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発心の道場-徳島県(阿波) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
第1回3日目 2014.2.15(土) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考資料:「四国遍路ひとり歩き同行二人(地図編)(解説編)」 へんろみち保存協会編 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
16番観音寺(2.8km)→ 17番井戸寺(16.8km)→ 18番恩山寺(4.0km) → 19番立江寺 |
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「初日は寒波、次の日は大雪、そして今日は強風」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
今日のポイントは、井戸寺から恩山寺へ行くコースが
地元の人から、「前日の残雪があるので充分注意しないといけない」という注意があったが、 敢えて、変化にとんだ地蔵院コースを選んだ。 |
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この日は、道中地図が強風で吹き飛ばされて無くなり、以降道順に苦しんだ歩きであった。 そして、現地道標だけでなく、地図との併用がいかに重要か思い知らされた。. |
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大雪のため焼山寺参拝を中止し、観音寺参拝に変更。 宿の主人に車でJR徳島線・鴨島駅まで車で送ってもらい、府中駅へ。 7:24府中駅に到着、そして観音寺へ。 |
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観音寺への道中、可愛い犬の親子の雪だるま! もう周囲の雪は溶けてしまっているのに、よくこの時間まで頑張ってくれましたね。ありがとう。 |
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16番観音寺(28km)→ 17番井戸寺 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
観音寺山門 出発 8:04. | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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山門を出て左折し、大御和神社前を通り、突当りを左折し県道123号線を進み、 すぐ先の丁字路を右折する。丁字路角に、地蔵尊。 |
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地蔵尊台座に、左面に「右 井戸寺」右面に「左 観音寺」とあり、一瞬左右逆と思った。 余談であるが、この先地蔵越遍路道を出たところに、左右面に「左恩山寺道」「左井戸寺道」と、 どちらも「左」道標。 これは明らかに間違いと思ったが、よーく考えてみると、正解。この担当者はよく現場を見ていると思う。 道中には、こんな楽しみがあるのだと初めて知った。 |
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その先で信号のある192号線(伊予街道)を横断して進み、 続く丁字路を右折して朝の静けさの29号線を進む。 次の丁字路を左折してJR徳島線踏切を横断する。 道なりに29号線を進み、道標に従い右折、左折して突当りが井戸寺。 到着時間:8:54。 観音寺から、2.9km、 所用時間約50分(途中、道に迷う) |
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第17札所瑠璃山井戸寺(いどじ) (徳島市国府町) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
開基:天武天皇(勅願) 本尊:七仏薬師如来 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
673年(天武2)、天武天皇の勅願寺として開基。かっては妙照寺と称した。 その後、弘仁6年弘法大師がこの地を訪れ、十一面観世音菩薩を刻まれて安置。 また大師は、村人たちが水に不自由していることを知り錫杖で一夜のうちに井戸を掘り清水が湧きでたという 寺号は、これにちなんで「井戸寺」とし、霊場とした。 井戸の傍らに、湧き出る清水に自分の姿が映ったのを見た大師が、自らの姿を刻んだ石像を安置している。 この伝説の井戸は、現在も境内の日限大師堂の中にある。 |
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山門(仁王門):四国霊場では珍しい武家造り様式。本堂。 境内に、日限大師堂と中に面影井戸。 日限大師:例えば、3日、一週間と日を限って参拝し続けると、願いがかなうとされる。 面影井戸:水面をのぞいて自分の姿が映れば無病息災であるが、映らない場合は3年以内に不幸があるという。 ここで、風除けフード付ライターを600円で購入。 |
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17番井戸寺(16.8km)→ 18番恩山寺 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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井戸寺出発:9:37 山門を出て真っ直ぐ進み、突当り集落を左折し、右折して、広々とした畑道を道なりに進む。 |
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その先突当りを左折し県道192号線(伊予街道)を進み、鮎喰川にかかる上鮎喰川橋、続いて袋井橋を渡る | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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橋を渡り終え、すぐ先の「地蔵院」立看板で右折し、道なりに進み、 「眉山カントリークラブ」看板の立つ分かれ道は、左手を進む。 看板脇に、左から順に、地蔵尊、常夜燈、「地蔵道」道標。常夜燈と道標は、 最近造られたと思われる新しいもの。 |
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道なりに進む。 写真では表わせないが、今日は朝から強風が吹き荒れ、左手で菅笠を必死に掴みながらの歩き。 ちなみに、左右の手には、カメラに地図、金剛杖、そして菅笠ですから大変なんです。 突然、電柱にとても魅力的な美人道標ワッペン。観音さま? 心が揺れます。これからも会えるといいな〜。 その先で、右側の地蔵院池前(トイレあり)を通る。 |
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地蔵院塀沿いに進み、すぐ先の「地蔵越遍路道」標柱から左折して山道に入る。 ここは、井戸寺から2.5km地点。 時刻 10:36 すぐ「地蔵越遍路橋」標柱の立つ小さな橋を渡る。 |
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段々山道らしくなり残雪、突然小さな広場に出ると、2つのベンチ、 そして、木にかけられてビニール袋の中には単三電池が一個。これ、旅人へのサービス? |
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それに、ベンチの上にバレーボールのボールとサッカーボール(?)。 「旅人よ、疲れたらこれで遊んで下さい」という意味? あ〜、趣旨がわからず悩む。 小川にかかる小さな橋(橋の下には、小さな風車があり、これも?)を渡り、地蔵尊のある分かれ道。 例の道標ワッペンもなく、現地ではどちらもそれらしく見える道。 悩んだ末、左手を選ぶ。(結果OK) 他のワッペンを削っても、こういうところにワッペンが欲しい。 |
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その先で、岩のような橋(?)を渡り、右折して残雪のゆるい斜面を上り、巨大岩の隙間を通る。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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どこまでも沢に沿って続く残雪の道、続いて崖道、その先で手作り黄色道標に従って右折する。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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上り切って県道203号線に出て、左折し右にカーブする。 203号線到着時刻 10:59 左側の、小さな「遍路道」標識が枝にぶら下がっている山道に入る。(この標識は、見落としやすい!) 時刻 11:02 |
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道は雪解けのどろどろの急坂で滑る。 上り切った丁字路に、何故かドラム缶。 ドラム缶上に、「←眉山頂上(パゴダ)」道標、右側に「恩山寺へんろ道→」道標。 全て手作りで、ドラム缶は有効利用? ボランティアなんですね、ありががとうございます。 |
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道標に従い右折し、なぜか釣鐘? 熊でも出るのかな?それとも非常を知らせる合図? すぐの丁字路を左折し、山道を下る。 ここで、釣鐘に気を取られていると、丁字路を直進してしまいそうで、要注意。 下りの山道は、右左に傾く急坂で、さらに濡れ落ち葉で滑りやすく恐るおそる一歩一歩下りる。 ここでは、本当はカメラなど持って写真を撮っているどこではなかった。 |
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ようやく坂を下りて県道203号線に出る。 左折し、円を描きターンするところのガードレールの切れたところの隙間を入る。 |
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「地蔵越遍路道」標柱の先から、急坂を下る。 90度と錯覚するような泥田の急坂が続き、細い枝を探して掴まったり、四つん這いになったりで、 自分なりの必死の努力をしたが、ついに滑り落ちてズボンと白衣が泥だらけ。 (実は、パンツまで泥で汚れていました)里に出たらどうしよう、恥ずかしい年頃、でした。 |
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道なき道の急坂を下り続けるが、例のワッペンが全く見当たらない。 さては、沢に迷い込んだのでは?と疑心暗鬼。 下り続け、道がよくなったところに、ようやくありましたワッペンが! その先にも、また一枚。 出し惜しみしないで、もう少し前にも一枚欲しかった。これって、わがままでしょうか? |
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淡々と道を下り、沢沿いに進み、県道203号線に出て左折する。 左折する角に、先に紹介した「←左 恩山寺道 ←左 井戸寺道」道標。 どちらも「左」で間違いありません。机上だけでなく、ちゃんと現地も確認した道標担当者だと思います。 時刻 11:38 「地蔵越」所用時間 約1時間 |
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203号線の坂を下り、集落の中を通る。 そのとき、強風で手に持っていた地図が吹き飛ばされ、遠くに行ってしまった。 以降、地図なしで道標だけがが頼り。 常夜灯の前を通り、橋を渡り203号線を進む。 |
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これ以降203号線擁壁まで、「車遍路道」だったと思う。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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県道438号線との園瀬橋交差点で、左手前方の「へんろみち」立看板を見て、 そこが「歩きへんろ道」と誤解(?)したのが、ことの始まり。 後で思うと、この「立看板は、車遍路用」でした。 立看板に従い左手の道に入り、その先で左折し倒れた柳の細い道を通って、突当りで右折し一直線の道を進む |
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車道に出て、「へんろみち」看板に従い右折し、真っ直ぐな道の突当りで203号線擁壁に突当る。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
以上、ここまでが「車遍路道」だと思う。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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左折して擁壁沿いに進み、左側手摺に懐かしいワッペンがあり「歩きへんろ道」に間違いなし、と確信。 八方南小学校脇を通り、203号線に上がり、左斜めに横断して道の反対側の細い道に入り、坂道を下る。 |
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道なりに進み、園瀬川にかかる潜水橋を渡って左折して進み、堤防階段を上がる。 堤防上に、道標がないかと辺りを見渡すと、正面右手フェンス前電柱に、 申し訳なさそうに「←」ワッペンが1枚。 |
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←に従い、左折して堤防上を進む。 堤防上は、強風を遮る建物などがないため、身が吹き飛ばされそう。 ただ、目をさらにして歩いたが続くワッペンがどこにもなく、不安のまま法花大橋の袂の車道に出る。 手元に地図がないため、現在地がわからず数人の歩いている人に「恩山寺はどこか」と尋ねても、分からず。 ようやく、年配の女性から、この139号線を5〜6km行ったところにあると、教えてもらった。 気を取り直して、136号線を進む。 帰宅後調べたら、堤防を上がってからの道は私が歩いた道ではなく、 他の道から、136号線の犬山口バス停の信号に出ることになっている。 結局、この区間は地形の変化などで、経路が変わってしまったのではないかと思う。 道なりに進み、その先の信号は直進して136号線を進む。 |
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一旦139号線と別れて地蔵橋を渡り、大松川沿いに進み再度136号線と合流して進む。 小松島市に入り、敷地前信号で国道55号線と合流して右折し、勝浦川にかかる勝浦川橋を渡る。 地蔵橋を渡る手前で、自転車の乗った中年女性が寄ってきて自転車から下り、 「ご苦労さま」「夜寝るとき足の裏に張ると疲れが取れますよ」と言われて「足裏湿布剤」。お接待でした。 それまで、地図は飛ばされるし、難解な道に迷うし、疲れもあって、 気力がなくなりこの強風の中カメラを撮るような気分ではなかったが、 このお接待をいだきまた元気がでました。ありがとうございました。 55号線に出ると信号機にも表示板がでるようになり、現在地が分かる。 橋を渡り終え、16号線との「勝浦川南詰」信号交差点を直進し55号線を進み、前原バス停先で陸橋を渡る |
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すぐ右側に、徳島中央ロータリーの「露ヶ本遍路休憩所」、立派な室内を見てびっくり。 さらに進み、小松島警察署前を通る。 |
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その先で芝生川にかかる小さな芝生川橋を渡りすぐ右折して136号線に入り、右側に「源義経上陸の地」碑 源義経上陸:源平合戦の元暦2年(1185)年2月18日、源義経の軍勢は讃岐の屋島に逃れた平家を討つため、 折からの暴風に乗じて摂津渡辺津(現大阪市)から船を進めてこの地に上陸した。 義経は、ここから大阪峠を越えて屋島の戦いに向った。 しばらく進み、恩山寺前バス停辺りで、136号線と別れ右手の坂道を上る。 |
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長い坂を上り、恩山寺谷川にかかる母養橋を渡り、長い参道を上る。 母に孝養をつくした記念の唐木(毘欄樹)が、境内にある。 恩山寺到着 15:35 井戸寺から、16.8km、約6時間 |
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第18番札所母養山恩山寺(おんざんじ) (小松島市田野町) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
開基:行基 本尊:薬師如来 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
聖武天皇の勅願により、行基が本尊薬師如来を刻んで安置し大日山密厳寺と称して開基。 以来女人禁制だった。 延暦年間(782〜806)、弘法大師が当寺で修業中、 母の玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきたが、女人禁制のため登ることができなかった。 大師は山門近くの赤い欄干橋の下で17日間秘法を修し、女人解禁の祈願を成就し、母を迎えることができた やがて、母はこの寺で剃髪しその髪を奉納されたので、大師は寺号を「母養山恩山寺」と改めた。 |
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母養橋を渡ってすぐ右側にある草鞋がぶら下がっている旧山門と本堂。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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参道入口に、大師が女人解禁を修した時に手植えした県指定天然記念物毘欄樹(びらんじゅ)と木肌。 恩山井のびらんじゅ:暖地に生する常緑のきょう木。樹皮は灰褐色であるが鱗片となって脱落しやすく、 幹肌は、紅黄。葉は長楕円形で先はとがり表面は濃い緑色で奇樹老木。 樹皮がはげ木肌があらわになった姿が、 賭け事をして身ぐるみはがされて丸裸になった人のように見えることから、別名「バクチの木」とも呼ばれる |
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18番恩山寺(40km)→ 19番立江寺 遍路経路図では、山道を越えて行くことになるが、 恩山寺では、他人敷地の竹藪を通るのでこのコースは勧められないとのこと。 従って山道入口には道標もなく、現地での道標は136線経由のみ。 |
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恩山寺出発(母養橋) 15:58 母養橋から上って来た道を戻り、136号線に出て右折し恩山寺谷川の橋を渡り136号線を道なりに進む 住宅街を抜け出た左側に、西日に輝く(大げさかな?)常夜燈。でも「燈」の部分は未完成?飾り? ここで、電柱に貼られた広告を見て、旅館「鮒の里」に電話で今夜の宿を予約。 |
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217号線との接続点を通り、しばらく進んだ右側に、 「お遍路さん、ちょっとよっていき 無料休憩所」と 「ご通行中のみなさまへ ここで一休みしてください 休憩所トイレあります」看板。 西松建設さん、ありがとうございます。 近くの工事中のサービスのようであるが、いつまでも工事をしていていただければ、皆さん助かると思います |
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道なりに進み、右側に番外霊場「お京塚」碑と奥に「お遍路さん休憩所・遍路小屋第48号」。 塚は、恩山寺から3・0km地点。 お京塚:1803年(享和3)大阪新町の芸者「お京」は、 なじみ客要助と駆け落ちしお京の郷里に帰って夫婦になった。 しかし、お京は鍛冶屋の主人と密通し、この男を手引きし要助を殺して二人で丸亀に逃れた。 その後、二人は罪ほろぼしに四国巡礼を思いたち立江寺まで来て参拝したところ、 お京の髪が逆立って梵鐘の緒に巻きつき、高く釣上げられてしまう。 お京は、罪の一切を懺悔すると、黒髪もろとも肉がはげて緒に残り、かろうじて命は助かった。 お京はその後、庵を結び一心に地蔵尊を念じ、この地で一生を終えたという。 突当りで県道28号線信号丁字路に出て右折して進み、すぐまた右手の分かれ道を進む。 |
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今日宿泊する旅館鮒の里前を通り、その先の分かれ道は左手を進んで、立江川にかかる白鷺橋を渡る。 橋を渡る左側、川に面して「鯉が泣いています」の謎の看板。 |
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橋を渡って門前町を通り、突当りが立江寺。 到着時刻 17:02 恩山寺から、4.0km、約1時間 |
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第19番札所橋池山立江寺(たつえじ) (小松島市立江町) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
開基:行基 本尊:延命地蔵菩薩 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
聖武天皇の勅願寺で、 747年(天平19)に、行基が光明皇后の安産を祈念して約5.5cmの延命地蔵尊を刻み安置したのが開基 815年(弘仁6)、弘法大師は当寺に逗留し、あまりにも小さな像では紛失の恐れがあるとして、 1.8mの大きな地蔵像を刻み、行基の像を胎内に納め霊場とした。 当寺は、四国霊場に4カ所ある関所寺の1つ、阿波の関所寺で、 邪悪な人や罪人は弘法大師の咎めを受けると言う。 境内には、咎めを受けたお京の黒髪が巻きついた鐘の緒が納められている、黒髪堂がある。 |
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山門と本堂 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
今日の宿 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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旅館鮒の里(2食付、6500円) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
ご主人が、先達ということもあろう。この宿は、とても遍路客を大事にしていることが十分伺える。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
例えば、宿泊をしない遍路の旅する人に、屋外トイレを無料で提供している。 なかなかできないことではないだろうか。 |
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宿泊客は、鎌倉からの男性、長崎からの男性、東京からの女子大生、それに前日旅館吉野で一緒だった男性、それに私たち夫婦の計6人。食事後は、ご主人を交えて遍路の団らん。 ここは、料理が一番。 特に、夕食で奥さんが目の前の炉辺で焼いてくれるしいたけは、美味で食べ放題。いっぱいいただきました。 デザートは、みかん、リンゴ、ようかんでうれしい。 翌朝は、昼食用焼きおにぎり各自2個を、無料サービス。 |
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なお、先ほどの立江寺への途中、白鷺橋のたもとにあった「鯉が泣いています」看板は、 このご主人がかけたとのこと。 |
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詳細は忘れたが、立江川に外来種魚が蔓延していることに対する嘆き、のようなことでした。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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