歩く四国八十八カ所
        i−愛ロマンチカ
発心の道場-徳島県(阿波国)
第1回1日目 2014.2.13(木)
   
1番霊山寺(1.4km)→ 2番極楽寺(2.6km)→ 3番金泉寺(5.4km)→ 4番大日寺(2.0km)
→ 5番地蔵寺(5.1km)→ 6番安楽寺(1.2km)→ 7番十楽寺
    
「いい日旅立ち、寒波など!」
    
海部観光高速大型バス:マイフローラ号
2014.2.12 21時30分マイフローラー号、JR東京駅八重洲口を出発。
車内は真中に
通路(突当りは、化粧室トイレ)
両側に1列6名のパーテーションで仕切られた個室が並び定員12名.
個室には、
リクライニングシートイヤホーン付テレビ、読書用スポットライト、
携帯電源用100Vコンセントなど。

13日6:25に、徳島駅前営業所に到着。
営業所には、2階建て休憩所があり、電動マッサージ機3台、シャワー、トイレが無料で利用できる。
JR徳島駅6:39発、7:02JR高徳線坂東駅に到着し、第1番霊山寺へ。
冷たい風の吹く中、道路上の
緑の線に導かれ12分で霊山寺。
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第一番札所竺和山霊山寺(りょうざんじ) (鳴門市大麻町)
開基:行基 本尊:弘法大師作の釈迦如来
弘法大師がこの寺を訪れ21日間修法したおり、霊感を得て釈迦如来を刻んだとされる。
天竺(インド)の霊山を和国(日本)に移すという意味で、竺和山霊山寺と号した。
山門仁王門)と本堂
本堂で、そこで販売している1本100円のロウソクと1本100円の線香を購入して灯し、参拝。
その後、本堂右に隣接してある遍路用品販売所へ。
応対していただいた尼僧さんのアドバイスで以下の用品を取り揃える。価格は、原則安価なもの。
白衣、菅笠、鈴付金剛杖、頭陀袋、納経帳、納め札、経本。なお輪袈裟は、白衣があれば不要とのこと。
数珠は、我が家から持参。
本堂と大師堂で灯すローソクと線香(各堂で一人3本)は、
八十八カ所を参拝すると大変な費用になるということで、
200本一束の確か400円の安価なローソクと線香をそれぞれ勧めてくれた。(感謝!)
ライターは、いわゆる100円ライターを購入したが屋外では風に弱く、
本堂、大師堂で計4回のローソク、線香を灯すのに数十分もかかることもあった。
火力の強いものか風除けフード付ライター(井戸寺で600円で購入)を絶対お勧め。
帰り際、尼僧さん曰く「人それぞれでいいから、楽しんできなさい」。
それまで、本に書いてある参拝作法などいろいろな規則などで正直この旅は気が重くなっていたのであるが、
この一言で、パッと目の前が明るくなった。
そうだ、気分を大らかにして遍路の旅を楽しもう! 
いい日旅立
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1番霊山寺(1.4km)→ 2番極楽寺
霊山寺出発 8:28
「南国徳島は、何故こんなに寒いのだろう」と雑念を抱きながら山門を出て、
県道12号線
(撫養街道)を西へ向かう。
坂東谷川にかかる坂東谷橋の手前に、「
阿波の国一の宮 大麻比古神社立看板
大麻比古神社:大麻比古命と猿田彦命をまつり、県下一の社格を誇る阿波一ノ宮。
境内に樹齢1000年を超える大楠

橋を渡ると、右方向を指さす「
八十八番大窪寺道標
88番から1番へ「逆打ち」する人は、ここから88番へ向かうのだろうか。
すぐその先に、極楽寺の
案内標識
極楽寺到着 8:58  霊山寺から、1.4km、約30分
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第2番札所日照山極楽寺(ごくらくじ) (鳴門市大麻町)
開基:行基。 本尊:鎌倉時代作の国指定重要文化財阿弥陀如来。
弘法大師がこの寺で21日間修法をしたおり、難産に悩む女性が大師のお加持によって無事安産した。
その女性は、お礼にと木彫の大師像を奉納したことで、以降安産祈願の寺として信者を集めている。
昔、本尊の如来の発する後光が鳴門の沖まで達し、漁の妨げになった。
そこで漁師たちが本堂の前に小山を築き光を遮ったところ、再び大漁になった。これが日照山の山号の由来。
山門(仁王門)本堂
境内には、弘法大師が植えたと伝わる樹齢約1200年の
長命杉。紅白の綱を引いて長寿を願う。
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2番極楽寺(2.4km)→ 3番金泉寺
極楽寺出発 9:40
山門を出てすぐ右側「四国のみち」案内板の立つ細い道に入り、墓地脇を通り車道に出て右折する。
四国のみち(四国自然歩道):歩いて景色の優れている自然公園や文化財、名勝を訪ね、
自然と文化に接し併せて健康の増進に役立つためにつくられたみち。
全長は約1600kmで、徳島県内の延長は約300kmある。」(案内板)

なお、徳島においては「へんろ道」は、この「四国のみち」と殆ど重なる。
車道に出たところに2つの石柱。右側の石柱は、「三番← →二番」と刻まれた「へんろ道道標
左側の石柱は、右方向を示す指を刻んだ「仏像」道標。多分、左側がより古い道標かも。
車道には全く人影なしで、いわんやへんろ姿など見るわけなし。
シーズンオフと言え、この5日間を通じて歩く遍路姿の人に出会ったのは確か2人。
そのとき、この寒い日に
の中から40代女性が道路まで出て来られて「ご苦労さま」と、
お盆の上にお茶缶と手作り巾着(賽銭入)を多数乗せて差出されました。
生まれて初めての「お接待」を受けました。
感謝しながら、妻と私がそれぞれお茶缶と巾着をいただきました。ありがとうございました。
この日同宿した5人のひとたちも全員この女性から、お茶缶と巾着をいただいた言う。
ということは、シーズンオフでありながら、お接待を準備して遍路が通るのを待っておられた,
ということなんですね。改めて感謝を申し上げます。
道標に従い高松自動車道高架下を潜り、県道1号線を横断した先の右側に新旧道標が立つ細い道に入り、
畑道を、次に藪道を通って金泉寺境内に入る。
金泉寺到着 10:25 極楽寺から、2.4km、約1時間15分
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第3番札所亀光山金泉寺(こんせんじ) (徳島県板野郡板野町)
開基:行基  本尊:釈迦如来
もとは、金光明寺と称していたが弘法大師巡錫中霊水が湧き出したことから、寺名を金泉寺と改めた。
中世期以来学問所として知られ、阿波のお坊さんの学問所として栄えた寺。
境内には、源平合戦で源義経一行が立寄り、弁慶が持ち上げたという「弁慶の力石」がある。
山門本堂
訪れた時は、境内で7、8名の男たちが祭の飾りつけの作業中。
参拝者は私たち夫婦だけのためか存在を無視されたようで、
本堂で参拝する私たちの周りを声を張り上げ右往左往する作業員。
私は仏にあらず生身の人間、たまりかねて怒りで早々に山門から退出。
おかげで弁慶の力石を見れなかったのは仕方がないとして、納経帳にご朱印をいただくのも忘れてしまった。
後刻気が付き、第5番札所地蔵寺から大枚を払いタクシーで往復して、ご朱印をいただく。無念!
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3番金泉寺(5.4km)→ 4番大日寺
金泉寺出発 10:50
山門を出て交差点を右折して住宅街を道なりに進み、昔は賑やかだったという板野の商店街を通り、
JR高徳線踏切を横断する。
踏切から約500mのこんもりとした木立の岡上神社境内に、県指定天然記念物樹齢約700年大クスの木
1つの根から幹が3つに分かれ、うち1つがまた2つに分かれて、4つの幹がせりあうように並立。
樹高約35m、根回り約25m。
ワッペンに従い県道1号線を横断して進み、その先に振袖地蔵
振袖地蔵:1582年(天正10)、板西城(板野町古城)城主赤坂信濃守が合戦で討死したとき、
侍女と一緒に逃げた幼い姫カヨは、この辺りで土佐方の兵士に斬殺された。
命の短かったカヨを哀れと思い、村人たちがここに振袖姿の地蔵尊を造り祀った。

その先諏訪神社手前の建物の間の奥に、
地方では例のないという石造文化財、寛文13年(1673)と刻まれた
庚申塔
徳島自動車道高架下を潜り、すぐ先の道を右折してすぐ左折して畑道を進む。
この道の入口に、「草木繁茂期まむし注意」立札。あな、恐ろしや!
突当りで山道に入るが、ここにも「まむし注意」の立看板。
シーズンになるとまむしがゾロゾロ出てくるんでしょうね。
季節がら今はその心配もいらない
山道を歩き、突当り車道を左折する。
左にカーブするところで、直進してちょっと険しそうな山道を上り、竹林の道を歩くと、
左方眼下に開けた
景色が現れ、ほっとする。
続いて坂を下り、分かれ道は左手を進み、次の分かれ道は右手の坂を上ると、
大きな草履が飾ってある金泉寺奥の院
愛染院山門、境内には坂西城主赤沢信濃守の廟
愛染院:816年(弘仁7)弘法大師が巡錫中折のこの地を霊地と定め、
自ら刻んだ不動明王を安置した堂宇が始まり。
赤澤信濃守:戦国時代この地を治めていた板西城主。
1582年(天正10)、長宗我部元親との戦いでわらじの紐が切れたため討死したという。
またその妻も足に神経痛があったため逃げ遅れて命を落としたという。
いつのころからか、この廟に参拝すると腰から下の病が治癒するとの信仰を集めるようになり、
病の治った人はお礼にわらじを奉納するようになったという。
 道なりに進み、民家と川の間の細い道を通り、突当り丁字路を右折して草むらの道を進む。
林の中に入り、ミカンのなる木の脇を通り、「営業中の立つうどんやの横を通る。
この店は、ご夫婦二人で経営しているうどん専門店「ほうつき」。
立寄って食したが、太麺の腰のつよいうどんで美味。
ただ、ご主人の手作りのため時間が30分以上かかるので、時間がない人は事前にご主人と要相談。
その先橋を渡り右折し、道標に従い丁字路を右折して、分かれ道は左手を進む。
車道を横断して進み、「岩田ツヤ子碑の先を左折する。
岩田ツヤ子:第二次世界対戦中、食糧増産のため国の方策で藍作りは禁止作物となった。
藍は一年草のため、毎年種を採り続けないと途絶えてしまう。
ツヤ子は、憲兵や警察の目を逃れ命がけで松谷の山奥で5、6年間種を採りづづけた。
そのおかげで、この地では戦後いち早く藍作りが復活した。

細い道を進み、
自動車道高架下を潜る。
その先で竹林の中に入り、掘割になっている山道を上り切り
雨などが降ればとても危険(降らなくても、私は転倒してしまった)な急坂を下って
橋を渡る
車道に出て右折し、なりに進み突当りを右折してゆるい坂を上る。
突当りの、右方向をさす指と左方向をさす指が刻まれた道標は、大日寺からの戻りもここを通るという意味。
上り切ったところで広い車道に出てさらに上り、大日寺専用駐車場の中を通る。(駐車場には、車なし)
大日寺到着:13:25 金泉寺から4.5km、約3時間30分(途中うどん店での食事時間約50分含む)
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第4番札所黒厳山大日寺(だいにちじ) (徳島県板野郡板野町)
開基:弘法大師  本尊:大日如来
弘仁6年(816)弘法大師がこの地に長く留まり修行していたとき、
自ら5.5センチほどの大日如来像を刻んで本尊とし、寺号を大日寺と命名して創建した。
山門は瓦屋根の鐘楼門で、一階は角柱、2階は丸柱の珍しい造り。本堂
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4番大日寺(2.0km)→ 5番地蔵寺
大日寺出発 13:36 
元の道に戻り、前述の両指の道標の前を通り、広い車道と合流してすぐ先の右側の細い道に入る
徳島自動車道高架下を潜ってすぐ左折する。
分かれ道は左手を進み、道なりに住宅街を進んで広い車道を横断して、
突当りの丁字路を右折すると地蔵寺の奥の院、1775年(安永4)創建五百羅漢堂。
コノ字型に並ぶ弥勒堂、釈迦堂、大師堂の回廊には、約200ほどの喜怒哀楽の表情で並ぶ等身大の羅漢像
山門を出て、
階段を下り突当りを左折したところが地蔵寺。
地蔵寺到着 14:27 大日寺から約50分(五百羅漢参拝時間約15分含む)
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第5番札所無尽山地蔵寺(じぞうじ) (徳島県板野郡板野町)
開基:弘法大師 本尊:勝軍地蔵菩薩
弘法大師が刻んだ、高さ5.5cmの甲冑姿で軍馬に乗る本尊勝軍地蔵菩薩の信仰から武将たちの信仰も篤く、
源頼朝、義経をはじめ、蜂須賀家など多くの武将が寄進をしている。
山門本堂
境内には、樹齢約800年の
大イチョウ
ここで、前述の金泉寺でご朱印をいただくのを忘れたことに気づき、タクシーで金泉寺まで往復。
ロスタイム約50分。
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5番地蔵寺(5.1km)→ 6番安楽寺
地蔵寺出発 15:23
山門を出て参道を真っ直ぐ進み、住宅街を通り突当りを右折する。
県道12号線と並行するを淡々と歩き、
続いて
ゆるい坂を延々と上り、1830年(文政13)建立鳥居の八坂神社前を通る。
平坦な道を進んで神託橋を渡り、しばらく歩いたその先の分かれ道は左手を進み、
右側に
おへんろさん休憩所ヘンロ小屋44号」。
住宅街を通り、水が枯れている泉谷川にかかる泉谷川橋を渡る。
続く県道12号線撫街道との交差点を直進し、細い道に入る。
細い道の入口右側に、
道標が乱立(?)。何故かこの通りは道標が多く、また道路上にまである。
しばらく道なりに歩き、県道12号線を横断して
県道139号線を進む。
約300m進んだところで、139号線と分かれ左手の小さな橋を渡り道なりに進むと安楽寺。
安楽寺到着 16:36  地蔵寺から、5.1km、約1時間15分。
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第6番札所温泉山安楽寺(あんらくじ) (徳島県板野郡上板町)
開基:弘法大師 本尊:薬師如来
816年(弘仁6)弘法大師が巡錫中、この地で諸病に効能のある温泉を発見し、
留まって難病で苦しむ人たちを救うため薬師如来を刻んで本尊とし、堂宇を建立したのが寺の始まり。
現世安楽、往生安楽の寺として、安楽寺の寺号がついた。
1598年(慶長3)に阿波藩主から、宿泊に困った遍路や旅人に宿を提供する「駅路寺」に指定された。
竜宮門形式で上層が鐘楼になっている山門(仁王門)本堂
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6番安楽寺(12km)→ 7番十楽寺
安楽寺出発 17:06
山門を出て左折し、突当り丁字路も左折して県道139号線を進む。
ブロック歩道が終わあたりに、右へ入る細い約200m区間のへんろ道があったはづだが見落してしまった。
見落したまま139号線進み、
分かれ道は139号線と別れ右手を進む
さきほどの見落としたへんろ道は、この辺りすぐ先につながっている。
道標に従って進み、熊野神社前を通り、その先の交差点を右折すると十楽寺。
十楽寺到着 17:21 安楽寺から、1.2km、約15分
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第7番札所光明山十楽寺(じゅうらくじ) (阿波市土成町)
開基:弘法大師  本尊:阿弥陀如来
当初は、寺は現在地から北3キロほど奥の十楽寺谷の堂ヶ原にあった。
この地で弘法大師が阿弥陀如来を感得。
人間として避けることのできない苦難を阿弥陀如来の慈悲によって滅し、
十の光明に楽を得られるようにと、山号と寺号を定めたという。
1528年(天正10)長宗我部元親による兵火で、すべての堂塔が焼失したしたが、
1735年(寛永12)に、現在の地に移り再建された。
竜宮城のような鐘楼門本堂
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今夜の宿
    
この日は、十楽寺の宿坊に宿泊する予定だったが休業中、
安楽寺に問合せたら収容人員350名の大宿坊がただ今予約ゼロで我々夫婦二人だけのため、
朝食はパンとのこと。
ご遠慮申し上げ、十楽寺から約120mの天然温泉「
民宿いしだ」(写真は、翌日撮ったもの)に
宿泊することにした。
(料金:2食付 6,000円、浴衣別途300円)
「天然温泉」に魅かれての宿泊だったが、
小さな家庭用浴槽で湯の入替えもなく、宿泊者最後の7番目に入浴したときは垢が浮かび温泉のかけらもなし
宿泊は、我々夫婦2人の予定が、当日5名のグループの追加があったという。
パートの女性の帰宅時間に合わせて、私たちの入浴も夕食の終了時間も決められてしまう、本末転倒。
料理は2人分を7人にしたようで、、料理内容も含め、人的物的サービス両面において大いに不満が残った。
  
         . 8番熊谷寺〜
11番藤井寺
八十八カ所
徳島県 高知県 愛媛県 香川県