歩く四国八十八カ所
      i−愛ロマンチカ
    
発心の道場-徳島県(阿波)
第1回5日目 2014.3.11(火)
11番藤井寺(12.9km)→ 12番焼山寺(20.8km)→ 13番大日寺
      
今回は、前回大雪で参拝できなかった12番焼山寺、13番大日寺、14番常楽寺、15番国分寺を参拝し
その後高知県へ入ることで計画。
「またもや、雪に・・・・」
2014.3.10 東京21:30に深夜特急マイフローラー号で翌朝徳島へ。
ところが名神高速の大雪で徳島到着55分遅れ、
さらにJRの接続悪く徳島線鴨島駅到着は、予定より1時間30分遅れ。
       .
鴨島駅からタクシーで、藤井寺に到着。
       
11番藤井寺(12.9km)→ 12番焼山寺
藤井寺出発 9:00
 四国八十八カ所の中で最難関と言われる、焼山寺へ、。
本堂の左手にある
焼山寺への登り階段
入口には、黄色い看板で「トイレは済ませましたか。道中トイレはありません。」。ご親切ごもっとも。
さらに入口に「これから阿波の国廿三の寺」標柱。ウン、これ何?
朝の快い空気を吸いながら、階段を上ると両側に、
阿波の第1番札所霊山寺〜第23番札所薬王寺の
地蔵尊が祀られた祠
これが、「廿三の寺」の意味でした。
なんとなく神聖な気分になり、ゆるい坂を上り右側に「
へんろ道焼山寺16Kへんろみち保存協力会案内板
あれれ、同協会発行の地図では、「12.9km」とあるが、そうか四捨五入したのか?でも変だな〜?
出た〜!またまた「マムシ注意
蛇には全く弱い私には、心臓がつぶれそうな注意書き。(但し、妻は平気。弱い男の独り言。)
ただ、これまでと違い「マムシ注意」札はこれだけで、翌日の15番札所国分寺までなかった。
どうしたんだろう?
今度は、「
へんろころがし1/6立札
確かに、急階段が続くが、特別にきついとは思わないのは天気良好ということもあるのかも知れない。
へんろころがし:急坂が続く、歩き遍路を悩ます難所のこと。
徳島では「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と言われる。

道端に、赤いべべ着た
地蔵尊像
焼山寺までの距離を「丁」で刻んであり、例えばこの像には「百十五丁」と刻まれている。
丁は109mなので、焼山寺まであと12.5kmということになる。
この野仏像は、これからも多数立っているが、欠番だったり、順番が逆だったり、
距離がバラバラだったりで、時の流れを感じさせる。
崖道になり、階段が続き、切通しを上り、
林の中を通り、車道に出て右折し、すぐ先で折り返して山道の階段を上る。
なお、この車道に出るまでの時間は、藤井寺から17分。
何しろ階段が多く、その先で車道に出て左折して上り、突当りで上り切る。
目の前の景色を楽しみ、休憩所の前を通り、「従是 焼山寺11.9粁標柱を見てさらに険しい山道を上る。
山道はますます急階段となり、岩道、そしてまた階段道
道端に、左から順に「へんろ道道標地蔵尊像、「右焼山寺道標
崖道を通り、さらに崖道
下り坂のガード柵のカーブするところに「長戸庵まで1000メートル立札
ここまで、藤井寺から1時間ジャスト。
アップダウンを繰り返す山道を進み、左側に地蔵尊(写真中)祀った小さな祠(写真左)水大師
水大師には、「これから先は柳水庵(四粁)まで飲み水はありません」立札と柄杓のある水飲み場。
その先に「長戸庵 560m立札、刻々と情報を提供してくれる。
多分、歩く遍路にとっては長戸庵は一つの目標になっているのだと思う。
ううん、
白いものが道端に?
気にはなりながら、これからも所々に設置されている
ベンチの前を通り過ぎる。
ちょっぴり平坦な道を通り、その先の坂道を下ったところに待望の「長戸庵と本尊が弘法大師の長戸庵
長戸庵 :空海が焼山寺に行く途中で最初に休憩した場所と伝えられている。
休憩しているとき、足を痛めた老人が通りかかったので、空海は老人に加持を施して足の痛みを治した。
そこで老人は、弘法大師の尊像を祀り長戸大師堂と名付けた仏堂を建てたといわれている。
長戸庵の名は、一息入れるのに「ちょうど塩梅良き」場所であるということに由来。

ここは藤井寺から3.2km地点で、出発後1時間24分後の10:24到着。
先客の40代ご夫婦と、ここで出会う。
ここには、女性専用トイレがあるが、男性は次の柳水庵まで我慢しろ、とのこと。さて、我慢できますか?
いつの間にか雪道となり、上り切ったところに休憩所。中には遍路ではない中年の夫婦が一組。
今日は天気が良いせいで遍路日和なのか、
長戸庵での夫婦とこの夫婦、さらに先ほど追い抜いて行った男性1人の、計5人もの遍路の人に出会う。
下山してきた地元の男性1人に尋ねたら、この雪は残雪ではなく昨夜降った新雪だとのこと。
改めて雪に触ってみると、きれいで肌が柔らかい!納得。
余談ですが、白衣に菅笠姿の私たちを見ると、どこでも地元の人は道端によけて通していただいた。
遍路を大事にする、遍路文化なんでしょうね。ありがとうございます。
この休憩所からみる
景色は、まさに絶景。
雪道を下り、雪が消えた巾1mもないを渡り、再び雪道の階段を上る。
雪のある道と雪のない道が、これからも交互に繰り返され、
日当たりによるものと思うがこれほど極端とはビックリ。
狭い峯を渡り、細い山道を延々と歩く。峯渡りは、確か4、5回くらいあったと思う。
ベンチの脇に、「
長戸庵2.0km 柳水庵1.2km道標
しばらく進み、舗装されていない車道に出て右折し、その先の分かれ道は直進してゆるい坂を上り、
真新しい
ベンチの前を通る。
ベンチには、「緑の募金事業」で製作されたとあったが、
今回の旅ではこういう新しい遍路施設があちこちに見られた。
地域のみなさんが、本当に遍路文化(信仰)を大切にされておられることがよくわかります。
崖道を通り一気に延々と下り続け、下り切って折り返すところに「へんろころがし3/6立札と小屋。
「へんろころがし3/6」とあるが、2/6はどうしたのだろう?
途中見落とししなかったという自信があるのだが。
3/6へんろころがしは、ここから始まる下り階段ことを指すのだろうが、
今は整備されていて難所とは言い難いが、当時はさぞかし厳しい坂道だったことでしょう。
階段をくだったところに、本尊が空海自らが自身の像を刻んで納めたという番外霊場の
柳水庵
2001年まで庵主が居住して宿泊可能であったが、現在は無住。
トイレと近くに後述の宿泊可能な無料休憩所がある。
柳水庵:空海がこの地で休息した際に水を求めたが、
水がなかったため柳の枝に加持を施して掘ったところ水が湧き出したと言われるのが、庵の名前の由来。

出会い!
長戸庵でお会した40代ご夫婦、7時半に藤井寺を出発したという白衣・菅笠姿の3人の中年女性たち。
いずれの人たちも、ゆっくり昼食中。
今日は、なんということか8人もの多くの遍路人に出会いました。
ただ、悠然と構えていた3人の女性が、果たして今日中に焼山寺に辿りつけただろうかと心配。
ここに、「
是従 焼山寺6.3粁標柱
舗装された坂道を下り、突当りの折り返したところに、地元有志が建設した宿泊可能無料休憩所
建物左側に、「名水柳水 (水源一本杉)」水飲み施設。
坂を下り切ったところで
車道に出て右折する。
すぐ先で左側の山道に入り、急坂を上り切ったところで車道に出て右折し、ゆるい坂を上る。
完全な雪道となり、「五十丁」と刻まれた新しい地蔵尊像。焼山寺までは、あと約5.5km。
その先で、車道と別れ
左側の細い道に入る。
雪道を歩き、車道を横断して山道を上り、アイスバーンの道で足をとられ、えっ、どこに道あるの?
へんろころがし4/6立札、もう氷で滑ってばかり、へんろでなくても絶対に転ぶから。
危ない斜面だってあるのだから、ソロリソロリと慎重に!
12:57 一本杉に到着。
48階段を上り、標高745mに1926年建立弘法大師銅像と県指定天然記念物左右内の一本杉
一本杉の脇の雪道を通り、右側に浄蓮庵
浄蓮庵と一本杉:空海が焼山寺に向かう途中、ここで木の根を枕に野宿された。
その時、夢の中に阿弥陀如来が出現したので、尊像を刻み安置した仏堂が浄蓮庵。
この際に杉を植えたのが、左右内の一本杉となった、と言われている。

ここで、長戸庵で出会った40代夫婦と3度目の出会い。
浄蓮庵の前を通り、突当りで急坂を下り続け、雪が殆どない道
そして
上り坂となる。
次に坂を下り車道に出て左折して、すぐ右側の細い坂道を下る。
道路擁壁、続いて石垣沿いに下り、車道に出て右折し、すぐ先の分かれ道は左手の細い坂道を下る
ちなみに、右の広い道は焼山寺への車道。
細い道をしばらく進み、その先で標識に従い下の細い坂道を下り、を渡る。
橋を渡り終え、左折して山道を上る。時は14:11。
崖道に出た〜!「
へんろころがし6/6立札。そして「十六丁、焼山寺まであと約1.7km。
ただでさえ危ない崖道に、この滑る岩道瓦礫のような道おっととと落っこちないように神様、いえ大師さま
氷が張っているところもあり、何しろ歩けない。
藤井寺からここまでいい加減足の疲れがあるのに、ここへきてこの急坂と足元の悪さでさらに疲れは3倍増。
せめてこの6/6へんころがし難所は、初めの方にしてもらいたかった。
それにしても昔の人は我慢強い、尊敬!
まだまだ続く、この険しい道を見てください。
八丁が立ち、焼山寺まであと約900mで先が見えてきたところで、前方に明かるい日の光
14:51、へんろころがしからか解放される。40分間の苦闘でした。
車道に出て、直進。そこには
ベンチがあるが、足の遅い私には無用の長物で休まず歩く。
雪道を通り、石垣の脇を通り、車道に出る。
焼山寺本堂 四六四米標柱。境内の参道を進み、右上に大きな不動明王像
境内の道は、氷でつるつるに滑るため、団体ツアー遍路さんはあちこちで悲鳴を上げてスッテンコロリ。
私もカメラどころでなく、手すりにしっかりつかまりながらの歩き。
ついに、焼山本堂
参拝階段に到着。
焼山寺到着 15:12。 藤井寺から約6時間
長戸庵で出会った40代夫婦と、ここで4度目の出会い。
                   
第12番札所摩廬山焼山寺(しょうさんじ) (徳島県名西郡神山町)
開基:役行者小角  本尊:虚空蔵菩薩
焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所で、霊場随一の難所。
空海は、神通力を持ち火を吐いて村人を襲う大蛇がこの山に棲んでいることを聞き退治に向かった。
大蛇は全山に火を放って妨害したので「摩盧(水輪)の印」を結びながら進むと、
山頂の岩窟に閉じこもって抵抗した。
大師は一心に祈願し、虚空蔵菩薩の御加護のもと岩窟に封じ込めることができた。
そのお礼に、虚空蔵菩薩を刻んで本尊とし一寺を建立した。
また山は「焼山」となってしまったので、大師が「焼山寺」と名付けたという。
山門本堂
             
12番焼山寺(20.8)→13番大日寺1
焼山寺出発 15:41
今日は、大日寺への途中にある「なべいわ荘」に宿泊。
参道階段を下りて右折し、来たときと反対側の
坂道を下り、車道に出てすぐ左側の坂道に下りて、
道なりに下る。
すぐ雪道となり、岩盤が露出しているところで車道に出て、反対側の細い山道に入り、坂道を下る。
もうこの時間帯は、雪は凍って足元が滑る状態。
延々と
を下り続け車道に出て左折して下り、「四国のみち標柱の立つところから右折し細い山道を下る
雪が凍ってザラメ状になった道をしばらく下り、小さな橋を渡って左折し、車道に出て右折して坂を下る。
左手に、霊場番外札所「杖杉庵(写真中)杉の大木(写真左)
杖杉庵:伊予国の衛門三郎は、弘法大師に行った無礼な行いを詫びるため弘法大師を追って旅に出たが、
この地で大師に出会い力尽き病に倒れたという伝説がある。
大師は、衛門三郎をこの地に葬り、墓標として衛門三郎が遍路に使用した杉の杖を立てた。
これがやがて根を張り杉の大木となったという。
そしてこの地に庵が設けられ、伝説にちなんで杖杉庵と名付けられた。
なお、伝説の杉は江戸享保年間に焼失したが、現在も大きな杉の木が立っている。

杖杉庵の角
から、坂道を下りる。
は急で途中鉄構造橋の区間はアイスバーンで、写真どころでなく両手で手すりをしっかり握りよちよち歩き
その先の
舗装道路を横断して、反対側の細い道に入る。
ところが、わずか20mくらいの区間に、ご丁寧にも2枚の逆→の道標。ようするに戻れという意味。
たまたま農作業しておられた女性に尋ねて、これが間違いということが分かったが、
周辺の道標を改めて調べても、逆回りの人のため用でもなさそう。
早く付け替えてもらった方が、遍路歩きに親切。
暗くなりかけた
木立の中を急ぎ足で下り、車道に出て反対側の坂道に入る。
車道に下りて折り返し、県道43号線を道なりに下り、住宅街を、次におへんろ駅前を通る。
突当りの旅館さくらや前を右折して道なりに下り、左側に小さな橋のある山道入口
ここが、明日大日寺へ行く遍路道入口となる。
遍路道入口(焼山寺から3.4km地点)17:07  焼山寺から1時間30分
宿泊のなべいわ荘は、さらにここから約100m先。
なお、この43号線をさらに行くと神山役場経由の大日寺へのもう一つの遍路道となる。
   
今夜の宿
なべいわ荘
(料金:2食付6500円税別)
ご夫婦お二人で運営されているもよう。
当日の宿泊者は、男4人グループ、女3人グループ、単独の男2人と夫婦が2組の計13人。
これだけの人数の料理を、奥さん一人で作るのは大変だなと思う。
部屋には布団が敷いてあり、いろいろな種類のお茶菓子がいっぱい用意されていて、
これまで経験したことがないほど。
旅館の前には
大型犬が飼われていて、
人懐こく、妻が撫でてやるところりと仰向けになり気持ちよさそうなしぐさ。つい、それを見て妻も癒される
おぬし、人間の情を知っているね!

ところで、前述の初めて長戸庵でお会いした40代夫婦とここで5度目の出会い。
遍路歩きは、デザイナーをされている奥さんが主役でご主人が時々付き添っておられるとのこと。
また、奥さんは2回目の遍路歩きで、1回目をアップしたHPを拝見しいかにもデザイナ感覚の素敵なもの。
了解を得て、いつか私のHPにリンクさせていただき、ご紹介したいと思う。
23番薬王寺 13番大日寺2〜
16番観音寺
八十八カ所
徳島県 高知県 愛媛県 香川県