歩く 中山道
  鵜沼宿
  岐阜県各務原市)         
 iー愛ロマンチカ
    
この区間は、太田宿に引き続き2008.9.5に歩いた。
今回の旅で、最大の難所「うとう峠」のある区間で、相当の覚悟で臨んだ。
何故なら、いろいろな情報でうとう峠は「気味の悪い」ところだとか、
タクシーの運転手まで「最近、出るものが出た」という噂があるので気をつけるようにと、脅かすではないか。
予備知識過剰で、誰もいないヒンヤリする空気の山道を、一目散に駆け上がった。
頂上では、体の芯から汗がジットリわき出つくしシャツから絞りだせるほどで、たぶん体重は激減していたはず。
ただ今になって考えれると、普通の山道だったような気がして、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」。
そうそう、「まむしに注意」立札がいやに多かったが、これこそ怖ゎーい!
経 路
国道21号線→山道(岩屋観音)→21号線→山道(うとう峠)一般道(鵜沼宿)一般道
茶所駅)県道181号線←一般道(新加納宿)一般道←21号線←一般道←21号線
   
9:11 時は金なり、犬山温泉から延々とタクシーで昨日の地点に到着。
国道21号線(写真左)を進み、すぐ先の右側に並ぶ建物の外れ(写真中)にある小さな岩屋観音駐車場。
その駐車場の両側に
幟が立つ入口から岩屋観音堂に登る道が、旧中山道。
当時は、この登り口辺りに立場があり、赤飯を三角形に抜いた三角強飯が名物であった。

  
左側の21号線に面した崖と右側JR高山線の間の狭い急坂(写真左、中)を登り、
途中
巌屋坂之碑
  
左手後方をみると、絵にもかけない木曽川の絶景(写真左)
その先で
道は下り(写真中)、正面の奥まった狭い境内に、断崖絶壁をバックに岩屋観音堂
  
急な下りの折々り道(写真左)は、幟が立ち如何にも参道。
今歩いた巌屋坂の狭い道は、これでも江戸末期皇女和宮の降嫁時約45cm拡幅されたという。

片側が崖の細い山道を人馬で通るということはとても危険なことで、短い区間とはいえ中山道の難所の1つであったはず
階段を下り、鉄骨
ゲート(写真中)から21号線歩道に出て、右折。
階段左側に、
岩屋南無聖観世音菩薩 修復記念碑
   
すぐ右の細い道(写真左)に入り、21号線と少しの間並行に進む。
この
細い緑に囲まれた道(写真中)は、今もで残っている当時の中山道。
その先で、再度
21号線と合流して進む。
   
21号線(写真左)を8分ほど進み、左側に店が並び、一番奥の「カフェテラスゆらぎ(写真左中)前に、
気をつけて お帰りください これより岐阜県縦看板(写真右中)の下に、
茶色「
中山道 左へ標識
「ゆらぎ」はどうも廃業の気配。
もし廃業した場合は、前方の「各務原市」標識が目印。

   
「ゆらぎ」敷地境界に張られた鎖を跨いで入り、右手に赤い手すり(写真左)
そこから
急階段(写真中)を下り右折して21号線トンネルに入り、
水で濡れジメジメした歩道を歩くのは、怖がりの私にはちょっとうす気味悪い。
ここから標高105mの「うとう峠」まで、約500m。
うとう峠の「うとう」とは、疎(うとい・うとむ・うとう)で、不案内・よそよそしい・気味悪いなどの意味。

   
出口で階段(写真左)を上り右折して草むら道(写真中)を進み、「中山道」案内板の立つ突当りで左折する。
すぐ沢にかかる
を渡り、山道を登る。
   
全く人気がなく、湿気の多い山道(写真左)
「まむし注意」看板が立ち、ただでさえ恐怖の「蛇」にぞーっとして浮足だって慌てて登る。
単なる看板に、情けない!
その先で
道は2つに分かれ(写真中)、「中山道いこいの広場」道標に従い左手を進む。
ここにも足元に「まむし注意」看板。あ〜いやになっちゃった。
さらに先で
道は2つに分かれ、標識ないが右手の道を登る。
左手の道は下りの坂道で、後でいこいの広場手前で合流する。

   
登り始めて約8分で、前方に「いこいの広場」が見える。
左手からあがってくる坂道(写真左)は、先ほど別れた道。
きれいに整備された
いこいの広場(写真中)の中をまっすぐ進み、石畳の道を登る。
   
峠の頂上は、きれいに整備されて公園(写真中)のよう。
道なりに左にカーブして進み、右手下方に舗装された
車道(写真右)
左側に、ここまで「
まむし注意看板
よほどまむしの多いところのようで、くれぐれも足元にご注意を!

    
とてもまむしがいそうとは思えないきれいな石畳道(写真左)を進み、
広場手前右側に「
市指定史跡うとう峠一里塚案内板(写真中)とその後ろに一里塚碑
   
その先の「ふれあい広場(写真左)を、まっすぐ進む。
この辺りは「日本ラインうぬまの森公園」として開発され、市民の憩いの場となている。
広場の先で、右に出て
車道と合流(写真中)し左折して、
団地の前を通り、坂を下り、
合戸池沿いに進む。
    
池の端(写真左)で右折し、分れ道は右手の道(写真中)を池沿いに進む。
池の端で、左折し只今工事中の坂を下る。
   
すぐ先で、道は2つに分かれ(写真左)左手の坂(写真中)を下る。
実は、ここで工事をしている人に旧中山道はどちらかを尋ねたら、自信を持って右手だという。
その坂をしばらく下り続け、次の分かれ道でまた道を尋ねたら、今来た道は旧中山道ではないという。
買物へ行く途中というこの奥さんは、すごく遠回りになるにもかかわらず、先ほどの工事中の分かれ道へ戻り、
さらにその先も道に迷ってはいけないと延々と道案内をしてくれました。感謝感激。
坂を下り、右手に見える山はなんという山なんだろう。
   
しばらく道なりに坂を下り続け、ブロック擁壁脇(写真左)を通り、その先で道は2つに分かれる(写真左中)
右手の、
手書中山道標識(写真右中)小さな地蔵堂のある道を進む。
案内していただいた奥さんとは、ここで別れることになった。

鹿児島県から20年前にこの地に移り住んだという年の頃は40才前後の奥さんは、
とてもやさしくて美人で別れがつらくて…。

  
ゆるい坂道(写真左)を下り、右側に江戸時代の絵図には一ノ宮と記載されている赤坂神社(写真中)
さらに
を下る。
鵜沼宿:鵜沼は古代から交通・経済の要衝として栄え、人と物の集散地であった。
1651年
(慶安4)うとう峠を越える現在の中山道になってから、正式に江戸から53番目の鵜沼宿となった。
太田宿から木曾谷最後の山道「うとう峠」の難所を越て約9km、
次の加納宿までは広大な各野原を通り約17kmという長い距離であったため。
江戸中期に新加納に立場が設置された。
明治24年濃尾地震で壊滅的な大被害を受け、現在は数件の当時の古い建物が残るだけ。
本陣1軒、脇本陣2軒(交代制)

    
坂を下り切って信号のある5差路(写真中)を直進し、横断する。
交差点手前左角に、「
ここは中山道鵜沼宿 これよりうとう峠石碑(写真左)が立ち、ここは鵜沼宿東口。
石碑は、京都から来る旅人向け。
横断した右角に、立派な
常夜灯
   
宿場通りを5分ほど進み、大安寺川に架かる大安寺橋(写真中)を渡り、
右側に、鵜沼宿の史料の展示と観光資料の閲覧ができる「
中山道鵜沼宿町屋館(写真右)
鵜沼宿町屋館:江戸時代旅籠「絹屋」を修復して、各務原市が民俗資料館として公開しているもの。
中庭を囲み母屋、東側の付属屋、西側の離れの3棟からなり、町屋の特色をよく伝え、市の景観重要建造物となっている

その先左側に、宿場のシンボルとなっている
菊川酒造の大正9年建築の大きな蔵。
   
さらに先右側の二宮鳥居右脇に、3基の芭蕉句碑(写真中)中山道鵜沼宿案内板(写真右)
案内板のあるところが、脇本陣坂井家の跡で桜井家本陣と隣接していた。
芭蕉は、1685年(貞享2)野ざらし紀行でこの地を訪れたたとき脇本陣坂井家に宿泊したのをはじめ、
計3回宿泊しその都度句を吟じている。
左の句碑から順に
「汲溜の水泡だつや蝉の声」、「送られつ送りつ果ては木曾の秋」、「ふぐ汁も喰えば喰わせよ菊の酒」


参道階段を上り、正面に古墳丘に建てられている
二宮神社
石垣左側にある穴は、古墳の
岩室で中には何もない。
   
道を挟み左側に、脇本陣坂井家子孫(写真左)の明治27年建築の住宅で、主屋は格式高い造りの建物。
道なりに進み、次の伊木山通りとの信号交差点(写真右中)が宿の西入口で、
横断した左角に
中山道道標(写真左中)が立っている。
交差点を直進し、ゆるい
を上る。
   
左手下方に町並(写真左)、ここは結構高いところを進んでいることに気づく。
信号から5分ほど右側に
空安寺(写真中)
手前塀の奥の空地に直径52m高さ7m4〜5世紀頃の県下最大円形
衣装塚古墳
   
さらに10数分進み、信号交差点(写真左)を横断し、右角に津島神社(写真中)
中山道をあるいていると、「津島」という神社は多い。どんないわれがあるのだろうか。
5分ほど進み、右側の各務原東消防署を過ぎ、
鵜沼羽場町信号で左からの国道21号線と合流し、進む。
   
2つめの信号の山の前町信号で、JR高山線横断陸橋左側の側道(写真中)を進む。
50mほど先左側に、倉庫と工場建物に挟まれて雑草の中に
播隆上人碑(写真左)
ただこの大きな碑は、明治24年発生マグニチュード8巨大濃美地震で、2つに折れてしまった。
また碑は一里塚跡も兼ねている。
播隆上人:揖斐郡揖斐川町播隆山一心寺の開祖で、前述のように槍ヶ岳の開山でも知られている。
突当りで、
JR歩道橋を渡る。
   
歩道橋を下りて、陸橋側道から再度21号線に合流(写真左)して進み、
右側に簡素な
JR各務原駅(写真中)
単調な21号線を約1.5kmただただ進み、前方に
三ッ池町信号交差点
   
交差点右角の横断地下道入口(写真左)横に、
昭和34年伊勢湾台風で倒壊した明治35年再建拝殿の基石が残る
神明神社(写真中)
交差点を横断し右角に、
長楽寺
   
約10分進み、右手の川崎重工(写真右)前の三柿野駅前信号交差点で、
名鉄線横断陸橋の
左側側道(写真中)を進む。
突当り左側の
名鉄三柿野駅のところで陸橋を渡り、名鉄線を横断する。
   
陸橋沿い(写真左)に進み、三柿野信号交差点で21号線を横断して左折し、21号線(写真中)を進み、
前方の
分れ道で21号線と分かれ右手を進む
   
交通量が極端に少なくなった(写真中)を進み、数分先右側に六軒一里塚跡碑(写真右)
道の反対側に
佛国竹林寺
   
道なりに進み、15分ほどで市街地(写真左)に入る。
住吉町信号交差点を過ぎ、右側
各務原市役所(写真中)前を通り、
右側の那珂交番敷地角に何故か
巨大恐竜
警察と恐竜、この関係謎のまま。

   
続いて門前町2信号交差点を渡り、とても大きくて整備された市民公園脇(写真左)を進む。
その先で、
新境川(写真右)にかかる那珂橋を渡る。
   
この時間余り人出のない「なか21モール商店街(写真左)を進み、
約300mで商店街終わり
アーチ(写真中)
その先5分ほど進み、西野町信号の前方の
新加納町信号で道は2つに分かれ、
右手の「間の宿新加納宿」への道を進む。

   
交通量の少ないひなびた(写真左)を進み、右側に日吉神社(写真中)
その先で
道は2つに分かれ、左手の道を進む。(少し先で、右手の道と合流する)
   
道の分かれるところに、
左から順に、
新加納経立場跡碑、新加納一里塚跡碑、「中山道新加納立場案内板(写真右)
新加納宿:鵜沼宿と加納宿の中間に位置し、二つの宿場間が約17kmと長いため、一時休憩施設「立場」として栄えた。
道は枡形、高礼場や旗本坪内家の陣屋があり、大規模の茶屋などが建ち、宿場的な趣をもつことから、
新加納立場は「間の宿」とも呼ばれていた。

「中山道新加納立場景観計画」条例:市は新加納立場地区は歴史的な趣と調和するまち並みの保全と再生を図るため、
2008年に条例を制定している。
立場碑左側を進み、突当りに当時御典医で現在も医者の
今尾医院(写真中)
医院前左側に、継ぎ足しつっかえ棒の「
左木曽路 右京路 南かさ松道標
長い間ご苦労さん

   
医院前から右折し、突当りで新加納立場案内板のところで分かれた道と合流(写真右)し、左折する。
すぐ先左側の
善林寺(写真左)前を通り、その先でゆるい西坂を下る。
   
当時有名な松並木があったという道を進み、右手に突然の名鉄線電車(写真右)
前方の東海北陸自動車道の手前で、
左手から県道181号線(車が見える)(写真中)と合流し、進む。
自動車道ガード(写真中)下を潜り、道なりに左にカーブして進む。
   
黄色線の道路標識(写真左)に従い、途中各務原市から岐阜市に入り、
道なりに進み
境川(写真右)にかかる高田橋を渡る。
   
渡って直進(写真左)し、181号線を道なりに5分ほど進み、高田3信号交差点(写真中)を横断する。
さらに5分ほど進み、
蔵前3信号交差点を横断する。
   
道なり(写真右)に進み、左に大きくカーブし突当りの丁字路(写真右中)を右折する。
丁字路の左に、道路巾いっぱいの
手力雄神社鳥居(写真左中)と、その左側に「左 木曽路道標
   
進み、電柱に「切通6地名表示板(写真左)
その先右側
岐阜信用金庫前休憩所(写真中)に、「切通の由来」案内板。
切通の由来:切通は境川北岸に位置し、地名の由来は岩戸南方一帯の滞留水を境川に落としていたことによる。
切通は古くから交通の要路で、江戸初期中山道が開通されると手力雄神社前から浄慶寺付近までは立場(休憩所)として
茶屋・菓子屋・履物屋などが設けられ旅人で賑いを見せ、各地の文物が伝来し文化の向上に大きく寄与した。
さらに181号線を7分ほど進み、右側に健康長寿をつかさどる神をまつる
伊豆神社
   
数分進み、切通4信号交差点(写真左)を直進し、右側にゑ比寿神社(写真中)
鳥居の先で車が尻を向けているが、参拝者は我慢できる? 神社はどこに?
さらに右側に、
眞宗寺
   
その先右側に、誓賢寺(写真右)
そこから数分先
長森細畑信号交差点(写真中)で156号線を横断し、両側に古い建物が並ぶ道を進む。
   
181号線(写真中)を進み、数分先右側の「岐阜県警察犬訓練所」看板の道の両側に、
復元された
細畑一里塚(写真左、右)
   
その先の伊勢道追分(写真右)は、中山道は右手を進む。
分かれるところに
地蔵堂と明治9年建立道標がある。
道標
「伊勢、名古屋ちかみち 笠松兀一里」、「西京 加納兀八丁」「木曽路 せき、上有知、郡上 道(以下不明)」

兀」 は、「迄」 の意味?
   
すぐ左側に、大正天皇行幸時、日陰にされて休まれた松があった八幡宮(写真左)
領下往還南信号交差点を過ぎ、左側に
立派な門構えの建物(写真中)が並ぶ。
さらに進み、前方の
JR東海道線高架下を潜る。
   
突然の左側の車の長い列(写真左)は、名鉄線踏切で電車が通過中のため。
ここは、名鉄名古屋本線茶所駅。
   
時は16:32。加納宿を目の前にして、今日はここまで。
茶所駅から長い時間待ちをして岐阜駅につき、タクシーで長良川温泉へ。
        
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