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発心の道場-徳島県(阿波国) | |||||||||||||||||
第1回2日目 2014.2.14(金) | |||||||||||||||||
7番十楽寺(4.2km)→ 8番熊谷寺(2.4km)→ 9番法輪寺(3.8km) → 10番切幡寺(9.3km)→ 11番藤井寺 |
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「一夜明けたら一面雪景色、これ南国阿波?信じられますか?」 | |||||||||||||||||
7番十楽寺(4.2km)→ 8番熊谷寺 | |||||||||||||||||
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昨日は遅くなり納経帳に十楽寺のご朱印をいただけなかった(受付7:00から17:00)ので、 朝、再度十楽寺に立寄って出発。 十楽寺出発 7:42 山門を出てすぐ右折し、西へ向かう。 真っ白な道の雪景色。これ南国ですよ!信じられますか? 竹も雪の重みに耐えかねて頭を垂れ、板野十六地蔵尊も寒そう。 |
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御所大橋を渡り、県道318号線交通標識立つ道を進み、親子で作った巨大雪だるま。 お疲れさま、絶対徳島で一番大きい雪だるまですよ。 318号線を横断して雪道を進む。 |
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318号線から約1.2km地点で右折し、一人の足跡のある細い雪道を進んで徳島自動車道高架下を潜り さらに雪道を進むと熊谷寺。 熊谷寺到着 9:04 十楽寺から、4.2km、約1時間30分 |
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第8番札所普明山熊谷寺(くまだにじ) (阿波市土成町) | |||||||||||||||||
開基:弘法大師 本尊:千手観世音菩薩 815年(弘仁6)、弘法大師がこの付近で修行をしていた際、 熊野権現が現れて「末世の衆生を永く済度せよ」と告げられ、5.5cmほどの金の観世音菩薩像を授けた。 そこで弘法大師はその場に堂宇を建立し、等身大の千手観世音菩薩を刻み その胎内に授けられた観音像を収めて本尊とした。 |
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山門(仁王門):1687年(貞享4)建立された和様と唐様の折衷で、高さ13m。 江戸期の山門として四国随一の規模。 中門:1694年(慶安2)建立。本堂。 |
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8番熊谷寺(2.4km)→ 9番法輪寺 | |||||||||||||||||
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熊谷寺出発 9:52 山門を出て先ほどの道を下り、 道標ワッペンを注意深く見つけ、県道139号線に出て徳島自動車道高架下を潜る。 139号線を進み、その先で1車線になりしばらく進んで、道標に従い左折して細い道に入る。 |
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石碑は雪帽子をかぶり、池は薄い氷を張っている。 広い道に出てその先約100mで,案内立看板に従い左折する。(ここから約600mで法輪寺) |
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雪がなければ広い畑ではないかと思われる中の道を道なりに進み、 車が1台もない法輪寺専用駐車場前を通り法輪寺に着く。 法輪寺山門前「くさもち」売店は、開店休業。 法輪寺到着 10:24 熊谷寺から、2.4km、約30分 |
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第9番札所正覚山法輪寺(ほうりんじ) (阿波市土成町) | |||||||||||||||||
開基:弘法大師 本尊:涅槃釈迦如来 当初は、ここから数キロ離れた山麓の地にあったが戦乱の兵火で焼失、 正保年間(1644〜48)にこの地に再建された。 815年(弘仁6)、弘法大師がこの地方で巡教されていたとき、白蛇を見つけた。 白蛇は仏の使いであるといわれていることから、大師は釈迦の涅槃像を刻み、本尊として寺を開基した。 |
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山門と本堂 本堂の草鞋:昔、松葉杖なしでは歩けなかった人が参拝にきた時、参道の途中で足が軽くなり、 松葉杖なしでも歩けるように完治したという伝えがあり、本堂には多数の草鞋が奉納されている。 納経所でご朱印をいただいた時、係りの女性の方から「寒い雪の中、ご苦労さまです。」の一言があり、感激 大げさかもしれないが、これまで参拝した寺の納経所では無言が多かった。何故だろう? |
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9番法輪寺(38km)→ 10番切幡寺 | |||||||||||||||||
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法輪寺出発 10:56 山門を出て右折し、寺院角でまた右折して道なりに進む。 法輪寺から約1.2km左側に小豆洗い大師堂と脇に約3m四方の井戸、道の反対側右手前方に円光寺。 小豆洗い大師 : 弘法大師が法輪寺を建立後、10番札所切幡寺へ向う途中日が暮れ、クスノキの森で一夜を明かすことにした 12月の極寒に耐えかねて、小豆がゆを炊こうとしたが付近には水がなかった。 そこで、杖でクスノキの根元を掘ったところ、清水がわいてきたという。 この水でおかゆを炊いて体を温め、翌朝から切幡寺の建立に取りかかり、一昼夜のうちに本堂を建てた。 この本堂の完成を祝って赤飯用の小豆をクスノキの根元の清水で洗ったという。 その場所が後に井戸となった。 雪道をしばらく歩いて、県道139号線に出る。 |
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139号線を進むと法輪寺から2.4kmの右側に、稱念寺。 ここから少し先の「遍路みち入口→」道標に従い右折し、人の足跡を頼りに左にカーブする坂を上る。 |
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続いて長い階段を上り、中ごろにご丁寧に蛇の絵まである「この辺へびに注意」札。 まむしと言い、徳島は蛇の多いところなのであろう。蛇に極端に弱い私はシーズンは来れないです。 階段を上がり切ると左折して、土手のような道を足跡を頼りに歩くがいつまでも例のワッペンがない。 |
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道を間違えたかと不安になるが、ようやく慣れしたんだ赤いワッペンが1つ。 意を強くして歩き続け、その先で下って139号線に出て右折する。 殆ど車の通らない139号線を少し行って交差点から右折し坂道を上る。 |
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切幡寺への参道の坂道は、雪でとても歩きにくい。 ちょっと上った右側に「表装処須見光栄堂」看板、 ガラス窓には「お遍路様へ 重い荷物をお預かりします」貼紙。 「ムム・・・、何これ?」 と、そのとき部屋で仕事をされていた品のよいご主人が、すいと出てこられて、 「どうぞ、お荷物を置いて行って下さい」 ご好意に甘えて、重くて大きな妻と私の2つのリックサックを置かしていただきました。 おかげさまで、この後延々と続く上り坂道、そして凍って足元の危ない急坂の333段の階段も、 身軽になって無事往復できました。 戻ったら、ご主人のほどよい熱さのお茶、これがまた本当に美味! 重ねがさねありがとうございました。改めてお礼申し上げます。 私たちだけではもったいないと思い、広く皆さんに知っていただきたく紹介させていただきましが、 ご迷惑ではなかったしょうか? 切幡寺(山門)到着 11:58 法輪寺から、3.8km、約1時間 |
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第10番札所得度山切幡寺(きりはたじ) (阿波市市場町) | |||||||||||||||||
開基:弘法大師 本尊:千手観世音菩薩 昔、この山麓に機を織る乙女がいた。 ここで修法していた弘法大師は、結願の7日目、綻びた僧衣を繕うために布切れを所望されたところ、 乙女は、織りかけていた布を惜しげもなく切り裂いて差し出した。 感激した大師が乙女の願いを聞くと、父母の供養のため千手観音を彫ってほしいとのことであった。 大師は、さっそく千手観音像を彫造し、乙女を得度させて灌頂を授けたところ、 乙女はたちまちのうちに即身成仏し、千手観音菩薩になったという。 大師は、その後この地に堂宇を建立し、 大師の彫った千手観音を南向きに、娘が即身成仏した千手観音を北向きに安置し本尊としたという。 |
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山門(仁王門)と本堂 | |||||||||||||||||
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山門をくるぐと、「是より三三三段」石柱、次に「是より二三四段」石柱、最後「女やくよけ坂」石柱。 |
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切幡寺出発 12:52 山門を出て、参道を下り139号線を横断して道なりに坂を下って進み、237号線に出る。 しばらく行くと、2階建て「お遍路さん御休憩所・ヘンロ小屋空海遍路小屋空海庵45号」。 裏に、手洗い水付トイレ。これまでしていただき、ご配慮ありがとうございます。 |
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そのすぐ先で、信号のある県道12号線交差点を横断して細い道に入る。 交差点右手に食堂があるが、後にも先にも食堂はここだけ。 この先で、237号線は右折しすぐ左折するが、左折の家の角の道標の←の方向がおかしくて、戸惑う。 遍路道は、「237」標識の下の矢印の通り、進む。 |
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237号線を進み左側鳥居前を通り、すぐ先の「藤井寺へ」道標のある丁字路から右折する。 | |||||||||||||||||
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237号線進み、ここにもへんろ小屋。その先の突当りで階段を上り堤防に上がると、 「遍路道 藤井寺 ↑(直進)」道標。 |
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堤防道路を横断して前方を見ると、雪原のような光景。 ここは、日本一広い500haある中洲、善入寺島で吉野川の度重なる氾濫で現在は無人島。 堤防の階段を下りて中洲の県道237号線に出て右にカーブして進む。 そのカーブするところに 「お・遍・路・さ・ん・い・つ・ま・で・も・お・元・気・で・大野島・子ども会」文字看板。 「ありがとう、元気に頑張るよ!」「子供会のみなさんも、寒さに負けず頑張って下さい。 そしてみんな仲良くしてね!」 |
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その先で、吉野川にかかる欄干のない潜水橋(水嵩が増すと水面下に没する橋)を渡る。 中洲を走る237号線を延々と歩と、左側に小さな(金剛杖と比較してください)真新しい「善入寺」鳥居。 |
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さらに歩き続けていると、後ろから来た40才代の遍路姿の男性が追い抜いて行った。 足取りもしっかりしていて、何しろ早い!! 私にもそんな時があったような気がする。 ここは、着実に足を運び吉野川にかかる(潜水橋)川島橋を渡り、吉野川市の看板の立つ堤防階段を上がる。 |
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堤防上から見た川島橋。 | |||||||||||||||||
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堤防上の藤井寺への道標に従い右折し、すぐ先で左折しさらに左折する。最初の左折角に遍路小屋。 | |||||||||||||||||
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古い「へんろ道」道標の立つ道に入り、病院の渡り廊下のような下を潜り、 ひたすら住宅街を歩き続けると正面に何やら焼山?と思われる姿。 ちょうどこのとき、傘をさした40代美人女性が近寄ってきて、 「ご苦労さま、今もちあわせがないので、これをどうぞ」と言われて、バッグから「使い捨てカイロ」を2つ お接待でした。ありがとうございます。 |
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藤井寺への道みちに、今が盛りと咲き誇る蝋梅、続いて紅梅、さらに坂道途中にピラカンサとまさに花の道 花を大事にする土地だから、美人が多いのかも知れない。 |
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藤井寺への道と信じて、坂道を延々と上ると突当りで突然民家にぶつかる。 エッ!ウッソー。この道、藤井寺へつながってイナイジャン。 (つい、年甲斐もなくひどい言葉が出てしまい、失礼しました。) 諦めかけたそのとき、奥の左側の建物の間に「藤井寺」道標の立つ細い雪道。 |
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疑心暗鬼で、雪道に入り建物角を右折すると階段坂道。 階段を下りると、今度は民家の塀沿いの足跡を頼りに進み、塀の角を右折する。 |
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恐るおそる道をたどって行くと、まさに民家の庭を通る道。 これ、民家の庭先ジャン。失礼だと思いながら前方を見ると藤井寺と思われる山門。 積雪で道がよくわからなかったが、本当にこの道でよかったのか今でも疑問。自己責任でお通りください。 藤井寺到着 15:52 切幡寺から、9.3km、約3時間 |
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第11番札所金剛山藤井寺(ふじいでら) (吉野川市鴨島町) | |||||||||||||||||
開基:弘法大師 本尊:薬師如来 | |||||||||||||||||
宗派:四国霊場では、珍しい臨済宗。 815年(弘仁6)、弘法大師42才の時の開基。 金剛不壊の護摩壇を築いて17日間修業を行い、山門脇に5色の藤を植えたことから、金剛山藤井寺と号した 本尊薬師如来は、久安4年(1148)の年号が入っている名作で、国指定重要文化財。 |
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山門と本堂。 寺院が質素に見えるのは、宗派が(禅宗)臨済宗の寺院ということによるのかも知れない。 なお、ご朱印はご住職自らが書かれたもので、感激しました。 |
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焼山寺への登り口 | |||||||||||||||||
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本堂左側にある登り口を確認して、今日は終わり。 | |||||||||||||||||
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今夜の宿 | |||||||||||||||||
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藤井寺から、徒歩約10分の「旅館吉野」 (料金:2食付6,500円) 廊下にもあるが、室内にもアメニティグッズを備えた温水の出る洗面化粧台があるのは非常に便利。 宿泊客は、私たち夫婦以外に男性遍路客2名。 食後の話題は、女主人を囲み、50cmの積雪の焼山寺へ明日行けるかどうかばかり。 女主人は、あちこちへ電話をしたり交通機関を調べたり。 結局焼山寺行きは全員断念。 遍路客の一人は、反対側の13番大日寺側から上り、途中の植村旅館に行くことに、 他の一人は、遍路を諦め京都へ帰宅。 私たちは、電車で府中駅まで行き16番観音寺から先へ進むことに。 |
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