空襲と原爆投下

地形レーダー AN/APQ-7 Eagle

AN/APQ-7
車輪の間にある AN/APQ-7 のアンテナ
開戦前に米国が持っていた長距離爆撃機はB-17,B-24,B-25の3機種であった。米国はナチスが中南米に拠点を設けて米国を爆撃する事を怖れていて,南米を攻撃できる長距離爆撃機を開発する。1940年1月に米陸軍が新爆撃機の仕様を出す。それは1トンの爆弾を積んで,高度1万メートルを時速640kmで飛行し,航続距離は8500kmである。ボーイング社,ロッキード社,ダグラス社,コンソリディテッド社の4社が応札するが,ボーイング社に発注が決まる。これがB-29で所号機が1943年(昭和18年)6月に納入される。
放射線研究所のアルバレス博士は周波数10GHzの地形レーダー H2X をもとに,精密爆撃のためのレーダーを開発して、1944年5月に飛行試験が行われる。
このレーダーが AN/APQ-7 Eagle Mk 1である。航空機の胴体の下にアンテナを搭載して前下方60度の範囲を探査して,地上の一つ一つの建物を識別する。
このレーダーはB-29に搭載されて,6月26日に伊勢の精油所の爆撃に使われた。
AN/APQ-7
周波数10GHz
出力50kW
ビーム幅0.4度
探知距離260km

AN/APQ-7 のアンテナ
AN/APQ-7 のアンテナ

Luis Walter Alvarez
Luis Alvarez

アルバレス
Luis Walter Alvarez 1911-1988
1940年からマイクロ波レーダの開発を担当 APQ-7 を開発。1944年に原爆起爆装置の開発に携わり,広島への原爆投下の際にはエノラゲイに搭乗して爆撃を目撃した。1968年ノーベル物理学賞受賞

大空襲

空襲
B-29 の爆撃
済州島には日本陸軍の 電波警戒機甲 と 電波警戒機乙 が設置されていた。昭和19年6月15日の深夜、電波警戒機乙が西の方向に航空機編隊を探知して西部軍司令部に電信連絡する。

290度,60km付近を東に向かう航空機あり。敵味方不明。

翌16日0時15分,平戸と対馬を結ぶ 電波警戒機甲 からも探知の報告が入る。下関にある陸軍小月基地から8機の 屠龍 が迎撃するが,50機のB-29が来襲して北九州八幡製鉄所を爆撃した。中国成都の基地からの来襲であった。8月20日の昼と夜にも合計80機が来襲し済州島の 電波警戒機乙 が探知して迎撃し、14機を撃墜した。
6月に日本軍が壊滅したサイパン島は東京までの距離2200kmである。サイパン島では10月中旬にB-29が離着陸できる滑走路工事が完了する。翌年の6月にはサイパン島、テニアン島、グアム島にも飛行場が増設されて数百機のB-29が配備される。
10月17日、サイパン島の基地からの東京への最初の空襲が行われた。高度8000mから AN/APQ-7 を使って精密爆撃をするが、目標を直撃できない。8月29日、アーノルド大将は精密爆撃に固執しているハンセル爆撃機集団司令官を更迭して、欧州でドイツの都市を無差別爆撃した カーチス・ルメイ 少将を後任に就ける。 1945年1月20日と27日、東京市街地への爆撃。2月4日に神戸、2月25日に東京への白昼焼夷弾空襲。25日の東京空襲は雪雲上からのレーダー爆撃で戦果はあがらなかった。3月4日の中島飛行機への空襲の後,ルメイは戦術を変える。

日本の都市,非武装地帯,非戦闘員の住む住宅を焼き払えば,工場の生産が停まり,戦意も喪失する。

高度10000mからの精密爆撃を止めて、2100m以下の低空からの焼夷弾爆撃を始める。低高度飛行ではジェット気流の影響が小さく、燃料の消費が抑えられ、エンジンの負荷が少なく整備にかかる時間も軽減する。燃料の節約分だけ爆弾の搭載量を増やすことができた。低高度からの爆撃は爆撃精度も向上してレーダーの映像が鮮明になる。
昭和20年3月10日午前0時、マリアナ基地から約300機のB-29爆撃機が東京上空に侵入する。レーダー探知を避けるために、チャフを投下してから、1700トンの焼夷弾を投下する。東京は40平方キロメートルが焼失し、約10万人が死亡、被災者260万人となる。5月14の日早朝480機が名古屋市北部、5月17日未明466機が名古屋市南部へ焼夷弾空襲。5月24日未明に東京南部、5月29日横浜と川崎、6月1日大阪、6月5日神戸、6月7日大阪、6月15日大阪、尼崎へ焼夷弾空襲する。8月までに延べ8014機のB-29が5万4千トンの焼夷弾を投下した。これによる総焼失面積は275平方km。死者およそ60万人であった。
Curtis Emerson LeMay
カーチス・ルメイ

カーチス・ルメイ
Curtis Emerson LeMay 1906-1990
米空軍の戦略爆撃の専門家。都市の無差別戦略爆撃を立案し実行。戦後、日本の航空自衛隊創設時の指導の功績に対して、日本政府は1964年に勲一等旭日大授賞を授与。

原爆

米国は原爆投下を決める。
精密地形レーダー H2X のダイポールアンテナを回転するパラボラアンテナに変更したレーダーが APQ-13 で、原爆を投下するB-29に搭載する。APQ-13 は戦後、世界初の気象レーダーとなる。
投下した原爆を起爆させるために後方警戒レーダー AN/APS-13 を改良する。周波数415MHz,4本の八木・宇多アンテナを使って地上から反射してくる電波を3本のアンテナが受信する。
1945年8月6日の早朝02:45、テニアン島からB-29爆撃機が離陸する。爆撃機は『エノラ・ゲイ』、パイロットはティベッツ大佐である。エノラ・ゲイは彼の母の名前である。エノラ・ゲイには原子爆弾 リトルボーイ を積載している。エノラ・ゲイの他に偵察機,写真撮影,測定装置を搭載したB-29が日本に向かう。
07:09,日本陸軍の電波探知機が航空機を探知して警戒警報が発せられるが、この機は爆撃せずに広島を飛び去って警戒警報が解除される。偵察機であった。偵察機から広島の天候が目視投下できる天候であると知らされると、ティベット大佐は爆撃目標を広島に決める。爆撃機のレーダー操作はべゼール大佐である。
飛行高度9210mで広島市に侵入し、目標の元安橋を目視で確認して照準器を定め、08:15、リトルボーイを投下する。エノラ・ゲイは直に右旋回して広島を離れる。リトルボーイは投下して43秒後に高度567mまで落下し、そこで起爆する。
核分裂が始まり、TNT火薬1万2千トンに相当する爆弾が一瞬に炸裂した。死者十数万人。

広島に投下された原子爆弾のきのこ雲
広島に投下された原子爆弾のきのこ雲

7日の早朝,米国からのラジオ放送は

「日本が降伏しなければ,他の場所に原子爆弾を投下する。」

APQ-13
APQ-13操作盤

littleboy
広島に投下された原爆の同型

APS-13
APS-13

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佐々木 梗 横浜市青葉区
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