マックスウェル方程式

敬虔の心を持って 知識をますます育て 知性と霊が調和して 素晴らしい音楽を奏でるように
イン・メモリアル テニソン

電磁気概論 A TREATISE ON ELECTRICITY & MAGNETISM

1873年に『電磁気概論』がクラレンドン出版社から刊行された。4部構成になっていて第1部の静電気は静電気の現象を紹介して,数学理論を展開している。第2部 の電気力学は電流について,第3部は磁気について,第4部の「電磁気は電磁気方程式と,光の電磁理論を述べている。『電磁波の動的理論』では電磁方程式は20個の邊微分方程式で書かれていたが,『電磁気概論』ではベクトルを使って8つの方程式に整理する。マックスウェル没後,ヘビサイドが4つの方程式にして現在のマックスウェル方程式となっている。
クーロンの法則で,電荷があれば,そこから電場が発散する。
磁荷が存在しないので,磁場は発散しない。
変化する磁場が電場を作る。
ファラデーが発見した電磁誘導の法則である。変化する電流から電磁波が発生する。

Electromagnetic Wave
電磁波

A TREATISE ON ELECTRICITY & MAGNETISM
電磁気概論(DOVER版)

ベクトル

『電磁気概論』でマックスウェルは空間の中で物体に働く力の「方向」と「量」を表現するためにベクトルを使う。ベクトルで表現すると力の方向と量を直感的に把握できるからである。1867年12月,マックスウェルはエディンバラ学院の級友でエディンバラ大学の物理学教授でベクトルの研究をしているテイトに,

「ベクトルの基礎はいつ完成しますか?」

と聞く。テイトはケンブリッジ在学中の1853年8月からベクトルの研究を始めて,この研究に先駆けていたハミルトンハミルトンと情報交換をしていた。1867年にテイトは『ベクトルの基礎』を書いて,ベクトルを物理学に応用した多くの例を挙げる。
テイトはベクトルの微分演算子の記号に"NABLA"の記号"∇" を創る。これは『たて琴』を意味する。

NABLA

マックスウェルはテイトに

と冗談で質問する。マックスウェルは1870年11月7日の手紙で『電磁気概論』にベクトルを使うことをテイトに伝えて『電磁気概論』をベクトルを使って書き直す。マックスウェルは1871年3月に『物理量の数学的分類について』をロンドン数学協会に発表,ここで物理量は"スカラー"と"ベクトル"に分類しなければならないと書いている。1872年10月にケンブリッジ大学の授業にもベクトルを導入することをテイトに伝える。さらに1873年9月号の『ネイチャー』誌に『ベクトルの基礎』を紹介する。

Peter Guthrie Tait
テイト

テイト
Peter Guthrie Tait 1831-1901。ダルキース生。エディンバラ学院,エディンバラ大学でマックスウェルの級友。ケンブリッジ大学ピーターハウスカレッジ卒。1860年にエディンバラ大学物理学教授。ケルビン教授と共著の『自然科学について』で数理物理学を確立した。結び目理論の研究を始めた。

Trefoil knot
Trefoil Knot : 永遠を意味する

夏目漱石とマックスウェル

漱石は作品の中にマックスウェルやベクトルや無線を書いている。
「…理論上はマックスエル以来予想されていたのですが,それをレベデフという人が始めて実験で証明したのです。…」  『三四郎』
「ハミルトンがクォータニオンを発明した時も…」  『趣味の遺伝』
「無線の電信をかけかね」  『吾輩は猫である』
と書いている。

レベデフ
Pyotr Nikolaevich Levedev 1866-1912。ロシアの実験物理学者。マックスウェルの電磁気を研究して1895年に電波を実証した。(Britannica)

1867年パリ万国博

徳川昭武
徳川昭武(中央椅子),渋沢栄一(後列左端)
マックスウェルが『電磁気概論』をまとめている頃,パリでは1867年4月1日から万国博覧会が開幕される。主会場はシャン・ド・マルスで,広さ48ヘクタールである。会期中の入場者数は15百万人であった。
この万国は現在まで続いている世界的ブランドを多く生んでいる。スタインウェイは物理学者のヘルムホルツの協力を得て,金属フレームのピアノを製作して,スタインウェイの音を創って金賞を受賞する。1854年にパリに店を開いたルイ・ヴィトンは鉄道や船で旅行する時,鞄詰専門の人が居なくても収納できるフラット・トップのトランクを作って銀賞を授賞した。
幕府は徳川慶喜は弟の徳川昭武を派遣する。一行は1867年2月15に横浜から出航して,4月11日夕刻バリに到着して,28日にナポレオンⅢ世に謁見した。日本からは薩摩藩も漆器,陶器,武具を出品し,清水卯三郎が檜造りの茶屋を建てて,江戸柳橋の松葉屋から,かね,すみ,さと,の芸者3人を派遣して舞いを披露し,茶を供した。松井源水一座はフランス帝国劇場で独楽回し,高野広八一座はナポレオン円形劇場で曲芸を,浜錠定吉一座が足芸を興した。
絵画では1863年にカバネルが描いた『ヴィーナスの誕生』が展示されてナポレオンV世が購入する。しかし印象派画家エドゥアール・マネの『草上の食卓』は落選している。

Paris Exhibition_1867
パリ万国博会場

1867 Paris Exposition Japanese Women
パリ万博での日本女性(出典:長崎大学)
Naissance de Venus
ヴィーナスの誕生 カバネル
戻る 目次 キャベンディッシュ研究所
佐々木 梗 横浜市青葉区
COPYRIGHT(C) June 2010 TAKESHI SASAKI All Right Reserved
ikasas@e08.itscom.net