日本本土空襲 1942年4月
真珠湾攻撃の後,日本軍は太平洋全域に進撃し,米国は敗退が続いていた。ルーズベルト大統領は反撃のために日本本土への空襲を指示する。指揮官はドーリットル陸軍中佐,空襲にBー25爆撃機を使うことにして,空母からの発艦訓練を1ヶ月間行う。燃料タンクを増設した16機のB-25爆撃機を空母『ホーネット』に搭載して4月1日に出航,日本時間の14日にミッドウェーの北で空母『エンタープライズ』と合流して日本に向かう。4月10日の午後6時半頃,日本軍は米空母数隻がハワイの北にあって,東京空襲の気配があるとの無線を傍受すると,太平洋沖1000km付近まで哨戒機を飛ばし,監視艇で偵察していた。
4月18日,03:10,空母『エンタープライズ』のレーダー CXAM-1 が東19kmに小型艦艇を捉える。06:30に日本海軍の監視艇『第二十三日東丸』が空母を発見して,
「敵空母を発見。我が地点,北緯36度,東経152度。」
と通報する。日本海軍は,米軍が空母から艦載機が飛び立って往復攻撃をするであれば,出撃するのは日本からの距離が450kmよりも近くになってからで,本土への空襲は19日以前にはありえないと考えていた。しかし空母から飛び立ったのは長距離飛行可能なBー25爆撃機であった。
空母が発見された位置は発進予定地点よりも約360kmも遠い犬吠埼の東1040kmで,ここから爆撃機が発進すると中国大陸まで飛行できるかどうか微妙な距離であった。しかしハルゼー中将は攻撃を決断する。4月18日,07:25,空母『ホーネット』からB-25爆撃機16機が発艦して,低空飛行で日本本土に侵入する。
千葉県勝浦と,神奈川県衣笠には海軍の航空機早期監視レーダー『一号一型電波探信儀』が配備されていたが爆撃機を探知できなかった。12:15,ドゥーリットル中佐の1番機が東京上空で高度を400mに上昇させて爆弾を投下する。16機のうち13機が東京,川崎,横浜,横須賀を爆撃し,2機が名古屋と四日市,1機が神戸を爆撃する。
艦船搭載用レーダー CXAM
手前の戦闘機はF-4Fワイルドキャット
一号一型電波探信儀
ミッドウェー海戦 1942年6月
海軍はミッドウェー島を占領する作戦を進めていた。2度と本土空襲をさせないためにミッドウェー作戦の重要性が高まる。米軍は日本の暗号通信を傍受して日本の作戦をあらかじめ知っていた。ニミッツ大将は空母『ホーネット』,『エンタープライズ』,『ヨークタウン』の3隻をミッドウェー海域に向かわせ,ミッドウェー島にはSBDドーントレス急降下爆撃機18機,F4Fワイルドキャット7機,PBYカタリナ飛行艇30機,B―17爆撃機17機,B−26マローダー爆撃機4機など合計112機を配備し,航空機早期監視レーダー SCR-270 をミッドウェー島に設置する。
日本の空母『赤城』,『加賀』,『蒼龍』,『飛龍』の4隻が攻撃機発進予定地点であるミッドウェー島の北西約450kmに向う。日本軍の主力部隊はミッドウェーのはるか西方1250kmにあった。米国の3隻の空母はミッドウェー島の北320kmにあった。『エンタープライズ』,『ヨークタウン』は対空捜索レーダー CXAM を搭載している。このレーダーの探知距離は高度3000mの航空機を130kmの距離まで探知できる。しかし米空母と日本空母の距離はまだ CXAM の探知距離外であり,お互い哨戒機で捜索していた。
6月3日,09:00,米軍カタリナ偵察機がミッドウェーの西方1250kmに日本主力部隊を発見してミッドウェー島からB-17爆撃機が爆撃するが日本軍の被害は無かった。
6月5日の04:30,ミッドウェー島北西450kmの日本空母から零戦36機,艦爆36機,艦攻36機合計108機の攻撃隊がミッドウェー島の攻撃に向かう。
05:30米軍偵察機はミッドウェー島の北西270kmに日本空母を発見し,05:55ミッドウェー島の航空機早期監視レーダー SCR-270 がミッドウェー島に向かっている日本軍の編隊を探知する。
「北西方向150km,高度3300mに敵編隊発見。」
直ちにF-2Fバッファロー20機と,F-4Fワイルド・キャット6機がスクランブルして高度5000mまで上昇する。米軍レーダーが発見してから40分後の06:35に日本軍攻撃隊がミッドウェー島を空襲するがミッドウェー基地の航空機は既に飛び立っていた。零戦は12機のF-2F,2機のF-4Fを撃墜する。07:05,攻撃隊の友永大尉が「第二次攻撃が必要。」と電信連絡をする。
日本空母を発見した米軍は07:00にSBDドーントレス急降下爆撃機,TBDデバステーター雷撃機,戦闘機の総数約150機を空母から発進させる。この頃,日本空母は,ミッドウェー基地からの米軍機に攻撃されていたが殆ど被害を受けていなかった。南雲長官は第二次攻撃機が装備していた魚雷を,ミッドウェー島を再び攻撃するために,陸用爆弾への交換を指示する。爆弾の交換作業が半ば進んだ頃,07:28に偵察機の利根4号機から,
「ミッドウェー島北430kmに米艦隊10隻,進路南。」
と報告が入る。南雲長官は,積み替え作業中の陸用爆弾を,再び魚雷に交換することを命令する。このため艦内に弾薬庫に戻せない爆弾が艦内に山積みになる。日本空母は米軍魚雷攻撃を避けるために,上空への監視がおろそかになっていた。
10:20,ドーントレス急降下爆撃機30機が上空から急降下爆撃する。空母『赤城』の中央のエレベーター付近に爆弾が命中し,交換作業中で山積みになっていた爆弾に次々と誘爆し,さらに航空機燃料へも引火して火炎が広がる。同じ頃,空母『加賀』,『蒼龍』も攻撃され,炎上する。
空母『飛龍』は攻撃されていなかった。『赤城』の炎上を聞いた山口多聞少将は米空母を攻撃するため10:58に零戦6機,艦爆18機を発進させ,13:31に零戦6機,艦攻10機が発進する。 この日本の攻撃機も空母『ヨークタウン』のレーダー CXAM によって探知された。さらに『飛龍』も空母『エンタープライズ』からの艦爆24機に急襲されて炎上し沈没する。山本長官は日本時間の6日,02:55,ミッドウェー作戦を中止する。
日本軍は『赤城』,『加賀』,『飛龍』,『蒼龍』の4隻の空母を失い,約300機の艦載機と,熟練パイロットを失う。米軍の損失は空母『ヨークタウン』1隻,駆逐艦1隻,航空機152機であった。 キスカ作戦に向かった戦艦『日向』には波長10cmのマグネトロンを使った『100号』が搭載されていたが戦闘に使われる事は無かった。
ミッドウェー島
ハワイの西約1000kmにある環礁でサンド島,イースタン島などの島からなっている。サンド島には航空機の燃料補給のための米軍の飛行場があった。
ガダルカナル島
ミッドウェー海戦の10日後の1942年6月16日,日本海軍はガダルカナル島北岸に上陸してルンガ川の周りのヤシ林を切り開いて飛行場の建設を始める。しかし飛行場の建設はオーストラリア海軍情報部が監視していた。飛行場がほぼ完成する8月7日,米軍約2万人がガダルカナル島に上陸して飛行場を占拠しヘンダーソン飛行場と名づける。米軍はガダルカナル島の戦力を増強に,早期航空機監視レーダー SCR-270 ,射撃制御レーダー SCR-268 を設置して日本機を探知すると直ちにスクランブルできる体制を整える。日本海軍が設置していた『一号一型電波探信儀』は米軍に捕獲調査され,日本のレーダーは米国のレーダーよりも劣っていることが分析された。第一次ソロモン海戦のレーダー
この飛行場を奪還するために数ヶ月間の間激しい戦闘が続く。8月8日の深夜,三川軍一中将が指揮する重巡5隻,軽巡2隻,駆逐艦1隻の艦隊がラバウルから出撃してガダルカナル島とサボ島の間の海峡で米を奇襲して重巡洋艦『キャンベラ』,『ヴィセンヌ』,『クインシー』,『アストリア』の4隻の艦を撃沈する。
米の駆逐艦『サン・ジュアン』には水上監視レーダー SG が搭載され,『クインシー』と,駆逐艦『パターソン』は航空機監視レーダー SC を搭載していたが,レーダー波が陸地からの反射波に紛れたために日本艦隊を発見できなかった。艦船搭載用レーダー SG は1942年に完成したばかりの米国始めての周波数3GHzマイクロ波レーダーである。SC は航空機監視レーダー CXAM を小型にしたレーダーである。米国海軍はこの海戦でレーダーが役に立たなかった原因をすぐに調査し,レーダー開発部門に報告する。
第ニ次ソロモン海戦のレーダー
8月24日,米空母『サラトガ』,『エンタープライズ』と,日本海軍空母『翔鶴』,『瑞鶴』,『瑞鳳』などの機動部隊がガダルカナル島の北に向かう。『翔鶴』と『霧島』は航空機監視レーダー『二号一型電波探信儀』を搭載していた。『翔鶴』のレーダーが『エンタープライズ』から飛来する爆撃機を探知するが,この情報は報告されなかった。逆に,空母『竜驤』からガダルカナル島に向かって飛ぶ日本機を,『サラトガ』のレーダーが150kmの距離で探知して,ガダルカナル島の米軍基地に連絡する。この戦闘で空母『竜驤』が撃沈される。サボ島沖夜戦のレーダー
10月11日,21:23,ガダルカナル島北西360kmのサボ島沖,旗艦『青葉』が米巡洋艦艦隊を発見する。米国軽巡洋艦『ヘレナ』と,軽巡洋艦『ボイス』は SG レーダーを搭載している。21:25,『ヘレナ』のレーダーが右舷285度,距離25kmに日本艦隊を発見する。21:46,『ヘレナ』が砲撃して『青葉』は大破,『古鷹』,『吹雪』も沈没する。南太平洋海戦のレーダー
10月25日と26日,『サウスダコダ』の射撃制御レーダー FC と,射撃制御レーダー FD が32機の日本機を撃墜する。11月12日夜,ルンガ沖で『ヘレナ』の水上レーダー SG が22kmの距離にある日本艦隊を発見して砲撃し戦艦『比叡』が沈没する。11月14日夜,戦艦『ワシントン』の射撃制御レーダー FC が17kmに戦艦『霧島』を発見して砲撃,『霧島が沈没する。
日本軍は戦力を消耗して,1943年2月7日,ガダルカナル島から撤退する。4月18日,09:30,山本長官が乗る一式陸攻がブーゲンビル島東上空で,待ちかまえていた米軍のロッキードP38によって撃墜されて,山本長官が戦死する。
ガダルカナル島
ソロモン諸島の中で最大の島で日本の南約5500kmにある四国の約1.6倍の面積の島である。島の東西の長さは約150km,南北は約40km,東西方向に標高2500m級のマカラコムボウ山,ポポマニアス山が聳えて起伏が激しく切り立った尾根が続き,降雨量が年間5千ミリを越える熱帯ジャングルである。