ファラデー力線
しかし新しい発見の時,実験は,数学よりもいつも前を歩いています。
ファラデー
1785年に仏の技術者クーロンが,絹糸の捻れを使って力を測定する精巧な器具を作り,2つの電荷に働く微弱な力を測定し,2つの電荷 q と Q の間の力 F が2つの電荷の距離 r の2乗に反比例する『クーロンの法則』を導く。 クーロンの法則がニュートンの重力法則と酷似しているので,物理学者は電気力は重力と同じように,離れた距離を瞬時に伝わる遠隔作用の力であると信じる。1821年にエールステッドが電流の周りに磁気が発生する事を発見する。
エールステッドの実験
導線が磁石の周りを回転する実験
10月に紙筒の回りに電線を巻いて検流計につないで筒の中に磁石を出し入れすると,出し入れの瞬間だけ検流計の針が振れた。
磁力から電気が生まれた!
ファラデーは11月にそれまでの実験を王立協会で発表する。1839年に刊行した『電気学実験研究』の第1編電磁誘導と磁気からの電気の発生にこの実験について書いている。『電気学実験研究』はPROJECT GUTENBERG EBOOK,『電気学実験研究』は岩波文庫(絶版)にある。
ファラデーは1841年に体を悪くしてスイスで静養するが1845年に研究を再開する。
「電気と磁気が関係しているのなら,磁気と光も,どこかで関係しているかもしれない」
と閃いて,11月4日に磁場の中においた鉛ガラスを通過する光の偏光面が回転することを発見した。ファラデー効果である。1846年4月に『光の振動について』の講義をする。ファラデーは1855年に研究活動を止め,ファラデーの実験の数学的説明はマックスウェルに引き継がれる。
ファラデー
マイケル・ファラデー
Michael Faraday 1791-1867。ロンドン生。1812年2月王立研究所のデイヴィの講義を記録,製本してデイヴィに送ると翌年3月にデイヴィの実験補助員として採用される。1813年10月からデイヴィに同行して仏やイタリアでアンペールやヴォルタと会う。1821年にサラ・バーナードと結婚。1824年王立協会会員,1833年王立研究所教授。金曜日に大人のための新しい科学紹介の講演,クリスマスに子供達のための講演を始める。1860年のクリスマスに子供のための『ロウソクの科学』は岩波文庫にある。
王立研究所
1799年3月にロンドン王立協会のバンクス会長の邸でランフォード伯爵の提案によって,科学の普及と科学研究を目的とする王立研究所が設立された。
ファラデーコイル
ピクシーの手回し発電機
ガス灯
ファラデーが電気の研究を止める19世紀の中頃,電気は電信と鍍金に実用化されていた。照明はまだガス灯であった。ボルトン・ワツト社のスコットランド技師ウイリアム・マードックが石炭を乾留して得られたガスに点火することに成功して,1799年にソーホー工場の照明に使う。1805年にフィリップス・リー紡績工場がガスを鉄製のタンクに蓄えて,ガスを管を通して供給する生産,輸送,消費のシステムを作る。ロンドンでは1823年に4万灯が設置された。パリでは1829年にヴァンドーム広場とオペラ座広場を結ぶラ・ぺ通りにガス灯が設けられ,1840年になると7千灯がパリの夜景をつくる。ガス灯の照明は買い物の時間を日没後に延長して,商店街やデパートが作られ,消費が拡大する。エジソンが白熱灯を発明するのはマックスウェルが亡くなる年の1879年である。
石炭の煙の河は 幾條も空に昇って、
月が その蒼白い妖光を灑ぎ始める有様を、
夕靄を透して、眺める この心地好さ。
パリオペラ座ガス灯
ファラデー力線 On Faraday's Lines of Forces
マックスウェルは母がいつも話していた,マックスウェルが電気の研究を始めるのは,グラスゴー大学のトムソン教授の『磁性の数学理論』に紹介されていたファラデーの『電気学実験研究』を読んだのがきっかけである。マックスウェルはトムソン教授に手紙を書く。
磁束
貴兄に感謝します。数学者が物理を研究すると,その結果は数学式になりますが,この式は誰にでも理解でるものではありません。私にとっても数学式は象形文字を見るのと同じで,この式から,次にどんな実験をしたら良いのかを考えることが難しいのです。しかし,貴兄の論文は私にも明確に理解できますし,次にどんな実験をしたらよいかを考えるための良い道筋となります。
この時ファラデーは65歳,マックスウェルは25歳である。色彩
マックスウェルは色彩の実験も続けてきた。1855年3月19日にエディンバラ王立協会に『色覚異常に関する色彩理論』を提出する。5月には白色光が赤と緑と青が混合してできることを発見しエディンバラ王立協会で『色の実験』について講演する。
磁力線
ウィリアム・トムソン
トムソン
William Thomson 1824-1907 アイルランドベルファスト生。10歳でグラススゴー大学に入学。ケンブリッジ卒業後仏ソルボンヌ大学に留学し,22歳でグラスゴー大学物理学教授となる。「エネルギー」という概念を確立しエネルギー不滅の原理「熱力学第一法則」を確立する。仏留学中に高等理工科学校の実験室を見学して物理学には実験が重要と考え,グラスゴー大学に英国で最初の物理実験室を作った。導体の抵抗の精密測定法,電流の精密測定法を開発する。1856年に大西洋横断海底ケーブル工事技術責任者となり1866年に工事が完成する。エネルギー不滅の原理(熱力学第一法則),熱力学第二法則を確立した。1892年にケルビン卿となる。
志田林三郎は明治13年にグラスゴー大学でトムソンに数学,物理学を学び,明治16年に帰国し電信業務を指揮し官営化した。電気学会を創立。
色彩円板を持つマックスウェル