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経 路 図 「旧鎌倉街道 探索の旅 上道編」芳賀善次郎著より |
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柏尾川にかかる町屋橋を渡り鎌倉市上町屋地内に入り、町屋橋信号交差点を右折する。 その先約150m地点で、右側柏尾川にかかる青い水道管の延長上にある細い道を左折する。 左折する辺りが、川で消滅した旧道の接続点。 |
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細い道を道なりに進み、廃線路を渡り、分かれ道は直進する。 |
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左折して約150m地点の、泉光院 大駐車場入口前に進む。 旧道は、ここから直進し約300m先の深沢小学校プール脇丁字路に接続していた。 現在は消滅しているので、迂回するため大駐車場入口前から右折し、小路を進む。 泉光院:開山は1639年(寛永16)。大正12年の関東大震災で大被害にあい、本堂は昭和36年再建 |
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突当りの天満宮前丁字路を右折して、境内沿いに左にカーブして道なりに進む。 |
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天満宮境内にある上町屋町内会館前を通り、 さらに境内沿いに、続いて立派な石垣のある通りを進む。 その先で寺分地内に入り、左側に深沢小学校・富士塚小学校共同プール。 先に消滅した旧道は、このプール手前角の丁字路辺りが接続点。 さらに、右側緑のフェンス沿いに進む。 |
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突当りを道なりに右折し、湘南モノレール下を潜り、 富士塚小学校入口信号で横断して左折し、すぐ右折して寺分1丁目地内に入る。 |
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その先約50mの萬屋酒店の分かれ道は、右手を進み、 住宅街の中の約150m先の分かれ道も右手を進み、すぐ左折する。 |
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右側大慶寺塀の前(写真左、中)を通り、その先右側に東光寺。 | |||||||||
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突当りで右折し、坂道を上り、 上り切ったところの丁字路を左折し、寺分3丁目と梶原1丁目の境界坂道を上る。 |
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すぐ先右側、深沢中学校正門。 正門手前に、住居表示変更由来板。 「この辺りは寺分大工谷といわれていたところで、 鎌倉時代この付近に建てられていた大慶寺などを修復した工匠が住んでいた。 昭和58年住居表示施行で梶原1丁目に編入された」 長い坂道を延々と上り、丁字路から約700mの突当りで大きな通りの丁字路に出る。 旧道は、丁字路を直進し200先の梶原3丁目2辺りにつながっていたが、 現在は消滅している。 ここでは、迂回するため丁字路を右折し、 坂道を約50m上った変則交差点を左折し梶原3丁目に入る。 |
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坂道を道なりに下り、変則交差点から約150m地点の最初の交差点を左折し、 ゆるい坂道を上り突当りを右にカーブする。 先に消滅した旧道は、このカーブする辺りが接続点。 |
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その先の分かれ道は右手を進み、次の分かれ道は左手を進み、フェンス沿いに真っ直ぐ進む。 |
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突当り丁字路を右折して坂道を下り、すぐ先突当りは左折し、坂道を上る。 |
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頂上で坂道を下り、左側山ノ内配水池脇を通り、突当りを右折し、坂道を下る。 |
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右折して約150m先左にカーブするところで、右に入る細い坂道を上り、 梶原5丁目と山ノ内の境界道路を道なりに進む。 |
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左にカーブし、右下方にきれいに整備された公園。 その先で梶原5丁目に入り、分かれ道は左手の坂を上る。 |
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上り切った丁字路(写真中)を右折し、広い坂道(写真右)を下る。 丁字路を左折すると、突当りに葛原岡神社。 葛原岡神社:1887(明治20)日野俊基を祀るため創建された神社。 |
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右折してすぐ右側に、国指定史跡「日野俊基墓(写真右)」。 日野俊基:鎌倉末期後醍醐天皇に仕え、討幕計画に参加した朝臣。 1324年正中の変、さらに1331年元弘の乱で捕えられ、 鎌倉のこの地葛原岡で処刑された。 さらに進み、突当りの分かれ道(写真中)は、 左手を進み佐助2丁目と扇ガ谷4丁目の境界坂道を下る。 ちなみに右手は、大仏への道。 |
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その先の分かれ道は、左手のチェーン柵のある坂道を下る。 ちなみに右手は、源氏山への道。 続く分かれ道は、左手の急坂を下り扇ガ谷4丁目に入る。 ちなみに右手は、源頼朝像への道。 |
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この急坂は、化粧坂(けわいざか)といい国指定史跡で当時のままの坂道。 険しい道で、晴天続きなのに途中水で汚れているところもある。 しばらくして出口の明かりが見える。 化粧坂:鎌倉の北西から武蔵へ抜けるための出入口にあたる交通の要衝で、鎌倉七入口の一つ。 1333年(元弘3)の新田義貞の鎌倉攻めでも戦場になったところ。 坂名の由来は、平家の大将の首をこの坂上で検分したとき首に化粧した、 坂上に遊女屋があって女たちが化粧をして旅人に一夜の情を注いだ、などがある。 |
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出口から少し下り(写真中)、左側に昭和15年建立「化粧坂」碑(写真左)が立っている。 さらに、扇ガ谷4丁目地内の坂道を道なりに下る。 |
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突当りの丁字路を右折し、坂道を下りJR横須賀線ガードを潜り、右折する。 |
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扇ガ谷2丁目と3丁目の境界道路(写真中)を進み、すぐ先左側に岩船地蔵堂(写真左)。 岩船地蔵:日本3大岩船地蔵の1つで、最近建て替えられた。 源頼朝の息女大姫の守本尊、1691年(元禄3)造立の地蔵立像と船形光背の石造の地蔵が安置 大姫は人質として連れてこられていた木曽義仲の嫡男・義高と6歳の時婚約するが、 父頼朝により義高が殺された後病気になり1197年(建久8)20歳で亡くなった。 その先八百清商店の分かれ道は、直進し線路沿いに進む。 |
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突当りで左手からの車道と合流して右へ進み、横須賀線踏切を横断し、 丁字路を左折する。 |
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扇ガ谷1丁目地内の車道を約50m進み、右側に寿福寺。 寿福寺:鎌倉五山の第三位の寺院で、源頼朝の妻政子が1200年(正治2)に建立した。 墓所には、源実朝と政子の墓と伝わる五輪塔2基や高浜虚子、大仏次郎、陸奥宗光の墓がある 境内は、国指定史蹟。 隣接して、扇ガ谷の鎮守の八坂大神。 |
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その先アンツーカー丁字路を左折し、横須賀線踏切を横断する。 |
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雪ノ下1丁目地内に入り、踏切から約70m左側不動茶屋看板のかかる門(写真右)の奥に、 吾妻鏡に記されている窟堂跡といわれているほど古い岩窟不動尊。 |
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さらに進み、左側粋な黒塀脇を通り(写真中)その外れに鎌倉市川喜多映画記念館入口(写真左)。 その先交差点を、左折する。 |
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そのすぐ先で、県道21号線に出て右折する。 右折する右角に、鎌倉十井の1つ「鉄の井」石柱。 鉄の井(くろがねのい):1258年(正嘉2)の大火で焼失した新清水寺の鉄造観音像の頭部が、 後年この井戸から掘り出されたことから、この名がつけられた。 鎌倉八幡宮敷地沿いに進み、前方左側に三の鳥居。 |
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八幡宮前信号のところに、鎌倉街道基点である流鏑馬道の三の鳥居。 |
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時は、18:03。 道中、道に迷ったりしてしまい予定より大幅な遅れた到着。 段葛の参道を歩き、JR鎌倉駅から 横須賀線で横浜へ。 |
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