日本陸海軍は、三国同盟締結後の1940年にドイツに軍事技術調査団を派遣して射撃制御レーダー ウルツブルグ を技術導入しようとした。ドイツの当時のレーダー技術はどんなレベルであったか。
テレモビロスコープ
マルコニーが大西洋横断の無線通信の挑戦を始める2年前の1899年にドイツデュッセルドルフ市の技術者ハルスマイヤーは、船の衝突で友達が死亡したことを悲しんで、船の衝突防止のための装置を作る。これがテレモビロスコープである。送信機はマルコニーの無線機と同じ火花放電で、周波数はおよそ300MHzであったと推定されている。受信機はコヒーラ検知器である。船からの反射波を受信するとブザーが鳴る仕組みである。1904年5月17日にケルン市のホーエンツォレルン橋で船会社の幹部を前に公開実験して3kmの距離の船を探知する。
ハルスマイヤーは「この装置を船に載せれば5km以内に他の船が近づいてきた事を知ることができる。」
と説明するが採用されなかった。ドイツ海軍も、テレフンケン社もまだ興味を示さない。このテレモビロスコープはミュンヘン市の博物館に保存されている。
テレモビロスコープ
ブラウン管
1897年にドイツの物理学者ブラウンがブラウン管を開発してレーダーの表示装置となる。
ブラウン管 1900年モデル
艦船搭載用航空機早期監視レーダー SEETAKT
艦船用レーダーはコードネームが
DeTe-Ⅰ と名付けられた。これが艦船搭載用航空機早期監視レーダー SEETAKT となり、1939年に艦船用搭載レーダー SEETAKT が完成する。約200台製造された。ドイツ海軍は1942年頃から SEETAKT を沿岸監視用にも使い、フランス北岸に設置する。
開発モデル FuMO22 を搭載した戦闘艦『グラフ・シュペー』が1939年12月、リオデジャネイロ沖の浅瀬で沈没すると英国海軍は搭載されていたレーダーを捕獲して持ち帰った。
フランス沿岸ツーロンに設置されていた SEETAKT
SEETAKT FuMO 23 の仕様
周波数 | 368-390kHz |
パルス幅 | 3μs |
パルス繰返し周波数 | 500Hz |
出力 | 8kW |
最大探知距離 | 220km |
距離精度 | 50m |
アンテナ | マットレス型送受共通 |
アンテナ回転精度 | 1度 |
地上用航空機早期監視レーダー FREYA
FREYA 可搬型
GEMA社は対空監視用レーダー DeTe-Ⅱ の開発も行っていた。1938年7月にヒトラーとゲーリングが視察して、80kmの距離の航空機を探知すると、すぐに12台が注文される。
レーダーの名前は北欧の神話の女神の名前から FREYA と名づけられる。
開戦直前、北海沿岸に8台設置されて開戦後の12月18日の13:00,FREYA が130km離れたヘリゴラント島の上空3000mを飛行している英国ウェリントン爆撃機24機を探知して、メッサーシュミット戦闘機がスクランブルして12機を撃墜するとドイツ空軍もレーダーの有効性を認める。FREYA は2000台生産され1940年5月にはフランス、ベルギー、オランダの沿岸に11基設置してレーダー網を作る。日本からの軍事調査団がドイツを訪問するのはこの頃である。
FREYA FuMG 39G の仕様
周波数 | 120-166MHz |
パルス幅 | 3μs |
パルス繰り返し周波数 | 500Hz |
出力 | 8kW |
最大探知距離 | 120km |
距離精度 | 100m |
lobe-switching | 有 |
方向精度 | 3度 |