歩く四国八十八カ所
         i−愛ロマンチカ
    
修業の道場-高知県(土佐)
第2回3日目 2014.3.13(木)
      
24番最御崎寺(6.5km)→ 25番津照寺(3.8km)→ 26番金剛頂寺
        
「暴風雨、そして地震・・。いろいろ修業させていただきます」
今日から、発心道場徳島から修業道場高知へ。
初日は暴風雨、そして地震です。
徳島でも寒波、大雪、強風と体験し、高知でも厳しい歓迎。これが修業と思えばなんのその。
     
なお、この日は暴風雨のため、薬王寺から最御崎寺への上り口までバスで行ったので、
後日の2016.3.21〜24に、
改めて薬王寺から最御崎寺まで歩いた。従ってバス乗車区間はこのページから削除してある。
      
24番最御崎寺(6.5km)→ 25番津照寺
最御崎寺山門発 12:27
山門を出て右折し、突当り丁字路を右折する。
ここでは、室戸岬灯台を訪れるため、左折して
階段を下り、その先に灯台
室戸岬灯台:太平洋が一望でき、晴天ならいかばかりか絶景かと思わせる。
日本一の一等レンズの鉄造灯台で、明治32年(1899)完成。建設当時の姿を残す。
もとの丁字路へ戻り、まだ風雨の強い木立の坂道を下り、突当りで県道203号線に出て左折し、
折り返ししながら下る。
下方に荒れ狂う太平洋と国道55号線
下り切ったところで、右折して55号線手前の一般道に入り55号線と並行に進む。
懐かしい真っ赤な郵便ポストは、現役の真最中。
赤いポストは、これからも度々あることから地域で大事に保存使用しているのかも知れない。
電柱に「
ここの地面は海抜10.0m 室戸市津波注意板
津波緊急避難場所 王子宮西約110m →看板。→方向後背に低い山々。そこへの避難誘導だと思う
これからも同じ津波対策が次々と設置されているが、地元の人たちのご心配お察しいたします。
昭和九年海嘯(かいしょう)襲来地点。この石碑は、この地域に所々に設置されている。
昭和九年海嘯:台風で発生した高波の事を潮津波とか海嘯と呼ぶ。
昭和9年室戸台風の高波では、家が流され死者も多数出る大災害が発生した。
上陸台風の中では観測史上最も気圧が低かった台風で、測候所で最大瞬間風速60mを記録したのを最後に、
観測機が故障して正確な風速は計られていないという。

凄い石垣というより、岩垣。
シャレた室戸岬郵便局前の王子宮(写真右)にも、「昭和九年海嘯襲来地点
津波がここまで来たということを子孫に残すため、到達地点に神社などを建立していたという話を聞くが、
この神社の場合はどうなんだろう。
ちなみに、この辺の地盤高さは海抜8.6m。
高知銀行前を通り、突当り分かれ道に、「紀貫之朝臣泊舟之處(合成写真)
紀貫之朝臣泊舟之處:「土佐日記」の作者土佐の国司紀貫之は、
承平4年(934)任満ちて京都に京都へ帰る時、天候悪くここ室戸の津路の港に十日ほど滞在したところ。

津路の港
沿いに進み、右側の建物は室戸で見かける水切り瓦の伝統的な建築で、
強風対策として、漆喰白壁に直接雨がかかるのを避け壁を保護している。
しばらく進み、突当りで国道55号線と合流する。
気がつくと、まだ風は強いが雨は殆どあがったよう。
分かれ道は、55号線と別れ右手を進み、
ここにも「
昭和九年海嘯襲来地点、そして「昭和風水害之碑
昭和風水害之碑側面に、「昭和九年九月二十一日海嘯襲来地点」と刻まれている。
再度55号線と合流し、信号の分かれ道は55号線と別れ左手を進み、津照寺まであと300m。
突当り分かれ道の室津港のところに、ピンクの案内板の立つ「
梅香の井戸」。
梅香の井戸:紀貫之が京へ帰任するとき天候が悪く10日間舟待ちをした。
舟泊りは沼沢地で浄水がなく、貫之は付近住民の唯一の飲料水であったこの井戸に辿りついた。
井戸には老梅が生い茂っていたので、貫之は「梅香の井戸」と命名した。

ちなみに、井戸の中には水は確認できなかった。念のため。
港沿いに進み、突当りの薬局から右折すると津照寺。
津照寺到着 14:24  最御崎寺から約2時間。
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第25番札所宝珠山津照寺(しんしょうじ) (室戸市室津)
開基:弘法大師 本尊:延命地蔵菩薩
大同2年(807)弘法大師によって開基された。
大師は、漁民の安全と豊漁を祈って一刀三礼し、延命地蔵を刻んで安置し、堂宇を建立した。
12世紀の「今昔物語集」にも、堂宇が野火にあったとき地蔵菩薩像と毘沙門天像の仏たちが、
自ら火を消し小僧の姿になって町まで走って知らせたという、地蔵菩薩霊験譚として紹介されている。
本堂は、竜宮のような鐘楼門を経て125段の石段の山頂にある。
山門鐘楼門、本堂工事中につき仮本堂の大師堂
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25番津照寺(3.8k)→ 26番金剛頂寺
津照寺出発:14:38
空は、すっかり晴れて青空まで出ている。あの暴風雨はどこへいったのだろうか。
山門を出て、
薬局角から右折し商店街を通り、突当りを右折する。
その先で室津川にかかる橋を渡り、東町商店街を通り、電柱に「おもてなしステーションポスター
キョロキョロ辺りを探したが、見当たらず。 まぁ、いいか。
左手からの道と合流し、真っ直ぐな道を進み、突当りで国道55号線に出て左折する。
すぐの信号交差点を横断し、55号線右側の細い道に入り、住宅街の道を進み、奈良師橋を渡る。
ひっそりと静まり返った住宅街
よく旧街道歩きをしているが、地方に行くと町、いや商店街でさえ人に出会うことマレと言ってよい。
人間は、どこへ行ってしまったんだろうといつも思う。えっ、みんなマイカーですか、失礼しました。
55号線と並行して走る一般道、右側に享和3年(1803)建立鳥居の
岩戸神社
そして
室戸病院立看板
すぐその先で、長い橋を渡り、すぐ右折して一本道の舗装道を進む。
右折地点が、津照寺から2.6km。
自動車整備工場前を通り、集落に入り、その先で車が止まっている山道を上り、左にカーブする。
カーブする右側に、「土佐一覧記」筆者の川村与惣太の墓。
薄暗い坂道急な斜面の山道さらに急な坂がいつまでも続く。
ふと開けたところにベンチ。そこから見る室戸岬は、遥か遠くに。
どこまでも続く険しい道、「あと150m標識に頑張ろう!
ついに上り切って、
車道の反対側の参道石段を上る。
厄除石段、次に「男坂」、さらに上に「女坂」、エッ?その上も「女坂」ですか。
女性は、大切です。充分厄除をしてあげてください。

金剛頂寺到着 15:58 津照寺から約1時間20分
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第26番札所竜頭山金剛頂寺(こんごうちょうじ) (室戸市元乙)
開基:弘法大師 本尊:薬師如来
金剛頂寺は、弘法大師が草創した最初の寺と言われ、
大同元年(806)唐から帰国の際この山に登り建立したという。
ただ、一般には、大同2年(807)に弘法大師が勅願として創建し、本尊薬師如来を刻んだといわれる。
東寺とされる最御崎寺と対峙して、通称「西寺」と呼ばれる。
平安時代には、現在の室戸市の大部分を寺領としていたとされる。
仁王でなく、大きな草履が収められている山門本堂、境内に一粒万倍の釜
一粒万倍の釜:弘法大師が3合3勺の米を入れて炊いたところ、万倍の量になったという伝説の釜。
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26番金剛頂寺(27.5km)→ 27番神峯寺
本堂と納経場の間の階段を下り、その先のゆるい坂を上り、左側の宿坊の前を通る。
       
今日の宿
金剛頂寺宿坊
(2食付、6000円税込)
「これが宿坊!? 旅館以上の待遇」
この日の宿泊者は、3人の男性グループ、2人の男性の一人旅、それに私たち以外に1組の夫婦の計9人。
広いスペースの食堂では、ちょぴり寂しい人数かな。
この9人の中で歩き遍路の人は、半数くらいと思う。
室内、廊下などなどゆったりしたスペース。
男女別々の浴室(これまで宿泊した遍路宿は全て男女兼用で時間で入浴)で、ここもゆったりしたスペース、
なんと、ジェットが2基もついている浴槽でした!
朝食は、魚中心の手作り料理が美味で8皿、それ以外各種漬物にノリ。バナナはご自由にいくつでもどうーぞ
食べきれなーい!
前日の夕食も、やはり食べきれないほどの刺身と美味な手作り料理で確か10皿はあったと思う。
それにデザートがリンゴとミカンのような柑橘。
食べきれなーい。
気軽に料理を運んでこられて会話をされる、住職の奥さま。
そして住職の奥様のもと、近所の奥さまたちが腕によりをかけて料理をお手伝いしているよう。
宿坊は山頂にあり、そこから望む太平洋と室戸岬は絶景。
余分なことですが、宿泊した深夜、震度4の地震を体験しました。
        
24番最御崎寺4 27番神峰寺〜
28番大日寺1
八十八カ所
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