ファラデー力線

科学では、実験と数学(理論)は車の両輪のように一緒に進んでゆきます。
しかし新しい発見の時,実験は,数学よりもいつも前を歩いています。
マイケル・ファラデー

ファラデー

1785年に仏の技術者クーロンが,絹糸の捻れを使って力を測定する精巧な器具を作り,2つの電荷に働く微弱な力を測定し,2つの電荷 q と Q の間の力 F が2つの電荷の距離 r の2乗に反比例する『クーロンの法則』を導く。

Coulomb's Law

クーロンの法則がニュートンの重力法則と酷似しているので,物理学者は電気力は重力と同じように,離れた距離を瞬時に伝わる遠隔作用の力であると信じる。
1821年にエールステッドが電流の周りに磁気が発生する事を発見する。

Ørsted Experiment
エールステッドの実験

英ファラデーはこれに興味を持って実験を始める。1821年9月3日,水銀の中に棒磁石を浸し,その回りに自由に動くことができるように導線を配置して電気を流すと,導線が磁石の周りを回った。12月25日には電流を流した導線の回りの磁石が回転した。

Faraday Rotation
導線が磁石の周りを回転する実験

それから10年間は電気の研究から遠ざかっていて,1831年8月から電磁気の実験を再開する。この年にマックスウェルがエディンバラに生まれる。
電気は何かの振動であるかもしれない。そうならば,電気を流している導線の近くに在る別の電線にも振動が伝わるかもしれない。
鉄の輪に2組の導線を巻いて,1組を検流計につなぎ,別の片方を電池につなぐ。電池を繋いだ瞬間に検流計が振れて,すぐ元に戻る。電池を外す瞬間にも検流計が反対方向に振れる。
10月に紙筒の回りに電線を巻いて検流計につないで筒の中に磁石を出し入れすると,出し入れの瞬間だけ検流計の針が振れた。

磁力から電気が生まれた!

発電機が発明されて,電気の世界が始まる。仏ビクシーはこの発見を聞いて手回し発電機を開発した。
ファラデーは11月にそれまでの実験を王立協会で発表する。1839年に刊行した『電気学実験研究』の第1編電磁誘導磁気からの電気の発生にこの実験について書いている。『電気学実験研究』はPROJECT GUTENBERG EBOOK,『電気学実験研究』は岩波文庫(絶版)にある。
ファラデーは1841年に体を悪くしてスイスで静養するが1845年に研究を再開する。
「電気と磁気が関係しているのなら,磁気と光も,どこかで関係しているかもしれない」
と閃いて,11月4日に磁場の中においた鉛ガラスを通過する光の偏光面が回転することを発見した。ファラデー効果である。1846年4月に『光の振動について』の講義をする。ファラデーは1855年に研究活動を止め,ファラデーの実験の数学的説明はマックスウェルに引き継がれる。

Michael Faraday
ファラデー

マイケル・ファラデー
Michael Faraday 1791-1867。ロンドン生。1812年2月王立研究所のデイヴィの講義を記録,製本してデイヴィに送ると翌年3月にデイヴィの実験補助員として採用される。1813年10月からデイヴィに同行して仏やイタリアでアンペールやヴォルタと会う。1821年にサラ・バーナードと結婚。1824年王立協会会員,1833年王立研究所教授。金曜日に大人のための新しい科学紹介の講演,クリスマスに子供達のための講演を始める。1860年のクリスマスに子供のための『ロウソクの科学』は岩波文庫にある。

王立研究所
1799年3月にロンドン王立協会のバンクス会長の邸でランフォード伯爵の提案によって,科学の普及と科学研究を目的とする王立研究所が設立された。

ファラデーコイル
ファラデーコイル

Pixii Generator
ピクシーの手回し発電機

ガス灯

ファラデーが電気の研究を止める19世紀の中頃,電気は電信と鍍金に実用化されていた。照明はまだガス灯であった。ボルトン・ワツト社のスコットランド技師ウイリアム・マードックが石炭を乾留して得られたガスに点火することに成功して,1799年にソーホー工場の照明に使う。1805年にフィリップス・リー紡績工場がガスを鉄製のタンクに蓄えて,ガスを管を通して供給する生産,輸送,消費のシステムを作る。
ロンドンでは1823年に4万灯が設置された。パリでは1829年にヴァンドーム広場とオペラ座広場を結ぶラ・ぺ通りにガス灯が設けられ,1840年になると7千灯がパリの夜景をつくる。ガス灯の照明は買い物の時間を日没後に延長して,商店街やデパートが作られ,消費が拡大する。エジソンが白熱灯を発明するのはマックスウェルが亡くなる年の1879年である。
蒼空に 星が生まれて、燈火が窓に灯され、
石炭の煙の河は 幾條も空に昇って、
月が その蒼白い妖光を灑ぎ始める有様を、
夕靄を透して、眺める この心地好さ。
悪の華 ボォドレール 鈴木新太郎訳

Ludwik de Laveaux  Parisian Opera
パリオペラ座ガス灯

ファラデー力線 On Faraday's Lines of Forces

マックスウェルは母がいつも話していた,
「神が宇宙を創ったのよ。自然をよく観察して,その中にいる神を発見してごらんなさい。」
の言葉が深く心に染み込んでいて,科学は神の摂理を人間が理解するための方法であると信じている。マックスウェルはファラデーが記録した磁石の上で鉄粉が描く曲線を,
磁気を人間に見えるように,神が授けてくれた。
と考える。エディンバラ学院の頃,卵の形を数学で表現したのと同じように,鉄粉が描く曲線を数学で表現することを決心する。
マックスウェルが電気の研究を始めるのは,グラスゴー大学のトムソン教授の『磁性の数学理論』に紹介されていたファラデーの『電気学実験研究』を読んだのがきっかけである。マックスウェルはトムソン教授に手紙を書く。
ファラデーから電磁気について現象を見る方法と,数学者の方法が違う事を教えてもらいました。私はファラデーの方法を理解するため,ファラデーの『電気学実験研究』を読み終わるまで,数学者が書いた電気に関する論文を読まないと決心しました。そしてファラデーの考え方が完全に数学的で,数学で表現できることが分かりました。例えばファラデーは空間を伝わる"力線"を考えましたが,これは数式で表現できます。
論文が完成に近づくとトムソン教授に手紙を出す。
教授の『熱伝導と電気の数学理論』を基礎にして,ファラデー力線を幾何学を使って表現しました。これは電気だけでなく磁気や熱にも応用できると考えています。
1855年12月10日と翌年2月11日に論文『ファラデー力線』をケンブリッジ哲学協会に提出する。論文の始めに,
電気科学については実験で得られた事実と,理論とはまだ統合されていない。例えば,導体の表面の電気の分布は実験で確認されているが,理論的な解析ができてていない。反対に磁気の理論の一部は出来ているが,実験による確認が出来ていない。電気が流れる導体に働く力は法則になっているが,これがニュートンの重力のような力(遠隔作用)なのか,あるいは違うのかについても分かっていない。
On Faraday's Lines of Force
この論文では難しい数式を使っていない。磁力線に沿って山羊の角のような形をした円錐の筒の中を流れる非圧縮性の流体を想像してクーロンの法則を導いている。

Magnetic Flux
磁束

ファラデーにこの論文を送ると1857年11月に返信があった。

貴兄に感謝します。数学者が物理を研究すると,その結果は数学式になりますが,この式は誰にでも理解でるものではありません。私にとっても数学式は象形文字を見るのと同じで,この式から,次にどんな実験をしたら良いのかを考えることが難しいのです。しかし,貴兄の論文は私にも明確に理解できますし,次にどんな実験をしたらよいかを考えるための良い道筋となります。

この時ファラデーは65歳,マックスウェルは25歳である。

色彩

マックスウェルは色彩の実験も続けてきた。1855年3月19日にエディンバラ王立協会に『色覚異常に関する色彩理論』を提出する。5月には白色光が赤と緑と青が混合してできることを発見しエディンバラ王立協会で『色の実験』について講演する。

magnetic line
磁力線

Thomson
ウィリアム・トムソン

トムソン
William Thomson 1824-1907 アイルランドベルファスト生。10歳でグラススゴー大学に入学。ケンブリッジ卒業後仏ソルボンヌ大学に留学し,22歳でグラスゴー大学物理学教授となる。「エネルギー」という概念を確立しエネルギー不滅の原理「熱力学第一法則」を確立する。仏留学中に高等理工科学校の実験室を見学して物理学には実験が重要と考え,グラスゴー大学に英国で最初の物理実験室を作った。導体の抵抗の精密測定法,電流の精密測定法を開発する。1856年に大西洋横断海底ケーブル工事技術責任者となり1866年に工事が完成する。エネルギー不滅の原理(熱力学第一法則),熱力学第二法則を確立した。1892年にケルビン卿となる。
志田林三郎は明治13年にグラスゴー大学でトムソンに数学,物理学を学び,明治16年に帰国し電信業務を指揮し官営化した。電気学会を創立。

Maxwell
色彩円板を持つマックスウェル

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