陸軍
英 GL MARK Ⅱ 捕獲
1942年(昭和17年)1月,日本陸軍はシンガポールに突入してカラン,テンガー飛行場,チャンギー監獄の屋上などの数ヶ所で英国の射撃制御レーダーを捕獲する。これらは英軍が破壊して原型を止めるものは無かったが、1台のレーダーだけが大破を免れていた。英国の GL MARK Ⅱ である。 GL MARK Ⅱ は海軍技術研究所の伊藤庸ニが軍事技術調査でドイツに滞在中,ダンケルクで偶然見たレーダーである。GL MARK Ⅱ の周波数は54.6〜85.7MHz,アンテナは八木・宇多アンテナで,目標までの距離は測定できるが,方向の測定はできない。
陸軍の依頼を受けて日本電気の小林正次,東芝の浜田成徳の2人が7月28日に現地に出張して調査する。
ニューマンノート
チャンギー監獄の屋上には別のレーダーのアンテナが遺されていた。陸軍はこのレーダーの回路図,接続図を探すが焼却処分されていて見つからなかったが,秋本中佐が焼却炉の中から焼け残った1冊のノートを発見して,電気担当の塩見技術少佐に渡す。それは探照灯レーダーの取り扱いをメモしたノートであった。本土に送って調査すると,メモの中に頻繁に YAGI と書かれている。YAGI の意味が分からないので,岡本正彦がノートの持ち主で捕虜になっていたニューマン伍長に質問すると,「 YAGI はこのレーダーに使っているアンテナを発明した日本人の名前だ。」
戦後,陸軍はこの文書を処分してニューマンノートは失われたと思われていたが,アンテナの研究者である佐藤源貞博士が1988年1月に塩見元少佐が秘蔵していたニューマンノートを発見したと日本無線史の落穂拾い的考察(5)が紹介している。
GL MARK Ⅱ 送信車
GL MARK Ⅱ 受信車
多摩技術研究所
1942年4月の日本本土空襲の被害は小さかった。しかし皇都である東京が空襲されたため,日本本土の防空体制が全く無いことが顕になり,日本本土の防空責任を持っていた陸軍は厳しく糾弾されて,防空体制を強化する。5月に東京,大阪,下関市に防空のために航空部隊をつくり,高射砲の配備を増やし,敵機の来襲を早く発見するためのレーダーの開発と配備を進める。6月15日,東条陸相はレーダー開発を進めるために,陸軍研究所を改組して陸軍大臣直轄の多摩技術研究所を立川市に設立する。所長は安田武雄中将である。米の SCR-268 捕獲
日本陸軍が復元した SCR-268
出典:ラジオロケーターの話 泉信也 科學社
陸軍はシンガポールで捕獲した英国と米国のレーダーの写真,解説を1942年(昭和17年)5月から『無線と実験』誌に公表する。上図の SCR-268 は昭和18年10月号の同誌の見開きに掲載された。
陸軍 タチ3号 タチ4号
陸軍はシンガポールで捕獲した英国のレーダー GL MARKⅡ と,探照灯レーダーをコピーして タチ3号 と タチ4号 を開発する。いずれも八木・宇田アンテナを使用する。タチ3号 は住友通信が担当して150台製造。タチ4号 は25台製造。名称 | 周波数 | 出力 | パルス幅 | パルス繰返し周波数 | アンテナ | 探知距離 |
GL MARK Ⅱ | 54.6-85.7MHz | --- | --- | --- | --- | --- |
タチ3号 | 78MHz | 50kW | 1-5μs | 1875Hz | 八木・宇多アンテナ(送受別) | 40km |
タチ4号 | 200MHz | 10kW | 2μs | 1000 Hz | 八木・宇多アンテナ | 20km |
タチ3号 送信アンテナ
タチ4号
陸軍 タチ1号
フィリピンで捕獲した米国の射撃制御レーダー SCR-268 はあまり壊れていなかった。陸軍はこれを修理して動かし,性能が優れているのでコピーして、7月に完成する。これが射撃制御レーダー タチ1号 である。日本電気が担当して10台製造される。タチ1号 | 米国 scr-268 | |
周波数 | 200MHz | 200MHz |
パルス繰返し周波数 | 1000Hz | 4098Hz |
出力 | 10kW | 75kW |
射撃制御距離 | 12km(高度2000m) | 36km |
距離精度 | ±100m | ±180m |
方向精度 | ±2度 | 1度 |
高度測定精度 | ±30ミル | |
アンテナ | 八木・宇多アンテナ | 16個の半波長ダイポール |
表示器 | 直径12cmブラウン管 |
陸軍:SCR-268 のコピ− タチ2号
陸軍は別に,東芝にも SCR-268 をコピーした タチ2号 の開発を指示する。東芝の浜田成徳,西堀栄三郎が開発に参加し,10月に川崎市生田と六郷河原で実験を行って成功する。10台製造される。タチ1号 と タチ2号 は1943年(昭和18年)6月に皇居内にある乗馬練習場で天覧された。
周波数 | 200MHz |
パルス幅 | 2-3μs |
パルス繰返し周波数 | 1000Hz/td> |
出力 | 15kW |
送信管 | SY-5 PP |
射撃制御距離 | 15km(高度2000m)) |
距離精度 | ±100m |
方向精度 | ±1度 |
高度測定精度 | ±20ミル |
アンテナ | 八木・宇多アンテナ |
表示器 | 直径12cmブラウン管 |
タチ2号
海軍
4号1型電波探信儀
フィリピンで捕獲した米軍 SCR-268 をコピーして対空射撃用レーダー 4号1型電波探信儀 を製作する。これが海軍最初の射撃用レーダーである。空中線、機器、操縦台は旋回台上に装備される。アンテナは送信用、仰角の受信用、方位角の受信用の3つがあり、 SCR-268 レーダーに酷似している。どのアンテナも八木・宇多アンテナでそれぞれ4×4、4×4、2×6素子である。 1943年(昭和18年)7月に完成して1号機を向島に装備し,次にラボール中央高地に装備する。生産は住友通信で50〜60台生産した。周波数 | 200MHz |
パルス幅 | 3μs |
パルス繰返し周波数 | 1000Hz |
出力 | 13kW |
探知距離 | 40km(高度3000m編隊) |
距離精度 | 100m |
方向精度 | 1度 |
アンテナ | 八木・宇多アンテナ(送受別) |
4号1型電波探信儀
4号2型電波探信儀
英国の射撃制御レーダー GL MARK Ⅱ をコピーして対空射撃用レーダー4号2型電波探信儀を製作し,1942年(昭和18年)12月に完成して館山砲術学校に設置した。アンテナは旋回できて、上下方向にも俯仰可能。艦船用に開発したが能力不足で陸上用として使用される。生産は住友通信と日本音響である。後に 4号2型改1、出力を25kWに倍増した 4号2型改2 となり合計約100台製作された。周波数 | 200MHz |
パルス幅 | 3μs |
パルス繰返し周波数 | 2000Hz |
出力 | 13kW |
送信管 | TA-1054 |
探知距離 | 40km(高度3000m編隊) |
距離精度 | 50m |
方向精度 | 1度 |
アンテナ | 八木・宇多アンテナ(送受別) |
重量 | 5000kg |
四号電波探信儀2型改2