近づく危機
Guernika Pablo Picasso
爆撃機はいつでも侵入してくる。有効な防御方法は無い。
と演説した。1936年のスペイン市民戦争でナチがゲルニカ市を爆撃すると危機が高まる。
ワトソン・ワット
1934年6月に英空軍省科学研究部のロウがウィンペリス部長に、
防空のために,科学を活用する組織を考えないと英国は次の戦争で敗ける。
と提案する。ウィンペリスは『防空のための科学的調査委員会』を1934年11月に設立して,ティザードを委員長にする。ウィンペリスは別に,1935年1月18日に英南部のダチェットにある無線研究所の所長で電波を使って雷雲の位置を測定する研究をしていたワトソン・ワットに、電波を使って飛行中の航空機のパイロットに致命傷を与えられるかどうかを相談する。ワットは研究所のウィルキンスにも相談して、10日後にティザードに報告する。
電波を使って航空機のパイロットに致命傷を与えるには膨大なエネルギーが必要なので実用化は不可能である。しかし飛行している航空機を探知することが出来,その距離と場所も特定することができる。
さらに、委員会がその根拠を提出するよう要請するとワットは『電波を使って航空機を発見する方法について』の報告書を2月12日に提出する。
航空機を探知するには周波数6MHz,送信機の電流が50アンペアならば距離16kmまで探知できる。送信出力を大きくすれば約300kmまで探知距離を延ばすことが可能で、目標の方向も測定出来る。
空軍大将のダウディングが、この報告書を読んで,
実際にやってみてくれないか。
と要請する。パルス送信機を製作する期間が足りないいので、ワットはダベントリーにある英国放送局の送信機を借りて、1935年2月26日に実証実験を行う。送信周波数は6Mhz、出力10kW、10km離れた場所に受信機を設置して、高度1800mを飛ぶヘイフォード双発爆撃機からの反射波がブラウン管に映った。ワットが使った技術は新しく開発した技術では無かった。電離層の高さを測定する時に使うパルス波の技術であり、受信アンテナを2つ使って雷の位置を測定する方法である。ワットは、
「英国は再び島国になれる。
と言った。
ティザード卿
ワトソン・ワット
蒸気機関を発明したスコットランドのジェームズ・ワットの子孫
ワトソン・ワット
英国がレーダーの開発を始める
ダウディングはこの技術の軍事的価値を認めて4月13日にワットに開発を依頼する。初年度開発費は12300ポンドである。ワットはロンドンの北東約150kmにある荒涼としたオルフォードに開発拠点を設ける。 ボーエン が送信機を担当し、 ウィルキンス と ベインブリッジ が受信機とアンテナを担当する。ワットはベルリンのホルマン博士を訪問してブラウン管数百本を購入した。1935年6月17日、ティザード委員会のメンバーへの試作レーダーのデモが行われた。送信周波数6MHz、出力20kW、パルス幅25μsの電波で27km離れた飛行艇からの反射波を受信する。送信管はNT46である。12月に探知距離が160kmまで延びると、ロンドンに侵入する航空機を探知するために5台の製作指示が出る。チームの合言葉は、
最高の物でなくても良い。次善の物で良いから明日までに作る。
開発人員が増えてオルフォードは手狭になったので、1936年8月にオルフォードから少し南にあるボーゼーの貴族の領地を買い取り移転する。広さは20万坪で東側は低い崖で英仏海峡に面する風光明媚な敷地である。敷地の中央に建つ3階建ての赤レンガ造りの建物を開発拠点とする。送信設備と送信アンテナは敷地の北端に設ける。送信設備の建物は長さ23m,幅8mのコンクリート造で、万が一攻撃された場合を考えて、予備の送信設備を敷地北端の林の中の地下に設ける。送信アンテナは鉄骨造で高さ107m。受信設備は邸宅のすぐ西のコンクリート造の建物の中にあり、ここに他の4箇所のレーダー情報を統制するための『フィルター・ルーム』を設ける。受信施設の予備も敷地中央の海沿いの地下に設ける。受信アンテナは不要な電波の反射が無いように木造で,高さ72mである。チェーンホーム
1937年4月に数百キロメートル離れたドイツ国内の航空機を探知することに成功して、5月に1号機が完成する。8月にはドーバー、ケニュードンの他の2基のレーダーが完成する。レーダー型名は AMES Type 1 で,これを使った航空機監視網が CHAIN HOME である。1937年の末までに5基が英国の東と南の沿岸に設置される。1938年9月に、独とチェコスロバキア間の領土問題で英仏と独が一触即発になると CHAIN HOME は24時間の監視体制となる。1939年9月の開戦時には20基の CHAIN HOME が英国の東の空を監視する。
周波数 | 22.7-29.7MHz |
パルス幅 | 20μs |
パルス繰り返し周波数 | 12.5/25Hz |
送信出力 | 350kW |
送信管 | 水冷式4極管のType43 |
受信機 | スーパーヘテロダイン |
探知距離 | 130km(高度3000m) |
飛行高度測定 | 1.5-16度 |
ボーゼーのチェーンホームアンテナ
レーダー受信室
低空侵入探知
AMES Type 1 は地表や海面からの電波反射が大きく、低空で侵入する航空機の探知が難しいため、低空探知レーダーを開発し1939年7月に完成する。これが AMES Type 2 で24基のチェーン・ホーム基地にそれぞれ1台設置する。周波数 | 200MHz |
パルス幅 | 3μs |
パルス繰返周波数 | 400Hz |
送信出力 | 150kW |
方向精度 | 1.5度 |
表示装置 | PPI |
探知距離 | 40km(高度1500m) |
飛行高度測定 | 1.5-16度 |
AMES Type 2
敵のレーダー調査
レーダーはドイツでも英国でも厳重な防衛秘密であった。互いに敵がレーダーを持っているか、もし持っているとしたらどんなレーダーであるか互いに偵察する。開戦直前の1939年8月にドイツは2機のツェッペリン飛行船を使って英国のレーダーを調査した。しかしドイツは高い周波数帯だけを調査したので、低い周波数を使っている英国の CHAIN HOME を確認できなかった。英国はボーゼーのレーダーが調査されたことを知ると開戦の前日にレーダー開発拠点をロンドン北西150kmにあるマートルシャムに移転する。
開戦後の1940年6月にドイツ航空研究所が再調査して英国レーダーの波長が12m、6m、3mであることが分かり、CHAIN HOME の全ての基地を特定し、7月にフランスのカレーに電波妨害装置を設けた。
英国もドイツのレーダーを偵察する。1937年にワット夫妻がスケッチブックを持って独の国内を徒歩旅行して調査するが、 CHAIN HOME のような高い塔を発見できなかったので、ドイツはまだレーダーを持っていないと判断してしまう。
しかし英空軍省情報局の ジョーンズ は、ワットがドイツ国内に高いアンテナを発見できなかった事だけでレーダーを持っていないと判断したのは安易であると考えて調査を続ける。
オスロ文書
1939年11月,英国オスロ公使館に20ページの厚い文書が発信人不明で届けられ、これがジョーンズに届く。ここにはドイツがレーダーを持っていると思われる事が書かれていた。この文書はナチに抵抗していたドイツの科学者が書いたものであると終戦後に判明する。1939年12月18日、北海のヘリゴラント島上空で英国ウェリントン爆撃機24機がドイツのメッサーシュミットに迎撃されて12機が撃墜されると、ジョーンズはドイツのレーダーに探知されたからと確信する。1940年6月に情報局は受信機を載せた車を北海に沿う道路を走らせて調査する。短い波長の電波がオランダ国境とデンマークから出ていることが分かった。これはドイツの航法システムであった。ジョーンズはチャーチル首相に面会して、
ドイツは英国よりも電波利用の軍事技術が進んでいる。我国もこれを妨害する技術開発が必要です。
と説明して首相の了解を得る。7月にジョーンズはドイツ戦闘機のパイロットが、
フライア警戒装置のおかげで…
と話しているのを聞く。
フライア って何だろう。
フライアは北欧神話の愛の神で、ヘイムダッルルのお守りを持っている。ヘイムダッルルは昼夜、何百キロメートルも見渡すことができる護衛神である。この神話からジョーンズはフライアはレーダーの名称であろうと推定する。1940年10月、英国のレーダー技術者がドーバー海岸沿いにドイツ国内から出ている電波を調査すると周波数375MHzの電波を捉える。これは艦船搭載レーダー SEETAKT であった。1941年1月、英国偵察機がオランダのハーグで直径が6mの丸い形の写真を撮り、続けてドイツ航空機監視レーダー FREYA の写真撮影に成功する。周波数130MHzで海岸沿いに配備されていると知る。8月に英国は仏沿岸のブリューネバルの近くに設置されている FREYA を奪取しようとして失敗する。
WÜRZBURG レーダー奪取
1942年1月、英偵察機がフランスのブリューネバル村に設置してある WÜRZBURG レーダーを発見すると英国はレーダーの奪取作戦を開始する。フランスレジスタンス部隊が正確なレーダーの場所を調べ、英国は偵察写真をもとに村のモデルを実際に作り、落下傘部隊が攻撃の訓練をする。1942年2月27日深夜、英から12機のホイットレー爆撃機が飛び立ち、英仏海峡を越えてブリューネバルに120人の英国兵と、レーダー技術者が落下傘降下してレーダーを捕獲する。ドイツ操作員1名を捕虜にし,レーダーを分解して送信機、受信機を上陸舟艇に載せて英国に持ち帰る。これを調査して,WÜRZBURG を混乱させるチャフ『窓』を開発した。
ブリューネバル村の WÜRZBURG
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