航空機搭載レーダー

艦船・潜水艦捜索レーダー

大西洋では独海軍が潜水艦による連合国の通商破壊作戦を行ってい独潜水艦に沈められた連合国の艦船は1940年に約470隻に達した。CHAIN HOME RADAR の開発に参加した英ボーエン博士は艦船や潜水艦を探知する ASV レーダの開発を行っていた。航空機搭載レーダーは装置を極力小型にするため周波数は300MHz以上にする必要があったが,まだマイクロ波用の真空管が無かった。
1937年に米国ウェスタン・エレクトリック社が周波数500MHzの出力を得ることができるマイクロ波用の3極管 316A を開発する。直径が5.7cmで扉のノブの形をしているのでドアノブ管と呼ばれた。

ASV Mark Ⅰ

1937年9月,試作レーダーが完成して哨戒偵察機アブロ・アンソンに搭載して試験する。悪天候の中で18kmの距離にある空母『カレージャス』,戦艦『ロトニー』,巡洋艦『サザンプトン』を探知し,さらに空母から発艦する航空機も探知できた。航空機の両翼に受信アンテナを各1個装備し2つのアンテナの受信信号を比較して目標の方向を測定する。1939年末から哨戒爆撃機や飛行艇に装備され約200台生産される。

ASV Mark Ⅰ
周波数200MHz
出力100W
探知距離艦船18km

316A
ウェスタン・エレクトリック社 316A

ASV Mark Ⅱ

ASV Mark Ⅰ は潜水艦の探知が難しかった。1940年にサイド・ルッキング機能を付与した ASV Mark Ⅱ が完成して数千台製造されて沿岸哨戒機に搭載される。1940年11月30日にWhitley Mk.Ⅴがビスケー湾で独Uボートを発見して撃沈する。昼間でのUボートの発見率は向上した。
しかし1942年の末には全てのUボートがASV Mark Ⅱ の電波を探知する電波探知機 METOX を搭載すると,発見率は再び低下する。

ASV Mark Ⅲ
周波数176MHz
出力100W
探知距離潜水艦数km-50km

ASV Mark Ⅲ

センチメートル波(3GHz)を使用すると,パラボラアンテナを使用できて,ASV Mark Ⅲ よりもビームが鋭くなって,探知距離と探知精度が向上する。
このためセンチメートル波を使う航空機搭載レーダーは,夜間戦闘機用として開発が進められていた。海軍も艦船搭載用レーダーとして実用化を行い1941年3月に 周波数3GHzの Type 271 が完成してほとんどの艦船に搭載される。

ソードフィッシュ機に搭載のASV Mark Ⅱ
ソードフィッシュ機 ASV Mark Ⅱ

航空機搭載航空機探知レーダー AI Mark Ⅳ

艦船探知レーダーは開発したが,航空機探知レーダーの開発はなかなか進まなかった。最初のAI Mark Ⅰ から AI Mark Ⅲ は周波数200MHz,パルス幅が20μsと大きく最小探知距離は330mで夜間戦闘用には使えなかった。パルス幅を小さくする回路を開発して AI Mark Ⅳ が1940年8月に完成し,最小探知距離が130mとなる。主にビューファイターに搭載され1942年までに約3000台生産された。米国はこれを夜間戦闘機ダグラスP-70に搭載する。

航空機搭載航空機探知レーダー AI Mark Ⅷ

1940年にマグネトロンが発明されると性能が向上する。さらに1941年の航空機搭載用アンテナの送受切り替え装置と,コニカルスキャンによる方向精度を高めたレーダーが完成する。1942年3月に周波数3GHzの AI Mark Ⅶ が完成する。これに敵味方識別装置を附加したレーダーが AI Mark Ⅷ で500台製作された。

SCR-720

ウェスタン・エレクトリック社は1944年にマイクロ波レーダー SCR-720 を開発する。アンテナはパラボラ型で,中心付近の小さなダイポールアンテナが回転する。このアンテナは現在の戦闘機と同じように,飛行機先端のレドームの中に収容される。夜間戦闘機ノースロップP-61に搭載する。英国も SCR-720 をAI Mark Ⅹとして採用する。

SCR-720
周波数3GHz
パルス幅0.75μs
出力3kW
探知距離8km, 最小75m
方向精度3度
重量187kg

AI Mark 4
AI Mark AI Mark Ⅳ 表示装置

AI Mark 8
AI Mark 8

AI Mark 8 ディスプレイ
AI Mark 8 ディスプレイ

SCR-720
SCR-720

地形を判別する H2S

H2S
H2S

1940年8月,チャーチル首相はベルリン市への爆撃を指示する。爆撃目標は鉄道,石油工場,潜水艦基地,兵器工場であるが,欧州大陸は視界が良い日は少なくて目視で爆撃目標を探す事は難しく,航法装置を開発して爆撃機を目標まで導いていた。しかしこの方法は英国からの距離が400kmが限界で,それより遠い場所にあるドイツの工業地域は爆撃できなかった。このため雲の上からでも,夜間でも地形を見ることができるレーダーを開発する。
  1941年11月1日,地形レーダー H2S が完成して飛行試験を行う。高度2000mからソールズベリ市を明瞭に観ることに成功,1942年3月17日に最初の試作品をハリファックス爆撃機に搭載して実験が成功する。
H2S を搭載した爆撃機が撃墜され,ドイツに捕獲された時のことを考えて H2S の送信管をマグネトロンにするか,クライストロンにするか決まらなかった。7月15日にチャーチル首相が出席してマグネトロンを使用すると決まる。首相から10月15日までに200台を製作するよう厳しい指示が出る。1942年の末に約3ヶ月遅れて H2S が完成する。爆撃機ハリファックスと,爆撃機スターリングの24機に搭載される。1943年1月の深夜,H2S を搭載した航空機が先導して,100機のランカスターがハンブルグ市を爆撃した。
H2S は高度6000mを飛行する爆撃機用に設計していため,潜水艦捜索のために高度600mで飛行する沿岸監視機では使えないので,ウェリントン爆撃機に H2S を搭載する。1943年3月17日にビスケー湾で16kmの距離にドイツ潜水艦を探知してから,ほとんどのドイツ潜水艦を発見できるようになる。

H2S の地図
H2S の地図

航空機搭載精密地形レーダー H2X

H2X
精密地形レーダー H2X

米放射波研究所のヴァリーはロンドンに滞在中毎日空襲を経験して,高射砲をコントロールする射撃制御レーダーがさほど有効では無いことを知って,これ以上性能が良い射撃制御レーダーを開発するよりも,爆撃に使うレーダーを開発するほうが有効であると考える。
英の H2S はハンブルグ市への爆撃に使っていた。レーダー波は地面や,水面では反射強度が違うため,エルベ河や湖があるハンブルグ市では H2S でも地形の識別は容易であった。しかしベルリン市などの都市の場合は建物の識別が難しかった。ヴァリーは解像度を高くするために,周波数10GHzの精密地形レーダー H2S を開発する。
1943年11月3日,米第八航空軍がオランダ国境の沿岸にあるビルヘルムスハーフェン港の爆撃に使う。1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦では H2S と,H2X はレーダー基地,橋,通信所の爆撃に使用される。日本本土空襲では H2X と航空機搭載レーダーをシステム化したAN/APQ-13 が使用された。

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佐々木 梗 横浜市青葉区
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