大師寺」道標碑と後の高台に弘法大師、不動尊、玉還喜伝坊の3体を祀ってある今大師寺
今日ハイライトの、全長1620m「新伊豆田トンネル」。
ただ、トンネルには、「伊豆田トンネル」と表示されている。
へんろみち保存協力会編地図以外の地図も、「伊豆田とトンネル」。
1994年、このトンネルを建設したとき、旧道にあった「伊豆田トンネル」は埋戻し廃止したので、
新しいとトンネルの名前に「伊豆田トンネル」をそのまま使用したのではないかと思う。
一方、へんろみち保存協会では、へんろ道の旧道と新道を区別するため、「新伊豆田」としているのではないかと思う。
ちなみに、旧トンネルは通ることはできないが、旧トンネルの上を越えて真念庵に至る旧へんろ道があるとのこと。
トンネルの中は、想像と違いじめじめした雰囲気は全くなく逆にカラッとして気分爽快さえ感じるほどで、
歩道も広く交通量も少ないのでとても歩きやすかった。
トンネルの
出口
トンネル入口9:08.出口9:26。 所用時間:18分

トンネルの中で、四万十市から土佐清水市下ノ加江地区に入る。
いまぞとばかり咲き乱れる山茶花の美しい国道321号線を下り続け、
市野瀬川にかかる橋を渡り、その先の
丁字路で県道346号線を横断する。
すぐ先に、郵便ポストのある「
あしずり遍路道道標
その後ろの階段を上ると、番外霊場真念庵へ。
    
寄り道: 番外霊場真念庵
、道標に従い階段を上り、山道を進み、段々深く
道が悪いところも、堂宇があったような跡地蔵尊
さらに深く進み、左側に思いのほか小さな真念庵、右側に八十八カ所の本尊石仏
階段から真念庵まで、約700m。
真念庵:江戸時代の天和(1681〜83年)に、
大坂寺嶋在住の真念法師が37番札所岩本寺から38札所金剛福寺、39延光寺までの距離が長く難行道程であったため、3寺を結ぶ中間地(市野瀬)に地蔵大師堂を建立した。
 この地蔵大師堂はいつしか真念庵と呼ばれるようになり、庵の前に四国八十八ヵ所札所の本尊石仏を設置し、
38番札所金剛福寺巡礼の打戻の宿や荷物置場として利用されるようになった。
 真念法師は、
「四国遍路の父」と呼ばれる人で、遍路石(道標)建立、遍路屋建設、四国遍路道指南(ガイドブック)など、
四国遍路の枠組みをつくり、広く四国霊場を世に知らしめた。
戻りは、県道346号線から戻る。
真念庵前を通り、
階段を下って進みを右折し、346号線に出て国道321号線の丁字路に向って坂道を上る。
丁字路を右折して、郵便ポストのある「あしずり遍路道」道標に戻る。     
    
郵便ポストから、ゆるい坂道の国道321号線を南に下り、右側広場奥に食堂水車」。
左に大きくカーブし下ノ加江地区をさらに
下り続ける
2つに分かれる道は、どちらもへんろ道であるが、ここでは左手の321号線を進む。
この分かれ道が、岩本寺から54.7km地点、今朝出発地点から約10km。
「小川通」バス停前を通り、
切通しの道を下り、ワァー、ミカンが手の届くところに。おいしそう。
まだまだ続く下り坂、いつのまにか右下に下ノ加江川
その先左側に、
たこ焼店もり」。(合成写真)
「お遍路さんへ お気軽にご休憩ください」。ありがとうございます。さぞかしおいしいたこ焼きだと思います。
下ノ加江川に沿って走る321号線の頭上に、「足摺 サニーロード標識
今朝出発したときから気が付いていたが、この国道321号線は愛称「サニーロード」という。
太陽がいっぱい、素敵なネーミングです。
エッ!また
たこ焼きやさんですか?この地方の名物なのかな〜。
隣接して、モーニング、日替わり定食の「
ヒゲハウス」。
郵便局前を通り、左側コンビニスリーエフの屋根の上に、明日宿泊する民宿安宿の茶色屋根。
この辺りが、国道321号線の標高が一番低いところではないかと思う。
道は
右にカーブして、下ノ加江川にかかるを渡る。
道なりに進み、分かれ道は左にカーブして国道321号線を進む。
明後日、足摺岬の金剛福寺からの戻って来てこの分かれ道を右折し、県道21号線を進んで延光寺に向う。
上り坂となり、「
海亀の来る 下ノ加江海岸入口標識
路傍に、先ほどとは種類の違う
ミカンの木。歩道にはみ出しています。
(写真中)を上り切り、左側は崖で下方に土佐湾(写真左)の太平洋。
また
下り坂となる
路傍に咲く白菊の花。左手下方の素晴らしい海岸線は、「足摺宇和海国立公園下ノ加江海岸看板で納得。
さらに下がり続け、右側に派手な幟を立てた民宿いさりび
この2日後に知り合った、埼玉県からの一人へんろの若い美しい女性が道みち語る悲しいお話。
仕事で行けなくなったため、2週間前にこの民宿いさりびに電話でキャンセルを申し込んだら、
「じゃらん」の規則に従いキャンセル料6,000円を請求されたとのこと。
じゃらんに関係なく直接電話で申し込んだのに、いつの間にかじゃらん扱い。
仕方なくじゃらんの規則を読んだら、確かに6,000円支払いになっていたので、泣く泣く銀行振り込みをしたという。
何故じゃらん扱いになったのか、2週間も前なのに何故キャンセル料が発生するのかなど、悔しいことばかり。
                                                          (以上、彼女の話)
私がいろいろな人から聞いているのは、へんろで歩く人はなかなか事前に距離が測れないので、
前日までのキャンセルなら無料ということであったが、こういう宿もあるということを肝にめいじます。
これからは、予約申し込み時にキャンセルのこともきちんと聞いておくようにしなければ。

下り坂も終わり、久百々川にかかる久百々川橋の手前の波打ち際に、寄せては返す波の
白菊模様の芸術作品
しばし、見とれる。
321号線は道なりに左にカーブして久百々川橋を渡り、民宿久百々川の前で
横断歩道で右側に渡る。
横断歩道から約200m先の電話ボックスの角から一旦321号線と別れて右折し、
坂道を下り、すぐ先の左側の白い階段を上る。
階段を上り切って左折し、山道に入り、ぽつんと建っている民家の前を通る。
突当りを右折し、進入禁止標識前で丁字路を左折して折り返し、坂道を上る。
少し上り、続いて長い下り坂が続く。
右側に墓が並び、左の
白い墓に宝永7年(1710年)の刻字。
宝永と言えば、宝永4年10月4日にマグニチュード8.4の日本史上最大級の宝永地震が発生し、
津波は土佐沿岸で最大で、多くの死者や家屋流出が起きている。この墓は、こういうこととは関係ないのでしょうか。
ちなみに、地震発生から49日後に 富士山が歴史上最後の大噴火(宝永大噴火)があり、宝永山が出現した。
いずれにしても、宝永年間は、大変な時代であった。
突当りで321号線に出て右折し「池ノ谷」バス停前を通り、ゆるい坂道を下り続ける。
右側に、「
民宿・ドライブイン二浜」があったが営業していないよう?(間違っていたら、ごめんなさい)
その先右側に、この山道に入る表示の「足摺遍路道道標
ただ、へんろみち保存協力会編「へんろ地図」には掲載されていない。
ここでは、無視して先に進み左に大きく
カーブして下る。
「土佐食株式会社大岐工場」看板の立つ丁字路に、「
遍路道ワッペン。(合成写真)
多分、先ほどの山道と繋がっているのだろうと、推測。
321号線を進み、右側の「小浜」バス停脇から上る「民宿大岐の浜」への坂道。
バス停からすぐ先右側に、「足摺遍路道」道標の立つ
へんろ道を上る。
法面には、もう
白菊の花ばかりが今ぞとばかり咲き誇る。
細い道を進み、左側に5、6階建ての白い小さなマンション
実は、この小さなマンションの白は、大岐の海岸からとても目立つ存在。
道なりに進み、
坂道を下り321号線に出て、坂道を上る。
上り切った辺りの左側広場に、「足摺宇和海国立公園 大岐海岸
左手下方に、約1.6kmの
砂浜。砂浜は足摺岬の花崗岩が浸食運搬されてきたもの。
ここは、絶滅危惧種のアカウミガメの産卵場所にもなっている。
道は
下り坂となる。
段々下がってくると、左手下方にが見えてくる。
実は、大岐の海岸の遍路道へ行くには、この橋を渡らなければならない。
そのためには、321号線を下り切ったところの
大岐観光センターから左折して、坂を折り返し下らなければならない。
それが、観光センター前で横断歩道を渡り、歩道のある右側へ渡ってしまった。
結局、間違いに気が付かず、そのまま321号線(山側遍路道)を進む。
321号線を進み、「へんろ道世界遺産貼紙
世界遺産になれれば、弘法大師も喜ばれることでしょうが、現実は凄く難しいよう。
丁字路を直進し、321号線を進む。
いつまでたっても浜へ出る道が見つからず、「民宿岡田」前を通り過ぎたころから道を間違えたことに気がつく。
でも、
この321号線も、もうひとつのへんろ道であることには変わりない。
「和田分岐」バス停を通り、その先で21号線と別れ
左折して、「あしずり遍路道道標の立つ細い舗装道を上る。
全く人の気配のしない崖上の細い道を上り、民家(写真右)の手前左側にやたらに道標が立つ下り口
ここが、大岐の海岸遍路道への下り口で、明日金剛福寺から戻りに、ここから下る。
急な崖道を上り、その先で再び321号線と合流して直進する。
この合流点に、「
下港山」バス停。(合成写真) 明日このバス停まで金剛福寺からタクシーで戻ってくる。
ゆるい坂道を下り、「幡陽小学校前」バス停を通り、
下港山バス停から約800地点の
丁字路を左折して231号線を進む。
直進は、以布利バイパス。
231号線のゆるい坂道を下り続け、「しおさい前」バス停を通り過ぎ左側に、
この先左折窪津経由 金剛福寺 13.0粁」道標石柱。(合成写真)
道標に従い、「
あしずり遍路道道標の立つ細い坂道を上る。
このとき、急に雨が降り始める。
突当りで、広い車道に出る。
突当りのコンクリート壁には、白い道標があり、「左折は以布利市街地経由、右折は321号線経由」で金剛福寺。
雨が激しくなってきたので、足元のよいと思われる321号線経由を選択し、右折。
市街地経由は、明日金剛福寺からの戻りのときに歩くことにした。
321号線に出て左折し、坂道を下り頭上に「
以布利港標識、続いて「以布利」バス停前を通り、
右に、左にカーブしたところで道は
上り坂となる。
雨はじゃんじゃん降るし、リックサックからポンチョを取り出すのも面倒で、ずぶ濡れ。
雨など、ケセラセラ
道はまた下りになり、「窪津分岐」バス停の先の
カーブミラーから、321号線と別れ左折して細い道に入る。
なお、321号線のすぐ先に、以布利トンネルがある。
雨に濡れた
へんろ道、そして「あしずり遍路道道標の立つへんろ道。
岩盤を切り開いたようなを通り、左側道脇にいろいろなへんろ道標の中に、「以布利遍路橋石柱。(合成写真)
ここが噂の、怖い以布利遍路橋への入口。
舗装道の左側から、
枯葉道を下る。
すごい急坂で、岩もあり雨に濡れて足元があやしい。ちゃんと道標もある。すぐロープが準備されている。
正直なところ、写真よりもっと危ないところもあったが、
そういうところは、両手でロープにしっかりつかまっているので写真を撮れる状態ではなかった。

画面が暗いのは、単に雨空のせいだけではありません。
下り切ったところの小さな川にかかる橋、これが「以布利遍路橋」。
上りの
山道も険しく、ロープが準備され必死に掴まって上る。
雨で足元が滑るので、ロープがなければもしかしたら行けなかったかもしれない。
また、夏場などは、草むらで歩くのが大変だろうし蛇などもいるようで、年中難所であることには変わりない。
それでも、冬季の雨でない日が一番よいかも知れない。
ようやく、上り切り
車道に出て左折し、約20mくらいのところの右側の山道を上る。
山道の入口には、「あしずり遍道道標が立ち、山道はそんなに険しくない。
一旦
明るいところに出て、また林の中に入る。
林を抜けだして歩道を横断し、再び林の中に入る。
ここの山道は、あまり整備されていなく、数ヶ所で倒木で普通に歩けない状態が続く。
林を抜けだして県道27号線に出て、
建屋方向へ進む。
建屋は「休憩処てまり」看板が出ているが営業をしている気配がない。
店角から左折し、道なりに下り。
突当りで県道347号線との
丁字路に出る。
金剛福寺へは左折するが。今日はここまで。
この地点は、岩本寺から69.6km。今朝スタートした地点から約25km。
時は15:18。スタート地点からの所用時間は約7時間半。

雨に降られたり道に迷ったりで、今日は時間がかかり過ぎてしまった。

右折して南西へ約500m、今日の宿泊「民宿紆海」へ。
      
今日の宿
民宿紆海(うみ)
アレルギー治療院に、一般客を民宿として受け入れている。
当日は、一般客は私たち夫婦を含め6,7名くらいいたのではないかと思う。
料金 6,500円(税込)。
夕食は、部屋、朝食は食堂。
一般の民宿以上のサービスは期待できないが、ただ忙しい中一生懸命サービスをしようという気持ちは伝わってくる。
一時、一般客の宿泊をやめていたというが、
この近くの旅館・民宿は全て廃業しているので、
へんろにとっては、ここに民宿紆海があることは非常に助かる。
是非、これからも、民宿を続けていただきたい。
           
38番金剛福寺2 38番金剛福寺4
八十八カ所
徳島県 高知県 愛媛県 香川県
      
旅と旅行と