歩く四国八十八カ所
         i−愛ロマンチカ
    
修業の道場-高知県(土佐)
第3回2日目 2014.5.16(金)
     
35番清瀧寺(13.9km)→ 36番青龍寺(58.5km)→37番岩本寺
.
この区間のハイライトは、塚地峠越えと青龍寺から国民宿舎までの道なき道を登る山道。
    
35番清瀧寺(13.9km)→ 36番青龍寺
12:21 35清瀧寺出発
清瀧寺山門

青龍寺への道は、来た道を戻り、土佐市観光笹岡ハイヤー前、国道56号線丁字路までは同じ経路。
土佐市観光」で、無料で預かってもらったリックサックを受け取る。
本当にありがとうございました。
是非、皆さんも利用されることをお勧めしたい。
道に戻り、突当りで
56号線丁字路にでる。
ここで
56号線を横断するが、その先へ行く道がわからない。
周囲をうろうろしても、道標ワッペンがない!

(多分、横断してそのまま直進していたのが、土地の状況が変わり遍路道が消滅してしまったと思う。)
離れた右手の左折する角(合成写真)の電柱に、半分削り取られたワッペン。
これを頼りに左折して進み、天理教高岡大教会角の
丁字路まで来たが、ここにも青龍寺へのワッペンがない。
疑心暗鬼で丁字路を右折し教会沿いに進み、三嶋神社脇を通り長い参道沿いに進むが、まだワッペンがない
うろうろしていると、わざわざ遠くから近所の奥さんが走ってこられて、
「ここでよく遍路の方が迷っている」とのことで、丁寧に道順を教えていただいた。ありがとうございました
旅ではこういうご親切、特に身に沁みます。
その先の交差点を左折し、道なりに進み、信号交差点を直進し高岡第一小学校グランド脇を通る。
小学校の外れで車道に出て右折し、用水路沿いブロック敷歩道を進み、信号交差点を横断する。
延々と続くブロック敷歩道、人通りの殆どない通り、歩道橋のある県道39号線中村街道を横断し、
さらに
用水路沿いに進む。
用水路の右側を走っていた車道と合流し、右側用水路沿いに進み、
県道39号線交差点で右折する。
昼下がりの39号線、水をたたえた波介川にかかる弥九朗(やくろう)を渡り、土佐市塚地地内に入る。
極くゆるい坂道を上り分かれ道は左手を進み、右側に観音さま
その先で「
塚地休憩所 遍路道入口 →標識のところで右折する。
左側の休憩所と右側の立派なトイレのある塚地公園を通り、
砂利道を進み、高低差140m塚地峠まで840mの山道の遍路道を上る。
14:39 峠上り口出発
階段石畳と続く山道はよく整備されていてとても上りやすく、途中100m毎に標識があり励みになる。
切通し道を進み、やたらに道標が立つところが標高185m塚地峠の頂上(合成写真)。
頂上到着時間 15:03  公園上り口から約30分
コース案内に従い、直進して1200mの遍路道を下る。
峠を越えると、土佐市塚地から土佐市宇佐町に入る
下るとすぐ「まむし注意立札(合成写真)。
久方ぶりのまむし注意でひやひやしたが、結局はこの一枚だけで一安心。
ただ、これまでの注意札は全て赤色文字だったが、青色文字ということは、もしかしてまむしの種類が違う?
下り道も、上りほどではないが整備されていて、時には
草むら道石を敷いた道
小川にかかる角材の橋、コンクリート直下の急階段
そして
水飲み場には、ボールと柄杓。用意していただいてありがとうございます。
ボールも柄杓も凹んだり変形したりしていないということは、
利用者も感謝を持って丁寧に扱っているということでしょう。
本当に長く感じる下り道、石畳の道を通り、突当りでコンクリー舗装道に出て右折し、
コンクリート道をしばらく下る。
下り切った突当り丁字路を左折し、手摺のワッペンの方向の用水路沿いに進み、
右側に土佐市指定文化財(史跡)「
安政地震・津波の碑」。
(以下、土佐教育委員会説明書き)
この碑は、宝永4年(1707)と安政元年(1854)に発生した地震による津波の犠牲者の追善と被害の教訓を、後世に伝えるため安政5年(1858)に地元の人たちにより建立されたもの。
碑の前面には、当時の状況が詳細に刻まれている。
後年発生した南海地震の際は、この教訓が生かされ、津波による死者は僅か一名だけであった。
今後も津波への備えを語り続ける貴重な史跡。
この辺りには、例のごとく道標のワッペンがなく不安がよぎる。
と、用水路に立札:ビニールカバーした紙に手書きで「
(川沿いに直進)とその下の板にへんろ道→
多分地元のひとたちのご好意だと思いますが、とても助かりました。ありがとうございます。
自信を持って
用水路沿い道を進み、途中の分かれ道はぜーんぶ無視。
しばらく進み、手摺のワッペンのところで
左折して橋を渡る。
すぐ右折し、再び用水路沿いに進む。
用水路に
ガードレールがつき、そこに手書きの道標がところどころ描かれている。
とても味のある図柄で、歩いているときは同じ絵だと思っていたが今見ると全く違う。
でもタッチからすると、同じ人の絵のように思えるが、どうななんだろう?
用水路の突当りで、右折する。
突当りガードレールには、ここぞとばかりなじみのワッペンがぞろぞろ。
擁壁沿いに進み、どこまで行ってもいつものようにワッペンが全く見当たらない。
坂道を横断し、さらに進む。
宇佐郵便局前を通り、その先でもういいかなという調子で左側の坂道を上る。
上り切ったところの県道23号線ガードレールに、
信頼している
ワッペンが頑張っていてくれて、ホッとする。
続いて23号線を横断して
階段を上って県道47号線に出て、右折する。
宇佐湾にかかる宇佐大橋を渡る。
宇佐大橋:浦の内湾口の宇佐漁港と横浪半島を結ぶ橋。昭和48年(1973)竣工。長さ645m。
当初は有料で、現在は無料。
弘法大師は、当時青龍寺創建のため船で渡り、供を8人この地に残した。
この橋が出来るまで、8人の弟子たちは「龍の渡し」いうこの渡し舟を始め、
代々その子孫が受け継いで守り続けた。

何しろ
長い橋、右手に浦の内湾
橋を渡り終え、県道47号線を進む。
右側に、「
旧へんろ道→案内板(合成写真)。
450m先に旧道がある、とのこと。旧道を歩いたこの日の同宿の人の話では、青龍寺への近道だという。
ここでは、そのまま47号線を進み、右側に「
龍の浜休憩所青龍寺へ1.3km道標
しゅろの街路樹が並ぶ南国のような(失礼しました、四国は南国でした)景観の道路。
三陽荘の先で青龍寺への道標がるところで右折し、ゆるい坂道を下り、突当り丁字路を左折する。
その先の丁字路を右折して道なりに進み、「←青龍寺看板(合成写真)のところを左折する。
住宅街の中を進み、ゲートのところから右に、左にのカーブを繰り返して、
分かれ道は左手を進んで青龍寺に到着する。
16:59 青龍寺山門到着 清瀧寺から約3時間30分。
   
第36番独鈷山青龍寺(しょうりゅうじ) (土佐市宇佐町)
開基:弘法大師  本尊:波切不動明王
弘法大師が、唐に渡り長安の青龍寺で密教を学び、恵果和尚から真言の秘法を授かった。
大師は、その恩に報いるため日本に寺院を建立しようと、
有縁地が選ばれるよう祈願して日本に向けて独鈷を投げた。
帰国後、大師がこの地を巡教の旅をしているとき、今の奥の院の山の老松に独鈷杵があると感得し、
大師は弘仁6年(810)、この地に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置し、
寺名を恩師に因み青龍寺、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」を名のっている。
山門、170段の本堂への参道階段本堂
    
36番青龍寺(58.5km)→ 37番岩本寺1
今日は、国民宿舎土佐に宿泊し、明日は引き続いて岩本寺へ向かう。
17:22 青龍寺出発
参道階段上り口にある納経所の裏から、
細い山道を上り、薄暗くなった林道を進み、
突当りの右に折れ曲がるところは「奥の院」標識に従い
直進する。
初めは、「岩本寺」道標があるはずとここを右に折れ曲がり、
岩本寺への道を探して上がったら本堂へ出てしまった。
要するに、この右に曲がる道は本堂へ通じる道。
ということで、再度この「奥の院」標識まで戻ってきた。ロスタイム、約20分。
ただ、この奥の院道が岩本寺への道と確信なく、疑心暗鬼。
人が歩いたような跡がなく、暗くなった急峻の険しい岩道を本当にこの道でよいのか?
と、そのとき山道遍路専用と思っていた「
遍路道ワッペン
ワッペンで多少は心穏やかになったが、何しろ暗い道、丸太橋分かれ道は経験と勘で左手を、
そして
階段
前方に明りの差す丁字路に出て右折し、県道47号線を進み、
左側に「
←国民宿舎土佐看板のある丁字路
青龍寺から、0.6km。
遍路道は、丁字路を直進するが今日はここまで。
17:53 丁字路到着  青龍寺からロスタイム引いて約30分。
国民宿舎土佐は、丁字路を左折して山道を上る。

   
今日の宿
.
     国民宿舎土佐                    宿舎から眼下に見る土佐湾
宿泊料金:6,800円(2食付).インターネット申し込みで、ウエルカムドリンクと5%相当金券。
トイレ、風呂は共同。露天風呂あり。
部屋の窓からの景色よい。(撮影時は、生憎の曇天)
       
34番種間寺〜
35番清瀧寺
37番岩本寺2
八十八カ所
徳島県 高知県 愛媛県 香川県
.